第140話 ある軍人の死

 グランを追い詰めていたアルヴァンは白い霧に包まれていた。


「ちょっと変ですけどお互い姿は見えますし、続けられますよね?」


 黒く染まった髪のアルヴァンは改めて簒奪する刃をグランに向けた。


「君がついてきてくれるならな」


 グランはにやりと笑うとアルヴァンに背を向けて駆けだした。


「こういうのはあんまり好きじゃないんですが……」


 アルヴァンはため息をついて髪を元の色に戻すと、逃げていくグランを追いかけた。



「どこまで逃げるつもりなんですか?」


 アルヴァンは霧にかすむ大きな背中に問いかけたが、グランはなにも言わずにひたすら走り続けた。


「もう、いいかな」


 アルヴァンがウルグロースカタパルトを左手に出現させたとき、聞き慣れた声がした。


「アルヴァン様」


 名前を呼ばれたアルヴァンは足を止めた。

 霧の中から現れたのは紅い髪の少女だった。


「ヒルデ? どうしてここに?」


 アルヴァンが尋ねた。


「突然霧が出て、女王はそれに紛れて逃げてしまったのですわ」


 紅い髪の少女はため息を漏らした。


「そっちも逃げられちゃったんだ」


「アルヴァン様もですの? 敵はなにかを企んでいるようですわね」


 紅い髪の少女は顎に手を当てて考え込んだ。


「そうみたいだね」


 アルヴァンはうなずいた。霧が薄くなることはなく、周囲にはグランの姿も女王の姿も見えなかった。


「弱りましたわね。これでは身動きの取りようがありませんし……」


 紅い髪の少女は霧に包まれている戦場を見回した。


「そうだね。ところでさ……君は誰?」


 アルヴァンは紅い髪の少女を正面から見つめた。


「な、なにを言っていますの……わたくしは――」


「君はヒルデの姿をしてるし、声もヒルデと同じだね。でも、君はヒルデじゃない。ヒルデは僕に怯えたりしないよ」


 アルヴァンの瞳に映る紅い髪の少女は怯えきった目をしていた。


 紅い髪の少女は素早くアルヴァンから距離を取った。

 彼女が地面に手をかざすと、仕掛けられていた魔法陣が作動した。


「そうか……君はマヤだったんだね」


 魔法陣が放つ赤い光を見ながらアルヴァンが言った。

 苦痛に顔をゆがめながらもアルヴァンは魔法陣から離れようとした。


「させぬ!」


 霧を突き抜けて現れたのはグランだった。


「隠れてたんですね」


 旋棍ゲメロスで打ちかかってきたグランに対して、アルヴァンは髪を黒く染めた。


「その状態でどうして……!」


 ヒルデの姿をしたマヤが目を見開くなか、黒く染まった髪のアルヴァンは簒奪する刃を振り抜いてあっけなくグランを吹き飛ばした。


「やっぱり、ちょっと無理があったかな……」


 息を切らしながらアルヴァンが言うと、黒かった髪は銀色に戻った。

 それでもアルヴァンの歩みは止まらなかった。


「おとなしくしていろ!」


「…………」


 タルボットは裂帛の気合いとともに、カイルは無言でアルヴァンに襲いかかってきた。

 だが、アルヴァンはあっさりとふたりを押し返した。


「もう少しだね」


 ふたりを倒したアルヴァンは魔法陣の端までたどり着こうとしていた。


「ここまできて……」


 マヤは魔法陣に手をかざし、必死に魔力を注ぎ込んでいた。


「これを使うんだ!」


 エリヤフの力強い声とともにマヤの手元に飛んできたのは彼女の杖だった。

 慌ててそれを掴んだマヤは杖を構えた。


「これで終わりよ!」


「そうだね。君はもう終わりだ」


 アルヴァンはあと一歩で魔法陣から出られるところまで来ていた。


「終わるのはお前の方だ! アルヴァン!」


 エリヤフは剣を構えて突っ込んできた。

 アルヴァンは退屈そうに簒奪する刃を振った。

 黒い剣によって、エリヤフの剣は半ばから折られた。


「あなたが終わる方が先でしたね」


 アルヴァンは面白くもなさそうに黒い剣を突き出した。


「そうだな」


 エリヤフは自ら前に出て簒奪する刃に体を貫かせると、折れた剣を捨てて黒い剣の剣身を両手で掴んだ。


 アルヴァンは目を見開いた。


「どうだ……驚いたか……」


 腹を貫かれ、口から血を流しながらもエリヤフはアルヴァンに笑って見せた。


「エリヤフ中佐!」


「私に構うな! やるべきことをやれ!」


 悲痛な叫びを上げるマヤに対してエリヤフは怒鳴った。


「驚きはしましたけど、こんなことをしても……あれ?」


 アルヴァンはエリヤフを押しのけようとしたが、エリヤフは一歩も動かなかった。


「グロバストンの軍人を……舐めるなよ!」


 腹の傷口からは血があふれているが、エリヤフは剣から手を離さなかった。


「……まずいかな」


 アルヴァンの足下の魔法陣の光はどんどん強くなっていった。


「簒奪!」


 マヤが杖を振ると、魔法陣からあふれ出した赤い光が辺りを包み込んだ。



 マヤが目を開けると、アルヴァンは倒れていた。


 その手には黒い剣が握られていたが、彼の体はもう黒く禍々しい魔力を放ってはいなかった。


「終わった……のか……」


 グランがよろよろと立ち上がった。


「……中佐!」


 術を成功させたマヤは放心状態だったが、倒れているエリヤフに気づくとすぐに駆け寄った。なんとか起き上がったタルボットとカイルもやってきた。


 マヤが体を起こすと、エリヤフはゆっくりと目を開けた。


「よくやった……君は使命を成し遂げたんだ……」


 貫かれた腹からおびただしい量の血を流しながらもエリヤフは笑った。


「しゃべらないでください!」


 マヤは泣きながら叫んだ。


「生憎だが、こういう仕事をやっていると……なにをどうすれば人が死ぬのかはわかってしまう……私は、もうダメだ」


「そんな……」


「君は彼を止めた。だが、これで終わりではない……君の人生はこれから始まるんだ。君の過ちは消えてなくなったわけじゃない……だが、それでも君にはこれからの人生を楽しんで欲しい」


 エリヤフの言葉は途切れ途切れだったが、力強かった。


「楽しむなんて、出来るわけないじゃないですか……」


 マヤはうつむいた。


「いまはそう思うだろうが、君ならきっと前を向いて歩くことが出来る。心配することはない。私が、見守って……いるから……」


 マヤを勇気づけるように微笑むと、レイモンド・エリヤフは息を引き取った。


「……エリヤフ中佐……本当にありがとうございました」


 マヤはエリヤフのまぶたを閉じてやった。


「二階級特進でお前は私の上官か……そんなことは認めんぞ……」


 タルボットは地面に拳を打ち付けた。


「……さようなら、エリヤフ中佐」


 カイルも無表情ではあったが、エリヤフの死を悼んでいた。


「……グラン隊長、合図の笛を鳴らしてください。作戦は、成功しました」


 マヤは涙をぬぐうとそう言った。

 グランはうなずいて笛を取り出すと、大きく息を吸って笛を吹いた。


 戦場に甲高い笛の音が鳴り響いた。


 白い霧が晴れたのはそれからすぐのことだった。

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