第二話 ラプセルの関門
─── 里を出発して二日目
もうすでにアルフォンスの知る領域を外れ、森の深さは歩を進めるたびに増し、
高山に見られる野鳥の姿は目に見えて減り、代わりに魔獣の吠える声や、大型昆虫の魔物の羽音と鳴き声が木霊する。
※
「オニイチャ、また
「おお、こんなに採れるなら、この辺りまで普段から来ておけばよかったな」
魔物は魔力を糧に生きる、純粋な生物とは別系統の生態だ。
捕食した相手の魔力や、生命エネルギーを吸収する事で、直接自分のエネルギーに変換しているらしい。
その核となるのが体内にある魔石で、様々な利用途があり、魔術媒体や魔力回復、灯りのエネルギー、金属練製の媒体なんかにもなる。
街では、その魔力の大小に見合った価格で、取引されているそうだ。
価格が安定しやすいので、時に貨幣の代わりに扱われ『
買物もガセ爺の店でしかした事がない俺には、本当に使えるのかドキドキだ。
通常の魔石は、紫色の透き通った、丸味を帯びた石である事が多い。
魔晶石は、魔石と色は同じだが、水晶の結晶のように三角柱から六角柱を成している。
大きさは親指大から、大人の靴の長さ程度、と言った所か。
魔晶石は価値が非常に高く、手の平サイズのものなら、一つで一般的な公務員の月給3〜4ヶ月分に相当するとか。
……その分、魔力量が高いのだが、つまりそれを持つ魔物はそれだけ魔力が高く、結晶化する程長生きしている証拠。
まず例外なく強力な個体だ。
そんな魔晶石が、この森では一時間も歩けば、三〜四個は手に入る。
魔物は絶命すると、何らかの処置をしない限り、魔石だけを残して消えてしまう。
この数時間でも、相当数の魔物を殺して来たが、俺達の後にそれ程血生臭い痕跡はない。
そして魔物と似てるいるが、魔獣は魔石を残す事はほとんどない。
獣が強い魔力の影響なんかで変化したものなので、死体はそのまま残る。
ちなみに龍種は魔物とも獣とも違う、別系統の生物で、魔石も取れるが死体が消える事もない。
「あ、また出た」
ティフォは単純作業を繰り返すのに飽きたのか、時折よく分からない歌を口ずさみながら、大型の魔物を片付けていた。
これは里での生活で分かっていた事だが……
─── この娘は、果てしなく
アーシェ婆との手合わせで、ティフォが学んだ事と言えば『殺さない手加減』でしかなかったようだ。
予め掛けておく事で、死んだ瞬間に蘇生と回復が可能な【
それを見るだに、あの時俺は孕まされるどころか、死姦されてもおかしくなかったと理解して震え上がった。
─── この子には、下手な道具なんざ邪魔でしかない、手ブラの方がええじゃろ! わははは‼︎
と、ガセ爺に言わしめた程、肉弾戦もヤバい。
現に今も、輝くような笑顔で魔晶石を渡してくるティフォの白い頰には、返り血が霧吹きを掛けたようになってる。
その血糊も、間もなく消えるだろう。
どうやら血液であれば、肌からも吸収できるそうで、本人曰く『食べ残し、よくない』だとか。
……うん、まあとにかく強い。
正直一緒に歩いていて、彼女が魔物達をどう料理したのか、分からない事が多い。
気がついたら、何かが弾けて魔石が落ちる……正に、サーチ・アンド・デストロイ。
「いや〜、ティフォは強いなぁ〜」
「うん。あたしは強い」
「そうかそうか! ところでな、ティフォ!」
「ん? どうしたのオニイチャ」
「………ごめんね、迷子になったみたい」
ダグ爺から地図はいくつかもらってる。
ただ、かなり古い地図で、目印はおろか川とか岩場まで含めて、かなり地形に変化があったようだ。
地形が変わってるとか、こいつは一体何百年前の地図を渡されたのか……。
これだと、もうひとつ渡された世界地図の信憑性も、だいぶ期待できない。
……まあ、今の状況だと地図があったとしても、見渡す限り視界を
精霊魔術でお助け妖精を募ってみても、なんか酷く荒ぶった妖精(?)しか来ないから、役に立つどころか迷わそうとしてくる始末。
結果、それはもう圧倒的順調に、迷い込んでいた。
「ん? 方向はそんなに違ってないと思うよ? まず目指すのは
「OK、その通りだ。で、それが全く見当たらん。全然わからん。
お兄ちゃんな、だいぶ前で間違った説を唱えて、そろそろ闇雲にでも、分かる所まで戻っちゃおうかと考えてるくらいの段階だ」
「……オニイチャ、落ち着け。それ一番あぶないやつ」
ティフォは少し前に駆け出して、横に見える深い茂みに耳を澄ませた。
「…………どうしたティf」
─── ドシュッ、ドシュッドシュッ!
唐突にティフォが、触手を茂みに二〜三本撃ち込んだ。
重苦しい衝撃で、辺りの枝葉と、俺の頰が揺れる。
─── ギィヤアアアァァァ……ス‼︎
直後、物凄い雄叫びを上げながら、胴体を貫かれた熊型の魔獣が、茂みの中から持ち上げられた。
狂ったように脚をバタつかせる魔獣へと、残りの尻尾が牙を剥き、我先にと殺到した。
─── ボグッボキィッ……グシャ……ゴクン……
尻尾と言う名のプレデターが、魔獣の血肉を
すでに事切れた魔獣を、近くの大木に貼り付けて、ものの数分で余す所なく捕食してしまった。
「あの……ティフォちゃん? と、突然なにを?」
「…………石碑のゲートは、そこの樹を抜けて、右に流れる斜面の先」
ああ、喰った相手の記憶を奪うってやつね。
それでここをナワバリにしてる魔獣を捕食したと。
……よかった。お兄ちゃん、なんかティフォちゃんがキレちったのかと思ったよ。
「ありがとう。でも、記憶を得るには血だけでもいいんだろ?」
「食べ残し、よくない……ゲフゥ……しつれい。
それに……こんな事もできるよーになった」
ぱふっと、ティフォの頭に熊耳が生えた。
どうやら捕食対象に変身する事もできるらしい、神様ってすごい、なんの神様か知らないけど。
無数の触手は、久しぶりのご馳走に機嫌がいいのか、俺に対して
笑顔をつとめたまま、それらを手で払いつつ先に進むと、ティフォの言葉通りの物を見つけた。
一見、何処にでもありそうな岩の集合だが、よく見れば、なるほどやっぱり何処にでもありそうな岩の集合だ。
しかし、並びはダグ爺に聞いていた通りだった。
ラプセルに一番近い結界のひとつ
逆に言えば、外界から訪れた場合、最後の関門となる場所。
そして、これを通ると言う事は、本当に里から出ると言う事だ。
「ん、たぶん……この二つの岩をあっちに向かって抜けると発動する、はず」
「………………」
「ほんとに……いく? オニイチャ」
ティフォが不安そうに見上げて来た。
俺の事を心配してくれているのもあるだろうけど、ティフォ自身、この世界に来てから里以外は初めての外界だ。
それなりに緊張もあるだろう。
「もちろんだティフォ……行くぞ」
こくん、とティフォが
二人で一歩前に進むと、それが正解だったとすぐに分かった。
─── 真っ白だ
唐突に視界が白く塗りつぶされた。
足裏に床を感じて、辛うじてそこに地面がある事が分かる程、全てが白に塗り潰された世界に立っていた。
隣には俺と手を繋いだまま、ティフォがいる。
そうして暫く立ち尽くしていると、目が慣れて来たのか、そこが半球体、ドーム状の大きな閉鎖空間である事が分かった。
ティフォの掴む手に、わずかに力が入った。
それをきっかけに一歩足を踏み出したその時、自分たちのいる反対側の壁に、二つの岩が現れる。
「……ゲート。あれが出口……いや、本来は入口になるはずの門か」
門までの距離は30met(30m)程度、つまりここは直径がそれくらいの空間だと、対象物ができてはじめて認識できた。
どちらともなく、二人で歩き出し、真ん中近くに差し掛かった時にそれは起きた。
「………………ッ‼︎」
反射的にティフォを背後に押し退けて守る。
地面から音もなく、七つの人影がせり上がって現れる。
それは俺達の前に横一列、等間隔に並び、背を向けて立っていた。
それぞれ背の高さも体格も違う、しかし同じ意匠の
彼らは微動だにせず、先ほど現れたゲートの向こうを見ているようだ。
体の正面は見えないが、どうやらそれぞれがもつ武器も異なるのだろう、槍や
「そこを通るぞ。いいか……?」
進行方向にいた、中央の人物の背後から声をかける。
『─── 通れ。
ティフォとアイコンタクトをとり、
続けて二歩、三歩、男の前を進んだ時だった。
『黒髪に真紅の瞳。
思わず振り返りそうになるのを
「
そう、父親と里には向かう旅は、断片的に憶えてはいるが、この部屋の事は何も憶えてはいなかった。
『そうであろう。あの時のお前は、あの男の背で
「父さんの背中……?」
『
「そうか……父さんは強かったか?」
『二度はご免だ』
「安心しろ。父さんはもう、来ない」
『そうか……』
「所で、今俺が振り返ったらどうする?」
『
突如、胃液が込み上げる程の、研ぎ澄まされた殺気が突きつけられた。
自分の首が床に落ちるビジョンが、余りにも鮮明に浮かび、呼吸が止まりそうになる。
ようやくこの正規ルートの最後の難関の高さに気がついた。
これ、とんでもない奴だ……。
今の俺では、相手になんかならない。
もし背後から襲われたら、ティフォだけ逃す事すら叶う気がしない。
それを七人、しかも俺を負ぶって寝かせたまま。
義父さん、一体あんたどんだけの剣士だったんだ!
ポジティブなビジョンが全く浮かばないまま、ただ脂汗だけが流れる。
これだけの絶望を感じるのは、何年振りだろうか……。
旅をただ終えただけじゃあ、里になんか戻れない。
この門番を倒せるだけの力を、殺気だけで俺を絶望させる、この怪物達を斬り伏せる力を、俺は帰りまでに用意しなくてはならない。
「じゃあな、何年後かに世話になる」
『
殺気から解放された。
……俺にはまだまだ、練り上げなければならない所があるようだ。
必要な覚悟が、またひとつ増えてしまった。
そんな事を考えながら、残りの道を歩けば、あっという間に反対側のゲートへと辿り着いた。
「行こう、ティフォ」
「ん、おっけー」
そうしてまた、二人で一歩を踏み出し、最終関門の空間を後にした。
※ ※ ※
パチパチと
乾いた流木の上に腰掛け、時折焚き木の世話をしながら、俺は地図とにらめっこしていた。
ティフォは、さっきまで食べていたシチューが、よほど感じ入ったのか機嫌がいい。
テントの灯りの下で仰向けに寝転がり、にこにこしながら、顔の前に伸ばした自分の手指で、ひらひらと何やら遊んでいる。
ゲートを抜けた先は、崖の中腹の洞窟の中だった。
生態系が一気に変わり、深い崖の中は翼龍の何種かと、蜘蛛、
それらをかい潜り、時にはまき散らしながら谷底まで降りた後、底を流れる渓流沿いに進んで来た。
かなり厳しい深さと、ルートの取りにくい崖ではあったが、飛翔魔術も転位魔術も使わずとも何とか降り切れたのは幸いだ。
飛翔魔術も、転位魔術も使わないのには、理由がある。
転位魔術は目に見えている地点や、一度行った事のある場所など、イメージと座標が掴めれば
飛翔魔術はその名の通り、上空から道を選ばずに高速で移動できる。
その二つを組み合わせれば、行った事のない場所へでも、超短時間で辿り着くだろう。
空を飛び、目標地点を目視したら瞬間転移、また空を飛びの繰り返しだ。
それでも俺は、自分の足で進む。
父の手紙を読み、自分の力で世界を歩める俺を望んでいた事を受け、文面通りに捉えた訳ではないが、出来る限り自分の足で踏み締めて進みたいと思った。
それはダグ爺曰く『己の歩いた道には、目には見えずとも己の気が残り、やがて自分の道となる』だそうだ。
なんか良い言葉だなと思ったんだ。
……本当はよくわかっていないのだけれども。
アーシェ婆も『転位出来る場所が、数多くあるのは、逃げるのに
「ん、オニイチャ。また今度、さっきのシチュー作って」
手遊びに飽きたのか、コロンとうつぶせに返ったティフォが、頭を持ち上げて言った。
こいつ、野営を満喫してやがるな。
うん、楽しいよね、テント、焚火、野外飯。
「おう。またな」
「うふぅ〜♪」
焚火は不思議だ。
なんだかいつもより、素直になれそうな気がしたり、いつもより人と深い話が弾むような、そんな魔力がある。
俺もそんな魔力に惑わされたのだろうか、ティフォに何となく聞き辛かった事を、今聞いてみる事にした。
「ティフォ。今の世界、好きか?」
「ん〜? 好きだよ。オニイチャいるし。里の人も好き。他の人はまだ、わかんない。どして?」
「ほら、前に『どの世界も魅力をかんじなかった』って言ってたからさ」
ティフォはむくりと起き上がり、俺の隣に座った。
「うん。色々なとこ、いった。でも、こんなに何かしようとか、がんばろうとか思ったこと、なかった」
そりゃあ神様だしなぁ、その頃は完全体だったんだろうし、思うがままだよな。
「それに、なにもしないのに、なにかくれたのはオニイチャが初めて。里の人も、くれたり、してくれたりした」
「それはティフォが、素直で可愛いからだ」
「うふぅ。でも、最初のティフォ、ウネウネだったよ?」
「あー、あれな」
「だけどオニイチャは『
『
「ダグおじいはね、時々ウネウネのあたしをナデナデしてくれたり、オヤツくれたりした」
ダグ爺、俺の前では興味無さげにしてたくせに!
「今までの世界は、あたしを怖がったり、嫌がってた。そんなに怖かったのかな。一番最初のあたしは、さいきょーで、おっきかったし」
「どれくらい?」
「立つと星に頭がとどいた。クソ親父のいる天界を、きよーふのズンドコにおとしいれたよ?」
「く、クソ親父?」
「ぜんちぜんのーで、うわきバカの、おもいあがりの主神。お
ティフォはどこからか、ジャーキーのような干し肉を取り出して、歯でガジガジと痛ぶっていた。
目は果てしなく虚ろだ。
「二度とオイタできないよーに、あきれすけん引っこ抜いて、閉じ込めたのに、えいゆーたちと
ガジガジガジガジガジガジ……。
「そ、そっか。ティフォは頑張ったんだな」
はっ、とティフォは気を取り戻し、嬉しそうにニコッと笑った。
「そう言ってくれるのは、オニイチャだけ。今までの世界は、みんなこわがって痛いことばっか」
星に届く巨体って……そりゃ怖いわな。
それだからって痛い事されるってのは、納得できる事じゃないけど。
ん? 俺の契約が完全になると、もしかして彼女はそれになんの⁉︎
「オニイチャは……どんなあたしでも、オニイチャでいてくれる?」
少し不安そうなティフォの表情が、痛く
お妾の子で、母さんが虐められたら、そりゃあ怒るよな。
うん、家庭環境のせいで、愛情に飢えていたのかも知れない、この子は。
よし、俺だけでも頼れる身内でいてやろう!
「当たり前だ! 俺が守ってやるから、安心しろよ。
……所でそのジャーキー、肉厚で美味そうだけど、なんの肉なんだ?」
さっきからガジガジしてるの気になってたんだよなぁ。
ティフォはジャーキーを顔の前に持ち、なんとも言えない表情で呟いた。
「クソ親父の……あきれすけん。
俺はこの子を真っ当な道に戻してやろうと、またひとつ覚悟を決めたのだった。
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