第163話 今日は素晴らしい日
「あら?」
バルドヒルデは不思議そうな顔をして半ばほどで断ち切られた炎の剣を見ていた。
「ごめん、少し遅れたみたいだね」
陽光の剣で炎の剣を断ち切った皇帝はそう言って詫びた。
「カロル……」
バーニスがその名をつぶやくと、彼は安心させるかのように柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。すぐに終わらせるから」
カロルは紅蓮の聖女に向き直った。
「もしかして、また名前の長い方ですの?」
バルドヒルデは眉根を寄せてカロルを見た。
「そういう風に言われるのは初めてだけど、間違ってはいないかな」
苦笑しつつもカロルは両手に陽光の剣を構えた。
「あらあら、素直ですわね。その素直さに免じて、出来るだけ苦しまないように葬って差し上げますわ」
くすくすと笑うとバルドヒルデは再び炎の剣を伸ばした。
「僕も君があまり苦しまないように努力するよ」
少しだけ悲しげにカロルが言うと、陽光の剣が左右の手に吸い込まれた。
剣ひとつを取り込んだときでさえ、バーニスに死を覚悟させたカロルはいま、ふたつの剣を取り込んでいた。
カロルが放つ温かくも強い光に照らされて、バルドヒルデの顔色が変わった。
陽光が瞬いたかと思うと、炎のドレスを着た少女は新たに作り出した陽光の剣を持った皇帝にあっけなく斬り伏せられていた。
紅蓮の聖女の体からは真っ赤な血が吹き出した。紅い炎はもう消えていた。
「……油断しましたわ……ですが、この程度の傷は……」
膝を屈しはしたが、バルドヒルデはあきらめていなかった。
「カロル! 気をつけろ! そやつはすぐに傷が癒えてしまう!」
バーニスは慌てて叫んだ。
「うん。わかっているよ」
カロルは淡々と答えた。
「ふふっ、もう遅い――」
紅蓮の聖女は立ち上がろうとしたが、突然せき込むと大量に吐血した。
「君を斬ったときに僕の力を流し込んだ。傷が癒えることはない」
カロルは地面に両手をついて苦しげに血を吐いている少女に冷たく告げた。
その手には陽光の剣が光っていた。
光の剣をうつろな目で見つめていた紅い髪の少女は、想い人の名を口にした。
カロルは光り輝く剣を無言で振りかざした。
その黒い剣はまるで初めからそこにあったかのようにバルドヒルデのすぐ近くに突き立っていた。
そして、その剣の傍らに銀色の髪の青年が出現した。
アルヴァンが纏う何よりも禍々しい魔力はカロルさえも引き下がらせた。
「君がアルヴァンか……」
カロルはバーニスたちを守ろうとアルヴァンから距離を取ったが、彼はカロルには目もくれなかった。
アルヴァンは半ば意識を失っている紅い髪の少女を抱き抱えると、地面に刺さった簒奪する刃を引き抜いて、王宮の中へと歩いていった。
「嘘……どうして……」
立ち上がったイシルダはバルドヒルデを抱えたアルヴァンの背中を呆然と見ていた。
その間もアルヴァンは歩き続け、王宮の中へと消えていった。
「……よかったのか?」
バーニスはカロルに聞いた。
「彼女はもう助からない。それに、彼の力は僕の予想を遙かに越えていた。僕一人じゃ勝てない」
カロルは冷静だった。
「そうか……」
バーニスもある程度は予想していたことだが、バルドヒルデをも凌ぐ力を持つカロルからそう言われるのはかなり堪えた。
「……アルヴァンはバルドヒルデを助けに来たのでしょうか……?」
パトリシアはアルヴァンの行動に戸惑っていた。
「僕にはそう見えたよ」
「カロル……ひょっとして、彼らは……」
言いかけたイシルダに、カロルは首を振った。
「彼らがなにを考えていようとも敵であることに変わりはない。彼らは倒すしかないんだ」
カロルがそう言うと、イシルダは頬をはられでもしたかのように体をこわばらせた。
「そう、よね……ごめんなさい……忘れてちょうだい」
イシルダはうつむいた。
「いいんだ。僕も姉さんと同じようなことを考えたから……」
カロルはイシルダの肩に手を置いた。
バーニスはなにも言えずにカロルとイシルダを見ていた。
「皆様、あれを」
パトリシアは遠くに見えた複数の人影を指さした。
「すまない! まさかアルヴァンが逃げ出すとは思わなかった!」
「ご無事ですかい!」
「彼はどこに……!」
フィーバルとともにツバキとミツヨシが前庭にやってきた。
「姉さん! ボロボロじゃないですか!」
「皇女殿下、背中で騒ぐのはやめてもらえないか」
「傷の手当てはワシが引き受けましょう」
ルシリアをおぶっているサルトビに続いてワムシュも姿を見せた。
「みんな……!」
イシルダは顔をほころばせていた。
「皆、よくぞ戻ってくれた」
バーニスも全員が無事でいることが嬉しくてたまらなかった。
「……カロル、勝つぞ」
フィーバルが言うとカロルはうなずいた。
「わかっているよ」
アルヴァンがヒルデを抱えて玉座の間の扉を開けると、驚いたグレースが駆け寄ってきた。
「ヒルデ君! まさか、君がこんな……」
グレースは顔をゆがませた。
飛んできたローネンは目を伏せた。
「ふふっ、あなたが慌てる姿を見るのは愉快ですわね……」
ヒルデは笑っていたが、その笑みに力はなかった。
「なにをバカなことを……」
グレースがそう言ってもヒルデは笑みを崩さなかった。
「アルヴァン殿……」
ローネンが口を開きかけた。
「わかってます。みんなは先にいったんですね」
アルヴァンが言った。
「……ローネンに頼んで上から様子を見てもらったんだ。エイドレス殿にジェイウォン殿、クルツ君にベリット君、みんな死んでしまったよ」
そう告げるとグレースはうつむいた。
「グレースさん、ちょっと奥の部屋に行きたいんですが」
アルヴァンが頼むと、グレースは何もいわずにうなずいた。
「あらあら、女狐さんがこんなにもしおらしくしているだなんて。今日は素晴らしい日ですわ」
「……今日だけは、特別だよ」
グレースはアルヴァンに抱えられたヒルデを見送った。
奥の部屋のベッドにヒルデを寝かせると、アルヴァンは扉を閉めてベッドの脇にあったイスに腰掛けた。
「アルヴァン様、気づいてらっしゃいますよね?」
ヒルデの声はさっきまでとは打って変わって弱々しくなっていた。
「うん。君はもう目が見えていないんだよね。さっきもグレースさんの方を向かずに話してたから」
「ふふっ、流石はアルヴァン様ですわ……それにしても、こうしてなにも見えないままでアルヴァン様と話していると、初めてあったときのことを思い出しますわ……」
「あのときもヒルデは目が見えていなかったね」
「まだそれほど時間は経っていませんのに、ずいぶん昔のように感じますわ」
「色々あったからね」
「本当に色々なことがありましたわ。魔力を封じられてわけもわからないまま塔に閉じこめられて、わたくしは来る日も来る日も外の世界を夢見ていましたわ」
「そうだったんだ」
「そうでしたの。そして、アルヴァン様が連れだしてくれた外の世界はわたくしが夢見ていたよりもずっとずっと楽しいところでしたわ」
「連れ出した甲斐があったよ」
「ええ。あなたの隣にいられて、わたくしは本当に幸せでしたわ」
ヒルデは穏やかな笑みを浮かべていたが、その瞳にはもうなにも映っていなかった。
「僕も、君の隣にいられて楽しかったよ」
アルヴァンはヒルデの手を取った。
だが、その手が握り返されることはなかった。
紅い髪の少女は穏やかに笑ったまま、冷たくなっていった。
アルヴァンが玉座の間に戻ると、グレースが顔を上げた。
「行くのかい?」
「ええ。行ってきます」
尋ねられてアルヴァンは答えた。
「君ならそう言うと思っていたよ」
グレースはあきれた顔で笑っていた。
「みんないってしまったけど、やっぱり楽しいですから」
「それでこそアルヴァン君だ。思い切り楽しんでくるといい。後のことは気にしなくていいよ。君には優秀な共犯者がついているんだから」
グレースはアルヴァンの背中を叩いた。
「頼りにしてます」
「任せてくれ。……帰りを待っているよ、アルヴァン君」
グレースにうなずきかけると、アルヴァンは玉座の間を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます