第145話 口は災いの元

 エイドレスは霧のせいで戦っていたツバキから逃げられてしまっていた。

 マヤと思われる人物がバルドヒルデに化けていることを知らせるべく、エイドレスは匂いをたどってアルヴァンの元へ向かったのだが、途中で霧が晴れた。


 アルヴァンの魔力が突如として膨れあがったのはそのすぐ後だった。


 さらには地面が黒く染まり、死んだはずのフェイラム伯爵の兵がわき出てきた。

 蘇った伯爵の兵は王国軍を襲っていた。


 その様子を眺めつつ、灰色の狼は禍々しい魔力が強くなる方向へと走っていった。

 そして、エイドレスは足を止めた。


「お前には驚かされてばかりだな」


 呆れながらも、灰色の狼は笑っていた。


 エイドレスはいま、地面に広がる巨大な裂け目の縁に立っていた。

 その裂け目は王国の砦よりも幅が広かった。


 分かるのは幅の広さだけだった。


 裂け目がどれだけの深さなのかも、どこまで裂け目が続いているのかも、目視では見当がつかなかった。


「いやはや……」


 エイドレスに遅れてやってきたジェイウォンはかぶりを振った。


「……すっごい……」


 続いてやってきたクルツは興奮を抑えきれず笑っていた。


「これでこそわたくしのアルヴァン様ですわ」


 エイドレスが振り向くと、そこには紅い髪の少女がいた。


「……どうかされましたの?」


 紅い髪の少女は首をかしげた。


「どうも本物らしいな」


 エイドレスが言った。


「あら、狼さんもこのクソ女さんに会っていましたのね」


 バルドヒルデはそう言って足下に転がっている黒い塊に目を落とした。


「その黒いのが私の会った人物なのかは判断がつかないが、とりあえずお前が本物のバルドヒルデなのは分かる」


 エイドレスはうなずいた。


「あらあら、随分な自信ですわね」


「ああ。私が会った女には確かな知性が感じられたからな」


「わたくし、急に毛皮のコートが欲しくてたまらなくなりましたわ……灰色のやつが」


 バルドヒルデはにこやかに言ったが、その目は全く笑っていなかった。

 エイドレスはそれを無視してアルヴァンに向き直った。


「一体なにが起きたんだ?」


 エイドレスが尋ねると、アルヴァンは困ったように笑った。


「ええと、どこから説明しましょうか……」


 大地を割った簒奪する刃を腰に戻すと、アルヴァンは霧が出てからの一部始終を語り出した。



「ふうん。君が大丈夫だって言ってたのは、マヤの術が剣からフィーバルを引きはがすものだと気づいていたからだったからなんだね」


 砦の会議室の椅子に腰掛けたグレースは戻ってきたアルヴァンの話を聞くと、目を細くした。既に日は傾いており、会議室の窓からは西日が差し込んでいた。


「そうですね」


 アルヴァンはうなずいた。


「ボクらはグロバストン王国軍を退けた。上手くいった以上、文句は言わないけど、今度からはちゃんと言っておいてほしいものだね。ボクは君のことを本当に心配していたんだから」


「気をつけます」


 アルヴァンは言った。


「それはそれとして、ヒルデ君はいつまでアルヴァン君にくっついているつもりなのかな?」


 グレースはアルヴァンの腕を取っている紅い髪の少女をじろりと睨んだ。


「いつまでもに決まっていますわ。あなたも聞いたではありませんか。アルヴァン様は卑劣な罠にかけられ、一度は倒れたもののわたくしの呼びかけに応え、迫り来る凶刃からわたくしを守るために愛の力で再び立ち上がったのです。もはやわたくしたちは結ばれたも同然ですわ」


 ヒルデはがしりとアルヴァンの腕を掴んだまま言った。


「呼びかけに応えたもなにも、剣からフィーバルを引きはがされたときの反動から立ち直るのに少しばかり時間がかかっただけじゃろう」


 ジェイウォンが呆れたように言った。


「凶刃ったってあたしらは殺されても文句言えないようなことしかやってないしな」


 ベリットが言った。


「ヒルデちゃんだって女王様相手に頑張ったんだから夢くらい見させてあげなさいよ」


 クルツは笑いを堪えながら言った。


「あれだけ息巻いていたにも関わらず、女王は取り逃がしたがな」


 腕を組んでエイドレスが言った。


「……どいつもこいつも……」


 好き勝手に評されたヒルデはぎりぎりと奥歯を噛みしめた。


「ヒルデ」


 アルヴァンに呼ばれたヒルデはぱっと顔を輝かせた。


「なんでございますか?」


 ヒルデはとびきりの笑顔で尋ねた。


「そろそろ手を離してもらえないかな。ちょっと動きにくいから」


 アルヴァンの言葉に、ヒルデはへなへなとくずおれた。


「アルヴァン殿がさらなる力を得たことは喜ばしいものの、女王や王の手達を取り逃がしてしまったのは少々残念でしたな」


 グレースの肩にとまっていたローネンが言った。


「グランさんしか仕留められませんでした」


 アルヴァンは申し訳なさそうに言った。 


「なに言ってるのよ。相手は王の手の隊長よ。大手柄に決まってるでしょ」


 呆れた顔でクルツが言った。


「ワシもグラン・モーランとは何度か相まみえたが、仕留めることは出来なかったからな」


 ジェイウォンが言った。


「アルヴァン様が高齢者よりも優秀なのは当然ですわー」


 ヒルデが口を挟んだ。


「この小娘はいつもいつも……」


 ジェイウォンは拳を握りしめた。


「あと一歩のところで白髪の爺さんが現れたんだっけか」


 先ほどのアルヴァンの説明を思い出しながらベリットが言った。


「そうだね。その人がグランさん以外の全員を転移させたみたいなんだ」


 アルヴァンはうなずいた。


「ジェイウォン殿」


 ローネンはかつて五帝剣の一角を担った男に目を向けた。


「うむ。お前さんの考えているとおりじゃろう」


 ジェイウォンは鷹揚にうなずいた。


「あらあら、やっぱりアイツなの? どうにもおかしなことになってきたわね」


 二人のやりとりを見ていたクルツが言った。


「心当たりがあるのか?」


 エイドレスが聞いた。


「ああ。アルヴァンが見たのはレデフ・ワムシュで間違いない」


 ジェイウォンが言った。


「誰ですの?」


 ヒルデが首をかしげた。


「お前どんだけ世間知らずなんだよ……」


 ベリットは思わず天を仰いだ。


「僕も分からないんだけど……」


 アルヴァンは言いよどんだ。


「マジか……」


 ベリットは助けを求めるようにグレースを見た。


「このふたりは特殊な環境で育っているからね」


 グレースは苦笑していた。


「レデフ・ワムシュっていうのはそこのジイさんと同じでロプレイジ帝国の皇帝直属の部隊、五帝剣のメンバーなのよ」


 クルツが説明した。


「帝国では並ぶ者のない最高の魔術師ですのう」


 ローネンが付け加えた。


「そういえばフクロウさんは帝国の出身でしたわね。きれいさっぱり忘れていましたわ」


 ヒルデが言った。


「私もすっかりこの体に馴染んでおりますからのう」


 夢にまで見ていた鳥類の体を手に入れたローネンはどこか誇らしげだった。


「なあ、ローネンってそのうち完全に鳥になって、しゃべれなくなったりすんの?」


 ベリットがアルヴァンに聞いた。


「そのあたりは僕もよく分からないんだ」


 アルヴァンはそう答えた。


「ただの鳥になっちまう可能性もあるのか……やっぱりバラすなら今のうちか」


 メガネの奥のベリットの瞳が不気味に光った。


「しゃべれなくなってしまったら用済みですし、気兼ねなく非常食に出来ますわね」


 ヒルデはポンと手を打った。


「ろくでもない二択を迫るのはやめて欲しいですのう!」


 ローネンは羽を打ち鳴らして抗議した。


「ローネンの処遇はさておき、女王達を助けに来たのが帝国の最高戦力というのは奇妙だね」


 グレースが言った。


「単に助けただけではない。タイミングが良すぎる。ワムシュは戦場の様子を見ていたとしか思えん」


 エイドレスが言った。


「ワムシュは魂の管理者と契約を結んでおる。そのおかげでやつは強力な術が使える。帝都からでもこの砦での戦いの様子を見ることは出来たはずだ」


 ジェイウォンが言った。


「見てたのはいいけど、なんで助けに入ったんだ?」


 ベリットが聞いた。


「王国と帝国って仲が悪いのではありませんの?」


 ヒルデも首をかしげていた。


「グロバストン王国とロプレイジ帝国は元をたどるとひとつの巨大な国、アイボルーブ王国にいきつくんだ。ただ、アイボルーブ王国は内乱で滅んだと言われている」


 グレースが言った。


「で、アイボルーブ王国が崩壊して生まれたのがグロバストン王国とロプレイジ帝国なのよ。成立の過程が

過程だから、王国と帝国は出来たばかりの頃からケンカばっかだったのよ」


 クルツが説明した。


「だが、いまは停戦状態だろう?」


 エイドレスが尋ねた。


「そうじゃ。二十年ほど前に帝国は王国への侵攻を開始した。当初は帝国が優勢だったんじゃが、そこにバーニス・マルフロント・グロバストンが現れた」


 ジェイウォンが言った。


「帝国に追い詰められていた王国は王家に伝わる遺物、知ろしめす指輪を使える人間を血眼になって探したの。そして、指輪に選ばれたのは王族の私生児で孤児院育ちのあの女だったってわけ。アタシも当時から王国軍にいたんだけど、あの薄汚いガキはあっという間に王国の英雄になっちゃったわ」


 クルツが言った。


「今度は帝国の方が追い詰められた。帝国はバーニスに対抗するために遺物を探し回った。当時はかなりの無茶もやったな」


 懐かしむようにジェイウォンが言った。


「その無茶の一つがアルヴァンが育った隠れ里を生んだわけか」


 エイドレスが言った。


「そういうことじゃな。じゃが、帝国は窮地を脱した。帝国に伝わる最強の遺物、煌めきの涙滴にカロル・ロストム・ラグナイルが選ばれたんじゃ。血筋は良かったものの、カロルは周囲から出来損ない扱いされておったんじゃが……」


「あのボーヤが出来損ないだなんて、たちの悪い冗談にしか聞こえないわ」


 クルツは苦い顔で言った。


「『剣帝』カロル・ロストム・ラグナイル。世界最強と謳われるお方ですのう」


 ローネンが言った。


「当時の帝国はカロルの力でバーニスを押し戻したんだ。あのふたりの戦いは壮絶なものだったそうだね」


 グレースはクルツを見た。


「あんなの戦闘じゃないわ。ただの天変地異よ……まあ、なんにしてもボーヤと女王様の戦いに決着はつかなかったの。結局、王国と帝国は停戦に合意。ここ十五年くらいは間にワイルドヘッジを挟んでにらみ合ってる……はずだったんだけど」


「どういうわけか、グロバストンの女王の危機にロプレイジの皇帝直属の魔術師が駆けつけたわけか」


 クルツの言葉を次いでエイドレスが言った。


「ワムシュが独断でこんなことをするわけがない。理由は分からんが、女王と皇帝が手を組んでいると考えるほかあるまい」


 ジェイウォンが言った。


「他人事みたいに言ってるけどさ、爺様はなんか知らねえの?」


 ベリットは『五帝剣』の一員だった男に尋ねた。


「ワシはなにも知らん」


 ジェイウォンは首を横に振った。


「クルツの方は?」


 ベリットは元『王の手』にも聞いてみた。


「アタシも知らないわ」


 クルツの反応も同じだった。


「そっか、お前ら、信用されてなかったんだな……」


 ベリットは少し悲しげに祖国を裏切ったふたりを見た。


 クルツとジェイウォンは互いに目配せした。


 ジェイウォンは軽く腕を振り、浸透勁を応用してベリットのメガネを弾き飛ばした。

 クルツはすかさず魔力の糸を伸ばしてベリットのメガネを捕らえた。


 ベリットはメガネに手を伸ばしたが、クルツが巧みに操るメガネは生き物のように逃げ続けた。


「あたしは本当のことを言っただけだろうが! メガネ返せ!」


 ベリットは逃げるメガネを追いかけながら叫んだ。


「言っていいことと悪いことの区別をつける良い機会だ」


「そういうことよ、メガネちゃん」


 ジェイウォンとクルツは冷ややかに言った。


「あのふたりの大人げなさはともかく、厄介な状況になったな」


 クルツとジェイウォンを横目に見ながらエイドレスが言った。


「そうですね」


 アルヴァンもうなずいた。


「おや、アルヴァン君がそんなことを言うなんて珍しいね」


 グレースは意外そうな顔をした。


「王国と帝国が手を組んでいると知ったら喜びそうなものですが」


 ヒルデも不思議そうだった。


「王国と帝国が協力しているのは確かに嬉しいんだけど、そうなると一回で全部終わっちゃうから、ちょっともったいないなって思って」


 アルヴァンが言った。


「いつも通りだね」


「いつも通りでしたわ」


 グレースとヒルデは顔を見合わせた。


「いい加減、メガネ返せよー!」


 ベリットは必死でメガネを追いかけ続けていた。 

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