第8話
「あれ、お兄さんじゃないですか。数日ぶりくらいですかね?」
時刻は夕方。ラフカディオは先日と同じ場所でマッチ売りの少女に声をかけられた。
「君は……マッチ売りの少女か。こんばんは」
どうやらこの前のマッチ売りの少女の言葉は嘘ではなかったようだ。意図してここに来たわけではないが、どちらにせよ今日は夜になるまですべきことはない。ラフカディオはしばらく少女との雑談に興じる事にする。
「こんばんは! さっそくで悪いのですが、ミニコンテストの結果はどうでしたか?」
「まぁ一応演奏会には出場できる事にはなったよ。しかし、君にその事を話した記憶はないのだが、よく分かったね」
「初めて会った時に楽器のケースを持っていましたからね。それにこの時期に街へ来る人と言えば音楽家しかいませんから」
「……なるほど」
マッチ売りの少女と初めて会った後、ラフカディオは彼女についても調べていた。
結論から言えば、彼女は今回の事件とは全く関係ない。彼女自身に不自然なところがあるわけでもなく、老人の証言によって、数十年以上前から物語のループが続いている事も分かった。マッチ売りの少女はこの想区に存在する正常な役者だ。
それでも鎌をかけるような聞き方をしてしまうのは、黒幕の輪郭すら分からない現状がラフカディオを焦らせているからだろうか。
「それは良かったです! では、そのお祝いとして今日は特別プライスでの提供とさせてもらいましょう! 今なら情報料がマッチ一箱分お得になりましゅ!」
噛んだ。
「―――――――——っ‼」
「……まぁ商機を逃さないその姿勢は大事だな。お祝いという事ならありがたく利用させてもらうよ」
赤面するマッチ売りを促して、近くの露店でサンドイッチを購入する。
「よければ夕食を一緒にどうかな?」
「え、いいんですか? やったー!」
まだ頬に赤みの残るマッチ売りは大はしゃぎでサンドイッチにかぶりついた。
(彼女とはこれからも付き合っていくことになりそうだからな……。良い関係を築いておくに越したことはない)
ラフカディオにとってこの行為はあくまで打算的なものであり、そこに感情はない。少なくとも、今のところはそう思っている。
「それで、お兄さんは何を聞きたいんですか?」
サンドイッチを食べ終わったマッチ売りが尋ねてくる。そのあまりの早さに露店の店主が目を丸くしていた。
「……すまない。同じものをもう一つもらえるかい?」
「ふむふむ。すると、お兄さんは
結局、幸せそうにサンドイッチを三つも食べたマッチ売りだった(本人曰く「サブビジネスの収入には結構なムラがある」とのこと。ここ数日は無収入でほぼ飲まず食わずの状態だったらしい)が、話を始めた次の瞬間には真剣な顔に戻った。どうやらビジネスに関してはとことんストイックなようだ。
(今日の昼頃、ファーミンが口にしていた言葉……。事件とは直接関係はないだろうが、少し気になる)
「そうですねぇ……。お兄さんは演奏会のシステムについては知っていますか? 演奏会は全部で4日間開催されて、1日ごとに出られる人が減っていきます。八仙楽というのは、2日目に残った8人の事を指すんです。彼らの実力は専属楽師の中でも頭一つ抜けていて、毎年同じメンバーが残る事からこう呼ばれるようになったとか」
「ほう……それで、その8人というのは?」
それを受け、待ってましたとばかりにマッチ売りが話し始める。
「やっぱり気になりますか⁉ もしかしたら3日目の枠をかけて戦う事になるかもしれませんもんね! それではさっそく紹介しましょう!
まずは不動の2トップ、『神童』モーツァルトに『ピアノの詩人』ショパン。『万楽の天才』サリエリも外せませんね。4日目に進める……つまり最後に残る4人のうち3人は彼らに決まっていると言っても過言ではありません」
モーツァルトにショパン、そしてサリエリ。彼らがいるのは当たり前だろう。なにせここは音楽をテーマにした想区なのだから。というか、マッチ売りがノリノリなのはなぜだろうか。
「次に紹介するのは両貴族家が誇るオペラ歌手です! アーウィン家が擁するは『歌姫』クリスティーヌ。対するノムセルト家には『深海令嬢』人魚姫がいます。この2人に加えて、『魔笛奏者』として知られるハーメルンの笛吹き男、『蟲貴公子』リッカルドが残る一枠を巡って……」
「……少し待ってくれ。人魚姫? 人魚姫がこの街にいるのか?」
「はい。なんでも遠い異国から来たのだとか。私は直接見たことはないのですが、話によれば魚の下半身をもっている本物の人魚みたいです。こっちでは人魚なんてまずお目にかかれませんけど、異国だと普通に街とかで生活しているんですかね?」
「さぁ……。少なくとも小生のいた国にはいなかったな」
(足が無く、声が出せる。すると魔女に薬をもらう前の人魚姫という事か? しかし、そうなると本来の物語への移行はどうする?)
マッチ売りの疑問を適当に誤魔化しながら、ラフカディオは考える。
「はざかいの想区」や「海辺の想区」といった特殊な想区でもない限り、ストーリーテラーは原典に沿った運命を与える。複数の原典が混ざった想区でもその基本は変わらない。
「人魚姫」の物語が終わった後なら人魚姫が存在している訳はないし、もし今が物語の始まる前だとしても、「人魚姫」の物語の性質上原典と齟齬が生じてしまうはずだ。
「……お兄さん?」
「すまない、少し考え事をしていた。なるほど、八仙楽とはそういう意味だったのか。参考になったよ」
「お役に立てたなら良かったです! 夕食もごちそうしてくださった事ですし、お代はただでいいですよ」
この時点ではマッチ売りの情報はあまり役に立つものではなかった。八仙楽に関する情報が聞けたのは良いものの、ラフカディオの予想通り、事件との関連性は薄いものに見えた。
しかし。
「あー! 忘れてました!」
その場を離れようとしたラフカディオの背後でマッチ売りが突然叫んだ。
「もう一人いるんですよ八仙楽は! 数か月前に突如現れて、あっという間に八仙楽の一人を倒してその座についた超新星、その名も『謎のチェリスト』マダム・セーラです!」
「マダム・セーラだと……?」
「はい。もともと八仙楽には先の七人に加えて『金星王』の異名を持つチェリストがいました。マダム・セーラはアーウィン家の専属楽師になった次の日には『金星王』に勝負を申し込み、衆人環視の中、自らの演奏技術が彼より優れている事を見せつけたそうです。それによって、実質的に八仙楽の一人として数えられているというわけですね」
「…………マダム・セーラ」
今挙げられた八仙楽のメンバーは、全員何らかの原典を持つ者だった。しかし、ラフカディオはマダム・セーラなる人物が登場する物語を知らない。だからと言って、彼らに並ぶほどの実力がある人間が
(おまけに彼女が現れたのは数か月前。可能性は十分にあるな……)
ラフカディオは硬貨の入った袋をまさぐり、銀貨を数枚マッチ売りに差し出す。
「……え? いや、あの、お兄さん、お代はタダだってさっき……」
「代金以上の
銀貨を渡しながら、すでにラフカディオは別の事を考えていた。
(演奏会の1日目が始まるのは3日後。それまでにマダム・セーラについての情報を集めなければ……)
同日、深夜。
ラフカディオはオペラ座にいた。
いつもはライトによって照らし出されているであろうステージも、今は客席と同じように漆黒の帳が下ろされている。
(ここに彼がいるはずだ。暗闇に潜み地下に根を張っている彼なら、マッチ売りの少女が持っていない情報を持っているかもしれない……)
ラフカディオはステージに上がる。
その瞬間。
辺りの闇が一斉に蠢きだした。
「なっ――⁉」
『……遅い!』
闇の中から低い男の声がする。
罠か。そう思う間もなく。
ラフカディオの体は疾風によって切り裂かれた。
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