第3話

「なに?」


 涼しげな顔で話を聞いていたラフカディオの表情がわずかに動く。


「一応確認しておくが、今年はなのか?」


「はい……」


 これで合点がいった。女神キュベリエは想区の平穏を司るイレギュラーな存在であり、それが物語に関わる事はない。そのキュベリエに依頼がきたという事は、間違いなく外部の力が作用している。空白の書の持ち主か、カオステラーか。そのどちらかでほぼ間違いないだろう。前者ならともかく、彼らがいない今、後者はラフカディオの管轄だ。

 そしてイソップの口が重かった理由も大体想像がつく。


 実のところ、配役が変わったというのは大した問題ではない。ストーリーテラーにとって人は役を与えるための駒であり、その役も物語を正常に進めるための因子ファクターでしかない。つまるところ、物語が正常に進むのなら配役が誰だろうと、どのような行動をとろうと構わないのだ。

 例えば話の途中で赤ずきんがオオカミに食べられてしまうという物語があったとする。この物語において、。赤ずきんが食べられたというがあれば物語は展開する。その後の物語に明確な矛盾が生じない限り、その嘘にストーリーテラーが介入することはない。


 話を戻すと、キュベリエがワイロを受け取り不正を働いたという事にすれば、物語は進行する。だから審査委員長を頼まれた事自体はさほど問題ではないのだ。

 しかし女神キュベリエが悪事に手を染めたとなれば、想区の住人からの信頼は失われるだろう。金銭でつられたとなればなおさらだ。想区の安寧を保つという役割がある以上、例え嘘でも信頼を損ねるようなことは出来ないはずだ。

 そしてそこにイソップの苦悩がある。彼女はことに罪悪感を覚えるのだ。かつてラフカディオがカオステラーになりかけた人間を処断していた時も、報告のために訪れる度、イソップは申し訳なさそうな顔をしていた。まして今回は事が事だ。事情があるとはいえ保身のためにラフカディオに面倒を押し付けた、そう思い自分を責めているのだろう(その一方で、自分が出来ないことは遠慮なく頼る。調律の巫女や再編の魔女はそれでずいぶん迷惑を被ったようだが……)。


「大体の事情は把握した。小生はそこに赴き、筋書きが変わった原因を探ればいいのだろう? そして原因が分かれば……」


 それ以上は言わなかった。


「ラフカディオさん……すみません」


「謝る必要はない。お前さんに出来ない事を小生がする。小生に出来ない事をお前さんがする。それだけの話だ」


 リュートを小脇に抱え、ラフカディオは立ちあがる。


「そうと決まれば善は急げだ。あちらのキュベリエに連絡はしているかい?」


「はい。頼れる私の友人が向かうと伝えてあります」


「ふふ。言ってくれるじゃないか。……そう言えば、なぜ小生なのかを聞いていなかったね。フォルテムの人間じゃダメなのかい?」


「ええと。貴族、アーウィン家とノムセルト家に近づくには、演奏会で結果をだして彼らに認知されるのが一番です。なので楽器を弾けるラフカディオさんが適任かな……と」


「なるほどね。まぁ人に聞かせられるくらいの演奏は出来ると思うが……」


 ラフカディオは手元の楽器を見つめる。いつもと違い、今回はこれも一緒に持っていくことになりそうだ。


「さて、小生は出かける準備をさせてもらうとしよう。少し待っていてくれるかい?」


 アルケテラーの間を出て、星明かりの届かない通路を歩く。

 階段を降り、右左右左……。複雑に入り組んだ迷宮を迷うことなく進む。この建物のかつての用途――空白の書の持ち主を迎え入れる――に反する明らかに異質な構造。この階だけが全く別の目的の元作られたかのようだ。

 無名による無差別破壊の傷跡が残る中、傷一つない鋼鉄の壁の前でラフカディオは立ち止まる。


「ここを使うのは久しぶりだが……。うまく機能してくれるだろうか?」


 首にかかった許可証パスをかざすと壁が静かにスライドし、奥のが姿を現す。

 ラフカディオはそこに足を踏み入れると同時、壁が元の位置に戻る。数秒後、そこには何も語らない硬い壁があるだけだった。

 

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