第153話 王冠を求めて

 バーニスはワムシュの魔術で魔力を感知されないようにした上で、王都北西の王国軍司令部の前に来ていた。

 同行しているのはパトリシアにカロル、そしてイシルダだった。

パトリシアはいつも通りのエプロンドレスだが、カロルとイシルダはかつて戦場で合いまみえたときと同じように帝国の紋章が描かれたマントをつけていた。


「やつらもこちらを逃がすつもりはないようだ」


 バーニスは王都の防壁から立ち上る黒い魔力を見上げた。


「……信じられない……これをやったのが私たちと同じ人間だなんて……」


 アルヴァンの力を目にしたイシルダは、両腕で自分の体を抱くようにしていた。


「これが彼の力か」


 バーニスの隣でカロルがつぶやいた。


「アルヴァンはフィーバルを狙う可能性が高いですが、彼ひとりで大丈夫でしょうか?」


 パトリシアは不安を感じているようだった。


「案ずるな。フィーバルならばアルヴァンが相手でも持ち堪えてくれる」


 バーニスが言った。


 フィーバルがアルヴァンを足止めし、その間にバーニスたちが手分けして終の戦団の幹部たちを倒す。そして最後に残ったアルヴァンをしとめる。

 これがバーニスたちの方針だった。


「我々は我々の務めを果たすのみだ」


「おやおや、皇帝を探していたのだが、女王まで見つかるとは。大当たりじゃな」


 その若い男の声は楽しげだった。


 バーニスたちはさっと身構えた。


「ジェイウォン・ミラーズ……」


 パトリシアは砦で戦ったその男の名をつぶやいた。


「嘘でしょう……だって、彼は……」


 イシルダは驚きに目を見張っていた。


「間違いないよ、姉さん。あれはコルビンじゃない。ミラーズだ」


 カロルは若く体格のいい男を油断なく観察していた。


「その通り。ワシはジェイウォンじゃよ、皇女殿下。お前さんは相変わらず弟にひっついているようじゃな」


 ジェイウォンは蔑むようにイシルダを見ていた。


「……ミラーズ、私たちを裏切ってただですむとは思わないことね」


 イシルダは気丈に言った。


「なにを言うかと思えば……ただですんでおらんのはそちらの方じゃろう」


 ジェイウォンは呆れた顔で首を振ると、今度はバーニスに目を向けた。


「それで、護衛隊長の次は侍女を死なせに来たわけか。流石は世に名高いバーニス・マルフロント・グロバストンじゃな。ところで、グラン・モーランの葬式は済ませたのか? 死体が必要ならアルヴァンの奴に頼めば出してくれると思うぞ」


 ジェイウォンは愉快そうに笑っていた。


「貴様……!」


 バーニスの中で怒りと憎しみが一気に膨れ上がった。


「殺してやる……!」


 パトリシアも血走った目でジェイウォンをにらみつけた。


 グランをあざ笑った相手の息の根を止めてやろうとしたバーニスとパトリシアだったが、カロルに制止された。


「彼は僕ひとりでやるよ。身内の不始末は身内で片づけさせてくれ」


 口調は穏やかだったがカロルの態度は断固としていた。


「今のあなたたちは冷静じゃないわ。私たちは復讐しに来たんじゃないのよ」


 言葉は厳しかったが、堅くこわばった顔を見ればイシルダも憤りを必死で押さえ込んでいるのはすぐにわかった。


「……申し訳ありませんでした」


 先に詫びたのはパトリシアの方だった。


「パティ、お前は悪くない。わらわも冷静ではなかった」


 バーニスも己の誤りを認めた。怒りに突き動かされて失敗するようではグランに笑われてしまう。


「カロル、本当にひとりでいいのね?」


 イシルダが尋ねた。


「僕ひとりで十分だよ。彼もそれを望んでいる」


 カロルはなにも言わずに成り行きを見ているジェイウォンを見据えていた。


「わかったわ。ここはあなたに任せる。私の分もそいつにお見舞いしてやってちょうだい」


 イシルダが言った。


「それは無理かな。僕の怒りをぶつけるだけで終わるだろうから」


 カロルの穏やかな瞳は冷たい光を帯びていた。


「……ふたりとも、行きましょう」


 イシルダに促され、バーニスとパトリシアは王宮の方へと向かった。



 カロルとジェイウォンの姿が見えなくなると、パトリシアが口を開いた。


「イシルダ様、先ほどの皇帝陛下は……」


 走りながらもパトリシアは後ろを振り返っていた。


「ああ、あなたはカロルが怒ったところを見るのは初めてなのね」


 戸惑いを隠せないパトリシアを見て、イシルダはくすくすと笑った。


「あやつが怒りを露わにしたところなどわらわも一度しか見たことがない」


 バーニスが言った。


「私が戦場であなたに殺されそうになったときね。懐かしいわ……」


 イシルダは遠くを見るようにしてつぶやいた。


「お二人で戦ったことがあるのですか!」


 パトリシアは目を丸くした。


「あまり多くはないけどね」


 イシルダがうなずいた。


「わらわがイシルダを追いつめたのだが、とどめを刺そうとしたときにカロルが現れたのだ」


 バーニスが言った。


「あのときのカロルはもう本っ当にかっこよかったわ……」


 イシルダは恍惚とした表情で思い出に浸っていた。


「わらわにとっては何よりも恐ろしい体験だったがな」


 バーニス・マルフロント・グロバストンが戦場で死を覚悟したことは二回しかない。

 ひとつは先日の砦での戦闘においてアルヴァンに追いつめられたとき。


 そして、もうひとつがカロル・ロストム・ラグナイルを本気で怒らせてしまったときだった。


「あの皇帝陛下にそのような一面があるだなんて……」


 パトリシアは話を聞いても半信半疑のようだった。


「そういう反応になるのも無理ないわ。カロルがいまいち頼りないのも確かだしね。まあ、そこがいいんだけど」


 イシルダはくすくすと笑った。


「あいつは誰よりも優しく、誰よりも強いのだ」


 それこそがバーニスにとってのカロルだった。



 ジェイウォンは歓喜に震えていた。


「お前さんを初めて見た日のことは今でもよく覚えておるよ。皇帝はおろか村長さえも務まりそうにない、血筋がいいだけの出来損ない。誰もがそんな風に言っておった。じゃが、ワシには一目でわかった。お前さんの秘めたる力がな」


 嘘偽りない本音だったが、それを聞いてもカロルは無表情だった。

 だが、そんなことはジェイウォンにとってどうでもよかった。


「そして、お前さんの力を見抜くと同時に、ワシにはこの相手と全力で戦う日が訪れないことを悟った。破壊の奥義を極めたところで年には勝てん。お前さんは成長していったが、とうに峠を越したワシの体は衰えていくばかりじゃ。この二十年は悪夢のような日々じゃったよ。刻一刻と弱っていくこの体は、最強であるお前さんからどんどん離れていく……耐え難かった。ついに、ワシはあきらめた。五帝剣を退き、弟子をとった。そうやって現実を受け入れたとき、ワシに転機が訪れた」


「ローゼンプールでのアルヴァンとの出会いか」


 カロルに言われて、ジェイウォンはおもむろにうなずいた。


「いかにも。簒奪する刃のことはだいぶ前にワムシュから聞いたことがあったんじゃ。アルヴァンが持っているのが失われたはずの遺物であることはすぐにわかった。遺物の力もさることながら、アルヴァン本人も面白い奴じゃったよ。奴が連れておるほかの連中もな。そうして、一度は消えた火が再び灯った。あの遺物の力を使えばコルビンの体を奪えるのではないか。そう考えてしまうと、ワシにはもう自分を抑えることなど出来はしなかった。若い肉体さえあれば、ワシはお前さんに挑むことが出来る。そして、証明できるのじゃ。ジェイウォン・ミラーズこそが最強であるとな」


 ジェイウォンがコルビンの体を奪ったのはこのときのためだった。

 世界最強の男、剣帝カロル・ロストム・ラグナイルを倒し、最強という名の王冠を手にする。


 それこそがジェイウォンのすべてだった。


「さてと、おしゃべりはもう十分じゃろう。どちらがもっとも強いのかを決めようではないか」


 ジェイウォン・ミラーズは構えた。最強の存在に挑める喜びを噛みしめながら。


「……確かにおしゃべりはもう十分だ。お前の世迷い言は聞き飽きた」


 カロルの声は冷ややかだった。

 その目には嫌悪感しか宿っておらず、顔は不快そうにゆがめられていた。


「世迷い言じゃと……ワシの宿願を愚弄するつもりか?」


 ジェイウォンはいらだった。

 夢にまで見たこの瞬間に水を差されるとは思ってもみなかった。


「お前は力に酔っているだけだ。強さだけを追い求めても得られるものなんてなにもない」


 カロルは首をふった。


「ワシが空虚だと言いたいのか」


 ジェイウォンはもう喜びなど感じていなかった。

 最強の王冠を賭けて戦おうというときなのに、感じているのは怒りと不満だけだった。二十年間つきまとい続けたその二つの感情は、今がもっとも強く感じられた。


「違う。お前は哀れだ」


 カロルの顔は悲しげでさえあった。


 ジェイウォンは自分の中で何かが壊れるのを感じた。


「……もういい。もううんざりだ。ワシはお前を殺す。そして、最強となるのじゃ」


 ジェイウォンは奪い取った若く力強い体に、最強を求めて磨き続けてきた技をもって魔力を行き渡らせた。


「僕はお前を倒してアルヴァンを止める。大切な人たちとともに明日を迎えるために」


 カロルの胸元でペンダントが光り輝いた。陽光のごとき温かな光は、剣と化して左右の手に収まった。


「僕の力は、この煌めきの涙滴は、そのためにある」


 剣帝は光でできた長剣を両手に構えた。


「ワシの力を見せてやるぞ。カロル・ロストム・ラグナイル!」


 最強へと挑みかかるジェイウォンの顔は憎しみにゆがんでいた。

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