第2話

  ここは終局の世界。

 ここに生命は存在せず、色は存在せず、光は存在しない。

 だがそれはかつての話。

 ここに生命は存在せず、色は存在せず、しかし空には億千万の星が輝く。

 それは想区の光。この世界に存在する全ての想区が、星となって暗い空に映る。

 星空の元、朽ちたビル群の合間をぬい、純白の衣の裾をはためかせながら彼女は歩いていた。彼女が目指すのは一際高くそびえる双頭のビル。そこに彼女がここに来た目的である男がいる。


「久しぶりだな……いや、久しぶりなのか? とにかくあちらから出向いてくるとは珍しい」


 双頭のビルの中、来訪者の気配を察知した男が呟いた。


「そうだろう? アルケテラー」


 その問いには答えない。それが正常なのだが。気分を害した様子もなく男は立ち上がり、抱えていたリュートを床に置く。


「さてさて、迎えの準備でもしておこうか」








「お久しぶりです、ラフカディオさん」


「あぁ。やはり久しぶりか。ここにいるとどうしても時間に疎くなる。前にお前さんが来たのは、たしかフォルテムの学園長就任祝いにもらったもののおすそわけにきた時だったかな?」


 通称「アルケテラーの間」。双頭のビルの付け根に位置する大広間にて二人は邂逅した。


「十六代目、パーンさんのお孫さんの時ですね。あれから二百年ほどです」


「ん? 小生の記憶が正しければ彼は二代目学園長だったはずだが。その孫が十六代目……あぁ、そうだ。彼は少しだったな」


 男は得心したように頷く。

 紺桔梗の着物に袖を通した飄々とした雰囲気の男は床に縦横無尽に張り巡らされたパイプの一つに腰を下ろす。彼女もまたそれに倣い、少し距離をあけて二人が向かい合う形になった。


「それで? 今日はなんの用だい、イソップ」


 






 はるか昔、終局の世界は閉じられた場所だった。全ての終わりと始まりの地であり、ストーリーテラーの始祖であるアルケテラーを擁するこの世界を隠匿するために何重もの沈黙の霧が終局の世界を覆い、その中でアルケテラーはやがてくる空白の書の持ち主たちを待っていた。しかし、アルケテラーから生まれた「否定する者」によって終局の世界の静寂は破られる。

 グリムノーツの想区での激戦。百年前に消えたグリムノーツの創造主たちの力を借り、一度は「否定する者」を追い詰めた再編の魔女一行。だが、危機的な状況に陥ってなお、彼の者はあがき、絶望を希望に変え、終局の世界に続く門を開いた。

 「否定する者」がいなくなった後も、その門はグリムノーツの想区の中心に残っている。無論誰でもその門をくぐれるわけではないが、終局の世界の守り人であるラフカディオと出自を同じくするイソップだけは例外的に、その門を開くことが許されている。開くことができるというだけで、イソップがそうする理由がないとラフカディオは勝手に思っていたのだが……。


「……ラフカディオさん? 聞いてますか?」


 イソップの呼びかけで、はっと我に返る。


「すまない。最近こんな事が多くてね。小生も寄る年波には勝てぬようだ」


「年波……?」


 ラフカディオ達がそのようなものに縛られる存在でないのは、二人ともよくわかっている。不死に非ず、されど不老なり。彼らはそういう存在だ。今の言葉はラフカディオ流の戯言ジョークだったのだが、イソップにはあまり伝わらなかったらしい。


「ええと、どこまで話しましたっけ……。今とある想区のキュベリエが困ったことになっているから手を貸してほしい、というのは言いましたか?」


「あぁ。わざわざ小生を頼るという事はの関係かな」


 ラフカディオの問いに、微妙な顔をしてキュベリエは首を振る。


「そうではなさそうなんです。ラフカディオさんの力を借りたいのには別の事情がありまして……」


「ほう。小生でないといけない事情か。してそれは?」


「えぇっとですね、それを説明する前にまずはその想区について話をさせてください。その方がその……分かりやすくなると思いますから。その想区の名前は『音楽戦争の想区』。古今東西あらゆる物語の音楽家が集まる芸術の想区です」




 ――昔々、二人の貴族が大きな街を治めていました。二人はどちらも音楽がとても好きで、たくさんの有名な音楽家を自分の専属楽師として雇っていました。

 ある時、一方の貴族がもう一方の貴族に問いかけました。

「貴殿と私、真に良き耳を持ち、良き音楽家を聞き分け、より音楽の素晴らしさを理解する事が出来るのはどちらでしょうか」

 聞かれた貴族は答えます。

「もちろん我である」

 しかし尋ねた貴族もこう返します。

「いいえ、いいえ。いくらあなたの耳が良くても私には敵わないはずです。私の方がより音楽を理解している」

 果てない口論の末、二人は考えました。演奏会を開き、もっとも素晴らしい音楽家を決めよう。そうすれば、その素晴らしい音楽家を雇っていた者こそがより良き耳を持つ者であると分かるはずだと。

 それから毎年のように演奏会が開かれるようになりました。初めは貴族の他愛のない道楽でした。しかし二人はとても負けず嫌い、おまけに勝負というものをあまりせず育ったことによって、勝っては負けてを繰り返すうちにこの勝負に本気になっていってしまったのです。

 二人は勝負に勝つためにお金を惜しまず使い、音楽家が欲しいものはなんでも揃えました。高価な楽器も、快適に練習する環境も、なんでもです。

 勝ち負けにこだわるようになってから二人の仲は悪くなり、街や音楽家たちもどちらの派閥についたかで二分されてしまいました。自分のいる派閥が勝てば露店を出す場所を優先的に決められたり、逆に負ければ自分の場所を譲らなければいけないなど、生活のあらゆるところに演奏会の勝敗の結果が影響してくるようになったのです。もはやこの勝負は二人だけの問題ではありませんでした。

 そして二つの派閥の仲がこれ以上ないほど険悪になり、まさに一触即発といった状況のある年。驚くべきニュースが街を駆け巡りました。なんとその年の演奏会。審査委員長に選ばれた男が、お金をもらった見返りとして一人の音楽家を優勝させたことが明らかになったのです。

 ワイロを渡した犯人は、その音楽家を雇っていた貴族に決まっています。もう一方の貴族はすぐさま相手の屋敷に向かい、彼を激しく糾弾しました。しかし糾弾された貴族もそんな事はしていないと反論します。嘘ではありません。なぜならそれは、彼の使用人が勝手にやった事だったからです。

 一方は相手による不正行為だと言い、もう一方は相手は自分を嵌めるために審査委員長と組んだのだと言います。二人の主張はまたしても平行線でした。

 そしてその事件をきっかけとして、街のいたるところで諍いが起こるようになります。貴族たちに近く相手への憎しみが強い若い使用人を筆頭に二つの派閥が互いに争いだしたのです。それはやがて暴動にまで発展し、これを止める術はもはやないように思えました。元凶である二人の貴族がいがみ合っていたのですから。

 しかし、ある知らせが二人の耳に入りました。暴動に一人の若い音楽家が巻き込まれたと。彼は才能のある青年でした。今はまだしがない楽団の一員ですが、このまま腕を上げれば一流の音楽家になるだろうと噂されており、その噂は二人の耳にも入っていました。

 しかし、彼はもう楽器を弾くことができません。命に別状はなかったものの、後遺症によって片腕が動かせなくなってしまったからです。

 その知らせを聞いた貴族たちは自分たちを恥じました。自らのつまらない虚栄心で、未来ある若い音楽家の道を閉ざしてしまった。そのことをただただ恥じました。

 どちらが良い耳を持っているか、そんな事どうでもよかったのです。彼らはただ、音楽が好きで、音楽を楽しみたかっただけだったのです。

 それがどこから捻じれてしまったのでしょう。

 貴族たちはすぐに争いをやめるようお触れを出し、街の人の前で頭を下げました。


 そして――それからも一年に一回、定期的に演奏会は行われました。ですがその演奏会に優勝者なんていません。ただ素晴らしい音楽を聴き、感動する。それが貴族たちの掲げた演奏会の目的でした。

 めでたしめでたし――。





「……以上が物語の筋書きです」


「ふむ。欲に身を任せ、本当に大切なものを失ってしまう。ミダス王などに代表される典型的な訓話だな」


 ラフカディオは時折相槌を打ちながら物語に聞き入っていたが、イソップの話が終わったタイミングで疑問を一つ挟む。


「さて、その話のどの部分がお前さんの頭を悩ませているんだい? 予想するなら、若い音楽家の受けた怪我がそれほど致命的でなかった、もしくは貴族のうちどちらかが亡くなり物語の落としどころがなくなったかのどちらかだと思うのだが」


「いえ……それであれば代役を立てればいいだけなのですが……、その……」


 どうにも今日のイソップは歯切れが悪い。助けを求めることに引けを感じるタイプでもないだろうし、何がそこまで彼女の口を重くしているのか。


「実は……先日二人の貴族の従者がキュベリエの祠を訪れまして……今年の審査委員長はぜひ貴女にお願いしたいと……」


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