第132話 花開くつぼみ

「よし。サルトビの案でいく」


 バーニスはサルトビの提案を承認した。


「拙者はすぐに準備に取りかかります」


 ニンジャマスターはマヤとエリヤフ、タルボットを連れて部屋を出て行った。


「こんな策は聞いたこともありません。上手くいくのでしょうか」


 パトリシアはこの作戦に不安を感じているようだった。


「サルトビならやってくれるだろ。何せ年季が違う」


 ツバキが言った。


 会議室の扉が控えめにノックされた。バーニスが入室を許可すると、甲冑を身につけたエステバルロが部屋に入ってきた。


「女王陛下、王都から連れてきた兵の準備が整いました。いつでも出陣できます」


「ご苦労。お前は兵とともに指示があるまで待機していろ」


 バーニスはそう命じたが、エステバルロにはまだ言いたいことがあるようだった。


「どうした?」


「申し訳ございません。ここでは……」


 エステバルロはちらりとハーカーを見た。

 ハーカーはバーニスがなにも言わないうちにすっと立ち上がり、部屋を出て行った。


「一体何なのだ?」


 バーニスにはハーカーを追い払う理由が分からなかった。


「帝都から通信が入っております」


 エステバルロに言われて、バーニスはようやく思い出した。

 昨夜はカロル達と話し合う予定だったのだ。


 終の戦団の報告が入ったことでバーニスを含めた王国側の全員がそれを忘れていた。


「そうか。そうであったな」


 バーニスはこめかみを押さえた。


「申し訳ございません。私が気づくべきでした」


「陛下の予定を管理するのは私の役目です。申し訳ありませんでした」


 グランとパトリシアがそろって謝罪した。


「構わぬ」


 あの状況では仕方ない。そう思ってバーニスは言った。


「俺は予定を聞いてねえからおとがめ無しだな」


 ただひとり、ツバキだけが涼しい顔をしていた。


「機密保持の観点からツバキさんには知らせるべきではないと判断しておりますので」


 パトリシアは冷ややかにツバキを見た。


「おいおい、人を間者みたいに言うもんじゃねえぜ」


 暗に秘密を漏らす恐れがあるといわれたツバキは眉をひそめた。


「そういうことはお酒を飲んでも夜のお店のお姉様方になにを話したのかをちゃんと覚えていられるようになってからおっしゃってください」


 パトリシアの言葉は先ほどよりもさらに冷たかった。


「……ああ、うん、俺が悪かった」


 髭の生えた頬をポリポリと掻きながらツバキが誤りを認めた。


「それで、この砦で帝都と通信できるのか?」


 追求されるツバキを尻目にバーニスはエステバルロに尋ねた。


「はい。王都を介して帝都と通信が出来るよう準備してあります」


 エステバルロが答えた。


「わかった。グラン、パトリシア、ついて参れ」


 バーニスが立ち上がると、ふたりもそれに続いた。


 前回の会談で、イシルダは全てがつながっていると言っていた。

 誰もそれを信じようとはしなかったが、正しかったのはイシルダだった。


「説明はしておかねばなるまい」


 通信室に向かって歩きながら、バーニスは小さな声でつぶやいた。



「すまぬ。お前達との会談があったことを失念していた」


 通信用魔法陣で帝都との回線が開くと、バーニスはまず謝罪した。


「なんだ、忘れてただけですか。私はてっきりうちの姉さんと顔を合わせるのが嫌になったのかと……ちょ

っと姉さん! いくらバーニスさんに見えないからって話している最中にここまでやるのは……いや、ちょ、ほんと……やめて……」


 魔法陣を介してルシリアの軽薄な声が聞こえたかと思うと、すぐにもみ合うような音が聞こえてきた。


「相変わらず仲がよろしいですね」


 パトリシアの言葉には何の感情もこもっていなかった。


「ははっ……私達がいまどれほど仲良くしているかを知ったら……流石のパティさんでも……ぶったまげるでしょうね……」


 ルシリアの声は小さくなって消えていった。


「……僕の方が謝らないといけなくなったみたいだ」


 ため息の音がして、カロルの声が聞こえてきた。


「気にするな。もう慣れている」


 口にしてから、バーニスは自分が笑っていたことに気づいて驚いた。


 クルツの生存を聞かされてからの自分はやはり冷静ではなかったのだ。


 だが、バーニスは気を緩めるわけにはいかなかった。

 笑うのはクルツを殺してからだ。


「……バーニス、どうかしたかな?」


 気遣うようなカロルの声がした。


「なんでもない。お前達にも知らせなけらばならないことがある」


 バーニスは気持ちを切り替えると、終の戦団のことを説明した。



「……なんてことなの……」


 話を聞いたイシルダは息をのんでいた。


「バーニスさんはこれから終の戦団と戦うんですか?」


 ルシリアは冷静に尋ねてきた。


「その通りだ。わらわと王の手全員、それに王国軍の精鋭一千で奴らを討ち滅ぼす」


 バーニスは金色の指輪がはまった右手を握りしめた。


「……だめだ」


 そう言ったのはカロルだった。


「僕も手を貸す。僕と五帝剣だけなら今からでも間に合う」


「それは……」


 バーニスは言いよどんだ。


「カロル、それは出来ないわ」


 カロルをいさめたのはイシルダだった。


「姉さん、でも――」


 カロルは尚も食い下がったが、バーニスがそれを制した。


「イシルダの言うとおりだ。我らの交渉は極秘で進めてきた。帝国のお前達が突然戦場に現れたとなれば、兵達が混乱してしまう」


「そう……だね……軽率だった」


 バーニスにはカロルがうなだれている様子が目に浮かんだ。


「手を借りることは出来ないが、申し出には感謝する」


 バーニスはこうまで言ってもらえたことが本当に心強かった。

 だが、これはグロバストン王国の、バーニスの戦いなのだ。


「わかった。武運を祈っているよ」


 カロルはそう言って通信を終えた。

 床に描かれていた魔法陣の光が消えた。


 ルシリアの明るい声も、イシルダの落ち着いた声も、カロルの優しい声も聞こえなくなった。


「さあ、我らの敵を滅ぼすぞ」


 女王は出陣を命じた。



 グロバストンの戦地から遠く離れた帝都の宮殿で、カロルは光を失った床の魔法陣をじっと見つめていた。


「ルシリア、ワムシュを呼んできなさい。すぐにね」


 イシルダはため息をついて言った。


「姉に顎で使われるのは妹の宿命なんですかね……まあ、兄さんのためですし、行ってきますか」


 不満そうに口をとがらせはしたものの、ルシリアは指示に従った。


「姉さん……」


「皇帝陛下がそんな顔しないの。ワムシュなら簒奪する刃のことも知っているかもしれないわ。全く、バーニスのことになるといつもこうなんだから」


 イシルダは笑いながらそう言った。


「ごめん。どうしても気になるんだ」


 前回の会談でイシルダが遺物を持った何者かの存在を指摘したときから、カロルの胸には不安が根を張っていた。

 イシルダの考えが正しかったことを知った今、カロルは行動を起こさずにはいられなかった。


「でも、私が認めるのはここまでよ。ワムシュの話を聞いたからってバーニスを助けに行くなんて言わないでね」


 イシルダはとても真剣な顔をしていた。


「姉さん、それは約束できない」


 カロルは姉に嘘をつくことが出来なかった。


「……本当にもう。バーニスのことになるといつもこうなんだから」


 イシルダはかぶりを振った。

 部屋の扉が勢いよく開いて、ルシリアが戻ってきた。


「ワムシュさんを引っ張ってきました。ついでなので、一緒にいたミツヨシさんにも来てもらいました」


 ルシリアは元気よく報告した。


「一体何事でございますか? ミツヨシと将棋をやっていたら急に姫様がやってこられて、将棋盤をひっくり返したかと思うとワシらを無理矢理に……」


 五帝剣の一員にしてロプレイジ帝国最高の魔術師レデフ・ワムシュは困惑しきりだった。大魔術師は膝まで届く総白髪で、髪と同じ真っ白のローブを着ており、カロルが子供だった頃から全く変わらないしわだらけの顔をしていた。


「ルシリア……」


 イシルダは笑顔だったが、その声はひどく冷たかった。


「非常事態ですし、多少のことは大目に見て……もらえないですよね、そうですよね……」


 ルシリアは姉による折檻を受け入れた。


「……何が起きたのですか?」


 言葉少なに問いかけてきたのはルシリアが引っ張ってきたもうひとりの五帝剣、ミツヨシだった。細面で鋭い目つきのこの男は、愛用の刀である乾坤一擲を持たせればカロルに次ぐ実力者だ。東方の島国出身の彼は、青いキモノを着ていた。


「ある遺物についてワムシュの意見を聞きたいんだ」


 カロルは最も頼りにしているふたりに事情を説明した。



「ひどい話だ」

 話を聞き終わったミツヨシは目を閉じてかぶりを振った。彼は終の戦団の所業に深い憤りを感じているのだ。

 表情の変化に乏しく、冷たい印象を与える男だが、彼が情に篤いことをカロルはよく知っていた。


「……その遺物は柄から切っ先までが全て黒一色の剣なのですな?」


 考え込んでいたワムシュが不意に口を開いた。


「ええ。バーニスはそう言っていたわ」


 イシルダがうなずいた。


「……やはり簒奪する刃で間違いなさそうですな」


「知ってるんですか?」


 ルシリアが聞いた。


「もしも、その遺物がワシの想像通りの代物であれば、これはグロバストン王国だけの問題ではすみません。この世界そのものに危機が迫っております」


 この大魔術師がこうまで動揺している姿などカロルは未だかつて見たことがなかった。


「ワムシュ、どういうことか教えて欲しい」


 カロルの問いかけにワムシュは首を横に振った。


「ワシでは十分な説明が出来ません。ワシが契約を結んだ相手、魂の管理者であるアズミットを呼び出す必要があります」


「わかった。すぐに用意をしてくれ」


 カロルはうなずいた。

 胸に根を張った不安が大きなつぼみをつけ、花開こうとしているのを感じていた。

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