第133話 女王謁見

「ばっちり囲まれてますわね」


「だなー」


 ヒルデとベリットは砦の三階にある会議室の窓から外を眺めていた。


 午前のうちに始まったグロバストン王国軍による包囲は昼前には完了していた。

 それに対してアルヴァンは支配下にある兵達を砦の周囲に配置して防御の構えを取った。


 両軍は小一時間ほどにらみ合っていた。


 ふたりは北向きの窓を見ていたが、アルヴァンは東向きの窓をじっと見つめていた。


「なにか面白いものでもあったのかい?」


 アルヴァンの隣に立っているグレースが聞いた。


「あらあら、流石にアルヴァンちゃんはめざといわね。もう女王様を見つけるなんて」


 クルツはクスクスと笑った。


「やっぱりすごいですね」


 返事はしたもののアルヴァンは上の空だった。その視線は窓から動かなかった。

 アルヴァンの瞳には金色の髪を短く切った若い女性の姿が映っていた。


「伯爵様の時もそうだったけど、よく見つけられるよなー」


 ベリットも東の窓を見たが、視力の悪さもあってどれがグロバストンの女王かは分からなかった。


「あの人にも僕が見えてる」


 アルヴァンがつぶやいた。


「参ったわねえ。あの女はしつこいわよ」


 クルツは頬に手を当てた。


「つまり、アルヴァン様はいま、その女と見つめ合っていると言うことですの?」


 ヒルデはじろりと窓を見た。


「これから殺しに行く相手に嫉妬してどうすんだよ……」


 ベリットは呆れかえっていた。


「待たせたな」


 扉を開けて入ってきたのはカエアンを身につけたエイドレスだった。


「完全包囲か。愉快愉快」


 エイドレスに続いて現れたジェイウォンは顔をゆがめて笑っていた。


「鎧を着なくてはならない狼さんはともかく、あなたはどこに行ってましたの?」


 ヒルデはなぜか遅れてきたジェイウォンに尋ねた。


「ワシの待ち人がいるかと思ってな、ちょいと砦のてっぺんに登って探してみたんじゃが、結局おらんかった」


 ジェイウォンは残念そうにため息をついた。

 ヒルデは誰を待っていたのか聞こうとしたが、その前にグレースが手を叩いて注目を促した。


「それではいよいよ開戦だ。みんな、準備はいいね?」


 グレースは終の戦団の面々を見回した。


「おうよ。アレはローネンの魔術で上手いこと隠してもらったしな」


 ベリットは砦の練兵場に置いてある最高傑作をローネンに透明化してもらっていた。


「もう一度言っておきますが、術が効いているのは止まっている間だけですのう。一度動いてしまえばもう隠すことは出来ませんので注意してくだされ」


 ローネンは改めて警告した。


「あいよ」


 ベリットは軽くうなずいた。


「フェイラム伯爵の時に比べれば少ないが、それでも十分な量があるな。朝も昼も食事を抜いた甲斐があったというものだ」


 エイドレスは口元のよだれをぬぐった。灰色の狼の体を覆うカエアンは脈打つように不気味な光を放っていた。


「やることは何も変わらん」


 ジェイウォンはいつもの癖で、乗っ取ったコルビンの体には生えていない顎髭を撫でる動きをした。


「アタシは手はず通りに動くわ。ヒルデちゃん、頼んだわよ」


 クルツはヒルデに片目をつぶって見せた。


「任せてくださいまし」


 ヒルデも片目をつぶって見せようとしたが、上手くいかずに両目をつぶってしまった。


「……本当に大丈夫かしら……」


 わけの分からない合図を送ってきたヒルデに、クルツは不安を感じずにはいられなかった。


「いつも通り、楽しくやりましょうか」


 腰に差した簒奪する刃の柄に手を置いたアルヴァンが言った。




 あれがアルヴァンか。バーニスは砦の窓からこちらを見ている銀髪の青年を見つめ返していた。


 奇妙な青年だった。


 一見すると虫も殺せないたぐいの穏やかな人間に思える。

 だが、彼が簒奪する刃を手にして各地に惨禍をもたらし、ついにはフェイラム伯爵をも打倒したのだと聞かされれば、それは当然のことだとも思えた。


「来るようだな」


 砦を守っている終の戦団の兵士達が動き出した。

 バーニスは後ろに控えているエステバルロに指示を出した。


「終の戦団の幹部共とは戦うな。奴らはわらわと王の手で仕留める」


「承知いたしました」


 エステバルロが答えた。


 バーニスは王の手を東西南北それぞれにひとりずつ配置していた。

 選りすぐった精鋭とはいえ、普通の兵では終の戦団の幹部には到底敵わない。


 兵の犠牲を抑えるためにも王の手は散らしておく必要があった。これはサルトビの作戦のためにも必要な措置だ。


 それらも事実だったが、バーニスの狙いは絶対にクルツを逃がさないことだった。


「マヤ、お前は合図があるまで兵に紛れていろ。エリヤフ、お前達はマヤを守り抜け」


 バーニスの命令に、マヤもエリヤフも力強くうなずいた。


 サルトビによる準備を終えたマヤは全身を覆い隠す黒いマントを身につけていた。マヤだけがその格好だと注意を引いてしまうので、護衛を務めるエリヤフとタルボット、それにカイルにも同じ格好をさせていた。


「よし。攻撃を開始する」


 女王は命令を下した。



 バーニスの目的ははっきりしていた。

 クルツ・ガーダループを殺すこと。

 戦場で敵を前にした今、バーニスはもうそれしか頭に浮かばなくなっていた。


「陛下、前に出すぎです! これでは危険です!」


 魔力で強化した脚力で地を駆けるバーニスについてこられるのはグランだけだった。そのグランが厳しい声で忠告してきたが、バーニスは聞く耳を持たなかった。


 砦を守っていた敵兵は既にこちらに気づいていた。

 話に聞いていたとおり、敵兵のなかにはクルス島に住む獣人達含まれていた。


 彼らは一様に生気のない目をしていたが、その動きは素早く、完璧に連携が取れていた。


 ざっと三十ほどの敵兵が前に出て、バーニスに襲いかかってきた。


「邪魔だ」


 バーニスは小さなナイフを取り出すと、右手の親指の腹に刃を当てた。ナイフが指を切り、傷口から血が流れ出した。赤い血液は地面にしたたり落ちた。


 右手の人差し指にはまった遺物「知ろしめす指輪」がきらめくと、地面から赤い血が泉のように湧き出し

た。


 バーニスが手を振ると湧き出した血は向かってくる敵兵の方に勢いよく流れていった。


 敵兵の足下まで達すると、血はいくつもの鋭い槍に形を変えて敵兵を串刺しにした。


 貫かれた敵兵からは血が噴き出した。その血もバーニスが操る血に取り込まれた。

 量を増した血液は複数の槍から無数の剣に姿を変え、残りの敵兵を切り裂いた。


 敵兵はバーニスに触れることさえ出来なかった。


 最強の魔術師の圧倒的な力に、グランは唸るしかなかった。


「わらわの心配などせずともよい。お前もクルツを――」


 そこまで口にしたところでバーニスの動きが止まった。


 その目は倒れた敵兵の向こうに釘付けになっていた。


 自然と右手を握りしめていた。心臓が激しく脈打った。


「クルツ・ガーダループ!」


 バーニスの口から怨嗟の叫びがほとばしった。


「ご無沙汰しておりますわ。バーニス・マルフロント・グロバストン女王陛下」


 真っ白な服に身を包んだクルツは完璧な一礼をして見せた。


 だが、クルツの瞳はバーニスを嘲笑っていた。


 あの子達の姿がバーニスの心の中に蘇った。子供達の顔は耐えがたい苦痛に歪んでいた。


 気がついたときにはもう、バーニスはクルツを手にかけようとしていた。


 血を操作してクルツまで続く血の川を作ったことも、それに乗って瞬時にクルツの目の前まで移動したことも、血を右手に集めて巨大な鎌を作り出したことも、血の鎌をクルツの首に振り下ろしたことさえも、バーニスは全く覚えていなかった。


 強すぎる憎しみがバーニスの体を機械のように動かしていた。


 クルツの首が宙を舞った。

 斬り飛ばされた首はごろごろと地面を転がり、バーニスの方を向いた状態で止まった。


 そして、クルツの首がしゃべり出した。


「全くもう、礼儀正しく完璧に礼をした相手をいきなり殺すだなんて……」


 バーニスは唯々目を見張っていた。


「まあ、ヒス女様の間抜け面も見られたことだし、よしとしようかしら」


 首を失ったクルツの体がてくてくと歩いてきて、首を拾い上げた。


 バーニスにはクルツの首を見つめることしか出来なかった。


「やあねえ、いつまでそんな顔してるのよ。これは三年前にアタシがあんたから逃げるときに使った人形の予備よ。最強の女王陛下ならちゃんと目をこらしさえすれば魔力の糸が見えたはずなんだけど、案の定、そんなことに気づける状態じゃなかったわね」


 クルツの首はニヤニヤと笑っていた。


 バーニスは未だにクルツを凝視していた。だが、強く噛みしめられた口元からは血が滴っていた。


「三年経っても何にも変わらないなんてびっくりね。もっとも、あんたが間抜けだったおかげでアタシはあのガキどもを調達できたんだけど」


 バーニスは想像したことすらないほど強烈な怒りと憎しみを感じていた。


「殺してやる……殺してやるぞ……クルツ……」


 クルツの言うとおり、人形を操る糸をたどれば良いのだ。そうすればこいつを殺せる。バーニスは目をこらした。確かに魔力の糸がクルツの首につながっていた。


 バーニスは残酷な笑みを浮かべていた。


「あらあら、女王様がそんな顔してたら孤児院の子供達が泣いちゃうわよ」


 強すぎる怒りのあまり、バーニスは言葉さえ出なかった。


「あんたの考えてるとおり、糸をたどればアタシを殺せるわ。でもね、あんたと違ってちゃん頭を使えるアタシが何のためにこんなことしたんだと思う?」


 そこでクルツの体が前に倒れた。

 今までクルツはバーニスに体の正面だけを見せていた。


 だからバーニスはそれに気づかなかった。


「……黒い剣」


 クルツの背中には柄から切っ先まで黒一色の剣が突き刺さっていた。


「バーニス様!」


 ようやくグランがバーニスの元までやってきた。


 そして、彼らが現れた。


「ヒルデ、大丈夫?」


 銀髪の青年が尋ねた。


「もちろんですわ。アルヴァン様とご一緒できるのなら空間転移も楽勝ですわ」


 紅い髪の少女は元気よく答えた。


「ご要望通り、女王様はおびき出したわ。後は頼んだわよ」


 クルツの首が言った。


「ありがとうございました」


 青年が言った。


「ご苦労さまですわ」


 少女は片目をつぶろうとしたようだが、両目をつぶってしまっていた。


「……まあ、頑張んなさいよ」


 そこでクルツの首につながっていた魔力の糸が切れた。


 銀髪の青年と紅い髪の少女がバーニスに向き直った。


「じゃあ、約束通り女王さんはヒルデに任せるから」


「アルヴァン様」


「どうかした?」


「女王陛下に謁見するときってどういう風に振舞うものなのでしょうか?」


「僕に聞かれても……」


 銀髪の青年は困った顔をしていた。


「もう! こういう場面ではちゃんと殿方がリードするものですわ!」


 紅い髪の少女は唇をとがらせた。


「そうなのかなあ」


 銀髪の青年は納得していないようだった。


「どうでもよい」


 バーニスが口を開いた。


「終の戦団のアルヴァンとバルドヒルデに敬意など払ってもらう必要はない」


 バーニスが言うと、アルヴァンとヒルデは顔を見合わせた。


「そうですか。では、バーニス・マルフロント・グロバストン女王陛下」


 アルヴァンはクルツの背中に刺さっていた漆黒の剣を引き抜いた。


「死んでくださいまし」


 紅蓮の聖女はにっこり笑ってそう言った。

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