第136話 殺したと言うよりは
王国の兵とともに砦を南側から攻めていたパトリシアの前に現れたのは、逞しい体つきをした若い男だった。近くには終の戦団の兵士はおらず、若い男はひとりきりで戦場に突っ立っていた。
「隊長、この男は私が相手をします」
パトリシアが味方の指揮官に言った。
「ですが……」
指揮官はなぜそんな指示を出されるのかが分かっていないようだった。
「あの男の力は王の手に匹敵します。私は余計な犠牲を払いたくありません」
パトリシアは淡々と告げた。
指揮官は少し迷っていたが、指示を受け入れて別方面に向かうよう部下に命令を出した。
「良い判断じゃな。自分が何と対峙しているのかをよくわかっておる」
若い男は鷹揚にうなずいてパトリシアの判断を褒めた。
「とはいえ、ワシとしてもそう簡単に逃がしてやるわけにもいかんのだ」
若い男は離れていく王国の兵に向かって右の掌を突き出そうとした。
パトリシアは素早く反応した。
エプロンドレスの裾を払い、太ももに固定してある小さな鉄棍を抜いた。
「伸びなさい、パワーポール」
パトリシアが命じると、遺物の鉄棍は男に向かって音よりも速く伸びた。
魔力を込めた右手を突き出そうとしていた男はさっと身を引いて伸びてきた鉄棍を避けた。
「ほっほっ、まだ若いとはいえ王の手の一角を担うだけのことはあるな」
男は笑いながら言った。
「私の方が年上だと思います。今のあなたの肉体よりは」
パトリシアはパワーポールを自分の身長ほどの長さまで戻した。
「ふむ、ガスリンの奴はワシのこともしゃべったようじゃな」
「元五帝剣のジェイウォン・ミラーズ。破壊の奥義、浸透勁を会得したただひとりの人物……遺物の力で弟子の体を乗っ取ったというのは信じがたい話でしたが、事実のようですね」
「ほっほっ、ワシも驚いとるよ」
ジェイウォン・ミラーズは奪った弟子の体で笑っていた。
「一体なぜこんなことを……」
「簡単な話だ。ワシは最強の座というものが欲しかったんじゃよ。そのために浸透勁も会得した。じゃが、少しばかり時間がかかりすぎた。そこで、弟子のコルビンに協力してもらった。あやつは才には恵まれていたがそれの価値を分かっておらんかったからな。ワシが体を有効活用してやることにしたんじゃ」
「最強の座ですか。祖国を裏切ったのもそれが理由というわけですね」
「むろん、その通りじゃ」
ジェイウォンはうなずいた。
「あなたは最強になどなれませんよ」
パトリシアは軽蔑を込めて言った。
「……なんだと」
ジェイウォンの声はそれまでの余裕に満ちたものではなくなっていた。
「私が知る最も強い人はあなたのような人間とは全く違いますから」
「やれやれ、最近の若い奴はどいつもこいつも世間知らずで困る」
ジェイウォンの若々しい体に魔力が満ちていった。
パトリシアもパワーポールに魔力を流し込んだ。
遺物の鉄棍は流し込まれた魔力を受けて長さと太さを増した。
パトリシアは父から受け継いだたぐいまれな膂力で、巨大な柱の様になった鉄棍を苦もなく構えた。
「世界の広さというものを教えてやるか」
魔力を全身に行き渡らせたジェイウォンが言った。
「あなたのような人から教わることなどなにもありません」
パトリシアは巨大化したパワーポールを振りかざした。
サルトビから策を授けられたマヤ達は砦の西側で王国軍に紛れて戦っていた。
「不気味な奴らだ」
生気のない敵を短槍で突き刺したタルボットがつぶやいた。
「だが、我々のことを幹部共に報告したりしないのは好都合だ」
剣を振るってタルボットを援護していたエリヤフが言った。
カイルはなにも言わずに淡々と敵を倒していた。三人は王国軍の他の兵士とは違い、黒いマントを身につけていた。
「皆さん、すみません」
全身を覆い隠す黒いマントの下で、マヤは謝罪の言葉を口にした。
敵に勘づかれるのを避けるためにマヤは戦うことを禁じられていた。
アルヴァンを倒すための要である以上仕方のないこととはいえ、マヤは心苦しかった。
「気にすることはない。これが私達の仕事だ」
エリヤフが言った。
「その男の言うとおりだ」
タルボットもうなずいた。
「……それにしても、忍術というのは凄まじいな。今の君はもう完全に――」
しゃべっていたエリヤフを押しのけてカイルが前に出た。
カイルが繰り出した刀は、魔力で強化された狼の爪をなんとか防ぎきった。
「見覚えのある足跡を見つけて追ってきたのだが……なにか企んでいるようだな」
襲いかかってきたのは灰色の狼の獣人だった。狼は、軽装の鎧を身につけていた。
「エイドレス・ライムホーンか!」
エリヤフが言った。
「その通りだ。まあ、他の奴らと間違えられることなどありそうもないが。そちらは我々を追っていた連中だな。エリヤフ、タルボット……」
狼の目が相手を確かめるように動いていき、マヤの前で止まった。
「そしてお前がアルヴァンの幼なじみの……」
作戦を見抜かれるわけにはいかなかった。
フードを目深にかぶっていたが、マヤはさっと顔を背けた。
それと同時にエリヤフ達が一斉に襲いかかった。
「六十パーセントといったところか」
狼は面白くもなさそうにつぶやいた。
獣人が身につけていた鎧が脈打つように青い光を放ったかと思うと、エリヤフとタルボットが吹き飛ばされた。マヤにはふたりが殴られたのか蹴られたのかすら分からなかった。
エイドレス・ライムホーンと渡り合えるのはカイルだけだった。
「先ほどもそうだが、なかなかいい動きだ。お前がカイルだな。その死んだ魚のような目。ガスリンが言っていたとおりだ」
灰色の狼はカイルの攻撃を苦もなく捌きながら言った。
「……やはりお前達はあの男を殺したのか……」
なんとか体を起こしたエリヤフは狼をにらみつけた。
「結果的にガスリンを死なせたのは確かだが、私がしたようなことを表現するときに『殺人』という言葉は使わないだろう」
エイドレス・ライムホーンの言い回しは奇妙だった。
「なにを言っているんだ……?」
タルボットが言った。
「私がしたようなことは普通、『食事』と呼ばれる」
狼は数え切れないほどの肉を引き裂いてきた牙を見せて、笑った。
「……なんてことを」
マヤは声を上げずにはいられなかった。
その言葉を聞いた途端、エイドレスはさっとマヤの方を向いた。
「……どういうことだ……」
灰色の狼は戸惑っていた。
「逃げろ! ここは私達が食い止める!」
エリヤフがマヤを守るように前に出ると、タルボットとカイルもそれに続いた。
「ですが……」
ためらうマヤの言葉はエイドレスに確信を抱かせた。
「……お前達を逃がすわけにはいかないようだ」
獲物に向かって一歩踏み出した灰色の狼だったが、即座に飛び下がった。
「あのまま前に出ててくれりゃあその首を切り落とせたんだが……流石に鋭いじゃねえか。野生の勘って奴か?」
狼に襲いかかったのは、王の手のひとりであるツバキだった。
右手に刀を持ったキモノ姿の男は、マヤ達を守るようにエイドレスの前に立った。
「雑魚共の相手をしてたら出遅れちまった。こいつは俺が狩る。お前らはよそで女王様の合図を待ってな」
エリヤフはツバキの言葉にうなずくと、マヤ達とともに走り出した。
「追わせてはくれないようだな」
エイドレスは立ちふさがるツバキを見た。
「あの娘は俺たちの切り札なんだよ」
ツバキは愛刀、花鳥風月を上段に構えた。
「東方の民か……狩るのは初めてだ」
エイドレスの鎧が放つ光が強くなった。
「そうかい? 俺は狼なら何度も狩ったぜ」
ツバキは草履を履いた足を一歩前に出した。
灰色の狼は牙を見せて笑い、残像を残しながらツバキの横を駆け抜けた。
狼はツバキを無視して四人を追いかけた。
「やはりメインディッシュの前に前菜を片付けなくてな」
獣の声を耳にしたマヤが振り返ると、恐ろしい速度で灰色の狼が迫っているのが見えた。
だが、狼の後ろにはそれを上回る速度で地を駆けるツバキがいた。
花鳥風月の刃がきらめき、狼の鎧の隙間から血が噴き出した。
「今のは縮地っていう俺の故郷の技なんだが、食らった感想はどうだ?」
ツバキは刀の峰で自分の肩を叩きながら、膝を屈した狼を見下ろした。
「……失礼した。獲物を狩るときはよそ見などすべきではなかった」
灰色の狼は詫びの言葉を口にすると、改めて獲物に向き直った。
「聞き分けがよくて助かるぜ」
ツバキも再び花鳥風月を構えた。
去って行くマヤの後ろで、弱肉強食の闘争が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます