第161話 腹が減った
百パーセントの力を発揮したカエアンは、エイドレスの一挙動ごとに数十もの残像を出現させた。灰色の狼は群となって獲物に襲いかかった。
だが、ツバキもミツヨシも残像にはいっさい惑わされなかった。
二人は目を閉じていたのだ。
「自棄になったか。まあ、肉の味には影響しない。私にはどうでもいいことだ」
エイドレスはツバキから仕留めにかかった。無数の残像で取り囲み、背後から首めがけて鋭い爪を振り下ろした。
獲物の血を手早く抜くための攻撃は、瞬時に振り向いたツバキが持つ刀に弾かれた。
灰色の狼は目を見張った。
八十パーセントのときでもツバキは攻撃に反応しきれず、一方的にやられていた。
にもかかわらず、百パーセントの状態での攻撃には完璧に対応して見せた。
目を閉じたせいで残像が効かなくなっただけでなく、どういうわけか動きまで速くなっていた。
「反射だけで動いているのか……?」
ツバキからいったん距離を取ったエイドレスは、側面から迫ってくるミツヨシを目の端で捉えた。
全く気配を感じ取れなかった上に、ミツヨシの動きもさっきまでとは比べものにならなくなっていた。
「違う。反射ではない。なんだこれは……?」
ミツヨシの抜き打ちはかわしたものの、エイドレスは戸惑っていた。
防御だけでなく、攻撃も出来るということはこちらの殺気に反応して反射的に体を動かしているわけではない。動きを目で見ているとしか思えなかった。
だが、ミツヨシの方もツバキ同様、目を閉じていた。
「私は食事をしたいだけなのだが」
いらだちながらもエイドレスはミツヨシに仕掛けた。
動きは格段に速くなっているが、それでもまだエイドレスの方が速い。
狼の爪と牙でミツヨシを追いつめていった。
しかし、目を閉じているミツヨシの顔にはあせりなど全くなく、自然体のままだった。
エイドレスは構わず攻め続けた。
そして、決定的な好機がやってきた。爪で刀を弾き、ミツヨシの体勢を崩した。
青いキモノの下にある心臓をえぐり出そうとしたエイドレスだったが、本能的に腕を止めて横に飛んだ。
エイドレス自身もなぜそんな行動に出たのかわからなかったが、結果的には賢明な選択だった。
気取られることなくエイドレスの後ろを取っていたツバキが三段突きを放っていたのだ。格段に鋭さを増した三段の突きは狼の鎧をかすめた。
三段突きから逃れたエイドレスは信じがたい思いでツバキとミツヨシを見ていた。
先ほどまでエイドレスはミツヨシとほぼ密着状態だった。
だというのに、ツバキはエイドレスの後ろから三段突きを撃った。
ミツヨシを巻き添えにしても何ら不思議のない状況だったのに、ツバキはためらいもしなかったし、ミツヨシも全く動じていなかった。
実際にはツバキの刀は紙一重でミツヨシには当たらなかったのだが、だからといってふたりがなにごともなかったかのように平然としているのは異様だった。
そしていま、ふたりの剣士は並んで立っていた。どちらも目を閉じたままで。
「これが心眼というやつか? なぜ身体能力まで上がるのかは分からないが、もう我慢も限界だ。食事をとらせてもらうぞ」
エイドレスは食欲の命じるままに百パーセント中の百パーセントの力で食い物にありつこうとした。
それに対して、兄弟はそれぞれの刀を鞘に収め、少し腰を落とした。
狼には二人が全く同じ動きで刀の柄に手をかけるのが見えた。
だが、見えたのはそこまでだった。
気が付いたときには二人とすれ違っていた。
エイドレスには牙も爪も二人を捉えられなかったことがわかっていた。
最高出力のカエアンを上回ったふたりの抜き打ちが自分の体をまっぷたつにしたのもわかっていた。
しかし、それらはどうでもよかった。
「腹が、減った」
狼が感じていたのは空腹だけだった。
エイドレス・ライムホーンを倒したことがわかると、二人は刀を鞘に収めて閉じていた目を開けた。
ツバキはまっぷたつになった狼の死体を見下ろした。
「勝ちはしたが、時間ぎりぎりだったな……」
「ああ。奴が一気に終わらせようとしなければこちらが負けていただろう」
ミツヨシもうなずいた。
「それにしても、あそこで三段突きを出すとは……」
ミツヨシは冷たい目でツバキを見た。
「なんだよ、当たらねえのはわかってただろ」
「わかってしまうのがいやなんだ」
「しょうがねえだろうが。「渾然一体」はそういう技なんだからよ」
「兄貴の心が俺と混じり合うのをしょうがないですませられるか。……思い出すと気分が悪くなってきた」
ミツヨシは口元を抑えてうめいた。
「俺だってお前と混じり合うのなんか気持ち悪くて仕方ねえよ。でもほかにやりようがなかったろうが。あれを使えば、ほんの少しの間だけだが俺たち二人を単純に足し合わせた以上の力が出せるんだぜ。同時に心眼も使うことになるから残像対策にもなるしよ。それともなにか、二人そろってあいつの昼飯になる方がよかったってのか」
「……大儀のためだ。このことは忘れる。だが、あれをやるのはこれで最後だ」
「当たり前だ。俺だって好きでやってんじゃねえんだよ」
「好きでやっていないことくらいわかっている。なにせ俺はさっきまで……」
言いかけたミツヨシが口をつぐんだ。
「とにかく、この話はもう終わりだ」
「ああ。勝ったことだけ覚えときゃあいいんだよ。どうやって勝ったかなんてどうでもいいじゃねえか」
ツバキが言った。
「方針そのものに異論はない。だが、ひとつ問題がある」
「なんだ?」
「どちらがしとめたことにするかだ」
ミツヨシの指摘にツバキは押し黙った。
兄弟はどうやって仲間に説明するのかを話しあいながらその場を後にした。
ジェイウォンを倒したカロルは、巨人の爆発に巻き込まれたワムシュを探しに来ていた。
散乱している巨人の残骸らしき銅褐色の部品を避けながら周囲に目を配った。
大きくえぐられている爆心地と思しき地点には、黒く焼け焦げた巨人が横たわっていた。
その巨人にはひとつの巨大な目があった。焼けていない部分は青い色をしていた。
「ワムシュ……」
カロルは思わず魔術師の名をつぶやいていた。
「お呼びですかな」
後ろから聞こえた声に、カロルは驚いて振り返った。
銅褐色の巨人の部品の下から出てきたのはワムシュだった。真っ白だった髪は灰ですすけていたが、ワムシュであることは間違いなかった。
「生きていたか!」
「どうにかこうにかといったところですな……」
カロルが手を貸して助け起こすと、ワムシュはせき込みながら答えた。
「まさかこのサイクロップスが倒されるとは思いませんでした……ベリット・ブロンダム、道を違えることさえなければ……」
倒れ伏した一つ目巨人を見ながらワムシュは首を振った。
「皇帝陛下、申し訳ありませんが、ワシはもう限界のようです」
「いいんだ。生きていてくれて本当によかった」
カロルは手頃な瓦礫を見つけると、そこにワムシュを座らせた。
「少し休んでいるといい」
「陛下はどうされますか?」
「僕はこの戦いに勝ってくるよ」
そう答えるとカロルはワムシュに背を向けた。
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