第160話 狼という名の紳士

 最高の人形遣いが作り上げた最後の術はクルツの肉体を信じ難いほどの速さと精確さで操った。


 サルトビが仕掛けたものの、クルツは踊るように身をかわした。


 ルシリアから見ても、攻撃が当たる気がしなかった。


 ルシリアはサルトビの相手をしているクルツを背後から攻撃したが、死角からの攻撃も最初からわかっているかのように華麗にかわされた。


「嘘でしょ! どうして……!」


 動揺するルシリアに対して、クルツの長い足が振り上げられた。

 生前とはまるで別物の鋭さを得た人形遣いの蹴りをなんとか盾で受けたルシリアだったが、蹴りに続いて繰り出された掌打はまともにくらった。


 小石のように吹き飛ばされたルシリアが何とか立ち上がると、サルトビが蹴り飛ばされているのが目に入った。


「ニンジャマスター! 大丈夫ですか!」


 ルシリアはサルトビに駆け寄った。


「……問題ないと言いたいところだが……」


 自力で立ち上がったものの、サルトビはよろめいていた。


「あいつ、ほんとに死んでるんですよね……」


「それは間違いない。今のクルツはこちらに合わせてあらかじめ設定した通りの動きをしているだけだ」


「こうまでこてんぱんにやられるとこっちが操られてるような気分になりますけどね」


「同感だが、こちらに有利な点もある。奴は設定されたとおりにしか動かない」


「あいつが想定していた範囲を上回るようなすごい攻撃をしちゃえば倒せるってわけですか」


「そういうことだ」


「言っておきますけど、私はいま人生で一番まじめに頑張ってるのでこれ以上は無理ですよ」


「それは拙者も同じだ」


「じゃあダメじゃないですか」


「そうは言っていない」


 ルシリアが怪訝な顔をすると、サルトビはある作戦を提案した。


「それ、結界がある今の状態でも出来るんですか?」


 話を聞き終わったルシリアが尋ねた。


「問題ない。断ち切られたのは王都と各都市を結ぶ転移網だけだ。転移魔術そのものは今でも使える」


「こんなんでも私って一応は皇女なんで、あんまり雑に扱われたくないんですけど……」


「ほかに手はない。あいつをメチャクチャにしてやりたいだろう?」


「……当たり前じゃないですか」


 ルシリアは酷薄な笑みを浮かべた。


「では、やるとしよう」


 サルトビは印相を組み始めた。


 その動きに反応して、クルツが生気を感じさせないしなやかな動きでサルトビに向かってきた。


「させませんよ!」


 ルシリアはサルトビを守るためにクルツの前に出た。

 両手の盾を高速回転させて飛ばした。周囲の建物は切り刻んだが、クルツの体にはかすりもしなかった。


 ルシリアは舌打ちするとクルツを二枚の盾で左右から挟み撃ちにし、自分自身も正面から突っ込んでいった。


 盾による攻撃は苦もなくかわされてしまったが、クルツの体は無防備になっていた。


 間合いを詰めたルシリアが繰り出した拳はクルツの顔面に吸い込まれるように進んでいき、命中する直前でぴたりと止まった。


「あー、そういえばこれもありましたね」


 突き出した腕にからみついているクルツ自身が伸ばした糸を目にして、ルシリアは苦い顔をした。


 クルツは無表情のまま腕を大きく振ってルシリアの体を放り投げた。ルシリアは倒壊した建物に突っ込まされた。

 クルツの顔がサルトビの方を向いた。

 

 印相を組み終わったサルトビは忍術を発動した。


「お前の驚く顔が見れないのは少しばかり残念だな」


 サルトビは両手にクナイを持ってクルツに挑みかかった。


 忍術が発動してもなにも起きなかったと判断したのだろう、クルツはサルトビだけを見ていた。


 クルツが死体となってからはまるで歯が立たなかった上に、負傷までした今となってはサルトビの攻撃など無意味だった。


 サルトビはあっけなく魔力の糸で拘束された。クルツによる拘束は完璧で、サルトビは指一本動かせなかった。


 だから自由になる目だけを使って上を見た。


 クルツは空を見上げるサルトビを不自然だと判断したらしく、同じように上を見た。


 ルシリアは体をまっすぐに伸ばして両手を脇につけ、空気抵抗を出来る限り小さくして落下していた。

 サルトビの転移魔術で王都上空に飛ばされてから地上に向かって落ち続けていたその体は、本人の力だけでは実現出来ない速さまで加速していた。


 このままではルシリアと衝突すると判断したのだろう。クルツはその場を離れようとした。


 速かったのはルシリアの方だった。


「メチャクチャにしてやりますよ!」


 盾をつけたルシリアの拳は逃げようとしていたクルツを上から打ち抜いた。


 その衝撃はすさまじく、サルトビは小石のように吹き飛ばされた。


 頭を振って起きあがったサルトビが見たのは、王都の頑丈な街路に空いた大穴だった。ルシリアの盾に切り刻まれて半壊状態になっていた建物は、もはや瓦礫の山となっていた。


「サ、サルトビさん……」


 瓦礫の山のひとつからルシリアの声がした。

 サルトビはあわててかけよると、瓦礫をどかして皇女を助け出した。


「やったのか?」


「思い切りぶん殴ってやりましたよ!」


 ルシリアは親指を立てた。


「ただ、ですね、私ももう限界でして、正直言って立ってるのもきついんですよ」


 ルシリアは上目遣いにサルトビを見ながら言った。


「……なにが言いたいのだ?」


「おぶって」


 サルトビは大分悩んだものの、作戦の提案者として責任を取ることにした。


「とりあえず、皆と合流するか」


 ルシリアをおぶってサルトビは歩き出した。


「……サルトビさん、私ってものすごーく頑張りましたよね?」


「……なにが言いたいのだ?」


「ご褒美とか、欲しいなって」


「そういうことは拙者ではなく女王陛下に言ってくれ」


「いやいや、私はサルトビさんにしか出来ないことをお願いしたいんですよ」


「……なにをしろというんだ?」


「ニンニンって言ってください」


 ルシリアの要求を聞いたサルトビはしばらくの間無言で歩き続けた。


「皇女殿下」


「なんです? あっ、出来れば上手い具合にポーズも決めて言ってくれると私としては最高に嬉しいんですけども――」


「落とすぞ」


「いや、いやいや、私たちもう戦友でしょ! それなのにそんな……うそ! やめて! 腕の力抜かないで! 私、皇女! 帝国の皇女だから!」


 ルシリアは必死でニンジャの背中にしがみついていた。




「八十パーセントだと少し足りないかと思っていたのだが、当てが外れたか」


 エイドレスはため息をついた。


「クソッ、あの残像さえなけりゃあ……」


 ツバキは先ほど蹴られたわき腹を押さえながら毒づいた。

 ミツヨシはなにも言わずにまた踏み込んできた。その刀は鞘に収まったままだ。


「奇妙な技だが、奇妙なだけでは意味がない」


 エイドレスはもう一度ため息をついた。


 ミツヨシの右手が刀の柄にかかったかと思うと、いつの間にか刀を持った彼の右手が横薙に振り抜かれていた。


 エイドレスにもこの技を見切ることは出来ていなかったが、そもそも見切る必要などなかった。エイドレスに追えていないのは刀を抜く動きだけだが、相手には狼の動き全てが追えていないのだから。


 ミツヨシの刀が狼の残像を切り裂いたとき、エイドレスは既に刀の間合いの遙か外にいた。そこからカエアンの力で増強された筋力を駆使して肩からミツヨシにぶつかっていった。


 ミツヨシの体は市場にある肉屋の屋台まで飛んでいった。


 次いでツバキを見ると、ちょうど三段突きを撃ってくるところだった。


 エイドレスはカエアンを調整して三段の突きに対して三体の残像を出してやることにした。


「ミツヨシの技よりは実用的だと思うが、大した違いはないな」


 三体の残像に同時に突き刺さるツバキの刀を眺めながら、エイドレスはツバキを蹴り飛ばした。


 ツバキの方は八百屋の屋台に突っ込んでいった。


「私が言うのもなんだが、せっかく二対一なのだから協力したらどうだ?」


 エイドレスが聞いた。


「狼にそんなことを言われるとは思わなかったぜ」


 崩れた屋台から這い出てきたツバキが言った。


「全くだ」


 ミツヨシも立ち上がっていた。


「勘違いされることが多いのだが、狼は群で狩りを行うんだ。共通の目的のために協力するのは合理的だろう?」


 エイドレスが言った。


「理屈くらいわかってるけどよ、俺らは反りが合わねえんだよ」


「俺もそう思うが、そうも言ってられん。協力するしかない」


 ミツヨシの言葉に、ツバキは眉をひそめた。


「兄貴だってわかっているだろう。俺にも兄貴にも、こいつは倒せない」


 そう言われてツバキは渋い顔をした。


「認めたくはねえんだけどな……アルヴァンでなけりゃ何とかなると思ってたんだが……」


「あいつほどではないが、私もそれなりに出来るからな」


 エイドレスはくつくつと笑った。


「俺はグロバストン王国で一番の剣士なんだが……こいつの方は帝国で二番目だけどよ」


「ロプレイジには皇帝陛下がいることくらい兄貴だってわかっているだろうが。だいたい、そちらの女王だって剣を持てば兄貴より上なんじゃないか?」


「一応は俺が一番ってことになってんだよ。余計なこと言うんじゃねえ」


 ミツヨシに対してツバキも言い返した。


「……なんだ、仲良く出来るじゃないか」


 エイドレスは笑いをこらえながら言った。


「どいつもこいつも同じようなこと言いやがって」


「全く持って腹立たしい」


 二人はそろって刀を構えた。


「私が気分を害してしまったのなら詫びよう」


「ずいぶんと紳士的じゃねえか」


 ツバキはエイドレスの態度をいぶかしんでいた。


「なに、食材には敬意を払うことを心がけているだけだ」


 エイドレスは牙を見せて笑った。


「さて、もう十分だろう。私は獲物をいたぶったりしない。肉が傷むからな。狩りはもう終わりだ。……ここから先は食事の時間だ」


 エイドレスの口の端からはよだれが垂れていた。


「せっかくの機会だ。このカエアンの全力を出してみるとしよう」


 エイドレスの体を覆う鎧で赤い光が明滅する間隔がどんどん短くなっていき、真っ赤に光った状態のままになった。


「百パーセントだ」


 灰色の狼は腰を落として獲物を見た。


「……死ぬことなんて恐くはねえけどよ」


「俺たちが負ければ、この獣が野に放たれる」


 ツバキに続いてミツヨシが言った。


「……やるか」


「ああ」


 兄弟はうなずきあった。

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