第九話 女神の告白
淡い若草色の塗装がされた壁には、深い焦げ茶色の艶やかな柱と筋交いが走り、直線と斜線の重なりが、落ち着きの中にもモダンな風合いを演出している。
町長から手配された宿は、確かに貴族の屋敷とまでは行かなくても、味わいのある風情だった。
床板はやや明るめな色調で、落ち着いた中にも、居心地のいい爽やかな印象を持たせる。
椅子やテーブルなども、時代を感じさせる堅牢な作りに、シンプルながら風合いのある物だ。
ドアノブや、燭台は鈍い金色の金属が使われていて、宿と言うよりも趣ある屋敷の寝室のようだった。
一言にすれば『ステキ!』でも……しくった。
部屋に全く文句はないし、言える立場にはない。
しかし、これは想定外だった。
生まれて初めて見るような、巨大なベッドが部屋にどーんとひとつ。
あれ? 三人部屋って言ってたよな?
なんでベッドがひとつ? なんでこんなに大きいの?
これはつまりは……。
「オニイチャ、久しぶりに、いっしょに寝られる」
そう言いながら、魔道具のポシェットから、お気に入りの枕を取り出して、ベッドに並んだ三つの枕の内、中央の枕と取り替えていた。
「ちょっと待ちなさい。なぜ、貴女の枕が中央なんですか? それじゃあアルくんが……」
「ん? ソフィはここ、不服か。じゃあ……」
そう言いながら、ティフォはおもむろに端の枕をひとつ掴み、ソファの上へと置いた。
「それは、私にソファで寝ろって事ですか、このタコ娘ッ!」
「ふぅ、ヤレヤレ、クソ女は、どーにもわがままだよ」
そう言って、ティフォはソフィア用の枕を再び掴み、部屋から出て行った。
「私に廊下で寝ろとッ⁉︎ ……ふふっ、チャ〜ンス!」
─── カチャン
そう言って、部屋の内側から鍵を掛け、ソフィアはドアの前でしばしうつむくと、手を後ろに組んで満面の笑みで振り返る。
「えへへっ、やっと二人きりになれました……ね♡」
「いや、そうじゃなくて」
廊下側から、カリカリとドアを引っ掻く音がする、何やらティフォが騒いでるがほとんど聞こえない。
うん、防音もしっかりしてる……うん、そういう事じゃない。
「お疲れですよね、アルくん。お風呂の後にします? 私にします? それともお風呂で私にします?」
「選択肢ないじゃん」
今も廊下からは、ドアをカリカリと引っ掻く音が聞こえている。
これ、苦情来ないかな……。
「それに風呂じゃなくてシャワーだし、ほら、二人は無理だろ⁉︎ いや、まず、そう言う事じゃなくてだな」
町長の手配してくれた宿は、かなり上等な上に、こだわりがあった。
何と、この部屋には個室のシャワーが設置されていると言うのだ。
魔道具の個室シャワーは、大陸の栄えた中央部でもそれ程見られる事は無いらしい。
実はかなり楽しみにしていた。
いや、里には風呂好きのダグ爺と、なんでも作れるガセ爺がいたから、家に風呂はあったけど、魔道具のシャワーは見た事がない。
決して都会の風味に憧れてたってワケではないんだ、何事も経験だと言う事だと思うんだよ、本当だよ? 本当だよな?
そこにソフィアと一緒にとか言われたら、シャワーどころじゃないし、流石にガマンとかあり得ない状態になる。
俺のゴールマイン部分は、そんなにまだ人間が出来てはいない ─── !
「……ふふふ、冗談ですよ。アルくんが強引な手練手管で、どうこう出来るなんて、思ってませんから」
「いや、もう散々色々やったよな?」
ソフィアは冗談っぽく微笑むと、持っていた荷物を置いて、ソファに腰をかけた。
「アルくんが疲れてるのに、そんな事しませんよ。さあ、先にシャワー浴びてきちゃって下さい。グズグズしてたら、本当に一緒に入ってしまいますよ? ふふっ」
廊下のカリカリ音が気になるが、ティフォがいるとまたややこしい事になりそうだし、ここはさっさと浴びてしまおう。
「わかった、じゃあ、先に浴びるよ。ありがとう」
脱衣所のドアに鍵を掛け、服を脱ぐとシャワーのある浴室へと足を踏み入れた。
─── パッチャ、パッチャ、パッチャ……
何か液体をかき混ぜるようなリズミカルな音が、浴室の隅でしている。
……何の音だ?
「あら、オニイチャ、いらっしゃーい」
「?……?……⁇……ッ⁉︎」
髪を赤いリボンでまとめ、バスタオルを体に巻いたティフォが膝をついて座り、桶に入った非常に粘度の高そうな液体を、慣れた手つきでかき混ぜていた。
足元には座ったら股間が風邪を引きそうな、中央に大きく溝の掘られた、なんともモダンな金色の椅子が置いてある。
何に使うための椅子なのかな? なんであんなに腕でも入りそうに大きな溝が掘ってあるのかな?
……そう言う事じゃっないッ!
「な……ッ! ティフォ⁉︎ どうやって入った⁉︎ さっきまで扉ガリガリやってただろ⁉︎」
「んー? 神だから? パッチャパッチャ」
当然の事のように言って、ティフォは桶の液体を混ぜる手を、上に持ち上げた。
えらくトロミのついた無色透明な液体が、糸をひいて、桶の中に垂れていく。
「そ、それは……なに?」
「これ? ろーしょん」
「何を……するつもりだ?」
ティフォは粘液まみれの手を、何度かニギニギして『クチュクチュ』いわせると、親指と人差し指で輪を作り、糸をネパネパさせている。
それをじぃっと眺めながら、おもむろに口を開く。
「ん、これをお互いに、ぬる。そして、カラダをかさね、しんぴを……知る。……しる だけに」
「神秘……?」
「ん、とのがたの、しあわせと、えつらく……」
─── ぽいっ
ティフォを脱衣所の外へと放り投げ、鍵を掛けると、気を取り直して浴室へと戻る。
─── シャー……
おお、流石は上流階級御用達の、魔道具シャワー!
水の出る穴が細かくて、絶妙な心地よさだ。
このシャワーの魔道具、どうなってんだろ? 俺にも作れないかなぁ。
はあ、しかし今日は色々あったなぁ、明日にはお金が手に入ると良いけど……。
お、備え付けの石鹸、ハーブが入ってるし、なんかしっとりする。
色々と心配りがニクいね、流石は人気の宿だと、感じ入ってしまう。
きっとオーナーさんが、繊細で優しい心の持主なんだろうなぁ。
そろそろ髪すすぐか、うわ、目に入りそうだな……目つぶったままにしよっと。
ええと……確かこの辺にシャワーのレバーが……
─── むにゅっ
(………………あっ♡)
んん? なんかレバーの形状がおかしいぞ?
こんなやわらかかったか?
……場所間違えてる? もう少しこっち?
─── むにゅむにゅっ
(……あっ、はぅ♡)
…………なんか今、動いた?????
それに、なんかポッチがある……?
─── ぽちっ
(…………っ⁉︎)
「くうぅ……これいじょうわぁあ……むりですぅ」
何かが下に崩れ落ちる気配と、俺の腰の高さから、聞き慣れた甘い声が聞こえた。
「はッ⁉︎ その声は……ソフィかッ⁉︎」
ようやくレバーに手が届き、髪と顔の泡を慌てて流すと、俺の足元で顔を隠してしゃがみこむソフィアの姿。
─── おい! 正面からその高さは……ッ⁉︎
慌てて前を隠したが、これは、もう……。
「お、おま……っ!! いつからそこに⁉︎」
「あああ、神だから? 神だし?
っふあぁーっ! 甘く考えてましたぁ〜っ! こんな、こんなのが⁉︎ その、こんなのが⁉︎
あうぅっ、こんな事なら……ふあぁぁ〜ッ!」
茹で上がったように真っ赤なソフィアが、顔を押さえたまま、混乱をきたしていた。
「だって、だってぇぇ〜!
……意図せず相部屋とか、パターン的には……ラッキースケベにいくもんじゃないですかぁ〜っ!
それをイキナリ、ダイレクトとか……ふあぁーっ!」
だいれくと……?
あれは……あの柔らかい感触と、あの……あのポッチはッ⁉︎
「……フアアアアアアアァァァーォッ!(←アル)」
今度は俺が混乱していた。
後ろに飛び退くと、何かが俺の尻に触れる感触があった。
「ちっ、クソ女。さいごにヘタれるとは、かみの、かざかみにも、おけない」
ティフォが俺の尻をピタピタ叩きながら、ソフィアに呆れ顔をしていた。
片手に粘液桶、叩く手からはきらめく粘液の糸が舞い踊る。
「おおお前ら出てけえええぇぇっ‼︎‼︎」
─── ぽぽいっ
……ぜ、全部見られた……ッ!
もうお婿さんに……行けないッ!
※
「─── で、何か言う事はないか?」
ソフィアとティフォが正座している前に、俺は椅子を置いて座っている。
「オニイチャを……よろこばせたかった」
「少しでもアルくんの疲れが癒せればと……」
「そうか、二人とも、俺のためか……」
「「そ、そうなん……」」
「すぅ〜。
…………いいわけをッ、するなああああぁぁっ!」
「「ひいっ」」
テーブルの水差しがピーンと共鳴した。
あの後、慌てて着替え、着のみ着のままで飛び出した。
咎人達のいる馬小屋にでも、厄介になりに行こうとした俺を、二人が魔術込みで止めに入った。
で、今は話し合いである。
「ティフォ、さっきのアレはなんだったんだ? あれは男の行く娼館の……ゲフンッ、どこで覚えた⁉︎」
「えぇと、けんのーを使って、宇宙の『知識の泉』で、本をえつらんした」
「本か。その本のタイトルは?」
「ん、『出没! 男の歓楽街』って……」
「アウトだッ! 完ッ全にアウトだバカヤロウ!」
ティフォの言葉を遮って止めた。
「えぇ……オニイチャが言えってぇ」
「そうじゃない、そういう事じゃない! もう、そこの本棚には行くのはやめなさい。図書館は大いに結構だから、その本棚の辺りはね?」
「はぁい」
ティフォがしゅんとしている。
可愛そうにも思えるが、年端もいかない妹の健全な将来のためだ、兄である俺が世界の害意から守らなくては!
「ソフィは? ラッキースケベがどうとか、どこで得た知識なんだ?」
「私も……権能を使って、神界の『知識の虎』で借りた本で……」
「ソフィもか。ちなみに本のタイトルは?」
「ええと……『すぐ使える ラブコメアイデア』ってノウハウの……」
「アウトだッ! 色んな意味でアウトだ!」
「えぇ……アルくんが言えって……」
「現実には無理なんだよ、ラッキースケベとか! なんで神界にそんなんがあるんだよ!
ってか、何でノウハウ本なんだよ! なに? 神様ってそういうノウハウにも強いの!? もっといい事に知識使おうよ!」
「だってぇ、表紙の絵が可愛かったんですもん」
「あぁ……あるね、そういうのね。表紙はすごいの多いよね。分かる、分かるよ? でも現実にやるとね、さっきみたいになるからね?」
「さっき……みたいに……はうぅ///」
あんなに普段ガツガツしといてからに、この
「とにかく、皆、一旦落ち着こう。な?」
「…………アルくん、もう怒ってないですか?」
ちょっとつねっただけでも、血が出そうなくらいソフィアの顔が赤い。
自分でやっておいて、どんだけ混乱してたんだろうかこの娘は。
「怒ってないよ。俺も驚いただけだ」
なんだか、妙にソフィアが子供っぽく見えて、思わず頭をなでていた。
ソフィアは目を細めて、されるがままにしている。
「私も…………驚きました……。あんなゴールマインが目の前に」
「も、もういいから! 事故とは言え、俺も悪かった! ゴールマインとかも言うな⁉︎ はぁ……今日はもう寝よう」
「オニイチャ、馬小屋いくの……?」
ティフォが不安そうに裾を掴む。
妹のこの表情には、どうしても抗えない。
「ハァ……行かない。ここで寝るから、もうゴリ押しとか、粘液とかは無しで、いいな?」
「「は〜い♪」」
なんだか酷く長い一日だった気がする……。
※ ※ ※
はぁ、私って何なのでしょうか……?
アルくんから離れていた今までの時間、寂しくて辛くて、何度か毛玉を吐きそうになったくらいでした。
……記憶の理想化?
いいえ、初めて会った時、彼がしてくれた事は忘れもしません。
あの時、彼が差し伸べてくれた手の温かさは、今でも私の手に残っているくらいです。
アルくんは憶えていないっぽいですけどね。
嬉しくて嬉しくて、しかも、彼が私の運命の人だとすぐに気がついて、本当に世界が薔薇色になったのを憶えています。
それから間もなく、彼を失った絶望感……。
やっと再会できて、剣を交えて、一緒にいられるようになって、今はあの時以上に彼のそばにいたい。
そう思うと、抑え切れなくなってしまう。
彼が戸惑っている事も分かっています。
ただ、さっき、浴室で仲良くしたいと思ったのに、彼に体を触れられて、嬉しいのに怖くなってしまいました……。
彼の逞しい体を目にして、激しく胸がときめいていたのも事実です。
それなのに怖かった。
私は彼とどうなりたいのでしょうか……。
幼かったあの頃、私はストレートに『およめさんにしてほしい』と言えました。
ただ、それはずっと一緒にいたいと言う事を、それ以外の表現にする事が出来なかったから。
まだ転生したての私は、感情が不安定でしたしね。
そして今、私の気持ちが空回りしているのには、まだ理由があります。
─── 私は彼に全ての運命を話せていない
否、話す事が許されない。
全てを打ち明けられた時、本当に、彼は私と同じ運命を歩いて下さるのでしょうか?
仲良くなりたいのに、仲良くなるのが怖い。
彼に運命を拒まれた時、私はその全てを失ってしまうのですから。
私がそう思っていながら、彼が拒む事も知っていて、ちょっかいを出しているのは……。
彼に側に置いてもらえている事に、少しでも努力したと、思い込もうとしていただけなのかも知れません。
ああ……今気がつきました。
私は調律の神でありながら、世界の行方よりも、彼との繋がりに焦がれている。
世界の運命を背負うのではなく、ただ彼と共に在りたいと切望している!
彼は優しい。
だからこそ共に歩きたいのなら、私が甘えていてはいけませんね。
今、話せる全てを話しましょう。
神々の掟が許す所まで。
「……起きていますか? アルくん」
隣に眠る彼に、私は声が震えるのを
※
隣でティフォが眠ってる。
布団から両手を出して、バンザイっぽい姿勢で。
そんな事を考えていたら、布団が揺れて、ソフィアがこちらを向いた。
彼女の甘やかな香りと、体温を乗せた空気が鼻をくすぐって、思わず胸がドキっとする。
「……起きていますか? アルくん」
同じ寝具の中、彼女の気配を近くに感じながら聞く声は、いつもより甘く聞こえる。
だが、なんだか切迫感のあるというか、厳しい感じの声……悪いけど、初めて神様ぽいなと思った。
俺もそっちに寝返りを打って、彼女に体を向ける。
「ああ、起きてるよ。どうした?」
─── ぎゅっ
ソフィアはふいに、俺のシャツの胸元を、不安そうに握りしめた。
「私は、アルくんに話せていない事があります。聞いてもらえますか?」
「……うん、聞くよ」
彼女にはよくからかわれているから、これは本気の話だと、表情を見ればすぐに分かった。
返事をすると、一瞬怯えた顔をして、それから困ったように苦笑して、そして子供に話を聞かせるような優しい顔で話し始めた。
「私は調律の神オルネア。この世の光と陰、善しと悪しの織り成す営みを、見守りし神。私はこの世のバランスが崩れようとした時、地に産み落とされ、運命の力を適合者に与える宿命を背負っています」
「……適合者?」
「守護神を遥かに超える力と、権能を持つのが私達、真の神。いえ、それだけではなく、我々はこの世の土台を担う、守護神とは全く異なる存在。神の言葉は強い因果を生み、望みは強大な運命を創り出すのです」
そうだ、俺の体にある紋様もセラ婆曰く、線の一本とっても、魔道書数冊分に相当する情報量が詰まっているという。
人類なんかでは、どれだけ
「しかし『天界は地上に触らず』が掟です。神は己の手で、地上の営みを変える事は出来ません。あくまでも、地上に生きる者が自分達で歩み、魂の輝きをより大きくできるよう、見守るしか出来ないのです」
「…………」
「しかし、時に地上は、自分達の力ではどうしようもない、極端な流れに偏ってしまう事があります。地上の守護神と人には、太刀打ち出来ないうねりが。その時、調律の神である私が顕現し、調律の運命に応えられる魂を持った人を選定します。
それが適合者─── 」
「俺は……俺の守護神はソフィだろ? だけど、カードにはそう書かれていない」
「はい。貴方の守護神は紛れもなく私です。更新した時、表記が変わりましたよね。さて、勇者と呼ばれる人物の守護神は誰でしたか?」
「そ、それは君、女神オルネア……」
「はい。そして貴方の加護は勇者と同じく※※※※※※※※で……す……くッ!」
ソフィアが加護を口に出そうとした瞬間、言葉はノイズに掻き乱されて、音にならなかった。
同時に彼女の体が、薄れてブレ、青白い電光が細かくまとわりついた。
「……な、ソ、ソフィッ⁉︎」
思わずソフィアの体に触れても、俺には何の変化もない。
雷撃に触れても、俺には何の影響も与えなかった。
弱々しい微笑みを浮かべ、ソフィアは人差し指を口元に立てた。
体の透けは治ったものの、まだ微かにブレが起きている。
「シィー、ティフォちゃんが起きてしまいますよ? 大丈夫。これ位の越権行為では、まぁ死にませんから」
「越権……行為?」
「はい、守護神は自分と契約を結んだ相手に、今こなせると確定している運命しか、伝える事が出来ません。今、受け取れる所までの加護しか与えられませんし、それ以上の運命に関わることを直接、示唆する事も許されません。それをすると、今の様に罰が与えられるのです」
「罰則か? 何でそんなものを……?」
「通常は妖精族や神族、魔神族が守護神を担います。彼らは、この世のバランスを崩さぬ様、ある程度の権能と運命しか持ち合わせていませんが、悪用しようとすれば可能性はあります。天界は地上と鏡合わせの世界。天界に危険が及べば地上も滅びかねません。
……だから、通常は越権行為など出来ないように生まれていますし、もし、先程の罰則を受ければ、彼らでは存在ごと消滅するでしょう」
「そんな事を今やったのか! 何でそんな無茶を……大丈夫なのか?」
「ふふ、本当に貴方は優しいですね……。きっと貴方は、私が越権行為を実演しなくても、信じてくれたでしょう。しかし、貴方の優しさにもう甘えたくはなかったのです。驚かせて、ごめんなさい」
ソフィアはやはりどこか哀しそうな、苦しそうな微笑みを見せる。
「あなたの守護神は私です。あなたの知る本来の加護が発現しないのは、あなたが受け止めるべき運命の全容を、まだ知らないから。勇者の受けた加護は誰でも知っているでしょうが、そんなことですら今の私ではあなたに直接伝えられないのです」
何となく彼女に感じていた違和感はこれか。
嘘をついたり、騙そうとしているのではないと、分かってはいた。
ただ、時折寂しそうに見えている事があった。
「それに前任の勇者の運命は、もしかしたら……。いいえ、これは考え過ぎですね。今はイングヴェイさんの意思を求めて下さい、そこでまず、貴方は運命の全容を知る事になるでしょう。
……あなたが運命を選べるのはそこからです」
「そこが俺にまだ話せない、運命の分水嶺なんだな? ソフィが今は一人で抱えてる、大きな運命が待っていると」
「はい、ごめんなさい。役に立たない守護神で……。本当はあなたに重い運命を押し付けたくはないんです。今はここまでしか言えません。でも、今の内に言っておきますね。
あなたはそれを受けなくても、いい─── 」
「俺が受けなかったら、君はどうなる……?」
「さぁ? まあ、天界に戻されて、違う人格でまた生み落とされるんじゃないでしょうか。私の本体は天界にありますので、化身であるこの肉体がどうこうなった所で本体が滅びる事はありませんから」
「じゃあ、勇者に加護を与えた前任の化身ってのはどうなったんだ?」
「さあ、どうなったのかは、お話出来ませんが、私とは
何だか、
神が全知全能な存在だと思っていたのが、ただ生き方の違う人物との、遠い関わりでしかないのだと知ったような……。
自分をどこかで助けてくれる、親のような存在ではないと思えてしまった。
「何となくだけど、普通の守護神が大勢に加護を与える意味がわかったよ。神の持つ運命は、神ひとりでも、人ひとりでも持ち切れない、困難なものなんだな?でも、その運命が大き過ぎた場合、広く浅くじゃ解決出来やしない。
……だからこそ、選ばれた勇者のみ。唯一、神の加護を一人で受けた。それだけ、世界の調律者に求められる力は、強大である必要があるって事か」
「はい。その通りです。怖くなりましたか?」
俺のシャツをずっと掴んでいた、ソフィアの細い手が離れた。
消え入りそうな儚い表情に、胸が締め付けられる。
─── 俺は、離れ行くソフィアの心細い手を、逃すまいと強く掴んだ
「いいや、俺は君を失いたくは無い。何もする前から諦めるとか嫌だし、どんな事があっても、目の前の運命に挑むと思うよ」
ソフィアの目が見開かれ、掴む手首に彼女の震えが伝わってくる。
「それにさ……この前、君とダンスをして思ったんだ。多分俺たちは、運命を支え合えるって。きっとそれは、ずっと前から、何処かで気づいていたんだ」
何だかクサい言葉にも聞こえそうで、戸惑ったら喋れなくなりそうだから、一気に最後まで言い切る。
向かい合ってベッドに横たわる彼女は、あごを引いてうつむくと、前髪に隠れた目の下でわずかに唇を動かした。
(嗚呼、この人は、もう私なんかよりずっと先に、運命を抱き留めていたのね)
「……今、何か言った?」
「フフ、いいえ、何も。ただ、あなたはいつも、私の渇望する何かを、当たり前のように与えて下さいます。初めて出逢った、あの時のように」
そう言って、ソフィアは自分の手を掴む俺の手を抱き寄せて、一筋の涙を零した。
「初めて……の時?」
「くすくす、やっぱり憶えていませんか。これだけは教えませんよ? 私だけの宝物ですから」
もう、彼女の顔に、不安な色は、見当たらなかった。
そうしてすぐに、ソフィアからも穏やかな寝息が聞こえて来た。
俺の生まれに関わる、大きな運命。
なぜか義父さんに頭を撫でられた、幼き日の風景が頭をよぎった。
あの温かくゴツゴツとした掌の記憶が、頭の表面に鮮明に蘇る。
あの手も、裏切れないよな……。
俺の運命がどんなものか分からないけど、足を止める事は、義父さんの想いを反故にする事にもなるんじゃないだろうか?
何であれ、俺は今目の前でスヤスヤと眠る女神を、もうすでに単なる初恋とは片付けられない想いを寄せている。
ただただ、今は俺に出来る事を、進めて行くしかないな。
そんな事を考えている内に、俺も眠りに落ちていった。
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