第八話 お金が欲しい

「えぇ……マジで?」


 辺境と呼ばれるこの地方の終点、最初の国境を前に、俺は街からポツンと離れた魔石の換金所でそううめいた。


「は、はい、申し訳ございません! と、当方では、ここ、これ程の魔石に支払えるだけのご用意がないのです。どうか……お許しを!」


 国境を越えるのにも金はいる。

 どうやら『魔石払い』はある程度、融通のきく庶民的な取り引きだけの話で、国境の通行料だとか公的なものでは通用しないらしい。


 国境を前に、慌てて換金しようとしたら、魔晶石は想定していたレートよりも遥かに高額で、買取は断られた。

 それではと、前から貯めていた里周辺で得た魔石を出しても、魔石商が目をひん剥いてたよ。

 石の価値を決める、魔力量を測る魔力計が、危うく壊れる所だったと嫌な顔をされたし……。

 何でも魔力計自体、高額な魔道具らしい。


 多少、低くしてもいいから、少しのお金と交換してくれと頼んでみたら、そういう事がバレると経営許可書が取り上げられると断られた。

 どうもイカサマ商売が横行しないよう、魔力計に仕掛けがあるらしく、協会にバレるんだとか。


 うーん、薬でも売るか? 出所の分からない薬なんか、買ってもらえるのかな……。

 それに薬の多くは、魔石が使われているし、薬の価格はその量で決まる事も多い。

 だが、今持っている薬は全部、買取を断られた魔石と同等なもので作ったものだ。

 結局は買い取り不可になるだろう。


 最悪、そこらの通行人に魔石を持たせて、有り金を……。

 いや、それじゃ、通行人だって換金出来ずに困るだろう、タチの悪いカツアゲだ。

 高額な魔石でも、ギルドの支部だったら買い取ってもらえるらしいが、辺境のギルドは出張所扱いでそれも無理だとか。


 理由は簡単。

 ギルドでも高額な現金は流石に扱わず、銀行の役割をする制度があり、証書で支払われるそうだ。

 それなら、証書を銀行に持って行けば現金化できる。

 中々に出来たシステムだが、この地域は未対応……。

 そのせいで俺は今、現金が得られない!


 最寄りのギルド支部は、国境を越えた先、ハリード自治領の首都ペタスにある。

 ……その通行料が払えないってのに。

 あぁ……詰んだ。


「どうしたんですか、アルくん?」


 魔石商の前に広がる草地で、さっきまでティフォと何やら遊んで待っていたソフィアが、ヨロヨロと店を出た俺を心配してやって来た。


「かくかくしかじか」


「なぁんだぁ〜、それなら早く言って下さいよ〜! 私、これでもS級冒険者ですよ?

いっつもソロだから、報酬独り占めですし。

宿だってソロだからボロばっかでしたし。

ご飯だってソロでしたから、良い店なんてほとんど入りませんでした。

服だってソロだから見せる相手もいませんので、大体僧侶服。

休日だっていつもソロ。

お金があってもいつもソロ。

寝ても覚めてもソロ。

ビーチに残る足跡はいつもソロ!

……あれ? 何でしょう私、目から汗が……」


「何の話だよ」


「……お金だけは腐る程あります」


「………………」


「アルくんを養わせて下さい……!」


 ソフィアの目がこっちを見てない。

 なんか、状況とか色んな意味で、これは良くない気がする。


「じゃ、じゃあさ、俺の魔石買わない?」


「えぇ……養いたぁぃ」


 ものすごいねてる⁉︎


「ほ、ほらコレ! なんか頭四つもあるレッサーデーモンの魔晶石だよ! 六角柱のバランスが前衛的だろ? 欲しいだろ? な? な?」


「うーん、単純な魔力量は置いておいて、オークション掛けたら美術的価値込みで、白金貨二百枚はいくでしょうね。どうします? 私はまぁ、払えますけど?」

(白金貨一枚=約十万円、日本円で二千万円くらい)


「は、白金貨にひゃ……ッ⁉︎ こ、個人間でその額のやりとりはどうなんだろう。じゃ、じゃあ、これは?」


 持っていた中でも一番小さい、里周辺で得た魔石を見せてみた。


「うーん、これは元の魔物の種別の付加価値をつけないとして、単純な魔力量で言うと……白金貨三十枚ってところですかね」

(※日本円で、約三百万円)


「グッ、これもさばくには常識的範囲を超える……だと⁉︎ 俺のいた場所はどんだけ秘境だったってんだ⁉︎ ああ、銀貨とか金貨の話が聞きたい。小銭が欲しい!」

(※日本円にして、5千円から5万円の範囲)


 ここからソフィアの拠点バグナス領に入るまでの周辺国は、中央国家に比べて貨幣価値も低いらしい。

 だから、もし金貨を持っていても、そこらの商店では嫌がられるそうだ。

 お釣りが大変だからだ。


 魔石収集は冒険者の生計稼ぎの一つらしいが、大抵は一日の稼ぎで宿代になるかならない程度だという。

 俺が貯めてた魔石は、里の周りに当たり前にいた魔物から得たものだ。

 それがこんなに価値の違いがあるとは……。


「仕方がない、武器でも売るか!」


「無駄ですよ? そんな魔石がふんだんに使われた、ドワーフ謹製の武器防具なんて、その辺の人は一生見れない品ですからね?」


「ぬうぅぅ! 魔石はあってもパン一つ買えないなんて!」


 この辺の魔物でも狩るか? いや、たまに魔獣っぽい獣を見かけたくらいで、この辺は全然魔物を見ない。

 ギルドが出張所として、相談窓口化してるくらいだもんなぁ、冒険者の出番もないくらいなのだろう。

 経済のあり方が、魔物のいる社会といない社会とでは、大分違うんだろうか。


「日雇いでもしてくるか……」


「私、早くギルドに報告しに行かなきゃいけないんです。だから、ここは大人しく養われましょう? 私を頼りましょう? 私だけに寄りかかりましょう? ね? ね?」


 ソフィアが必死過ぎて怖い。

 魔石商の店の前で頭を抱えていると、頭に花の冠をのせたティフォが、上機嫌で歩いてきた。


「おお、綺麗だなぁティフォ。作ったのか?」


「これ? ふふふ、ソフィが作ってくれた」


 そう言えばさっき、二人で草原に座ってなんかやってたな。


 里で一緒に過ごした時間のほとんどは、ティフォは触手でしかなかったし。

 人型になってからも同年代の女の子なんていなかったから、初めて女の子らしい遊びをさせてやれたんだなぁ。

 と、言うか久しぶりにティフォの口からソフィアの名前を聞いた気がする。

 お互い『クソ女、タコ娘』ってラフに呼び合ってたし、まあ、仲が良いのは大事だ。


「オニイチャ、どした? 顔色がアレだよ? なんか孕んだ?」


「孕んでないし、孕まないし、孕めない。はぁ……かくかくしかじか」


 ティフォは少し考えてから、俺に数枚の紙を渡してきた。


「なん……だコレ、手配書?」


「ん。さっき、そこのおじさん、相撲をとったらくれた」


 ティフォが指差した先にいたのは、国境ゲートの監視員だった。

 なんか、見るからにボロボロになってるけど、俺が魔石商と話してる間に何やってたんだろう?

 一応、怪我とかさせてたらアレだから、声を掛けてみる。


「はっはっはっ、ヤバイね、お連れのお嬢さんヤバイね。強かったよー」


「何があったんですか……その、うちのと」


「いやぁね、さっきそこのヤバイお嬢さんが来てね、『ちょっとそっち行かせろ』って言うもんだからね、ちょっとヤバイなぁって。で、『俺を倒していけ』なんて言ってみたらさ、もうヤバイのなんの」


 ……だから、何をやっているんだよ。


「で、あんまりヤバイもんだから、『ここは通せないけど、コレをやる』って、手配書あげたんだわ。裏紙に使えるし、捕まえたらお小遣いにもなるしね、ヤバイだろ?」


「いや、手配書って普通、貼り出して置くもので、手渡したらダメなんじゃ……?」


「ん? いーのいーの。大抵ヤバイやつは、このゲートの向こう側、ハリード自治領だから。金になりにくい辺境側には来ないよ。それにすぐ手配書変わるしね」


「すぐ変わる?」


「ああ、こっちから進んでみたら分かるよ。数分歩けば、ヤバイお尋ね者がヤバイくらい来るんだ。

同士討ちも多いから、すーぐ死ぬし、すーぐ次のお尋ね者出て来るから。な、お小遣い稼ぎにはヤバくてアレだろ?」


 あ、ピンと来た。


「あー、ソフィア? ここの通行料だけ、ちょっと貸してくんない? すぐ返すからさ」


「えぇーですかぁ、あなた、いつもそうやってお小遣いせがむんだからぁ。

もう、特別ですよ? うふふふ」


 なんらかの脚本が入り出したけど、背に腹はかえられぬ。

 とりあえず、俺はソフィアに合わせて、悪びれた感じで『へへへ』って通行料を払ってもらい、金額を書面化しておいた。

 ……貸しを作っておくのは、なんか後が怖いし。


 通過する時、さっきの人に『あんた、イイ女(都合の)連れてるねぇ』と、ソフィアの発言を真に受けて下卑げびた事を言われたが、面倒なのでここは色々切り捨てて『へへへ』って返しておいた。


「よーし、第一国境、通過ァーッ!」


 まさかこんなに早く詰みかけるとは思わなかった。

 お金は大事、強くそう心に刻もう。

 せめてにひもじい思いはさせない、兄としてそんな甲斐性は持とうと、覚悟を決めたのだった。




 ※ ※ ※




─── ヤバイ


 本当だった、ヤバイ。

 国境からハリード自治領に入って数分、すぐにガラの悪いのが後をつけて来た。


「なァーッ! お兄ちゃんよォォッ! えっれえふたりもはべらして、景気ィーよなァ?」


 相手は六人か、手入れと質の悪いブロードソードだの、釘を無数に打ち込んだ棍棒だの。

 ガセ爺がいたら、武器のすすり泣きが聞こえた事だろう。


「へえぇぇ、おじょうちゃん、かわいぃ花のおかんむりつけてるねぇぇ。ちょっと、おじちゃんとあっちであそぼーかぁ?」


 俺は手早く手配書に目を通す。

 うん、いるいるお小遣い。


「ほら、いーから、おじちゃんと……な、なんだオイッ、ぐあぁぁ、ゲハッ」


 俺はティフォにちょっかいを掛けてた一人の奥襟おくえりを掴んで、背負い投げ、カカトであご先を蹴り抜いて気絶させた。


「な、なぁ〜んだオラァァァッ! グァッ、カハッ」


 棍棒を振りかぶって来た相手の膝を蹴り落とし、バランスを崩した所に、掌底であご先を打ち抜き気絶させる。

 ジリジリと残りの四人が距離を詰めて囲み出したが、他より半歩ほど前にいた男のあご先に掌底を振り下ろし、返す流れでもう一人の首元にバックハンドの手刀を叩き込む。

 逃げ出した二人の内、手前の男の膝裏を踏んで後ろに引きずり倒すと同時に、頚動脈に親指を突きこんで失神させる。


「うわぁぁぁっ! く、くるなぁ、うわぁぁぁっ!」


 里の厳しい環境で鍛えられた、俺の脚をなめるなよ?

 男の2met程後ろに追いついた所で、地面を蹴って男を飛び越えて前に立ち、下から掌底でカチ上げて一回転させる。

(1met=1m)


「さて、えーとコレで……」


 ガサガサと手配書を広げて、ざっと計算する。


「大銀貨と銀貨1枚ずつ、小銀貨4枚って所だな!」


 俺はスキップしながら、男達を引きずり集めて【魔導催眠ヒュプノー】を掛けた。


「さあ、最初の街まで半日だ! ガンガン行こうぜ!」


「あのーアルくん、最初から【魔導催眠ヒュプノー】で良かったのでは?」


「ん? 少しは痛い目に遭わないと、反省しないだろ? でもそうか、次からは精神系の魔術も検討してみるか♪」


 正直に言おう、俺は興奮していた。

 だって初めて自分でお金を稼ぐんだよ? なんかスッゴイ大人っぽいじゃん!

 里じゃあ、基本共同生活だったし、あっても物々交換の延長みたいなもんで、お金のやり取りなかったしね。


 ふふふ、移動開始から数分で、ソフィアへの借金額に届いたぞ!

 うん、これはヤバイね、ヤバイわ。

 なんかカブト虫摂りまくってた時の興奮を思い出したわ!




 ※ ※ ※




 結論から言おう。

 もう、うんざりだ。


 この治安の悪さ、どうなのか。

 一応、自治領なんだけどね、自治れてないよね?


「列を乱すなコラァッ! 目的地に間に合わなくなんだろーがッ!」


 俺は今、いばらの冠をいただいた髑髏どくろの兜に、色々刺々しい全身鎧で歩いています。

 余りに襲い掛かってくる数が多くて、少しでも敬遠させようと、ダークアーマー・メイクアップしてみた次第です。


 ほら、また来た。

 ああ、卑怯ですね、前触れなく岩陰から弓ですか。


「─── 【麻痺パライズ】【悪夢ヒュンレフ】……」


 大した腕でもないので避けるまでもなく、俺は彼らに向かって魔術を発動。


「ヒッ……ヒイィィィィッ、やめ、やめてくれ! やめ、やめ、うっぎゃああああああああっ」


「あ、あんたはアタイが殺したはず……! く、来るんじゃない! ひっぎっあああああああっ」


 ん、いい。

 いいハーモニーが岩陰から聞こえてきます。

 今頃、麻痺した体に、過去の悪事に因んだ、精神力ギリギリスレスレの悪夢を見ている事でしょう。


 大体ですよ? 返討ちにした賞金首で仲間じゃないとは言え、パッと見どう考えてもこっちは大所帯じゃない。

 なんでそこに襲い掛かって来るの?

 動いてる物があったらカツアゲに行く習性でもあんの?


「─── 【魔導催眠ヒュプノー】……」


 壊れるか壊れないかの頃合いを見て、俺の催眠下ではありますが、自主的について来てもらうように促し(強制)ます。

 

 もう、しばらくの旅費は稼げてるだろう。

 こうして捕まえる必要もないんだけど、襲いかかって来るのだから仕方がない。

 初めてのお仕事作戦は、最早害虫駆除の様相を呈している。


 先頭を歩く俺、両脇ちょっと後ろにソフィアとティフォ。

 その後ろを民族大移動の如く、色んな格好の人達が続く。

 縄で縛るのは諦めた、全く足りないからだ。


 何でわざわざ悪夢を見せるかって?

 心にやましい事があるのなら、決着をつけて罪を償ってもらおう、ただそれだけだ。

 流石に女神ふたりも引いてるかと思いきや、なんか神様あるあるで盛り上がってる。

 ヒートアップすると神言しんごんになるのか、耳がキィンとなるばかりで、内容はさっぱりだ。


 途中、何度か休憩を挟んだ。


 罪人達に水を配ると、皆一様に震えながら喉を鳴らし、『ありがてぇ、ありがてぇ』と虚ろな目でうめいていた。

 なんか酷い奴隷商みたいでアレだが、あまり気にしないでおこうと思う。


 ハリード自治領最初の街まであと少し、今また新たに現れた野盗を、行列に加える作業に専念した。




 ※ ※ ※




─── 魔族が攻めて来たのかと思いました


 ここはハリード自治領の最南の街、カルヤード。

 門兵が血相を変えて、私の所へ転がり込んで来た時は、死の覚悟もしたくらいです。


 私は町長の娘。

 今、目の前にいるのは、髑髏どくろの兜に、禍々しい漆黒の全身鎧をまとった、悪魔です。

 ただそこにいるだけで、地獄のふたが開かれたみたいに、何処までも黒い魔力が溢れかえっています。

 その男(?)の周りには、悪霊が数体、青白い線をきながら飛び交っています。


 あれはそこらの冒険者でも、ソロでは敵わないという、『彷徨える悪霊ガスト』でしょうか?


 夕陽を背にしたその光景は、妖しくも美しい、さながら血の海に笑う魔王のようでした。

 今も私の奥歯は、気を抜くとカチカチと震えてしまいそうで、その音すら立てるのが恐ろしくて、必死に噛み締めています。


「……これを、買って欲しい」


 そう被りを振った悪魔の後ろには、全てを諦めきった面持ちの人々が、陰惨な空気を漂わせて立ち尽くしていました。

 百人以上……いや、数百人はいたでしょうか?


 ここは治安の最悪なハリード自治領ですが、流石に人身売買は認めていません。

 それを町長代理の私に持ちかけるとは、何と恐ろしい胆力の持主なのか……。


「あ、あの、人は……売り物では……」


 そう言いかけた時、悪魔は懐に手を入れました。

 ああ、きっと物騒なモノを取り出して、私は殺されるッ‼︎

 もう叫び声も出せませんでした。


「……これを」


 薄っすらと目を開けると、何やら紙の束。

 これが噂の悪魔の契約書でしようか、私は曖昧な内容の契約を持ちかけられて、魂を抜かれてしまうのでしょうか⁉︎


 あれ? これは手配書?

 しかし、手配書は貴重な紙に、印刷という中央の最新技術で施した貴重なもの。

 普通は公的な要所に張り出されるだけで、個人が持ち歩くものではありません。


 彼らが来たのは辺境との国境方面からでした。

 ああ、きっと国境門を襲い、奪ったのでしょう。


「罪人を捕まえた。手配書と照らし合わせてくれ」


「へ……? てはい、手配書……。あ、お尋ね者の賞金の事ですかっ⁉︎」


 男は静かにうなずきました。

 なんだ、悪魔も賞金稼ぎ、するんですね。


「こ、こちらでは……その、警察隊への手配は出来ますが、引き取りは、で、出来ません」


「え? お金は⁉︎」


 おや? よく聞けば意外と若い声です。


「す、すみません。こちらでは賞金の支払いはしてません。首都ペタスのギルドであれば……」


 男は両手を髑髏の頭に当てて、口をあんぐりと開けています。

 目頭の部分にシワが寄って、目が悲しげな三角形になりました。

 ……思いの外、この髑髏の兜には表情があるんですね。


 その後ろには、信じられないくらいに美しい、白金の髪の女性が、花の咲いたような笑顔で男を見ています。

 魔界の美姫という存在でしょうか、余りの美しさに同性の私でも、思わず見惚れてしまいました。


「ここの宿泊代、心配いりませんからね~♪」


 嗚呼、美しい神界の雅楽のような、凛と透き通った声。


「オニイチャ、おなか、すいた」


 もう一つ、鈴の音のような声が、聞こえました。

 頭にお花の冠をいただいた、絶世の美少女が、哀しそうに男を見上げています。

 拐かされた、何処かのお姫様でしょうか、紅い瞳の美しさに、また私は見惚れてしまいました。


「……じゃあ、これを……」


「ッ⁉︎」


 男が差し出したのは、首都の魔石商で看板代わりに展示されているような、最高品質の魔石でした。

 それも正確ではありませんね、博物館か美術館の特設展示級、いや国宝級かも知れません。


「これをやるから、こいつらの食事と寝床、俺達三人の宿を用意してくれないか?」


 そうして、悪魔からの取引きが持ちかけられました。




 ※ ※ ※




「さあさ、もう一杯! フハハハッ!」


 今、俺達はハリード自治領の最初の街カルヤードの町長宅で、晩餐のもてなしを受けている。

 町長にしては妙に若い女性だと思っていたら、あれは娘で、今俺にワインを注いでいるのが町長だった。


 賞金首の面々は、今は街の古い倉庫だの馬小屋だのにまとめて確保されている。

 魔術での精神拘束は、俺が解かない限りは有効だし、まあ逃げもしないだろう。


 娘に魔石で交渉を持ちかけてすぐ、町長が帰って来て、二つ返事で俺の提案が通った。

 ……ソフィアはなんかねていたが、俺達の宿泊先として案内された部屋を見てから、ずっと上機嫌だった。


「しかし、すみませんな! 今は丁度、税申告の時期で、この街の宿はどこも一杯になってしまう。

あの部屋しか、空けられませんで」


 町長が用意した俺達の宿は、街でもかなり上等で、たまたまキャンセルが出たとは言っていたが……。

 提案を耳にして以来、町長の目はお金の目になっている。

 恐るべし里の魔石効果だ。

 きっと、宿に何らかの圧力を掛けたに違いない。


「いや、助かった」


 充てがわれた部屋は、魔道具制御のシャワー付き。

 この地域では珍しい、貴族も泊まれる上等な部屋らしいが……三人部屋だった。

 町長の強引な手管に、宿の人が気の毒になるので、今更チェンジも出来ない。


「何をおっしゃいますか! あれだけのならず者達を、一掃していただけたわけですからな!

助かったのはこちらの方ですぞ? それを、あんな者達の寝床と食糧の費用まで支払われるとは、お若いのに中々の人物と感心しておったのですわ」


 町長はすこぶる機嫌がいい。

 ……まあ何だ、謝礼に渡した魔石の金額なら、それらを支払っても、お釣りの方が遥かに額がでかい。

 町長にとっては急に舞い込んだ、美味しい賄賂みたいなものだろう。


「あの、町長様、不躾ぶしつけで失礼な事とは思いますが、この周囲の治安の悪さは、あまりにも……」


 ソフィアが申し訳なさそうに尋ねる。


「うぅん、こちらとしても頭の痛い問題で。数年前まではこれ程に荒れてはおらんかったが」


「何かあったのでしょうか?」


「自治領の名の通り、この辺りを治めるタッセルの王から、自治を認められた土地でしてな。

このハリードを束ねる太守たいしゅには、タッセルに任命された者がなるんですが、その新しい太守になったのと同時に補助金が出た。それで首都周辺の街も急成長しましてな、その辺りで治安体制が崩れたのか、急に」


「なるほど。街の代謝のしわ寄せですか。しかし、それにしても」


「まあ、後ろの辺境を除けば、ここが国として栄える一番端の地域ですからな。流れ者も多いと言うか、ここが掃き溜めみたいなもの! フハハハッ。お、ちょいと失礼」


 そう言いながら、町長はトイレに立って行った。


「……それだけではないんです」


 さっきまで置物のようにしていた、町長の娘が消え入るような声で言った。


「今の太守、クリスティアンが派遣されてから、税金も上がり続けています。食い詰めた人々が、野盗に身をやつしているなんて話も多くて……」


 なるほど、当主の代替わりで圧政か。

 確かに襲い掛かって来た野盗は、武器の扱いも集団の連携もない、完全な素人だった。


「噂ではタッセルの王が、財政難でさらに帝国に擦り寄る方向に変えたとか。今までの太守は、タッセル国教の神聖ネイ教から選出されていたのですが、今回の当主は他国から派遣された方だと。

……何か起きようとしていると、耳聡みみざとい者達はそう言っています」


「帝国……? アルザス帝国との繋がりをタッセルが……。最近、どうにも帝国が手を伸ばしてきてますね」


 うーん、なんか怪しい臭いがして来たけど、ひとつ疑問があるぞ?


「なぁ、どうして大陸の南端に近いハリードが、大陸の北端に近い帝国とつながるんだ? 世界の端と端じゃないか」


「タッセルと帝国は、私の拠点の港町バグナスを中継点とした陸の貿易路『栄光の道』で結ばれているんですよ。勇者の聖魔戦争以降、その陸路と帝国の敷いた政策が元で、その威光は全世界に及んでいます」


「ああ、座学では齧ったけど、そんなになのか。具体的に政策って?」


「主に宗教を通じた学問と魔術学の公布ですね、勇者の一行には聖女シルヴィア・ラウロール。エル・ラト教の聖人がいましたから、その威光は絶大です。また、宗教が反乱や動乱の原因になる例が多いからと、中央諸国連合の定めた国際法で、世界のあらゆる宗教は定期的に審査を受けています。

……その窓口は帝国。帝国とエル・ラト教は表向き異なる国と力ですが、ほぼ同義です」


 エル・ラト教は光の神ラミリアを信奉する世界最大の宗教だ。

 その総本部は中央の地域に、独立した公国を持っているほどにでかい。


 なるほど、帝国が表立ってなんやかんややったら、他の国から顰蹙ひんしゅくを買う。

 それを和らげて、フットワークを軽くする為にエル・ラト教がカバーする……別働隊って事か。


 その宗教団体と、世界最強の軍事大国アルザス帝国は、表向き別々の国としているが、その実は表裏一体なんだな。


「それと同じく勇者一行の戦士ランヴァルドを開祖にした八極流が、帝国の武力と兵法の御流儀で、その流派と兵法は全世界の騎士団や軍隊に波及しています。

帝国は元々、人魔海峡を隔てた魔大陸とにらみ合う国。人界の盾として、世界中からその供出金と兵器技術が集まっていますからね。それらの特許権を握って、死の商人みたいな側面も持ちます」


 何か突出して秀でた力があれば、他もそれに追随する。

 世界の戦術が一方向に偏るって事は、逆にそれをどうにかする手立てがあれば、一気に崩される危険性があるが……。


 更に特許も握ってるとなると、他国がその方向から離反するのには、相当な覚悟が必要になりそうだ。


「そして、今や世界経済を支えている貿易路『栄光の道』には、その利用料として帝国からの税が掛かっています。まあ、実質世界経済を影から掌握しているようなものですね」


「はッ? 教育に武力に金……帝国の一人勝ちじゃないか!」


 直接ではないにしろ、ほとんど全世界の流れを、裏で牛耳ってるようなもんだ。


「だからエル・ラト教の経典ひとつで、守護神の信仰も変わるって言ってたのか」


「はい。私は正直、聖魔戦争自体……いえ、何でもありません。不敬罪に抵触しますね」


 そうソフィアが言いかけて、チラリと町長の娘を見た。

 町長の娘は、硬い表情で呟くように言う。


「……不敬罪。今、それを持ち出す程、民衆達に英雄潭えいゆうたんへの宗教的な忠誠心はありませんよ。でも、こんな世界の果てだと言うのに、この辺りにも少しずつですが、最近エル・ラト教は入って来ています。人々の多くは未だに、勇者伝にある正義の帝国を持てはやしてはいますが、政治に聡い者にはあまり……」


─── ガチャ


「おお、失礼失礼、丁度、蔵にいい酒があったのを思い出しましてな! お次はこれをお試しに……」


 町長が戻ると、何事もなかったようにキナ臭い話は終わった。


 首都ペタスはここから、歩いて半日もかかららない。

 一抹の不安はあるものの、特に気にする必要もないか、国家間の思惑に俺個人の力など何という事もない。

 所詮はただの旅人なのだから。


 その時は、気楽にそう考えていた───

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