第5話
「ホール……あぁ、ここか」
街の中心にある巨大な劇場。ここにくるまでいくつもの劇場を見たが、街の中心に据えられているだけあってそれらとは一線を画す大きさ、そして豪華さだ。
キュベリエがここに向かうよう指示した理由はすぐに分かった。ホールの前にはテントが張られ、その中に楽器ケースを背負った人間が吸い込まれていく。テントの側に立てられた看板には「ミニコンテスト受付」と記されていた。
「すまない、コンテストとやらの受付はここでいいのかい?」
「はい。コンテストの申し込みでしたら、
受付の女性に言われ、ラフカディオは懐から青い木札を取り出す。
「これでいいかな」
「青……街の外から来た方ですね。ではこれに名前と泊っている宿の名前、楽器の名前を」
一枚の羊皮紙が無造作に置かれる。
「すみません、なるべく手早くお願いします。後が詰まっているので」
「……あぁ」
紙を受け取った女性は、健闘をお祈りしますと無感情な声で言う。そして次の瞬間にはラフカディオがそこにいる事など忘れたかのように、新たに来た男の対応に当たっていた。
「お久しぶりですトールさん! コンテストに参加するんですか?」
「あぁ。楽札の提示はいるかい?」
「大丈夫ですよ。それよりこの前……」
和気藹々と談笑する二人に背を向け、ラフカディオはテントを出た。
「いらっしゃいませ! 何名様でいらっしゃいますか?」
「一人だよ」
「分かりました。それでは楽札を見せていただいてもよろしいでしょうか? ……青の札ですね。それではこちらにどうぞ!」
ウェイターに案内され、窓際の席に座る。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
店内にいるのは家族連れが二組、複数人で食事をしているのが三組、そして一人でいるのがラフカディオを含め五人、計二十人ほどだ。反対側も含めれば四十人近くの人間がこの店にいる事になるだろうか。
近くにきた店員を呼び止め、コーヒーとサンドイッチを頼む。店員が去ってから五分も経たずに注文の品が届けられた。
「さて……」
コーヒーを口に含み、サンドイッチを一口かじり、そしてテーブルの上にさきほど買った羊皮紙とペンを並べる。
アルケテラーと同じ眼を持つラフカディオとて、想区の内情を全て把握できるわけではない。
だから彼はまず歩く。想区を歩き、自分自身で想区の空気を感じ取る。それが想区を知り
(まずはこの街の事。極端な経済格差はなく、食糧も豊富。他の街との交流も盛ん。この時代にしては発展している方だろう)
街を囲むようにして建てられた城壁は、貴族家による経済力・権力の誇示だと考えられる。貴族が好んで銀食器を使ったように、またはアフタヌーンティーにおいて栄養価の低いキュウリをサンドイッチの具材にしたように、中世では「無駄」「手間」によって自身の経済力、権力を誇示する事が往々にしてあった。この城壁もそれと同じことだろう。争いのない世で巨大な城壁を築く。一般庶民にはとても考えつかない「無駄」だが、それができるほどこの街は経済的に安定しているのだ。
思うがまま、ペンが羊皮紙の上を走る。
(次に楽札。貴族家が考えた制度で、街の住人を二つに分け、その年の演奏会で優勝した音楽家がいる派閥に属していればよい待遇を受けられる)
この店に来る前にいくつか飲食店を回ったラフカディオだったが、そのどれもが全く同じ構造をしていた。T字型の入り口から右に行けば勝利した派閥のエリア。左は敗北した派閥のエリア。青色の札、つまり外部の人間は勝利陣営と同じ扱いになるらしい。
驚くべきは、この制度が施行されてなお、貴族家に対しての不満がないことだ。もちろん運命の書に記されているからというのもあるだろうが、住民達はこの制度に満足しているように見えた。それは最初のころは勝敗によって決まる待遇の差があまりなかったせいだろうか。たとえば飲食店では勝利派閥への給仕が早くなる、洋服屋では勝利派閥に少しの値引きがある……など、細かい差だがあれば嬉しい。そんなラインを保っていたらしい。
住人の関係を悪くしているのは制度というより、むしろ貴族家の従者たちのようだ。彼らが対立を煽り、それぞれの陣営への印象を悪くしている。イソップの話の通りなら、今の貴族二人は音楽の優劣を競うのに夢中であり、彼らの目を盗んで勝手をする事は容易だろう。
無論従者がそのような事を独断でするはずがない。両陣営の関係を悪化させるよう、裏で糸を引いている者がいるはずだ。もっとも、それが今回の異変に関わるかというのはまだ不明である。
ラフカディオが外部の者と知った瞬間に受付の女性の態度が悪くなったのも、良い待遇を無条件で受けられる外部の者に対する妬みだとすれば納得がいく。
(貴族家の現当主――フラディル・ノムセルトにジャリッシュ・アーウィンは屋敷にこもってほとんど出てこない。従者の横暴を告げる機会もないというわけか……)
気が付くと、羊皮紙は文字で埋め尽くされていた。
「まぁこんなものか。もう少し貴族家の二人について情報が欲しいが……」
その時。店の入り口の方から怒声と共に何かが壊れる音が聞こえてきた。
ひどく激昂した若い男の声に、男のうめき声が混ざっている。
「……もしやあれが例の」
店内にいた客がひそひそと言葉を交わしあう中、ラフカディオはすっくと立ちあがる。店中から奇異の視線が向けられるが、ラフカディオはそれに構わず店の出入り口に向かった。
見えてきたのは壊れたドアと階段下の踊り場にうずくまっている中年の男。そして入り口で仁王立ちしている若い男だ。若い男の手には店の物であろう木の椅子がある。
「さっさと立てよじじい! 軽く殴ったくらいで倒れてるんじゃねぇよ!」
若い男が怒鳴る。中年の男は一瞬ビクリと震えたが、立ち上がる気配はない。目をこらすと、男の頭の方から赤い何かが広がっていくのが見えた。
「くそっ、世話かけさせやがって」
若い男はそう毒づき、階段を下りていく。
「おら、立たねぇともう一回殴るぞ!」
倒れている男の側まできた若い男はそう叫ぶが、倒れている男は一向に立とうとしない。
その様子を見た若い男は舌打ちし、手に持った椅子を振り上げる。
そしてそれをそのまま振り下ろし――。
「……あ? 誰だてめぇ」
否、振り下ろされた椅子は、途中で止められる。
「小生かい? しがない旅人さ」
いつの間にか二人の間に立っていたラフカディオは、片手で椅子を止めながらそう言った。
「さて。そこな男が倒れているわけを聞かせてもらいたいのだが……」
「あぁ? てめぇには関係ねぇだろ。すっこんでろよ……!」
若い男は椅子を持つ手に力を込めるが、目の前の男は涼やかな顔でそれを止め続けている。
「そうはいかぬな。こう見えても小生はおせっかいでね。お前さんが言わぬなら、倒れている彼に事情を聞かせてもらう事になるが」
その言葉に、若い男は表情を歪ませる。
「ちっ……! そいつはな、
分かったらどきやがれ、と若い男はラフカディオを睨む。しかしラフカディオは動かない。
「それは奇妙な。小生が聞いた話ではそんなルールはなかったと思うがね」
「あぁ⁉ ったくめんどくせぇ野郎だ。俺はノムセルト家の従者だぞ? だから――俺には下民を躾けてやる義務があるんだよ!」
瞬間。若い男の、空いている方の手が動いた。固く握られた拳がラフカディオの鳩尾めがけて放たれる。
「危ないな」
しかし、不意打ちで放たれた一撃はあっさりラフカディオに受け止められた。
「このっ……⁉」
この細身の男のどこにそんな力があるのか。掴まれた拳は押すことも引くことも叶わない。
「
「……っ! 分かったよ、勝手にしやがれ!」
ラフカディオが手の力を緩めると若い男はすかさず拳を引き、椅子を店の方に投げる。微笑を浮かべるラフカディオの顔を睨むと、そのまま足音荒く階下へと消えていった。
「……ふぅ。相手の力量を計れる男で助かったと言うべきか」
ここではまだ荒事を起こしたくない。まだ何も分かっていないのだから。
「うっ……あんた……あいつは行ったか……?」
うずくまっていた男がようやく顔を上げた。額が深く切れ、そこから血が流れている。
「あぁ。さっきのやり取りは聞いていたと思うが、何か反論はあるかい?」
「当たり前……だ。俺が先に店から出ようとしてたのに……あいつがそれに構わず突っ込んできたんだ。それでこのありさまだよ……」
男が喋っている間、ラフカディオは男の傷口を調べる。命にかかわる傷ではないが、ほうっておけば大変なことになるだろう。
「ノムセルトの従者は皆あのような感じなのかい?」
「あぁ……まともなのも中にはいるが、大体はあいつと一緒だよ。フラディルが外に出ないのを良い事に好き勝手横暴なふるまいをしている。それどころか最近は街でも有名なゴロツキどもを従者にしているとかで……。本当にノムセルト家は何を考えているんだ」
「なるほどね……っと終わったよ。しばらく安静にしていれば大丈夫だと思うが、一応医者のところには行っておきなさい」
「? 何言って……あれ、傷が……!」
「それでは小生は失礼するよ。しばらくはあの男に気をつけなさい」
困惑したままの男を置いてラフカディオは立ち去る……寸前に代金を払い忘れたことに気付き、さらに戻った時に運悪く出てきた店長と鉢合わせて無銭飲食の嫌疑をかけられ……と一悶着あったわけだが、そのやり取りはここでは省略する。
「あの人……ただ者じゃないですね」
その様子を建物の陰から見ていた彼女はそう呟く。
「何もしないであの乱暴者を退散させるなんて……。普通じゃない匂いがプンプンします。見慣れない異国の服装に楽器……という事は演奏会に参加するのでしょうか? 何にせよ『コゲクサイ』ですねぇ……! 久しぶりのお客様ですよこれは!」
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