第7話

 窓から朝の陽ざしが入り込む。薄い光の線が瞼に到達したのと同時、ラフカディオは目を開けた。

 本来ラフカディオには睡眠や食事は必要ない。けれども、睡眠をとれば意識がクリアになる気がするし、食事をとれば充足感を得られる。


(おそらくは小生を造った者がそうあるよう仕向けたのだな。小生が人間らしくあるようにと……まぁ、どうでもいいことだが)


 テーブルに置いた瓢箪を持ち上げ、中身を口の中に流し込む。灼けるような刺激が喉奥で渦巻き、ラフカディオの意識をよりはっきりとさせた。

 手早く身支度を済ませていると、誰にも使われていないもう一つのベッドが目に入る。結局この5日間、キュベリエは一度もこの宿にくることはなかった。おそらくは演奏会の準備でずっと拘束されているのだろう。

 五日間の中で集めた情報と、それを基に立てたいくつかの仮説の検証をしてもらいたかったのだが、いないものは仕方がない。


「今は目の前の事に集中しなければね……」


 そう。これから数時間後、2人の貴族へ近づくための第一歩となるミニコンテストがいよいよ始まるのだ。








「さて……諸君らはすでに番号の書かれた紙をもらったことと思ウ。今から私が番号を読み上げていくから、番号を呼ばれたものはすぐに立ち上がって案内に従って部屋に入りなさイ。いいかネ? 今ここには何百人という人がいル。諸君らの迅速な行動によってこのミニコンテストは円滑に進行するのダ。それを肝に銘じておきたまエ」


 広いホールに集められた群衆の前で、中年の男はそう言った。男の黒いスーツは今にもはちきれそうに膨らみ、誰かが針で突いた瞬間風船のように破裂してしまいそうだ。


「えー、それでは番号を読み上げル。1、6、11、26、30。この5人は左端の部屋に進メ」


 男の指示の下、5人が歩き出す。5人が持っているのは同じような楽器ケース――おそらくはヴァイオリンのものか――だった。おそらく楽器ごとにグループ分けをしているのだろうとラフカディオは推察する。


(小生の番号は……177か。リュートの奏者が多いわけではないし、呼ばれるのはしばらく後になるだろうな)


 次々と番号が読み上げられる中、ラフカディオは周囲の様子を観察する。

 ホールには奇妙な空気が流れていた。

 緊張の中に紛れた闘争の気配。音楽の場には似つかわしくないそんな感情がホールのあちこちから発せられている。


(この場には推薦を受けられなかったノムセルト家とアーウィン家の専属楽師達もいたはず。とすれば、この気配は彼らによるものか?)


 ずっと感じ続けてきた違和感がここでも顕れた。

 この想区に来てからずっと、ラフカディオには解せない事があった。

 いくら運命の書による矯正があったとしても、

 二人の貴族が相手との勝負に勝つため、街の住民を強制的にどちらかの派閥に属させる制度を作り、演奏会の結果を生活に反映させることで音楽家の理想の練習環境形成に協力をさせる。

 そこに、兼ねてより貴族二人での共同統治に不満を持っていた両貴族家の従者たちが相手を引きずり下ろすために制度を悪用し、派閥間の感情を煽り対立を深める。その結果、自身の生活に関連する演奏会で不正があったという事実が最後の一押しとなって大規模な抗争に繋がる……。それがこの想区の筋書きのはずだ。

 しかしこの5日間、街で情報収集していたラフカディオは全く別の印象を抱いた。

 ――と。

 水で今にも溢れそうなバケツに、水を一滴垂らそうがコップ一杯の水を加えようが「溢れる」という結果は変わらない。

 陣営間の住民感情はそれほどまでに悪化しており、その一押しに不正行為などという大仰な物はいらない。ほんの些細な事件で抗争という結果は簡単に引き起こせるだろう。

 だがそれでは駄目なのだ。それでは物語としてあまりに


 (ならばこれも黒幕の狙いなのか……?)


「177、203、205、207番。きたまエ」


 いつの間にか周りにほとんど人はいなくなっており、残るはラフカディオを含む4人だけになっていた。

 中年の男は指で一番左端の部屋を指さす。その扉からはたった今、6人の人間が出てきたところだった。

 案内役の後ろについて部屋に入ると、そこは白い壁紙で覆われた無機質な部屋だった。床すら白く塗られたその部屋の中央にはピアノが1台置かれており、その前には長机が1つ、そして2人の男が座っている。

 1人は優し気な見た目をした若い男。少しやつれており、目の下には濃い隈が出来ている。もう1人は老人で、長い白髪を無造作に束ねていた。

 最後に入ってきた中年の男が3つ目の椅子にどっかりと腰掛ける。


「さて、それではルールを説明しよウ。演奏時間は30秒。演奏途中でも30秒過ぎたらすぐに打ち切るからそのつもりデ。演奏する曲は何でも構わないし、どこから弾き始めても構わなイ。諸君らに任せるサ」


 それを聞いて4人の間にわずかに動揺が走る。


 (なるほどね……。しょせんは演奏会の参加権を得るためのコンテスト。


「さっさと始めようさ。まずは177番。楽器はリュートで名前はラフカディオ……おや、名前しか書かれていないがな?」


「えぇ。今の小生に姓はありません。ラフカディオだけで結構です」


 年老いた審査員にそう返し、ラフカディオはリュートを手に取る。


 (それなら構わない。小生のやりたいようにさせてもらうよ)


「それではお聞きください……」


 ラフカディオの指が弦にかかる。その瞬間、部屋の空気が少し冷たくなった気がした。








「ふぅ……長く屋内にいると日差しが堪えるな」


 外に出てきたラフカディオは大きく伸びをする。太陽は真上にあり、ちょうど昼時のようだ。

 終局の世界には時間の概念が無い。たまに外の世界に出た時も「時間」という概念が確立されている想区は案外少なく、そのため時間で物事が動く事に戸惑ってしまう事がしばしばある。


「結果は1時にホールの前に張り出されるのだったな。それまではどのようにして時間を潰すか……」


「おーい、きみー!」


 ラフカディオが振り返ると、さっき出てきたホールから若い男がこちらに向かって走ってくる。


「おや、どうかされましたか?」


「はぁ、はぁ……あぁ日差しが……」


 男はその場でばったりと倒れてしまう。その光景に既視感を覚えながら、ラフカディオは軽い治癒ヒールをかけた。


「あ、あれ……? なんだか気分が良く……」


「よければあちらで話しませんか? ここではちと辛いでしょうからね」


「あぁ……そうしてくれると助かるよ」


 肩を貸してやりながら、若い男を日陰まで連れていく。


「はぁ……迷惑をかけてしまって申し訳ない……。最近悩み事が絶えなくてね……ろくに寝れてない上に昼も夜も室内に閉じこもりっぱなしなんだ……それもこれもあの怪人の無茶な要求のせいで……」


 男は頭を抱えて深いため息をつく。そのやつれた容姿を見る限り本当のことなのだろう。


「あ、いきなりベラベラ話し始めてごめんね。僕の名前はファーミン。一応あそこにある劇場のマネージャーを務めさせてもらっている者だ」


「劇場……? あの大きな建物の事ですかな?」


 ラフカディオの返しに、ファーミンは目を見開く。


「まさか君、オペラ座を知らないの⁉ この街どころかこの国でも五本の指に入る有名劇場のオペラ座を⁉」


(オペラ座……? あぁ、この想区には音楽に関係する物語の登場人物が多くいるのだったか。ならがいても不思議ではないな)


「まさか、もちろん存じておりますとも。なるほど、あれが音に聞こえしオペラ座ですか。それで……そのオペラ座のマネージャーが小生に何の用でしょうか」


「あれ、思ったより反応が薄い……いやいや、そんな話をしている場合じゃないんだ。ラフカディオ君、本当は結果を発表する前にこんなことするのはいけないんだけど、どうしても僕の気持ちを伝えておきたい。君は素晴らしい奏者だよ! 演奏会に出場できるのは12人だけど、正直な話、演奏会に出る価値があるのは数人しかいない。そして、君はそのうちの一人だ。君だったら八仙楽アハト・セレンとも渡り合えるかもしれないな。まぁいろいろ言ったけど……こんなワクワクした気持ちにさせてくれた事にありがとうと言わせてくれ! 演奏会での活躍も期待しているよ!」


 それじゃあ! とファーミンは大きく手を振りながらホールの中に戻っていった。


「……とりあえず、最初の関門は突破したという事でいいのかな。それにしてもオペラ座か」


 5日間で大体の情報収集は済ませた。これ以上街中で聞き込みをしたところで有益な情報を得られる可能性は低いだろう。ならばより重要な情報を得るためには一歩、踏み込まないとならない。


(彼に……会いに行くとするか)


 



 

 








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