第146話 つないだ手は離さない

 千里眼でグロバストン王国軍が追い詰められているのを見たレデフ・ワムシュは、すぐに空間転移による王国軍の救出を願い出た。カロルは即座にそれを承認した。

 戦場に転移したワムシュは間一髪でアルヴァンからバーニス達を助け出したのだが、帝都の宮殿に戻ってきたのはワムシュとバーニス、それにパトリシアだけだった。


 サルトビ、ツバキ、そしてフィーバルはサルトビの術が中途半端に完成していたせいでどこか別の場所に転移したと思われた。


 そしていま、ロプレイジ帝国の宮殿ではグロバストン王国の女王の怒鳴り声が響いていた。


「今すぐわらわを砦まで送り返せ!」


 バーニスはワムシュに詰め寄った。


「女王陛下、それは……」


 ワムシュは助けを求めて主君であるカロルを見た。


 カロルは首を横に振った。


「ダメだよ、バーニス。君を送り返すことは出来ない。今回の転移はワムシュにもかなりの負担がかかっている。もう一度あちらに送るのは無理だ」


 カロルははっきりと言った。


「そちらの都合など聞いておらぬ! わらわは送り返せと言ったのだ! これは命令だ!」


 バーニスは金色の指輪がはまった右手をカロルに向けた。

 その場にいたイシルダとルシリア、ミツヨシがカロルを守ろうとバーニスの前に立ちふさがった。


「バーニスさん、流石にそれは冗談じゃすまないですよ」


 ルシリアは冷たい目をしていた。


「わらわが冗談を言っているように見えるか?」


 バーニスは一歩も引かなかった。


「グランさんのことは残念だったわ……でもね、あなたまで死なせるわけにはいかないの。お願いだから冷静になって」


 イシルダは沈痛な面持ちをしていた。


「あなたまで……だと……グランは死んではおらぬ! わらわはグランを助けに行かねばならんのだ! それを邪魔立てするのなら、お前達といえども容赦は――」


 イシルダの言葉にバーニスは激高した。カロル達に向かって一歩踏み出そうとしたとき、パトリシアがバーニスの前に出た。


「いい加減にしてください。私達は皇帝陛下に助けられたのですよ。ワムシュ様が駆けつけてくれなければ私達は全滅していました。だというのに、陛下の振る舞いはなんですか。こんなみっともない真似は今すぐおやめください」


 パトリシアはため息をつくと、普段と全く変わらない冷めた口調で言った。


「みっともないだと!」


 バーニスは殺意すら込めてパトリシアをにらみつけた。


「他になんと言えばいいのですか。グラン・モーランはその命と引き替えに女王陛下を守ったのです。それなのにのこのこと戻るですって……バカなことを言わないでください」


「グランを助けに行くのがバカなことだというのか!」


「最初からそう言っております。グラン隊長は死にました。陛下が戻ったところであの青年に殺されるだけです。陛下を無駄死にさせるわけにはいきません」


「わらわの命などどうでもよい! なんとしてもグランを助け――」


 そこまで口にしたところで、バーニスはパトリシアに頬を張られた。


「自分の命がどうでもいいですって…………ふざけたことを言うな! お父さんはあなたを守るために死んだのよ!」


 パトリシアは泣きながら叫んでいた。


「お父さんの死を無駄にするなんて私は絶対に許さない!」


 パトリシアはバーニスにつかみかかろうとしたが、イシルダとルシリアが止めに入った。


「パティさん、やめてください」


「もう十分よ」


 ふたりに抱き止められたパトリシアは泣き崩れた。


「お父さんが……お父さんが……」


 泣きじゃくるパトリシアを、イシルダとルシリアは優しくなだめていた。

 バーニスは、普段の様子からは想像も出来ないパトリシアの姿を呆然と見ていることしか出来なかった。



 その後、バーニスはミツヨシから宮殿にある客室に案内された。

 ミツヨシが一礼して部屋を出て行くとバーニスはベッドに腰掛けた。そして、ただぼうっと虚空を眺めていた。


 どれほど時間が経ったのか分からないが、部屋の扉が控えめにノックされた。バーニスはのろのろと立ち上がると、扉を開けた。


 目の前に立っていたのはカロルだった。


「入ってもいいかな?」


 カロルに問われてバーニスはうなずいた。

 バーニスはまたベッドに腰掛け、カロルは部屋にあった椅子に座った。


「パトリシアさんはもう眠ったそうだ。念のために姉さんとルシリアに付き添ってもらってる。ワムシュには宮殿に転移させられなかったツバキさんにサルトビさん、それにフィーバルを探すように命じておいた。ただ、ワムシュも限界でね。ツバキさん達を探すのは彼が回復してからになる」


 カロルが状況を説明した。


 バーニスはなにも答えずにただ目の前だけをじっと見ていた。


 どのくらいそうしていたのかもわからなくなったころ、バーニスは誰にともなく言った。


「わらわは最低だ」


「あのときの君の振る舞いはちょっと擁護できないね」


 カロルは苦笑いを浮かべた。


「死ぬ間際、グランはわらわに仕えられたことが自分の誇りだとまで言ってくれた。だというのに、グランに命を救われたわらわは分別のない子供のように駄々をこねた。挙げ句の果てにはグランの遺志を踏みにじり、目の前で父親を亡くしたパトリシアを深く傷つけてしまった……自分自身が嫌になる」


 バーニスは笑った。こんなにも愚かな人間のことなど、笑わずにはいられなかった。


「グランはわらわを止めようとしていたのだ。アルヴァンは危険だ。慎重に事を進めねばならないと言ってな。だが、わらわはグランの言葉をはねつけた。あろうことか、あのグランに対して黙って命令に従えと言った。わらわを守るためならば命をもなげうつ覚悟を決めていたグランに対して……今回の失態はなにもかもわらわのせいだ」


 己の言動を思い返す度に、バーニスの心は深くえぐられた。


「そうだね。これは君の責任だ」


 カロルはうなずいた。


「そもそも、クルツを殺したところであの子達が帰ってくるわけではないのだ。わらわはクルツを取り逃がした無能な女王でいることに耐えられなかったのだ。自分は愚かな君主ではない。民を守り、敵を倒す素晴らしい女王なのだ。わらわはそれを証明せずにはいられなかった。その結果、わらわはたくさんのものを失った。かけがえのない、大切なものを……」


 バーニスはもう笑ってはいなかった。あまりにも愚かな自分のことが憎くてたまらなかった。


「わらわは最低の人間だ」


 アルヴァンよりも、クルツよりも、バーニスは自分自身を殺したかった。


「そうだね。君は最低の人間だ」


 カロルは椅子から立ち上がった。


「バーニス、君は逃げだそうとしている。自分が招いてしまった結果からね。君には自分自身を憎んでいる暇なんてない。グランさんは君を守って死んだ。そして、パトリシアさんはグランさんの選択を受け入れた。それなのに、君は自分が失敗したことが受け入れられないから逃げだそうとしている。バーニス、もし君が逃げ出すのなら、僕は心の底から君を軽蔑する」


 カロルは穏やかとさえ言える声音でバーニスを糾弾した。


「……お前は厳しいな」


 バーニスは力なく笑った。カロルの言うとおりだった。どれほどつらくとも逃げることなど許されないのだ。


「みんなからは甘いとか頼りないとか言われるけどね」


 ロプレイジ帝国の皇帝はそう言って笑った。


「カロル……わらわは恐くてたまらない。わらわのせいでたくさんの人々が死んだ。わらわにはとても背負いきれない」


 バーニスは震える声で言った。


「大丈夫だよ。僕も背負う。それに、姉さんやルシリア、ミツヨシにワムシュも背負ってくれる。もちろん王の手の人達やグロバストン王国の人達も――」


 カロルは指折り数えながら言った。


「そこは『僕も背負う』だけでやめておくべきだろう」


 バーニスは思わず呆れてしまった。


「あー、こういうことを言うから僕は頼りないって思われるんだね……」


 カロルは少しばかり肩を落とした。


「そうだろうな。……だが、お前は頼りなくなんかない」


 つい笑ってしまったが、バーニスは改めてカロルを見た。


「お前と一緒なら、わらわは恐くない」


 バーニスはカロルの手を取った。


「うん。僕も君と一緒なら恐くないよ」


 バーニスが握った手を、カロルはぎゅっと握り返した。


「戦おう。僕達で彼らを止めるんだ」


 カロルの言葉に、バーニスは力強くうなずいた。


「……で、ふたりとも、いつまで手を握り合っているつもりなのかしら?」


 不意に聞こえたのはイシルダの声だった。


「イ、イシルダ! お前がなぜここに! パティに付き添っているはずでは……」


 バーニスは驚いてイシルダを見た。いつの間にか部屋の扉が開いていた。

 イシルダは音もなく扉を開けて、バーニスに気づかれることなく部屋の中に入っていたのだ。


「なぜって、カロルに言われたのよ。パトリシアにバーニスが立ち直るのを見せてやらないといけないから、彼女を連れて部屋の前で待っていろってね。そこまではいいのよ。でもね、私はあなたとカロルが他に誰もいない部屋でお互いを見つめながら手を握りあうことまで許した覚えはないの」


 イシルダは怒りに燃えていた。


「うそでしょ……全部バラすとか……姉さんどこまで空気読めないんですか……」


 慌てて部屋に入ってきたルシリアは、イシルダの振る舞いに衝撃を受けていた。


 バーニスはあっけにとられてカロルを見た。


「ああ、うん、まあ、そういうことなんだ……」


 カロルは困ったように笑っていた。


「では……パティもいるのか……」


 バーニスがそう言うと、扉の影からおずおずとパトリシアが出てきた。


「私はここまでしなくていいと申し上げたのですが、皇帝陛下がどうしてもと……」


 パトリシアは言いにくそうだった。


「カロル……お前……」


 バーニスは黒幕の男をじろりと睨んだ。


「まあ、ほら、僕のことは気にしないでもらえると……うれしいかな……」


 カロルはバーニスから目をそらした。


 バーニスは一言言ってやろうと思ったのだが、それよりも先にパトリシアが口を開いた。


「陛下、私の言動は到底許されるものではありません。いかなる処罰も――」


「バカなことを言うな。悪いのはわらわだ。パティ、父親を亡くしたお前の気持ちも考えずに身勝手なことをしたわらわを許してくれ」


 バーニスはパトリシアの言葉を遮って深く頭を下げた。


「……あのとき、お父さんは陛下にお仕えできたことは自分の誇りだと言っていました」


 パトリシアがぽつりと言った。闇に飲まれるグランの姿が蘇り、バーニスは胸を締め付けられた。


「バーニス・マルフロント・グロバストン女王陛下、父があなたにお仕えしたことは私の誇りです」


 パトリシアはバーニスの前にひざまずいて言った。泣きはらして赤くなったパトリシアの目には、また涙が浮かんでいた。

 だが、パトリシアの顔は晴れやかだった。


「パティ……」


 バーニスも涙ぐんでいた。


「ふたりとも……よかったわね……」


 イシルダは口元を手で押さえながらボロボロと泣いていた。


「ちょっと、なんで姉さんが一番泣いてるんですか……」


 ルシリアも少しばかり目が赤かったが、イシルダの泣き方には呆れていた。


「うるさいわね……勝手に出てくるんだからしょうがないじゃない……それはそうと、バーニス、いい加減カロルの手を離しなさい」


 鼻をすすりながらイシルダが指摘した。


「この状況でもそれを言うんですか……」


 カロルはため息をついたが、バーニスの手を離そうとはしなかった。

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