第七話 辺境伯の館

 広葉樹がやや色づくこの時期、辺境の村ペコは特産品の生糸を染め上げる、忙しい時期に入る。


 染められた糸が、村の至る所で竿に掛けて干され、染付けの作業に使われた木製のタライが家の外に立て掛けられている。

 焼きレンガと、木の皮でかれた屋根、簡素な家が集まる風景は、素朴ながらも人々の活気が表れているようだ。


 今その中に、場違いに風雅な馬車があった。

 

「じゃあな、色々と世話になった」


 俺が手を差し出すと、村長は両手でしっかりと掴み、強く数回確かめるように振られた。


「なにをおっしゃられる! 村の恩人であられるアルフォンス様に、ワシらは何も返せておりません!」


「猪料理、美味かったよ。酒も。後はキノコの煮しめたのも美味かった。楽しい数日間だったんだ、それだけで満足だ」


 周囲の村人達が笑う。

 少し寂しそうに、眉を下げて。


 あれから一週間、エリゼやモニカの家である辺境伯の周辺が落ち着くまで、俺たちはこのペコで過ごした。

 まさか人里に降りて一発目から、こんな騒動に巻き込まれる事になるとは思わなかったが、結果的にこの一週間のお陰で落ち着く事もできたと言うのが正直な所。


 俺自身、自分の初恋の相手と再会したわ、加護だの守護神だのがその相手だわ、しかもそれが勇者の守護神『調律神オルネア』だったわ。

 その上、未だに加護カードは狂っているのか、ソフィアと契約更新しても『触手と美女の騎士』などと、余計に怪しさ倍増しただけだ。


 ……そりゃあ、ゆっくり落ち着きたくもあった。

 お陰でソフィアとも親交を深められたと言うか、彼女はガシガシ来てくれてたわけだけども、一緒に旅をするって心構えも整えられたしな。


 そして今日、辺境伯から迎えの馬車が到着した。


 俺達はこのままこの辺境地域の首都へ向かい、ソフィアのギルド依頼達成の証印を貰った後、そのままソフィアに同行して、南洋国家バグナス領へと冒険者登録を受けに行き……


─── 俺の実家のある場所、大陸中央部のキュルキセル地方を目指す


 ペコでの日々は里とは違い、周辺の森は穏やかで、村人たちと狩りをしたり、生糸の染付けを手伝ったり、子供達と遊んだり。

 夜には酒を飲んで、村人達と色々と語り合ったりして、のんびり出来た。


 本当の所、里から出てくるのに不安はあった。

 物心ついてから、里の住人たち以外とコミュニケーションを取った事はなかったのだから。


 しかし、彼らのお陰で、そんな心配がない事を教えてもらえた気がする。

 楽しかった。


 ダグ爺達以外との、多くの人々とこうして普通に過ごせる事が分かっただけでも、大きな収穫で感謝している。

 だから尚更、俺の事は恩人などと言わず、気楽に受け止めて欲しいとも思ったしな。


「旅が終わったら、またここを通る。その時はまた、友人として迎えて欲しい」


「……もちろん! もちろん。自分のもう一つの家だと思って、帰ってきてくだされ! うぅっ、ぐすっ」


 村長が鼻をすすると、周りからは暖かい苦笑が漏れた。


「じいちゃん、泣いてやんの〜」


「うるさいわぃ、あっち行っとれ! ああ、すみませんのう、歳を取ると涙腺がどうも」


「ん、ティフォはそういうの、うれしーよ?」


 干し柿を大量にもらってご満悦のティフォが、ニッコリと笑って言った。


「おお……ティフォちゃんも、いつでも遊びに来てなぁ」


「おー。ジャンじーちゃん、また来る」


 ティフォは特に村長と仲良く……と言うか、曽孫と曽祖父みたいな、何とも微笑ましい関係だった。

 妹を愛でられて、不愉快な兄などいない。


「ふふふ、さて、いつまでもこうしていては、皆様の秋の収穫のお邪魔になってしまいます。名残惜しいですが、そろそろ行きましょうか」


 ソフィアがそう言うと、村の男衆が絶望的な顔をした。

 俺と出会って、あのタックル以降、ソフィアは顔にヴェールをつけなかった。

 本人曰く『これからはもうどーだっていいです』と、冒険者稼業をスムーズにするためのヴェールは、最早邪魔でしかないらしい。


 いや、俺に会いたいと、ずっと思ってくれてたのは嬉しいよ? 

 記憶にあった美少女が、とんでもない美女になって、グイグイ来てくれるとかおとぎ話かよって所だしな。


 彼女は美しい、気を抜くと見惚れてしまう程に美しくて、同じ人間とは思えない。

 まあ、女神なんだけれど、肉体を持って転生して来てるから、おおむね人間なんだが。


 その彼女が素顔をさらした結果、これだ。


 一種熱病に罹った男衆は、ソフィアの親衛隊を結成。

 女衆からの冷め切った妨害にもめげず、『触れず、騒がす、遠目で愛でる』と言う戒律の下、より結束を固めた。

 なぜかその会議に、俺も参加させられていたのだが、白熱する議論の中、俺が一言も発言しないうちにそういう決定が下された。


 ソフィアにはさぞかし女衆のやっかみが来るのではと内心不安だったが、彼女は女衆にハンドクリームを作り方と共に与えたり、子供の病気なんかの知識を教えていた。

 ある意味、男衆よりも女衆からの方が、濃厚な信望を受けているんじゃないだろうか。

 旅の僧侶の装いは、ダテじゃなかったようだ。


主人あるじ様! あの……ぼく……!」


 馬車へと乗り込もうとした時、幼い少年の声が掛かった。

 あの時、遺体で発見されたティムだ。


 蘇生の翌朝、日課の朝稽古をしていたら、彼もやってきて、それから毎日手ほどきをするようになっていた。


「ティム。お前の母さんと、村の人達を頼んだぞ?」


「……はいっ!

あ、主人様も、どうかお気をつけて……ぐすっ」


 ティムの髪を撫でて微笑みかけると、俺は馬車に乗り込んだ。

 彼はこのたった数日間で、それなりの剣術の型を習得し、魔術は…………


─── 光属性の超上級魔術まで会得した


 グールベース、黄泉返りの他の七人も、かなり魔術の腕が見込めたが、ティムは群を抜いていた。

 幼いから吸収が早いのか、それとも、初恋の言い伝えのように、運命が曖昧な子供だからこそ、得られる未来に大きく関わるのかも知れない。


 魔術にはそれぞれ属性ごとに、初級、中級、上級、超上級、神聖級とランクがある。

 ソフィア曰く、使える超上級魔術のひとつでもあれば、先進国の神官や宮廷魔術師になれると言うのだから、彼のヤバさが分かるだろう。


 他の七人も、すぐに力をつけていくに違いない。

 その時の為に、俺は一通り魔術の知識を書き残して置く事にした。

 今は平和でも、この辺境の上にあたる宗主国タッセルが今後どうなるか分からない以上、備えは大事だと思ったからだ。

 今回みたいな事が起きた時、守ってくれる国がないのなら、彼ら自身が強くあって欲しい。


「じゃあな! 行ってくる!」


 上等な馬車を手配してくれたのだろう、初めて乗る馬車に内心ドキドキだが、悟られまいと表情は努めて冷静に微笑んでおく。


 スルスルと動き出した馬車を、村人達が見送る。

 その姿は、真っ直ぐに続く林道から、彼らの姿が見えなくなるまでそこにあり続けた。




 ※ 




─── 後にこの地で、若き天才魔法剣士が七人の戦士を従え、辺境の危機を救った


 彼ら全員が聖属性であったことから『辺境の八聖』と呼ばれる事になるのだが、それはまた別の話である。


 


 ※ ※ ※




「ようこそ! ようこそお出でくださいました!

ソフィア様、アルフォンス様、ティフォ様!」


 ナダリア辺境伯は、人の良さそうな表情で、わざわざ屋敷の前まで出迎えてくれた。


「長い移動でお疲れになられた事でしょう。ささ、まずは中にお入り下さい」


 辺境伯は執事を脇に、自らが前に出て案内をかって出る。

 良くは分からないが、貴族としてこの対応は、かなり異例なんじゃないだろうか?


 俺達は屋敷の奥まで案内され、飲み物の好みを尋ねられると、ソファを勧められた。

 辺境伯が深々と頭を下げて一旦退出すると、給仕を二人残して、『しばし、おくつろぎくださいませ』とワラワラいた使いの者達が出て行った。


 ……廊下にも何人か気配があるけど、これは執事とかそういう人が待機してるって感じだなぁ。

 全力でおもてなしって感じか。


「これは、応接室でも客室でもなく、上室というものでしょうか?」


 流石はS級冒険者、ソフィアは今までにかなり上流階級の依頼もこなして来ただけあって、今の待遇が異例な厚遇だと分かっているようだった。


 俺なんか全く理解の追いつかない、異世界文明にでも連れてこられた心境で、つい鎧を着けようとしてソフィアに止められたくらいだ。


 一方、ティフォは村長にもらった干し柿を、もちゃもちゃと食べている。

 今はティフォのピコピコ動く、頰の動きを見て、落ち着こう。




 ※ ※ ※




「この度は、我が娘モニカ、ならびにエリゼの命をお救いくださいまして、誠にありがとうございました。

お陰様で、愛する私共の家族が無事であったばかりか、公爵の企ても未然に防ぐことができました。

……また、私共の家族だけではなく、この地の多くの民をお救いくださいましたこと、深く深く感謝いたします」


 俺たちの前で、辺境伯とその妻、娘のエリゼとモニカが、そろって深々と頭を下げる。


「どうかお顔をお上げください、ナダリア卿。私たちはギルドの依頼で動いたまでの事、これ程の待遇は身に余ります。どうか」


 ソフィアがそう言って頭を下げると、辺境伯は感嘆かんたんして、人の良さそうな顔をさらに柔らかくした。


「いえ、ギルドへの依頼はモニカの救出と、盗賊団の討伐でした。それを完璧にこなしたばかりか、その裏の首謀者を掴み、エリゼの殺害と我がナダリア家存続の危機まで未然に防がれたのです。

もちろんギルドへは、最上級の評価と追加報酬をお約束させていただきました」


 流石、貴族ともなると流暢りゅうちょうに口上を述べるものだなと感心してしまう。

 すらすらと言葉にしているが、端々に感謝が伝わってくる真摯なものだった。


「ソフィア様の所属されるバグナス領ギルドへも、別途寄付をさせていただきました。この度の皆様のご活躍は、私共にとって奇跡といっても過言ではありません。

この程度では、到底こちらの気持ちは表しきれない……」


「そこまでしていただけるとは……。いえ、私共もご厚情いただきまして、心より感謝申し上げます、ナダリア卿」


 辺境伯はソフィアの流麗な仕草に、また感心しきりな様子で、やや興奮しながら呟く。


「しかし、あの公爵の声を封じ込めた魔道具といい、あの短時間で公爵の存在と別荘のアジトに辿り着く情報収集能力といい。S級冒険者とはこれ程のものだったのかと、皆感心していた所です」


 まあ、実際はティフォがほとんど一人でやったんだけどな。

 俺は盗賊団から村を解放して、ソフィアと斬り合ってただけだし、ソフィアは俺に斬りかかっただけだしな。


 チラッとソフィアが俺を見て、耳を真っ赤にしていた。

 目が『私何もやってない』と語っている。


 俺の心を読まれた? いや、彼女自身の耳が痛いだけか。


「ま、まあ、それなりに経験があると申しますか、こ、今回の助手が優秀だったと申しますか」


 しどろもどろになりながら、段々と首が前に傾いていく。

 後にギルドで俺達の登録をする時、待遇の交渉を有利に運ぶ為にこの設定にしたが、ソフィアにはちょっと心苦しかったようだ。


「ほぅ。いや、一流の方はやはり謙虚で慎み深い。

流石です! このフラン・ペトロ・ナダリア、感動しております!

さあ、ギルド依頼達成の証印を、その後はお食事も用意しております。この度の冒険譚、改めてお聞かせ願いたく」


 その後、ナダリア一家それぞれから個別に礼を受け、湯に浸かり、その日は晩餐による歓待を受けナダリア家に宿泊した。


 そして翌日、近親の貴族と関係者のみのパーティが開かれ、俺達も招待される事となった。




 ※ ※ ※




 はぁ、こういう世界もあるんだな。

 俺はテラスに出て、夜風に当たりながら、借り物の慣れない礼服のえりを崩した。


 ……パーティはまだ続いてる。

 一応俺とティフォはソフィアの助手としてあるので、それ程に首を突っ込まれているわけではない。

 最初は偉そうな感じの人達、少し若い貴族と、挨拶がてらの会話。

 それも疲れたが、問題はその後だ。


 貴族のお嬢様ってのは、みんなあんな喋り方なのだろうか?


 なんだか良く分からない所で笑い、なんだか良く分からない所で感心する。

 どうすれば良いのか、適当に合わせていたら、気がつけばそんな感じの子らに囲まれていて『ダンスはいかが?』とか言われたので逃げてきた。


 一応、こう言う所のダンスも、セラ婆とシモンから手解きは受けてるし、ふたりから免許皆伝もらった位には踊れるけど……うぅん。

 踊るなら楽しい方がいい。


 テラスの窓からチラリと中を覗くと、ソフィアが男性陣に囲まれていた。

 ティフォは、見当たらないけど、なんか食べたり飲んだりしてんだろうなぁ。


「あの……」


 急に後ろから声を掛けられて、思わずビクッとなった。

 振り返ると、そこには辺境伯の娘、エリゼが立っていた。

 団長に殺され掛けた、お姉ちゃんの方だ。


 エリゼはモジモジと指をいじりながら、消え入りそうな声を出した。


「……あの時の、鎧の方……なんですよね?」


「ああ、俺がガイコツの中身だよ」


 そう答えると、エリゼの瞳が小さく震え、頭を深々と下げた。


「あの時は、失礼な事を言ってしまって……。申し訳ありませんでした!」


 ああ、ウィリーを助けられなかった時か。


「私……私は、あの時……」


「いや、気にしてない。誰にだってそういう時はある」


「……あ、ありがとう……ございます……」


 そういったが、何かまだ彼女は言いたい事があるようだ。

 唇を噛み、何かを思いつめている。


「せっかくだ、何かあるんなら、話しちまえばいいんじゃないか?」


 エリゼは驚いた顔をして、おずおずと話し出した。


「私は…………ウィリーを愛していました。きっとウィリーも……。

でも、貴族の娘は恋愛で結婚するものではありません。私もそう分かっていたと思っていたのです。

でも、隣国の王家との良縁が来て、私は……」


 公爵の狙いにされた婚約だな。

 独立が後回しにされてるとは言え、辺境はタッセル領だ。

 だが、彼女が婚約したのは、それとは違うタッセルのお隣のアルツ公国の王子様なわけで、あの変態公爵的にはそこも面白くなかったのかも知れない。


 ウィリーの言葉は確かにエリゼを案じたものだったが、最期に名前を呼んだ時『エリゼ……さま』だった。


 あの時は、苦痛に言葉がつかえただけだと、気にもしていなかった。

 しかし、そういう事だったとすれば、彼があの時、普段の呼び捨てで名を呼び、そして思い直すように『さま』を付け加えたようにも思える。


 そして、辛い現実にぶつけた、エリゼのあの強い言葉は、平民をけなしたものではなく、無意識のうちに吐き出された、自らの背負う貴族の重さへの皮肉だったようにも思えた。


「……分かっていたつもりでした。でも、彼が盗賊団の襲撃に殿しんがりとなって、私を逃してくれた時……。貴方の口から、彼の死を告げられた時。

私は彼を愛していたのだと、心の底から理解してしまった!

あ……いえ、婚約は破棄しません。何も変わりません。私は貴族の娘なのですから……」


 そこまで言って、彼女は我に返ったようにハッと顔を上げた。


「…………すみません、取り留めのないことを。

どうか、お忘れください。助けていただいた事、本当に感謝しています。ありがとうございました」


 そう言ってエリゼは立ち去ろうと背を見せた。


「なあ、意地でも幸せになる気はあるか?」


「……え?」


「いや……さ、俺は……。

あー、運命を背負わされる事の意味ってのを、よく考えるんだ。剣士に望まれる運命、術師に課せられる運命、パン屋のせがれに生まれた運命。どれもがさ、逃げたら終わる運命だ」


「………………」


「でもさ、終わるのはその望まれた運命だけで、自分は終わりじゃない。与えられた運命とは別に、自分って存在は独立してそこにあるんじゃないかって」


 そう、運命を背負う事だけが、生き方じゃないと思う。

 セラ婆やシモンに、人というものを教わっていた時に感じた事だった。


「だから、与えられた運命が辛いのに、逃げる事も出来ないのだとしたら、運命とは別に、ただ自分が幸せになればいいんだと思う。

運命は捨てるか負うか、だけじゃないからな、そっちをある程度テキトーで続けてもいいんじゃないかってさ」


「……背負った運命を……。テキトーで……続ける……」


 エリゼは背中を向けたまま、大きく息を吐いて肩の力を抜き去った。


「ふふ、不思議な方ですね。自分が張り詰めていたのが、馬鹿馬鹿しくなってしまいました。

……なります、なってみせますよ。幸せに」


「ははは、その調子。きっとなれる」


 エリゼは振り返り、再度、頭を下げる。


「ウィリーの最期をありがとうございました。

……彼の最期の言葉を、聞いてくれたのが貴方で、本当に良かった」


 エリゼが微笑んで言った。

 初めて、年頃の娘が見せる、普通の笑顔だと思った。




 ※ ※ ※




 会場に戻ると、人混みを分けて、ソフィアが俺の手を取った。


「ね! アルくん、踊りましょう!」


「え? ちょっ……俺は」


 弾むように進む彼女に、グイグイ引かれてホールの片隅に向かい合う。


 顔を上気させて、潤んだ目を細めて、唇の端をキュッと上に持ち上げた咲き誇る笑顔。

 心なしか、スッと伸ばした背筋が、始まりを乞うように小さく弾んでいる。

 こんなに嬉しそうに迎えを待たれると、下がっていた乗り気が、嫌でも上がった。


 俺が手を差し伸べると、さらに表情明るくソフィアは流れるように踏み出し、それをしっかりとホールドしつつ、調べに乗せてリードする。


 俺と彼女が接しただけで、会場が沸くのが聞こえる。

 でも、そんなのはどうでもいい、今はこの女神と踊る一瞬一瞬が心地いい。

 時折見せるどこかはかないソフィアの笑顔に、自分がどこかここではない世界にいるような、不思議な感覚を覚え、あっと言う間に時が過ぎて行く。


 そう言えば、俺は守護神のソフィアとは、運命を分かつ関係だと言う。

 なんだか、踊りの中に存在する、支え合い導き合うやりとりは妙にしっくりきた。


 そうして踊り終えると、満場の拍手が起こった。


「あれが……ソフィア様の婚約者……」


「婚約者との息ピッタリのダンス。あれだけのものを見せられたら、断られるのも仕方ないよなぁ……」


 へ? ソフィアの婚約者?


 周りから聞こえた言葉に困惑していると、急に体の魔力がごっそり抜かれた。

 思わず立ちくらんだ俺の手を、白く柔らかい手が掴んだ。


「次は……あたし」


 ソフィアと同じくらいの身長の女性が、俺の手を引いたまま、つかつかと踊りを待つエリアに進む。

 燃えるような赤い髪を背中まで流し、背中の大きく開いた、真紅のドレスを着ている。

 露出している背中の肌は真っ白で、くすみ一つ見当たらず、見惚れるほどにつややかだった。


「だ……だれ?」


 スタート地点まで連れていかれ、向かい合った瞬間、度肝を抜かれた。


 ウェーブのかかった赤い髪は、闇を照らす炎のように美しく、長いまつ毛の下の燃えるような赤い瞳は、どこか物憂げで切れ長。

 白い肌に艶やかな唇。


 すらりと伸びた手足に、煽情的せんじょうてきな美の女神のようなスタイル。


「曲が始まった、、あたしを迎えて」


「お、おにいちゃ???

……あっ! ティ、ティフォかッ⁉︎」


 妖艶ようえんな瞳が笑った時、まるで申し合わせたかのように、情熱的な曲が会場に流れた。

 そして、妖しげに笑っていたティフォの瞳が、全てを焼き尽くす地獄の坩堝るつぼのようにきらめいた。


 ソフィアとのダンスが共に描く花だとしたら、ティフォとのダンスは焼き尽くされる運命を、二人のエネルギーで返り討ちにする力と感情の奔流ほんりゅう


 床を斬りつけるような鋭い交錯、そのエネルギーが昇華するような開放的な重心の突き上げ。

 二人の視線が目まぐるしく交差し、支配が時に入れ替わる朱と黒の明滅。

 最早、遊戯のダンスではなく、溢れる表現の烈しさは芸術を求めるのに似ていた。


 割れんばかりの会場の歓声の中、ふっと前髪を息で持ち上げたティフォは……


「ふん、おーでぃえんすは、こっちがとった。オニイチャの婚約者は、あたし。フンス」


 鼻息混じりにそう言った。


「チッ! さあ、準備体操は終わりです、アルくん。私とティフォ、どちらが真の婚約者か、ハッキリと教えて差し上げようじゃありませんか」


 ピシリとソフィアがティフォを指差す。


「…………説明してもらおうか」


 デコピンの素振りをしながら、ソフィアを見る。


「あ! その前に、喉が渇きましたね、ちょっと通りまで一っ走りして買ってきます!」


 ソフィアがスタコラと去っていく。

 残されたティフォは、ボシュウゥと音を立てて、元の姿に縮んでいった。


『婚約者としか踊りません』度重なるダンスの誘いに嫌気がさした、ソフィアの一言が発端らしい。

 逃げたソフィアと、変身したティフォの説明に、この後、非常に難儀したのは言うまでもない。


 こうして、生まれて初めての社交界は幕を閉じた。

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