第137話 赤と紅

 アルヴァンをグランに任せると、バーニスは砦の北側で紅蓮の聖女バルドヒルデと向き合った。


「……なにが可笑しい」


 バーニスが言った。


「あら、わたくしとしたことが、失礼いたしましたわ」


 紅蓮の聖女は言われて初めて自分が笑っていたことに気づいたようだった。


「詫びるつもりがあるのなら笑うのをやめたらどうだ?」

 女王の目には、未だに笑みを浮かべたままの聖女の姿が映っていた。


「あらあら、わたくしったらつい……本当に申し訳なく思っていますのよ。わたくしは常に淑女であることを心がけておりますの」


 聖女は女王に頭を下げた。


「ただ、これから世界最強の魔術師と戦うのだと思うと……どうしても笑いを堪えきれませんの」


 バルドヒルデの顔には消そうにも消せない笑みが張り付いていた。


「わらわにとっては退屈な余興に過ぎん」


 女王は短剣を取り出すと手首に刃を走らせた。

 手を一振りすると、傷口から血が飛んだ。


 血の滴は岩をも穿つ弾丸と化して紅蓮の聖女に襲いかかった。


 聖女は魔力の障壁で苦もなく血の弾丸を防いだ。


「余興だからと言って手を抜くのは――」


 言いかけた聖女はすぐに障壁を張れるだけ張らなければならなくなった。


 血の弾丸は終わりではなかった。


 今度は横殴りの雨のように無数の弾雨がやってきた。


 バルドヒルデは正面に防御を集中した。


 だからバーニスは正面を避けて攻撃した。

 血の雨は正面の障壁を避けるようにして聖女の脇を通り過ぎてから反転した。


 バルドヒルデはとっさに後ろの防御を厚くしたが、血の雨は容赦なく聖女の背中を打った。


「……やってくれますわね」


 体勢を立て直すと、紅蓮の聖女は掌に魔力の炎を出した。

 それを障壁で囲み、女王に向かって投げつけた。


 障壁が消えると囲われていた炎が一気に解き放たれ、強烈な熱風をまき散らした。地面は溶岩のようにどろどろに溶けた。


 それでも女王は健在だった。


 バーニスが大量の血で作った防壁が炎の進攻を止めた。

 役目を終えた防壁は砕け散り、今度は無数の赤い短剣になった。


「どうした? 笑って見せろ」


 女王は目を見張っている聖女に命じるとともに短剣を射出した。

 バルドヒルデは魔力の炎で剣を作り、飛んでくる短剣を防いだ。


 だが、数多の短剣を防ぎきることは出来ず、聖女は魔力で強化した脚力で短剣から逃げた。

 逃げる聖女を見て女王はため息をついた。


「わらわはいちいちお前を追いかけてやるほど暇ではない」


 バーニスの右手にある知ろしめす指輪が光った。

 血で作られた短剣が地面に落ち、あちこちに血だまりが広がった。


 そして、血だまりが蠢き、真っ赤な猟犬が次々と這い出てきた。

 四本足の赤い獣が紅蓮の聖女を追いかけた。


 犬たちの足は速かった。


 聖女が後ろを振り向いたのと同時に猟犬が一斉に飛びかかった。

 何十匹もの犬が次々の襲いかかり、バーニスにはバルドヒルデの姿が見えなくなった。


 終わった。

 最強の魔術師はまたひとり、敵を倒した。


 グランに加勢しようと踵を返したところでバーニスは違和感を覚えた。


 最後に後ろを振り返ったとき、あの娘が笑っていたような気がしたのだ。


 犬たちの方を向くと、蠢く獣の群れの奥にいるそれと目が合った。

 それは自分にまとわりついていた犬たちを腕の一振りで焼き払った。


「女王陛下の御前となれば、それ相応の衣装を身につけなければなりませんわね」


 紅蓮の聖女は魔力の炎を衣のように纏っていた。


「なにをやろうと結果は同じだ」


 バーニスは再び手を振って血の弾丸を撃った。


 聖女はそれを防がなかった。


 彼女は炎の衣を纏って真正面から突っ込んできた。


 血の弾丸は聖女に当たりはしたものの、炎の衣に焼き払われた。

 女王は舌打ちした。


 バーニス・マルフロント・グロバストンが世界最強の魔術師である理由のひとつは血液という流動する物質を操れることにある。

 水は切ることも砕くことも出来ない。

 それ故に、敵はバーニスの武器を止めることが出来ないのだ。


 だが、この紅髪の少女は違う。

 桁外れに強力な紅蓮の炎はバーニスが魔力を込めた血液をも蒸発させてしまう。


 相性の悪さは自覚していたバーニスだったが、地力の違いでねじ伏せられると思っていた。

 しかし、敵はここに来てバーニスの想定を上回る力を見せてきた。


 それでもバーニスは怯まなかった。


「グロバストンの女王を舐めるな。そんなもの、焼き払えないほどの攻撃で圧倒すれば良いだけだ」


 バーニスはもう片方の手首も短剣で切ると、両手から流れる血を地面に落とした。

 知ろしめす指輪がきらめくと、あちこちから赤い血が泉のように湧き出した。


 血の泉からは古今東西のあらゆる武器が浮かび上がってきた。

 真っ赤な武器はその矛先を紅蓮の聖女に向けた。


 自分を取り囲む雲霞のごとき武器の群れを見て、聖女はニイッと笑った。


 笑っていた聖女だったが、バーニスを見ると不思議そうに首をかしげた。


「あら? 女王様はわたしくしに笑って欲しいのだと思っていましたが、なぜ後ろに下がりましたの?」


 そう言われて初めてバーニスは自分が一歩後ろに下がっていたことに気づいた。


「戯れ言を……!」


 バーニスは自分の行動の意味を考えまいと、相手への敵意を滾らせた。


 知ろしめす指輪が光り、武器の軍勢が聖女を滅ぼすべく突き進んだ。


 聖女は逃げようとしなかった。

 ただ自分の周囲に魔力の障壁を張っていただけだった。


 血の武器が次々と障壁にぶつかっていった。血液で出来た武器は障壁に当たって壊れても、すぐに血から武器に形を変えて聖女を攻撃し続けた。


「貝のように殻にこもったところでなににもならぬ。すぐにその殻を破って――」


 バーニスはそこでようやくこれに見覚えがあることに気づいた。


 魔力障壁による囲い。

 そして、その中には赤々と燃える炎がある。


 女王は即座に攻撃を止めて周囲の血を集め、自身を守る城塞を築き上げた。


 その姿は殻にこもる貝のようだった。


 魔力障壁という枷が外れて紅蓮の聖女自身が燃えたぎらせていた超密度の火炎が解き放たれたのは、バーニスの防御が完成した直後だった。


 炎の解放によって生じた爆発は砦から遠く離れたグロバストン王国の村にまで爆音を轟かせ、戦場の大地を大きく揺らした。

 爆風は砦の外壁に大きなヒビを入れ、立ち上った爆炎は戦場のどこにいても見えるほどだった。


 女王が築き上げた血の城塞は、間近で爆発にさらされたせいで跡形もなく消し飛ばされていた。

 だが、女王は健在だった。


「まさかこれを使う羽目になるとはな……」


 バーニスは切り札を使って爆発を凌ぎきったのだった。


「あらあら、女王陛下ともあろうお方が他人の服を欲しがるだなんて、品がないことですわ」


 赤い炎を纏う聖女はバーニスの姿を嘲笑った。


「勘違いするな。これはわらわ自身が編みだしたものだ」


 バーニスは身につけたドレスを見下ろした。


 それは血液で出来た真っ赤なドレスだった。


 最強の魔術師がその莫大な魔力を集中させて作り上げた血のドレスは紅蓮の炎にも耐え抜いたのだった。


「なんにしても、あなたとおそろいなんて不愉快ですわ」


 紅い炎を纏った聖女が言った。


「同感だ」


 赤い血を纏った女王が言った。

 

 赤い女王と紅蓮の聖女の戦いは一段と激しさを増していった。

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