第一章 辺境

第一話 旅立ち

 山雲雀やまひばりの澄み切った鳴き声が、ラプセルの里の山々に響く。


 春を迎え初夏には浅いこの時期、いつもならベリー類を含めた山菜摘みや、繁殖を終えた動物なんかを狩るのにいそしんでいただろう。


 里の為にいつもより早く、多めに収穫を終えてあるし、もう準備は万端。

 ……まあ、里の皆の事だから、俺がいなくても何の苦もなく生活するだろうけど。


 必ず帰ってくるつもりだけど、今までのお礼代わりに、少しでも何かしたかった。


─── 成人の儀から一年


 十七歳になった俺は、あの時の決意のままに、今日旅立つ。


「オニイチャ、さびしい?」


 家から出てすぐ、俺の隣を歩く赤髪の美少女が心配そうに俺を見上げている。


「まあ……な。でもティフォがいるから大丈夫だ」


 そう言って頭をなでると、くすぐったそうに目を細めて抱きついてきた。


「あたしも、オニイチャがいるから、だいじょぶ。旅から帰ってきたら、セラ婆のりゅーまちのために、また赤い飛びトカゲいっぱい獲ってあげよ?」


「ははは、薬の材料はたんまり集めて置いたから大丈夫だろ。優しいなティフォは」


 俺ののティフォ。

 どこかの世界の神だったという少女で、ひょんな事から俺のペットになり、うやむやな感じで妹になった。


 今は俺の魔力を喰らって生きている。

 あれ以来、性獣化はしていないので、ギリギリなんとか平和に暮らしてきた。


 進展? 可愛い妹に手を出す兄など、この世に存在せんだろ……せんよな?


「かー、ほんとに仲がいいのう! しまえばええもんを! わははは‼︎」


「ガセ爺……ほんとにいつも通りだよなぁ」


「なんじゃ? 泣いて止めて欲しいんか、アルフォンス! わははは‼︎」


「およしなさいなガイセリック。旅立ちのはなむけくらい、静かに温かくしておやりなさい」


 茶化しておどけているのは、鍛治かじと武器、経済の師匠ガセ爺。

 それをお淑やかにいさめながらも楽しそうに笑う、精霊術と薬学、そして学問の師匠セラ婆。


「それにしてもアル、この一年でまた背が伸びたでしょう? 少し前までシモンより小さかったのに……本当、男の子の成長とは目を見張るものがありますね。

今、何cntくらいあるのでしょうか?」

(1cnt=1cm、シント:アルザス領の流通貨幣、旧アルザス小銅貨の直径に由来)


「この間測った時は195cntだったよねアルは。僕は178cntだから、横に並ぶと大きいなぁって思うよ。ダグ爺は280cntだったっけ? みんな大きいよね〜。これでも僕、街では大きい方だったんだけどなぁ……」


「おお? なんじゃ、儂の省エネボディを馬鹿にしとるんかシモン! 辛辣じゃのう! わははは‼︎」


「ふふふ……おやめなさいなガイセリックったら。

そう、アルはそんなに大きくなったのですね。今度帰ってきたら儀礼服でも仕立ててみることにしましょうか?」


「セラ婆……俺多分、儀礼服着ることないよ。悪いってば。セラ婆が元気でいてくれたら、俺には何よりなんだからさ」


 セラ婆は少し目に涙を浮かべて、それでもいつも通り優しく微笑んでくれている。


「アル。これを渡しておくよ」


「短剣……いや、宝剣?」


「うーん、もしメルキア公国に寄る事があれば、きっと役に立つから。後、これ……」


 そう言って超絶イケメンのヴァンパイアにして友人、歴史と風俗の師匠でもあるシモンが、美しい宝剣と小さな書簡を渡してきた。


「もし、僕の妹に会うことがあったら、これを渡してやってくれないか? まだ、生きているかは分からないし、出来たらでいいんだけど……。

邪魔になるようなら捨てても構わない」


「おう! 任しとけって、水臭いなぁイケメンのくせに」


「ま、またそう言う事を……もう! こ、こぉいつぅ☆」


 いや、照れる表情も捨てがたいが、笑うとマジでカッコいいわ。

 俺、生きてていいのかな? 世界のイケメン人口比率下げたりして、彼に迷惑かけてないかな?


「おう、アルフォンス。そんな浮かれておると『』は務まらんぞ」


「……くっ! やっぱりキツイなその加護は。

おう、アーシェ婆、その『幼女』とやらを取っ捕まえて『淑女』に出世させるくらいには、頑張ってくるさ!」


「はっ! 言うようになったではないか。

……まあ、お前の事だ、心配はしておらん。精々、健やかにな」


 この里ラプセルの番長で司祭、俺の魔術の師匠アーシェ婆は、悪態をつきながらも目元が少し泣き出しそうに見えた。


「うむ、アルフォンスなら問題なかろう。なんせ儂らの息子じゃて」


「ダグ爺……。

うん、俺もみんなの事、大事な父さんや母さんだと思ってるよ。シモンは自慢の親友だけどな。出来る事やってくるだけだ、頑張るよ」


「ば、バカもん……泣かすでないわ!」


 俺の養父イングヴェイの形見の曲刀を握りしめ、ダグ爺は涙を見せないように上を向いた。


「えぇ……。僕もアルくんのパパがいいなぁ。……でも、こんな僕を友達だと言ってくれるのは、君くらいだからね。我慢するさ♪」


「シモンみたいなイケメンが親父だったら、俺、絶対生きるのツラくなるから!」


 皆、里の外へ向かう俺のに付き添いながら、こうして軽口を叩いたり、からかいあったりして歩いた。


 ……湿っぽい別れは、昨日の内に済ませてある。

 ここにいるのは皆、俺の師匠で家族で友人で親だ。俺が帰るのはここしかないと思ってる。

 小さな秘境の里だけど、七歳から過ごしたここが俺にとっての世界だった。


 俺は自分の守護神と会い運命を確定するため、実の両親に会いイングヴェイの意思を見届けるために旅に出る。


「ここらでいいよ、そろそろ魔物が出る辺りだ」


 里の境界から出て大分歩いてるのに、まだ誰も立ち止まろうとしない。

 心配してくれてるのかな、本当にみんな優しいんだよなぁ。


 そう思って振り返ると、少し離れた所で何故かみんな微笑みながら、ただこちらを見ている。


「……なんだよ、気持ち悪いなぁ」


「オニイチャ、おっきい黒トカゲ、くるよ?」


 確かに靴底に重い振動と、迫り来る魔力を感じる。


「おう。わかった」



─── グオオオオォォォォッ‼︎‼



 ティフォの注告からすぐ、森の樹々をなぎ倒しながら、巨大な黒い影が襲い掛かる。

 ひと睨みくれてやると、脚を止めて体を大きく広げ、威嚇の咆哮ほうこうを上げた。


 全身を黒鉄の鱗に包まれた、ドラゴンの中でも最大級の龍王種『黒殻王龍ダークドラゴン』のかなり若いオスだろう。

 この里の周りは、この黒トカゲと赤トカゲがよくウロチョロしてる。


 ここら辺では、中堅よりだいぶ格下って感じだろうか、25metくらいだ。

(1met=1m、メット:『エル・ラト教』の祭壇の木製の台座『メット』の規定の高さに由来)


 こいつからは、赤身が多くて上質な肉と、色々使えるいい素材が取れる。

 二ヶ月に一度くらいしか出くわさないけど、見つけた時は最優先で狩ってた。

 肉美味しいし。


「オニイチャ、あたし手伝う?」


「んー? ああ、手伝いはいい。……【着葬クラッド】」


 言霊を呟くと、俺の体は青白い光に包まれ、瞬時に全身鎧が装着される。

 同時に目の前の空間には、鞘に納められた曲刀が浮かんだ。


 骨、髑髏ドクロ、蛇、牙、鱗をモチーフにしたような全身真っ黒の鎧は、どこまでも清々しい程に禍々しいこしらえ。

 兜は髑髏そのものに、いばらの冠があしらわれ、目の部分がぼんやり光りを灯している。


─── ……ォ ォ ォ ォ ォ ォ……


 黒光りする鎧のあちこちから、白い霊気が垂れ下がり、小さな唸り声が騒めいていた。


 俺の身長でこれを着けると、ゆうに2metは軽く超えてしまう。

(※2met=2m)


 うん、ガセ爺のだ。


 完成した時に舌出しながら「やり過ぎちゃったかの☆」とか言ってたしな。

 しかも俺の魔力の影響か、実はまだ性能も禍々しさも絶賛成長中。


 把握しきれない程の仕掛けや、強化術が織り込まれていて、身につけた方が動きやすいくらいだ。


 武器もいくつか用意してくれたが、今取り出したのは、かつてのガセ爺の友人の作。

 青白い光をまとい、適度な反りと厚み、波のような刃紋を浮かべた、変わった両手持ちの曲刀だ。

 銘はなんかややこしいので、メモってあるけどまだ覚えていない。

 斬れ味は、今までの人生で出会った刃の中では随一で、恐ろしい程良く手に馴染む。


─── ズン……ズン……ズン……


 鉄靴が歩く度に地面にめり込み、足跡には黒い魔力の光が宿る。


 近づく度に黒殻王龍ダークドラゴンは、広げた体を元に戻し、心なしか後退した。

 旅立ちに気合入り過ぎて、殺気出し過ぎたかも知んない。


 曲刀の鞘を掴み、柄に手を掛けたまま、ゆっくりと間合いに入る。


─── キンッ!


 斜め上へ逆袈裟に抜刀し、鞘に曲刀を戻す。

 黒殻王龍ダークドラゴンは戸惑ったような顔をしたまま、ただ硬直している。


「とっとと行こう、ティフォ……」


 俺には今、ようやく分かったよ。

 里の皆が戻ろうとしなかった理由が。


─── グジュ……


 黒い霧が立ち込め、濡れた音が立った。

 それと同時に、黒殻王龍ダークドラゴンの首の中程に、細い赤の線が斜めに走る。

 やがてその線には、プツプツと赤い玉が数珠のように連なり、まとまって流れ落ちた。


─── シュバァァァァァ…


 赤い線は氾濫し、辺りに鉄錆の臭いのする霧を吹き上げ、黒殻王龍ダークドラゴンの首は体から泣き別れて倒れた。

 傷口からはシュウシュウと音を立て、肉体に残った生命エネルギーや魔力が抜け出し、妖刀と鎧を通して、俺の体へと流れ込む。


 辺りには妖刀の影響か、小さな悪霊達が羽虫のように飛び回っては、嗤笑ししょうを響かせていた。


 俺は皆からそそくさと逃げ出すように、ティフォの手を取って歩き出す。


「おお! やっぱトコトン禍々しいのう! わははは‼︎」


 その声を皮切りに、里の住人達が次々に声を上げた。


「いいのうアルフォンス! 痺れるくらい黒くてよこしまじゃあ!」


「黒い! もうとにかく黒いよアルくん!」


「こんなに黒くて……情け容赦なく黒くて……立派ですよアルフォンス!」


「ゆけ! 暗黒仮面よ! 世の全てをくびり殺してやるのだ! 世界を漆黒に染め上げて参れ!」


……やいのやいの……やいの……禍々……やいの……


 騒ぎたいだけかッ! なんか黒いのが、褒め言葉みたいになってるじゃねーか!


 ガセ爺の仕立てた、この悪役然とした装備が完成した時に判明したのは、どうやら彼らはこう言う世界観が好きっぽいって事だった。

 俺より思春期か? それもだいぶこじらせてる感じだろうか?


 段々と遠くなる住人達の声を背に、俺は何度か手を挙げて『行ってくる』のジェスチャーを返す。


─── 行け! 暗黒の幼女騎士! 運命を塗り潰せ!


 アーシェ婆の、妙にいい声が背後から響いた。


「聖王歴304年翡翠竜の月。

聖騎士に憧れた一人の青年は、数多あまたの運命に導かれ旅に出る。

しかし、勇者による魔王討伐から三百余年、奇しくもその平穏な日々は、微かな変異と共に世界へと暗雲をもたらそうとしていた。

……それをまだ青年は知らない」


 アーシェ婆のそれっぽい語りを最後に、辺りの空気が変わり、俺達は樹海の中へと足を踏み入れた。

 暗雲とか、縁起でもないから、本当にやめて欲しいと思った。

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