第162話 差し込んだ光
グロバストンの王宮の美しい前庭は炎に包まれていた。
「世代交代ですわね!」
炎のドレスを纏ったヒルデは血のドレスを纏ったバーニスを蹴り飛ばした。
女王は吹き飛ばされながらも血の槍を作り上げて撃ってきたが、ヒルデは腕の一振りで全ての槍を燃やし尽くした。
バーニスはふらつきながらもなんとか立ち上がった。
「認めたくはないが、どうもお前の方が強いらしい」
「あら、案外あっさりと受け入れてくださいますのね」
ヒルデにとってバーニスの反応は少し意外だった。
「誰が最も強いかなど大した問題ではない。お前がわらわより強かろうとも、わらわには仲間がいるのだ」
「言っておくけど、あなたに協力するのは今だけだからね!」
イシルダは大きな弓から銀色の矢を撃ってきた。
ヒルデはなにもせずに突っ立っていた。
銀の矢は炎のドレスに触れたとたんに燃え尽きてしまった。
「猫の手も借りなければならないだなんて、気の毒ですわね」
ヒルデはイシルダをあざ笑った。
「いつまで笑っていられるかしら」
イシルダは矢筒から三本の矢をまとめて引き抜き、一気に撃った。
「この程度ならいつまででも笑って――」
言いかけたヒルデが目を見張った。イシルダは立て続けに矢を撃ってきた。
ただ、その連射速度は尋常ではなかった。
イシルダは一射目の三本の矢がヒルデに達する前に百近い矢を放っていた。
「言い忘れていたけど、私のレインメーカーは単発の威力と射程以外の全てにおいてフェイラム伯爵のウルグロースカタパルトを上回っているの。特に連射速度には天地ほどの開きがあるわ」
ヒルデにはイシルダの得意気な説明など聞こえなかった。
大量の矢が横殴りの雨のように次から次へと当たってきたせいだ。
一発一発ではどうということもない矢も、これだけの数を一斉に浴びせられるとヒルデが作り上げた炎のドレスといえども防ぎきれなくなりつつあった。
ヒルデは前に出ることを決めた。
「うっとうしいですわ」
いずれはドレスを破られるだろうが、それにはまだ時間がかかる。その前にイシルダを燃やしてしまえばいいだけだ。
ヒルデは右手に炎の剣を出現させると、吹き付ける銀の矢を切り払いながら突き進んだ。
左手には炎を圧縮してある。矢の雨を抜けたらこれでイシルダを焼き払うつもりだった。
矢の雨を抜けることはヒルデにとって造作もなかった。
イシルダを倒すために左手の炎を解き放とうとしたが、そのときにはもう横薙に振るわれた巨大な柱がヒルデの目の前まで迫っていた。
「はあっ!」
気合いが込められたパトリシアの声とともに振り抜かれた巨大な鉄棍がヒルデを直撃した。ヒルデは炎を炸裂させることなく前庭の端まで殴り飛ばされた。
「あ、あなた、すごいのね……」
パトリシアの怪力を目の当たりにしたイシルダは目を丸くしていた。
「そんなことを言っている場合ではありません! 聖女はまだ生きています!」
鉄棍を元の大きさに戻していたパトリシアに怒鳴られるとイシルダは慌てて弓を構えた。
ヒルデはむくりと起きあがると三人の敵を見据えた。
「そういえば相手は三人でしたわね」
つい女王に気を取られてしまうが、三対一での戦いだったことを思い出したヒルデは再び前に出た。
「あれをまともに喰らって立ち上がるなんて……」
イシルダは顔をこわばらせた。
「イシルダ、矢を放て!」
バーニスが言った。
「あなたに命じられるのはいやなんだけど……!」
不満を口にしながらもイシルダは再び銀の矢を連射した。
バーニスは短剣で手首を大きく切るとあふれた血を矢の雨に飛ばした。
女王の血に塗れた銀の矢が驟雨と化してヒルデに向かってきた。
血塗られた矢の威力は先ほどとは比べものにならなかった。
ヒルデは数発喰らうごとによろめき、炎のドレスは見る見るうちに削られていった。
それでもヒルデ前に進み続けた。
両手には圧縮した炎を持っている。矢の威力は上がったが、ドレスを削りきられる前に十分近づける。
途中、パトリシアの鉄棍が銀の矢よりも速く伸びてきたが、ヒルデは難なくかわしきった。
そして、射程まで近づくことができた。
ヒルデは口の端をつり上げて両手の炎を解き放った。
圧縮から解放された炎は超高熱の爆風を伴って前庭を一気に焼き払った。
ヒルデが生み出した炎の壁は、噴水にたまっていた水を蒸発させて突き進んだ。
だが、炎の壁に小さな穴が空いた。
壁に穴をあけたのは、豪雨のごとく降り注いだ銀の矢だった。
そして、その穴をこじ開けるようにしてパトリシアが現れた。鉄棍を手にしたパトリシアは女王と同じ血のドレスを纏っていた。
イシルダの連射で弱めた炎をバーニスの血を使ってくぐり抜けてきたことにヒルデが気づいたときには、もう遅かった。
パトリシアは既に鉄棍を振り上げていた。巨大化した鉄棍は女王の血で真っ赤に染まっていた。
「私たちの勝ちです!」
赤い鉄棍は炎のドレスごとヒルデを叩き潰した。
バーニスは血を使って前庭を消火すると、パトリシアに駆け寄った。
「見事だ。よくやってくれた」
ねぎらいの言葉をかけると、パトリシアは少しだけ笑顔を見せた。
「陛下とイシルダ様のおかげです。私一人では決して勝てませんでした」
「それは私もバーニスも同じよ。一人で戦っていたら負けていたわ」
バーニスに続いてやってきたイシルダが言った。
「紅蓮の聖女バルドヒルデ……間違いなく最強の魔術師だった」
パトリシアの一撃で大きく割れた前庭に目を向けるとバーニスは感慨を込めてつぶやいた。
「……あら? なぜ過去形にしましたの?」
地の底から聞こえてきた声に三人は絶句した。
前庭の亀裂から飛び出してきた紅い髪の少女は三人を見て笑った。
「そこまで驚くことですの?」
「あり得ない……私は確かに……」
パトリシアの声は震えていた。
「実を言うとわたくし、今の今までまともに傷を負ったことがなかったんですの。そのせいで気づく機会がなかったのですが、どうもわたくしは傷の治りが早いみたいですわ」
バルドヒルデは具合を確かめるように自分の体を見回していた。
「……化け物……」
イシルダは青ざめていた。
「あらあら、失礼ですわね」
バルドヒルデはくすくすと笑いながら全身を包むように炎を燃え上がらせた。
バーニスは砦での戦闘の時にこれを見たことがあった。だが、バルドヒルデが纏っている炎は明らかに前よりも強くなっていた。
「これをやるときは自滅しないように加減していたのですが、そんなことをする必要はなかったみたいですわね」
「二人とも、伏せろ!」
パトリシアとイシルダに向かって叫ぶと、バーニスは血の壁でバルドヒルデを囲った。
しかし、聖女が解き放った炎は、血の壁などあっけなく突き破ってしまった。
バーニスはうめいた。
なんとか立ち上がることはできたが、体中が悲鳴を上げていた。
「流石は元最強の魔術様、頑丈ですわ」
紅い髪の少女は優雅にほほえんでいた。
「バーニス……逃げて……」
イシルダは立ち上がることさえも出来ないようだった。
「逃げたければご自由にどうぞ。わたくしはあの名前の長い方をじっくり焼いてから追いかけますので」
バルドヒルデは横たわるイシルダを一瞥した。
「見くびるな……! わらわは逃げたりしない!」
「ご立派ですわ」
バルドヒルデはバーニスに拍手を送るとその手に炎を燃やした。炎は剣となった。
炎の剣を手にしてバーニスに近づいてくるバルドヒルデの前に、パトリシアが立ちふさがった。
「させません……! 女王陛下は私がお守りします!」
パトリシアは震える腕を広げてバーニスを守ろうとした。
「やめろ、パトリシア! わらわのことなどいい! お前は逃げろ!」
バーニスは叫んだ。
「お父さんが命を懸けて守ったあなたを見殺しになどできません!」
パトリシアは一歩も動こうとしなかった。
「パティ、頼む、逃げてくれ……わらわはお前まで失いたくないのだ……」
バーニスの目からは涙がこぼれていた。
「……麗しい主従愛ですわ。わたくしも同情を禁じ得ません」
バルドヒルデは炎の剣を振り上げた。
「ですから、二人まとめて燃やし尽くして差し上げますわ」
紅蓮の聖女は慈悲深い笑みを浮かべて炎の剣を振り下ろした。
温かな陽の光が前庭に差し込んできたのはそのときだった。
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