第127話 裏切り者の末路

 昼を過ぎた頃、グロバストン王国の国境付近で王国の兵士達を蹴散らしたグレース達はタルボットが管理していた砦にたどり着いた。付き添っているヒルデがときおり声をかけていたものの、アルヴァンは未だに目覚めていなかった。


「ワシらは既に砦の指揮官を倒しておる。残った連中などどうとでもなるじゃろう」


 石造りの砦を前にしてジェイウォンが言った。


「そうですね。片付けてしまいましょう」


 グレースはヒルデに付き添われたアルヴァンがいる馬車に目を向けてからそう言った。


「自分が寝ている間に全て終わってしまったと知ったらアルヴァンが文句を言いそうだな」


 エイドレスはくつくつと笑った。


「アルヴァンちゃんが寝坊するのが悪いのよ」


 クルツも笑っていた。


「さて、始めるとするか」


 ジェイウォンは閉ざされている砦の門に歩いていった。

 門番に誰何されたがジェイウォンはそれを無視して閉ざされた門の扉にそっと両手を当てた。


「意外と良い素材を使っておる……まあ、なにを使おうが一緒じゃが」


 無視されたことに腹を立てた門番がジェイウォンの肩に手をかけようとしたとき、分厚い木で出来た門扉が吹き飛んだ。

 ジェイウォンが浸透勁で砦の門を粉砕すると轟音を聞きつけた兵士達が慌てて砦から出てきた。


 それを待ち構えていたジェイウォンとクルツ、エイドレスは一斉に襲いかかった。



「グロバストンの兵士ってこんなに柔(やわ)だったかしら?」


 出てきた兵士達をあっさりと片付けたクルツが頬に手を当てて言った。クルツは四体の人形を用意したのだが、二体しか使う必要がなかった。


「帝国だって似たようなものじゃよ。ロプレイジとグロバストンで戦をやっておった頃とは違うんじゃ」


 勝ち目がないことを悟って背を向けた兵士を後ろから抜き手で貫いたジェイウォンが言った。


「嘆かわしいわねえ」


 クルツはかぶりを振った。


「私はそうは思わん」


 クルツとジェイウォンは意外な言葉を口にしたエイドレスに目を向けた。


「肉は軟らかい方がいいに決まっている」


 灰色の狼の獣人は鋭い牙を見せてにやりと笑った。その口元は赤く染まっていた。


 クルツもジェイウォンも返す言葉が見つからなかった。




 午後に始まった砦の攻略は夕方にもならないうちに終わってしまった。砦を制圧した後、グレースは指揮官の部屋を自分のものにした。


 グレースは通信機を使ってワイルドヘッジの領内に残してきたベリットに連絡を取った。


「ベリット君、ボクらはグロバストン王国の砦を奪ったよ。そちらの調子はどうかな?」


「こっちも順調だ。後は手はず通りに部品を移動させてから組み立てるだけだな。楽しみにしてろよ! すっげえのが出来るから!」


 新しい発明品の進捗状況を語るベリットの声は弾んでいた。


「それにしてもお前らあっさり砦を奪っちまったな。国境のあたりの警備って普通もっと厳重なんじゃねえの? まあ、アルヴァンのやつは警備が厳重だと余計やる気出しそうだけど」


「それなんだけどね……」


 楽しげに語るベリットにグレースは何が起きたのかを説明した。



「アルヴァンがぶっ倒れただって!」


 話を聞いたベリットは通信機の向こうで素っ頓狂な声を上げた。


「驚くのは分かるけど、あまり大きな声を出さないで欲しいな……君の作った通信機は音がよく聞こえるから……」


 グレースは耳を押さえながらそう言った。


「そんなことはどうでもいいんだよ! あいつ一体どうしたんだ! 大丈夫なのか!」


「アルヴァン君への気遣いの十分の一でいいからボクの耳のことも気遣ってもらえるとうれしいんだけど……」


「グレース!」


 ベリットの声は今までで一番大きかった。


「わかったから少し落ち着いて。アルヴァン君は眠っているとしか思えない状態だよ。ローネンやジェイウォン殿が見たけど異常はない。ただし、なにをやっても起きてくれないんだ」


 グレースは努めて冷静に語っていたが不安を感じているのを隠しきることは出来なかった。


「そうか……アルヴァンはいまどうしてるんだ?」


 ベリットは少し落ち着いたようだった。


「ヒルデ君が付き添って砦のベッドで寝ているよ」


「それならじきに目を覚ましそうだな。ヒルデのやつが付き添ってたらアルヴァンもおちおち寝てられないだろ。あいつ、うるさいし」


 ベリットはそう言って笑った。


「そうだね。ボクもそう思って――」


 グレースが笑いながら答えようとしたとき、部屋の窓をコツコツと叩く音がした。


 窓を見ると、ローネンがくちばしで窓を叩いていた。


 グレースが窓を開けるとローネンが叫んだ。


「アルヴァン殿が目を覚ましましたぞ!」


 それを聞いたグレースは即座に駆けだした。ローネンも慌ててグレースの後を追った。


「どうしたんだよ、おい? グレース? グレース!」


 ベリットは何度もグレースに呼びかけたが返事が来ることはなかった。



 廊下を駆け抜けるとグレースはアルヴァンが休んでいる部屋の扉を勢いよく開けた。


「アルヴァン君!」


 大きな声を出したグレースに対して、アルヴァンは口の前に人差し指を立てた。

 反射的にグレースが口を閉じると、アルヴァンは部屋のベッドを指さした。


 ベッドではヒルデがすやすやと眠っていた。


 グレースは無言でこちらを促すアルヴァンとともに部屋を出ると音を立てないようにそっと扉を閉めた。


「すみません。ヒルデを起こしたくなかったので」


 ふたりで廊下に出るとアルヴァンは小さな声でそう言った。


「……全く。君ときたら突然倒れたかと思えば突然目を覚まして何事もなかったかのように振舞うんだから……」


 呆れたようにそう言ったが、グレースは安堵していた。


「迷惑をかけてすみません」


 アルヴァンは声を潜めて詫びた。


「普段であれば君に迷惑をかけられることなんてなんとも思わないんだけど、今回はそうもいかないね」


 グレースはどう答えたら良いのか分からずに戸惑っている様子のアルヴァンの手を取ると、自分の頬に押し当てた。


「あまりおおっぴらに認めたくはないんだけど、ボクは君がいないとダメみたいだ…………さあ、このボクにここまで言わせたんだから今後はそれ相応の振る舞いをしてもらうよ」


「……気をつけます」


 グレースに気圧されながらもアルヴァンはそう言った。


「それで、ここはどこなんですか?」


 グレースはこれまでの経緯をアルヴァンに説明した。



「そういうわけでボクらは君が寝ている間にグロバストン王国の砦をひとつ奪ったんだ」


 アルヴァンを連れて砦の指揮官の部屋に戻ったグレースは椅子に腰を落ち着けてこれまでに起きたことを語った。


「そうだったんですね」


 アルヴァンはときおりうなずきながらグレースの話を聞いていた。


「さてと、今度はボクが質問する番だね。あのとき、一体なにが起きたんだい?」


 グレースに聞かれたアルヴァンは国境近くまでグロバストンの兵士達を追い詰めたときのことを話した。



「まさかそんなことが起きていたとはね」


 アルヴァンの説明にグレースは驚きを隠せなかった。


「剣の生け贄に捧げられたアルヴァン君がフィーバルと和解して君を嵌めた里の連中を返り討ちにしたのは聞いていたけど、生き残りがいるとは思わなかったな……」


「僕も驚きました」


「君は本当にのんきだね」


 アルヴァンの態度にグレースはため息をついた。


「なんにしても、そのマヤという君の幼なじみはグロバストン王国に保護されていたわけだ。そして、彼女は協力者を得た……ヒルデ君が取り逃がしたエリヤフという人物だね。グロバストンの軍人だ。彼とともにアルヴァン君を追っていたマヤはついにボクらの元までたどり着いたわけだ」


「ペリンさんの演説の時に僕が見たのはエリヤフさんでした」


「なるほど。そうつながるわけか……マヤの協力者はかなり優秀らしいね。その点も問題だけど、一番厄介なのはマヤが使った術だ。簒奪する刃については色々と研究したようだ」


 グレースは顎に手を当てて考え込んだ。


「マヤの術については大丈夫だと思います」


 アルヴァンはこともなげにそう言った。


「……アルヴァン君、ボクがそれ相応の振る舞いをしてもらうって言ったのはついさっきのことなんだけど、君はもう忘れたのかい? それとも、ボクとの約束を反故にするつもりかな?」


 グレースはじろりとアルヴァンを見た。


「ええと、説明するのが少し難しいんですが、とにかく大丈夫です……信じてもらえませんか?」


「……君はズルいよね」


 グレースは胸の中の複雑な感情をはき出すように大きくため息をついた。


「わかったよ。君がそう言うならボクは信じる……惚れた側っていうのは立場が弱くて困るよ」


「ありがとうございます」


 アルヴァンはグレースに礼を言った。

 そのとき、部屋の扉がノックされた。


 グレースが返事をすると、ジェイウォンが入ってきた。


「おお、目が覚めたか」


 アルヴァンの姿を認めてジェイウォンが言った。


「ええ。もう平気です」


「お前さんが目覚めたのは何よりだが、少し相談したいことがあるんじゃよ」


「相談?」


 アルヴァンとグレースはそろって首をかしげた。




 砦の地下牢には濃い葉巻の香りが漂っていた。


「よお、久しぶりだな」


 ガスリンは牢屋の中で笑っていた。その顔は腫れ上がっており、足下には葉巻の吸い殻が何本も転がっていた。


「お久しぶりです」


 アルヴァンが言った。


「裏切り者相手にこの態度とはな……」


 ジェイウォンは呆れていた。


「君は本当に……」


 グレースは頭痛がするかのように額を押さえた。


「はっはっはっ! お前は相変わらずだな」


 ガスリンは大笑いした。


「事情は大体分かっているよ。マヤとエリヤフはアルヴァン君の足跡を追ってパイデールにやってきた。そして、君は彼らに手を貸すことにした……ボクらを裏切ってね」


 グレースは冷めた目で鉄格子の向こうのガスリンを見た。


「お前の方も相変わらずだな。付け加えておくと、俺たちはこの砦の指揮官だったタルボットってクソ野郎にお前達のことを話したんだがまるで相手にしてもらえなかった。それどころかお前らを追いかけるためにエリヤフとカイルが軍を脱走したからってんで全員まとめて牢屋にぶち込まれちまった。それでもマヤのやつが兵隊共から牢屋の鍵を奪って脱出しようとしたんだが、途中で見つかっちまってな。仕方ねえからこの俺が兵隊共相手に憂さ晴らしするついでに時間を稼いでやったってわけだ。まあ、あいつらを行かせた後は兵隊共に袋叩きにされて牢屋に逆戻りしちまったがな」


「そこにワシらがやってきて兵隊共を叩きつぶしたというわけだ」


 ジェイウォンが言った。


「俺は牢屋に入れられてたことに感謝しねえとな」


 ガスリンが言った。


「ガスリン、君はもう少し賢いと思ってたんだけどね……」


 グレースはため息を漏らした。


「なに言ってやがる。俺はお前が思ってるよりもずっと利口さ。でなきゃお前らを止めようなんて思わねえさ」


 ガスリンはにやりと笑った。


「そして、お利口なこの俺が察するにどうもお前らはあいつらを仕留め損なったらしい。それはつまり、マヤのやつの切り札がそこの怪物にも通用したってことだろ。めでたいじゃねえか。俺が体を張った甲斐があったぜ。ついでにあいつらがお前らを倒してりゃ最高だったんだが……」


 ガスリンはかぶりを振った。


「そうなっておればおぬしももう少し長く生きていられたじゃろうな」


 ジェイウォンが冷ややかに言った。


「お前よりは長く生きてるから心配すんなよ、若造」


 ガスリンはジェイウォンに言った。


「若造か……このワシがそんな風に呼ばれる日が来るとは……長生きはしてみるものじゃな」


 ジェイウォンは屈強な若者の体を揺らしてくつくつと笑った。


「おかしなやつだ……まあ、俺はやりたいようにやらせてもらった。後は好きにしろよ」


 ガスリンはアルヴァンを見据えた。


「好きにしろって言われても……あなたを壊しても面白くないし……」


 アルヴァンは困っているようだった。


「こんな時までそれを基準に判断しないで欲しいな」


 グレースが目を細めた。


「僕は楽しいからやってるだけなので……」


 睨まれたアルヴァンは言いよどんだ。


「殺したくねえなら生かしといてくれてもいいんだぜ」


 ガスリンは挑むように言った。

 そのとき、地下牢への階段を降りてくる足音が聞こえた。


「アルヴァンが目を覚ましたと聞いて来てみれば……」


 地下牢に降りてきたのはエイドレスだった。


「ご迷惑おかけしました。僕はもう大丈夫です」


 アルヴァンはエイドレスに言った。だが、灰色の狼の獣人はアルヴァンの方を見てはいなかった。


 狼の目は牢屋の中のガスリンだけを見ていた。


「こんなことなら砦の兵隊共には手を出さなければよかった」


 エイドレスはかぶりを振った。


「……とはいえ、まだ余裕はあるな」


 腹を撫でながらエイドレスが言った。


「ええと、僕らは退散した方が良いかな?」


「そうだね」


「付き合う理由もない」


 アルヴァンがそう言うと、グレースとジェイウォンもうなずいた。


「じゃあ、僕らはこれで」


 アルヴァンはそう言ってガスリンに背を向けた。


「お、おい、どうした? なんなんだよ……」


 ここに来て初めてガスリンの顔に焦りと不安が浮かんだ。


「一番の楽しみというものは静かな場所でじっくりと堪能しなくてはならない」


 エイドレスはアルヴァン達の背中を見送ると厳かにそう言った。


「な、なんだよ……お前もアルヴァンの同類だろ……俺みたいなのを痛めつけて喜ぶ趣味はねえだろ……」


 ガスリンは後ずさった。だが、牢屋は狭く、彼の大きな背中はすぐに壁にぶつかった。


「アルヴァン同様、私にも相手を痛めつける趣味はない」


 その言葉を聞いて、ガスリンの胸に安堵が広がった。


 エイドレスは牢屋の鉄格子に鋭い爪が生えそろった手をかけた。


「……痛めつける趣味はないのだが、食事はじっくりと味わう主義だ」


 灰色の狼の太い両腕が牢屋の鉄格子を広げた。


「……食事……味わう……お前、なに言ってんだよ……」


 ガスリンはこの狼がなにを言っているのか分からなかったし、分かりたくなかった。


「……いただきます」


 満面の笑みを浮かべた狼の口からはよだれがしたたっていた。 

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