第五話 父の祈り

「まあ、アルフォンスが、傍迷惑はためいわくな危険生物に成り果てたのは、いいとして……」


「…………うぅっ!」


「そこのお嬢ちゃん。アンタ……一体何者なんだい?」


 アーシェ婆の目が険しくなる。

 視線の先に立つのは、クリクリの赤髪に節くれだった黒くて細長い二本の角、赤く大きな瞳をジト目にした色白の美少女。


 ただ、服装は妙に露出度が高く、黒いつややかなレザーのぴっちりした素材で、シースルーのフリルがあしらわれたビキニ。

 同じくレザー素材の、ももの中程まである、長い靴下を履いている。


 さらに目を引くのは、お尻辺りから生えている、赤黒い無数の尻尾だ。

 獣のように毛がふさふさしているのではなく、先端に口だけがある蛇のような形、それが鋭い牙を見せながら楽しげにそよいでいる。


 うーん、尻尾って言うか、これだな。


 もう十二分にアレだが、アーシェ婆がいぶかしげにしてるのは、外見の問題じゃない。

 この娘からは膨大な魔力と、人ならざる威風のようなものが溢れていた。


 少女は頭頂部を人差し指でコリコリ掻いて、少し考える表情をした後、抑揚の薄い口調で話し出した。


「ん? なにものって、オニイチャの……妹?」


「い、妹って……あの『』なのかい? アルと暮らしてた黒い触手の……?」


 シモンが上ずった声で聞き返す。


「そ。オニイチャの魔力が大っきくなって、たくさん食べたら、少しだけ元に


「……元に戻れた? お前、一体なんだったんだ?」


 俺が話しかけると妹は少し頰を上気させ、にこっと笑った。

 守備範囲を大分下に外れた年齢だし、あのウネウネネバネバだった事を加味しても、胸がキュンとしてしまう破壊力だった。


「……やっとお話できた、オニイチャ。、すっごくうれしい……」


「ティフォ……? それが名前なのか?」


「そう。それがあたしの名前。あたしは、別の世界で生まれた、



─── は? あんだって? 神?



「か、神? それに別の世界って……」


「ここ以外にも、この宇宙にはいくつかの世界がある。

あたしは、その内のひとつ、で生まれ、いくつかの世界をわたって、オニイチャに出逢った」


 セラ婆が目を輝かせ、興奮した様子で前にでた。


「やっぱり! このマールダー以外にも世界は存在したのですね?」


「そう。ぶんめーが、はるかにすすんだ世界。人がそんざいしない世界。悪魔だらけの世界、水の中の世界。空しかない世界……いろいろあったよ?」


 セラ婆は両手を胸の前で握り合わせ、感嘆の息をもらした。


「どの世界も、あたしには、魅力を感じられなかった。

世界のいどーは、ぼーだいな魔力を使う。ここにきた時には、空っぽになった。

あたしは姿を保てないまま、ざひょーをまちがって、岩の中に、ながーいこと、閉じこめられてた」


─── 確かにこいつは、あの『』に間違いない!


 妹を拾ったのは、里から逃げ出した先で魔物に襲われ、隠れるためによじ登った岩山の中腹での事。

 何となく壊せそうな気がして、土属性の魔術で小部屋を掘ろうとした先にいた。


 あの時は心がぶっ壊れておかしくなってたから、記憶が曖昧で俺自身ど忘れしてた。

 それを知っているとなると、彼女が『』である事に間違いはない。


「さいしょは、ちせーも失いかけてたから、オニイチャを、ゴハンだと思って、襲った。

血を吸おうとしたけど、オニイチャは、あたしを抱きしめて、ただただ、エネルギーを分けてくれた。ポッ!」


 いやいやいや、今思い出したけど、あの時は気絶して倒れかかっただけだわ!

 血……吸われてたんか俺!


「ててて、てことは……それからも俺の血を吸ってたのか⁉︎」


「ううん、それは最初だけ。すこし回復してからは、オニイチャからちょくせつ、魔力をもらってた。

オニイチャの魔力は、ふつーの人にしては、大きかったけど、わたしが人の形を成せるほどの、量はなかった」


「なるほど……儀式で爆発的に膨れ上がった魔力をアルフォンスから受け取り、今の姿に戻れたということじゃな? ティフォちゃんや」


 ダグ爺は孫娘でも見るような、とろけた笑顔で名を呼んだ。


「うん。そーいうこと。……ダグおじぃとも話せて、ティフォはうれしい」


 ダグ爺、とろけまくってるけど、大丈夫かな? 老人の嬉ションとか洒落にならないぞ?


 そう言えば、ティフォを拾ってからしばらく、魔術の一部が上手く操作出来なくてスランプにおちいった時期があったけど、こいつに喰われてたからか……?

 うー、まあ、お陰でより繊細な魔力操作も会得したから、いいとしよう。


「でも、てぃ、ティフォでいいんだよな? さっき少しだけ元に戻れたっていってなかったか? 

その……後どれくらい、魔力が必要なんだ? と言うより、お前の力が完全に戻ったらどうなるんだ?」


「はうぅっ☆ はじめてオニイチャに、名前、よんでもらえた! 完全体のあたしは、ボンキュボン。楽しみにしてて、オニイチャ♡」


 そう言ってティフォは、黒いビキニの胸を張って、ペチンと叩いた。

 それでも多少なりぷるんって白い肌が揺れる絵面から、思わず目をそらしてしまった。


「……でも、ひつよーな魔力は、今のオニイチャのを全部もらっても、ぜんぜん足りない。オニイチャは、守護神とのけーやくが、不完全。

それが治れば、オニイチャの魔力、ティフォを完全体にしても、あまるくらいになるよ?」


「契約が……不完全? なんだそりゃ⁉︎ なんでそんな事わかるんだ⁉︎」


「んー、あたしもいちおー神だし? みれば、だいたい分かる」


「じゃ、じゃあ俺の契約主の『幼女』ってなんなんだ?」


「それは、あたしじゃないし、わかんない」


「はぁ……一体、何なんだよ、俺の契約主は……」


 頭を抱えていると、ティフォは俺のあたまをグリグリと撫でながら、唇に指を当てて考え込んでいる。


「けーやくが、何かに、邪魔された……? 

でも、けーやくぬしだったら、ちょくせつ会って、こーしんし直せば、その邪魔も取り消せる……と思う。

あたしが完全体だったら、直してあげられたんだけど。ごめんね、オニイチャ」


「いや、ティフォが気にする事は何もないよ。

しかし、契約主と会えれば……か。どうすりゃいいんだか」


「すぐに会えると思うよ? 向こうも探してるはず」


「え? 向こうも探してるのか⁉︎」


「それはそう。だってけーやくが、宙ぶらりんのままだと、守護神もすごーくキモチ悪いはず。さいあく、けんのーの一部が使えなくなる。

それにね、オニイチャも、けーやくぬしを探したほーがいいよ?」


「どうして?」


「オニイチャの運命、でっかいのに、希薄なまま。

それは予測のつかない、キケンがおこるの。

今はその紋様がおさえてるけど、けーやくの運命は強い。

そのけーやくが不安定だと、どんな暴走が起きても、不思議じゃない」


 なんか不穏な話になってきたぞ? ちょっと整理しよう。



・俺の契約は不完全だった

・契約主に会えば治せる

・もしくはティフォが完全体になれば治せる

・契約が不完全のままだと運命が不安定

・契約主も恐らく俺を探してる



「そっか……教えてくれてありがとうなティフォ」


「お、オニイチャのためならば……ッ///」


「しかし、俺の守護神もそんな上位の存在なんだから、ここまで来てくれればいいのになぁ……」


「それは無理じゃろうなあ」


 ダグ爺が腕組みして呟いた。


「なんでだよ……?」


「そりゃあこのラプセルは、強力な結界で世界から隔絶かくぜつされとるからのぅ」


 住人達が一斉にうなずいている。


「へ? 相手は神様に近い存在なんだろ? それに俺と父さんはここに来れたじゃないか」


「この結界はそれこそ創造神でもなきゃ、認識すら出来んよ。

それにな、イングヴェイを呼んだのは儂じゃ。かつての古き友人でのう。老いたあやつの最期は、静かに過ごさせてやりたかったんじゃ。

アルフォンス、幼いお前さんを連れていたのは、正直驚いたがの」


「そうか……。だから父さんはここに。でも、その前からここはあったんだろ? どうしてそんなに世界から隔絶する必要があったんだよ」


「まあ……儂らにも色々あってな。

……これを読め。イングヴェイから、お前への手紙じゃ。成人したら渡すように言われておった」


 そう言ってダグ爺は、一通の古ぼけた手紙を差し出した。




 ※ 




 親愛なる息子よ。


 この手紙を読んでいると言う事は、お前はもうさぞかし立派な若者になっている事だろう。

 それを見届けてやれぬ事が、何よりも悔しく寂しいが、この手紙には精一杯の祝福を込めておきたい。


 頑張ったな。


 同じ年頃の者もいない、小さな里ではさぞかし寂しかったろう。

 それでもお前の事だ、真っ直ぐに、そして出来る事を積み上げていくその姿が目に浮かぶようだ。


 私にはもう、幾許いくばくの時間も残されていない事は、自分で分かっている。

 ならば、お前がこの世界を歩けるようになった時、お前自身の目で確かめるべき事がある事を伝えておきたい。


 お前の行くべき場所は、キュルキセル地方のケファンの森の中だ。


 どうしてお前を託されたかは、自分で確かめて欲しい。


 そこには、お前の本当の父と母がいる。


 黙っていて済まなかった。

 どうか許して欲しい。


 私は彼らにお前を託され、そして絶対に安全を守る必要があった。

 そのためには、お前の実家の情報や、お前の身元を誰にも悟られてはならなかったのだ。

 まだ幼いお前にその重りは、どうしても背負わせたくはなかった。


 この手紙にも多くは書けない。もし万が一の事があってはならないのだ。


 ここまで書いておきながら、お前が自分の足で確かめに行くかどうかは、お前の意思に任せようと思う。


 きっと成人を迎えたお前ならば、旅の先の運命と関わらずとも、お前の運命を立派に果たす男となっている事だろう。


 アルフォンス。

 我が息子よ。


 お前に本当の両親が健在である事を、黙っていて申し訳ない。

 しかし、身勝手な言葉だが、お前を本当の息子だと思っていたし、お前と出会って初めて人並みの幸せと言うものを貰えたのだ。


 ありがとう。


 お前が生まれて来てくれたお陰で、私は運命に遣わされた戦士ではなく、ひとりの男として人生を全うできたのだ。

 お前の両親にも深く感謝している。


 ……とは言え、やはり、寂しいものだ。


 お前とは酒を飲んでみたかった。

 お前に髭の剃り方を教えたかった。

 お前に追い抜かれる寂しさを味わいたかった。


 願わくば、お前が父になる姿を、見届けてからとも、何度祈ったことであろうか。


 まだまだ、書ききれない私の身勝手な願いはある。

 それだけ、お前という存在に私は助けられていたのだ。


 私はこれでもエルフの端くれ。

 死後の魂は自然と一体となり、世界を見守る勤めがある。


 生ある者として、お前の隣に立つ事は出来ないが、私の魂はいつでもお前を見守っている。


 どうかお前の運命に、大きな祝福のあらん事を─── 。



聖王歴294年鳳凰の月

イングヴェイ・ゴールマイン




 ※ 




─── ああ、俺も見ていて欲しかったよ、父さん……!


 涙が止めどなく溢れた。

 父さんの事で泣くのは何年ぶりだろう……。


 実の両親がいた事に、ショックが無いと言えば嘘になるが、正直あまり実感がわかない。

 養父イングヴェイが両親を隠していた事を、どうして責められよう。


 全ては俺を想ってくれての事だ。


 自分の両親を探す事には戸惑いがあるが、育ての父がこれだけの想いを持っていてくれた。

 その意思を、しっかりと背負いたいと言う義務感が、俺の中に込み上げていた。


「ダグ爺、みんな。

……俺、旅に出る事にしたよ」


 セラ婆が涙を零しながらも、優しく微笑んで俺を抱きしめてくれた。

 俺の言葉に、皆が頷いてくれた。




 ※ 




─── これが旅立ちの、一番大きな理由かな……?


 え? 今の姿の説明がないって?

 うーん、やっぱりこの格好はちょっとアレだよねぇ……。


 え? そう言う事を気にしてるわけじゃないって? 君は優しい人だね。


 格好とか装備とかはさ、それはこの翌日の出来事が発端なんだ。



『【アルフォンス・ゴールマインの懺悔】より』

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