第4話

※やたら新しい名前が出てきますが覚える必要はあんまりないです。


「さてと……そろそろ着くはずなのだが……」


 沈黙の霧はどこまでも白く、深い。この霧が意味消失した人間の成れの果てだと誰が気づけようか。

 鼻歌交じりにラフカディオは霧の中をゆく。ラフカディオの、いや「アルケテラー」の力の一端が、目的地はそう遠くないとラフカディオに告げていた。

 霧が晴れる。白一色だった世界が一気に色づき始める。といっても白一色が茶色と空色とわずかばかりの緑色の景色に変わったというだけなのだが、それでも霧の中を歩き続けていたラフカディオにその色彩は眩しすぎた。


「ここは……町のはずれか? イソップが言っていた景色と合致はするが……」


 遠くの方に白い壁が見える。周りを見渡しても人工的な色合いをおびた物はその壁しか見えず、おそらくあれが目的の街だろうとラフカディオは判断した。

 城壁。そう形容するのが正しいだろうか。ぐるりと街を囲うように建てられた白い壁には本格的な迎撃機能が備わっているのが遠目にも見て取れる。


「……」


 この街が襲撃された事があったのか、はたまた戦乱の世の中でいつ戦争に巻き込まれるか分からない状況なのか。寄ってくる賊を撃退するためだけにあの壁が建てられたとは考えにくい。

 ……第三の可能性。しかしそれを思い浮かべたラフカディオはすぐにその考えを捨てる。そんな馬鹿な事があるものか――。

 この一時間ほど後に、ラフカディオはそれこそが真実だったと知るわけなのだが。

 と、考えをめぐらしていたラフカディオは、街に続く道の向こう側からこちらに向かって走ってくる人影に気付いた。ゆったりとした白いドレスに澄んだ泉のような水色の髪。間違いない、あれが今回厄介事に巻き込まれたというキュベリエその人だろう。

 しかし……。


「はぁっ、はぁっ……す、すみません……。あなたが……ぜぇ……ぜぇ……ラフカディオ……さんですか……?」


「あ、あぁ。いかにも。小生がラフカディオだ。その……大丈夫か?」


「ご心配なく……これくらい全然……―――――⁉」


 崩れ落ちて激しく咳をするキュベリエ。数週間寝たきりの状態から急に運動したかのような有様である。


「……とりあえず息を整えろ」






 五分後。


「すみません……。早速迷惑をかけてしまって……」


「気にするな。軽い運動とでも思っておくさ」


 キュベリエを背負ったラフカディオは、白壁を目指して轍の残る道を歩いていた。


「『キュベリエ』から小生の事はなんと聞いているかね?」


「フォルテム学院の幹部の一人なんですよね。普段は素性を隠して想区を回り、空白の書の持ち主の勧誘をしているとか。昔、『私』が困っていた時に颯爽と現れ困り事を解決してくれたとも聞いています」


「なるほどね」


(思い切った嘘をついてくれたものだ……。まぁ小生の存在を説明するならそのくらいの嘘は必要か……)


 イソップがなぜこのような嘘をついたのか。簡単に言えば、イソップ=キュベリエであってもキュベリエ=イソップではないからである。想区の秩序と平穏を司る女神キュベリエは遍く想区に存在し、そして全てのキュベリエはその意識や記憶を共有している。そしてその母体とでも言うべき存在がオルド・キュベリエ――イソップなのだが、彼女はイソップに関する一切の情報を他のキュベリエたちと共有していない。それには彼女なりの考えがあるのだが、それについては割愛させてもらおう。

 とにかく、そのような事情でイソップと同種の生命体であるラフカディオの正体を明かすわけにはいかなかったという事だ。


「フォルテムの人間とは言っても、小生は陰の者。存在しない人間だ。大丈夫だとは思うが、くれぐれも小生の事は口外しないように」


 念のためにフォローを入れておく。これで他の想区のキュベリエがフォルテムの人間と接触しても大事にはいたらないだろう。


「さて……事のあらましは大体あちらのキュベリエから聞いているが、当事者であるお前さんの話も一度聞いておきたい。幸い時間はある。なるべく詳しく説明してくれ」


「はい。ラフカディオさんはもうご存じかと思いますが、今向かっている街……アディラータにはノムセルト家とアーウィン家、二つの貴族家が存在します。彼らがこの物語の主役であり、彼らのささいな諍いが街全体を巻き込んだ闘争に広がっていく……というのがこの想区の大まかな筋書きです。そして今年は、物語の転機となる年――ノムセルト家が審査員長にワイロを渡していたことが発覚し、二分された街で大規模な抗争が起こる事になる年、だったのですが……」


「なぜかお前さんが審査員長に任命された。そう言う事だね?」


 ラフカディオの言葉に、キュベリエは頷く。


「突然両家の使者が祠にやってきて……。本来審査員長になるはずだったレーベさんが行方不明になったから私に審査員長をやってほしいと。すでに委員会の承認も得ているとかであれよあれよと言う間にこんな事に……」


 何者かは分からないが、「黒幕」はずいぶん前から準備を進めていたようだ。元々審査員長をやる男がいなくなったから代わりを、というのは間違いなく方便だろう。物語の進行に必要な役である以上、必ず代役が存在する。しかし代役の運命の書が書き換わるのは、元の役の人間が役を。推測にはなるが、そのレーベとかいう男は死んでいない。代役に運命が移る事を防ぐため、生かさず殺さずの状態で幽閉されているのだろう。それも、演じる事ができなくなった、とストーリーテラーに判断されないぎりぎりのラインで。


(どうにも奇妙だ……。空白の書の持ち主にしては想区の仕組みを知りすぎている。しかしカオステラーだとしてもがある)


「キュベリエ。抗争に巻き込まれて腕を動かせなくなったという音楽家について聞きたい事がある」


 空白の書の持ち主か、カオステラーか、あるいは他の何かか。この想区を歪ませている者の正体が分からない以上、予断で調査を進めるのは危険だ。全ての可能性を公平に考えなければならない。


「音楽戦争終結の原因になった人ですよね。えーっと、たしか……そうだ、ゴーシュさんという男性です」


「ゴーシュ? まさか『セロ弾きのゴーシュ』か?」


「はい。ゴーシュさんの物語はすでに終了していますが、まだ金星楽団でセロの奏者として活動しています」


 音楽戦争に巻き込まれ楽器を弾く事ができなくなる男。今分かっている登場人物の中で、もっともカオステラーになる可能性が高いのがゴーシュだ。自身の運命を回避するため、抗争につながる「最後の一押し」を未然に防ごうとした。そう考えれば説明も付く。


「まだ聞きたい事はいくつかあるのだが……。残りは街に入ってからにするか」


 歩き始めた時ははるか遠くにあった城壁も大分近づいてきた。矢を射るための穴や大砲が並ぶ白壁は近くで見るとより圧迫感を感じる。


「大丈夫ですか? 結構な距離を歩いてきましたけど……」


 ラフカディオの細い体で、そう背の変わらないキュベリエを背負ってきたのだ。キュベリエの心配ももっともだろう。だが、ラフカディオは普通の人間ではない。


「心配無用。これでも鍛えているのでね。それより、お前さんの方が心配だ。まさかあの距離を走ってくるなんて……馬車を借りたりは出来なかったのかい?」


 街の規模と時代を見るに、まさか馬車が存在しないなんて事はないだろう。


「あ……それはその……馬車を使うと足がつくので……」


「……」


 今何か不穏な言葉が聞こえた気がする。


(まさか別件で厄介事を抱えているのか? あり得る、十二分にあり得る……)


 厄介事を引き寄せるというか、一つの事件に対応していると、連鎖的に他の事件に巻き込まれるのが女神キュベリエだ。

 せめて、これ以上話がややこしくならない事を祈るしかない。ラフカディオはそう思った。


「あ、ここで下ろしてもらって大丈夫です」


 言われるまま、城壁の側でキュベリエを下ろす。女神として、誰かに背負われているなんて情けない姿を見せたくないのだろう。


「一応私、泉の女神なので……。これ以上威厳を失うわけにはいかないんです……」


「あぁ。分かっているさ」


 後半は聞かなかった事にして、キュベリエの案内で城門まで回る事にする。どうやら沈黙の霧が発生していた場所は二つある城門のどちらからも遠いようで、しばらく歩かないといけないらしい。


「お前さんが審査員長になった事は皆知っているのかい?」


「まだ……だと思います。審査員が発表されるのは演奏会の初日なんです。審査員同士が結託して不正を働かないよう、自分以外のメンバーも当日まで知らされません。演奏会で不正があるという事はほとんど人の運命の書に記載されていますが、誰がそれをするかは本人と貴族家の当主2人しか知らないんです」


 ちょうどいいので少し演奏会について説明しますね。そう言って、キュベリエは懐から羊皮紙を取り出す。


「演奏会に出場できるのは64人。そこから32人、8人と減っていって、最後に残った4人の中から優勝者が決まります。演奏会に参加する条件は、貴族家の推薦状を持っているか、ミニコンテストで上位12人に入る事ですね。ラフカディオさんは後者の方法で挑戦する事になるかと思います」


「一般枠は12人か。という事は残りは貴族家に雇われた音楽家達になるのかな」


「そうですね。ノムセルト家とアーウィン家がそれぞれ26人分の参加枠を持っています。一般枠と言っても、ミニコンテストの方にも推薦状を得られなかった貴族家の音楽家が参加するので、例年200人くらいが参加していますね」


「200人の中の12人ね。まぁやれるだけやってみよう……と、ここが街の入口かい?」


 白い壁が続く中、対照的に黒い壁がそこにあった。黒い壁には複雑な文様が彫られ、獅子を模った取っ手のような物も見える。巨大すぎて気づくのが遅れたが、この壁こそが街に入るための扉らしい。


「女神様! おかえりなさいませ!」


 ラフカディオ達に気付いた若い衛兵が駆け寄ってきて敬礼する。衛兵になりたてなのだろうか、動作の一つ一つに「ピシッ!」という効果音が付きそうである。笑顔を絶やさない明朗快活な青年と言った感じだ。


「シドさん、おつとめご苦労様です。委員会の方はこられましたか?」


「はい! ですが、言われた通り女神様はこちらには来ていないと言っておきました!」


「ありがとうございます。あなたに女神の祝福があらんことを……」


 後ろで中年の衛兵が大爆笑している事には触れないでおくべきだろうか。


「ところでこちらの方は?」


 若い衛兵がラフカディオを見る。


「私の知り合いです。身分は私が保証しましょう」


「女神様がおっしゃられるなら大丈夫ですね。衛兵シドの名において街に入る事を許可します! ではこちらのカードをどうぞ」


 差し出されたの、は青色に塗られた手のひらより少し小さな大きさの木札だ。


「それは街で各種サービスを受けるために必要な物です。無くさないように大事に保管しておいてください。最近はそのカードの盗難事件も多発しているので、常に身に着けておくようお願いします」


 見た目と同じく、質感も木のそれである。ラフカディオは受け取ったそれを袋の中にしまい込んだ。


「それじゃあ行きましょうか」


 シドが合図を送ると、重々しい音を立てて扉が開き始める。通るのに十分な隙間が開いたところで、キュベリエとラフカディオは先に進む。


「先にこれをお渡ししておきますね。これだけあればお金に困る事もないと思います」


「これは……硬貨か? 先ほどの札が通貨になるのかと思っていたのだが」


 渡された袋の中には大量の金貨銀貨がぎっしり詰まっている。


「いえ……あれは所属を示す札です。青の札は無所属――外から来た人を表すものなんです」


「所属……まさか」


「キュベリエ様ー! こんなところにいたのですか!」


「ドリーチェさん⁉」


 街に入るなり、金髪の女性がものすごい勢いでこちらに向かってきた。


「あと5分で3回目の会議が始まってしまいます! 今回はアーウィン様とノムセルト様も出席なされるのです。遅れるわけにはいきません! さぁ行きますよ!」


 ドリーチェが手を挙げると、どこから現れたのかガタイの良い大男4人がキュベリエをかつぎあげる。


「ちょ、ちょっと待ってください……! ラフカディオさん! ホールに向かってください―! そこで――」


 キュベリエを担いだ4人組とドリーチェは猛スピードで人ごみの中に消えていった。


「……何だったんだ今のは」


 残されたラフカディオは呟く。

 ただ、少なくともキュベリエとドリーチェという女性は知り合いのようだったし、宿の場所はキュベリエから聞いている。今彼らを追わなくても、夜になればまた会えるだろう。


 それより。


 

 ラフカディオとイソップはアルケテラーの端末としてその力の一部を行使する事ができる。フィーマンの一族が現れる以前は、その力を用いてカオスの気配を探知し、カオステラーになりきる前に彼らを処断してきた。それがどれほど弱いものでも、ラフカディオはそれを見逃さなかった……はずだった。


 しかし、イソップに話を聞く前も、聞いてからも、そしてこの想区に来てからでさえ、ラフカディオは

 もちろんカオステラーが存在しない可能性もあるし、空白の書の持ち主が関与している事も十分に考えられる。

 だが、もしカオステラーが存在するのなら。自身のカオスの気配を遮断する事に秀でるカオステラーや、自身のカオスの力を他者に譲渡し身を潜めるカオステラーがいることは知っている。しかし、ラフカディオの――アルケテラーの目から逃れられるカオステラーがいるとするなら……。


「気を引き締めた方がよさそうだな……」


 ラフカディオの直感が、この想区は今までの想区とは何かが違うと告げていた。


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