第128話 権力という名の武器

 グロバストン王国軍中佐ラウル・タルボットは自らの家名に誇りを持っている。


 それ故にラウル・タルボットは家名をひけらかしたりはしない。家名を笠に着て威張り散らすなど恥でしかないと思っていた。


 だが、忠誠を誓った祖国、グロバストン王国が危機に瀕しているとなれば話は別だった。祖国を守るためならばラウル・タルボットは手段を選びはしなかった。


 サレッタ川を出発したタルボット達が最初に見つけた街では、ちょうど町長が夕食を取っているところだった。タルボットは夕食の席にずかずかと乗り込んでいくと、柔らかいパンにかぶりついていた町長に対してすぐに人数分の馬を用意するように命じた。それに加えて、町長のための豪勢な食事も徴発した。


 町長は唖然としていたが、乗り込んできたのがグロバストン王国でも指折りの名家であるタルボット家の御曹司となればおとなしく言うことを聞くほかなかった。


 タルボットは媚びるような笑みを向けてくる禿げ頭の町長に素っ気なく礼を言うと用意させた馬に飛び乗った。急いで料理を腹に詰め込んだエリヤフ達もそれに続いた。


 満月が闇夜に浮かぶ中、町長が持たせてくれたランタンを手にしたタルボットは先頭を走っていた。


「これが権力というものだ……ほとほと嫌になるがこれほど役に立つものもない」


 街から一番近い軍の砦に馬を走らせていると、タルボットが吐き捨てるように言った。


「なるほど。お前は権力が嫌いなようだ。だが、我々が無事にアルヴァン達を止めたとなれば、お前はさらなる権力を手にすることになるだろう。よかったな、タルボット」


 いつの間にかタルボットの隣に馬をつけていたエリヤフがにやりと笑った。


「……本当に不愉快な男だ」


 気分を害した名家の御曹司はさらに馬の速度を上げた。

 エリヤフとマヤは慌てて、カイルは淡々と、彼を追いかけたのだった。



 グロバストン王国を守るためとあれば、ラウル・タルボットはグロバストン王国軍が相手でも容赦しなかった。


 エリヤフ達が軍の砦に着いたのは夜更けだったが、タルボットは侵しがたい威厳を感じさせる足取りで閉ざされた門に向かって歩いて行った。


 眠そうに目をこすっていた若い門番がタルボットが持つランタンの明かりに気づいた。


「なんだ、お仲間でしたか……こんな時間に何の御用です?」


 タルボットが着ている王国の軍服に目を留めた門番は警戒を緩めた。


「この砦の指揮官に会いたい。今すぐにだ」


 有無を言わせぬ傲慢な態度でタルボットが言った。エリヤフとマヤは落ち着かない様子で、カイルは無表情で、召使いに命じるように話すタルボットを見ていた。


「ご冗談でしょう、中佐殿。この砦にいるのはハーカー大佐ですよ。大佐はとっくにベッドに入ってます。それをこんな時間にたたき起こすだなんて……」


 門番は引きつった笑みを浮かべた。


「この砦にいるのは大佐らしいが、お前の目の前にいるのはタルボット家の御曹司だ。どちらに従うべきかはわかるだろうな?」


 そう言ってタルボットは腰に差していた短剣を見せた。その優美な短剣の柄にはタルボット家の証である交叉する二本の槍の紋章があった。


 門番は少しの間、時が止まったかのように短剣の柄を凝視していた。


 そして、顔を上げて王国軍の中佐を見た。しかし、そこにいたのは名家タルボット家の傲慢な御曹司だった。


 御曹司は顎をしゃくって門番を促した。


 若い門番はハーカー大佐をたたき起こすために駆けだした。



 ハーカー大佐は門番よりも物わかりの良い人物だった。

 タルボット達を私室に招き入れたハーカーは彼らに椅子を勧めた。だが、タルボット達は座ろうとはしなかった。


「さて、私は貴殿をなんと呼ぶべきだろうか? ラウル閣下か? それともタルボット中佐か?」


 自分の椅子に腰掛けたハーカーは面白がっているかのようにそう言った。


 軍人として長く生きるうちになめし革のようになった彼の顔には笑みが浮かんでいた。


「ご無礼をお詫びいたします、ハーカー大佐」


 タルボットは立ったまま上官に深々と頭を下げた。


「……ラウル・タルボット中佐は他人に厳しいが、それ以上に自分に対して厳しい男だと聞いている。その君がこのような無茶をするとは……おまけに君の隣にいるのは軍を脱走したはずのレイモンド・エリヤフだ。一体なにがあったのだね?」


 問いかけるハーカーの目は鋭く光っていた。


 エリヤフは思わず姿勢を正した。


「グロバストン王国に破滅的な危機が迫っております。女王陛下に知らせなければなりません。王都との魔術通信回線を使わせていただきたい」


 タルボットは再びハーカーに頭を下げた。


「……私が考えていたよりも深刻な事態のようだ……」


 頭を下げる貴族の御曹司を見てハーカーはかぶりを振った。


「詳しい事情を聞くよりも回線を開くことを優先した方が良さそうだな」


「ご配慮に感謝いたします」


 タルボットは頭を下げた。



 その日、ウィレム・エステバルロ准将は深夜まで仕事をしていた。

 王都にある自宅の執務室で書類仕事に没頭していたエステバルロは、誰かが慌ただしく廊下を走っている音を聞いて目を通していた書類から顔を上げた。


 執務室の扉が控えめにノックされた。


「どうした?」


 エステバルロが聞いた。


「夜分遅くに申し訳ございません。准将宛に通信が入っているそうです」


 エステバルロに仕えているメイドが答えた。


「この時間にか? 相手は誰だ?」


「レイモンド・エリヤフ中佐だそうです」


 メイドの言葉にエステバルロは耳を疑った。



 エステバルロは困惑していた。

 通信は国境沿いを流れるサレッタ川の下流付近にある王国の砦からだった。


 だが、メイドは確かにエリヤフ中佐からだと言っていた。

 わけが分からなかったが、エステバルロは通信に応答するために王都にある軍の司令部に馬車を向かわせた。



 グロバストン王国の武力を司る王国軍司令部は深夜であってもその威容に変わりはなかった。荘厳さと堅牢さを兼ね備えた大きな建物のいくつかの窓からは明かりが漏れていた。

 馬車を降りたエステバルロは緊張した面持ちで司令部の門をくぐり、砦との通信用の魔法陣が描かれた部屋に入った。


 部屋に置かれた椅子に腰掛けて呼吸を落ち着けてから回線を開いた。


「エステバルロだ」


 警戒した声でそう言うと、すぐに返事が来た。


「ご無沙汰しております。レイモンド・エリヤフです」


 魔法陣を通して聞こえてきたのは確かにエリヤフの声だった。


「エリヤフ中佐、本当に君なのか……いや、君はもう中佐では……」


 エステバルロは言いよどんだ。


「准将、今は私の立場を論じている場合ではありません。グロバストン王国に危機が迫っております」


 エリヤフの声は落ち着き払っていた。


「危機だって?」


 戸惑いを隠せないエステバルロに対して、エリヤフは驚くべきことを語り出した。



「そんなバカな……」


 エステバルロはそうつぶやいた。夢なら早く冷めて欲しい。エステバルロはそう思った。


「仰るとおり、バカげた話です。ですが、エリヤフが語ったことは全て事実です。タルボットの名にかけて私が保証いたします」


 そう言ったのはエリヤフに命を救われたというラウル・タルボット中佐だった。タルボット家の御曹司が脱走兵と手を組んで自分を謀ろうとしているなどということは到底考えられない。


 となればエリヤフが語ったことは全て真実なのだ。


 帝国軍の隠れ里。そこに隠されていた遺物。遺物の生け贄に捧げられたマレビトの青年。遺物を手にした青年の暴走。

 隠れ里を出た青年は走り続け、ついにはフィラム伯爵をも打倒した。


 そしていま、彼はきわめて危険な仲間とともにこのグロバストン王国を狙っているという。


 どれもこれもエステバルロには受け入れがたいことだった。

 しかし、そんなことを言っていられるような状況ではないらしい。


 エステバルロは顔を上げるとおもむろに口を開いた。


「エリヤフ中佐、正直なところ、私はまだ君の話を飲み込むことが出来ない。だが、私が君の言葉を信じられるまで待っている暇はなさそうだ」


「准将、申し訳ないのですが、その通りです」


 エリヤフの声は固かった。


「少し待っていてくれ。すぐに戻る」


 エステバルロは椅子から立ち上がると、主君の元へと走った。




 眠っていたヒルデは扉をノックする音で目を覚ました。


「どなたですの?」


 寝ぼけたままそう答えてベッドから体を起こした。


「僕だけど、入ってもいいかな?」


 その声が耳に届くと同時にヒルデはベッドから飛び出した。

 はやる気持ちを抑えてドアノブを掴み、勢いよく扉を開けた。


「起こしちゃったみたいだね」


 ヒルデの乱れた髪に目を留めて、アルヴァンは苦笑した。


「……アルヴァン……様……」


 ヒルデはアルヴァンの手を取った。


「目が覚めたのですね……よかった……本当によかった……」


 無事を確かめるようにアルヴァンの手をさするヒルデの瞳からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。


「心配かけちゃったね。もう大丈夫だから」


 アルヴァンが言った。


 それでもヒルデはアルヴァンの手を離そうとはしなかった。


「わたくしはまだアルヴァン様の隣にいられるのですわね……」


 ヒルデは噛みしめるようにそう言った。


「そうだね。僕もそうしてもらえると嬉しいよ」


 アルヴァンがうなずいた。


「嗚呼、アルヴァン様……わたくし『だけ』に隣にいて欲しいだなんて……アルヴァン様からそのように言っていただけると……わたくしは……」


 ヒルデは頬を赤く染めてアルヴァンを見つめた。その手はがっしりとアルヴァンの手を握りしめていた。


「さっきと言ってることが違うような気がするんだけど……」


「そんなことはありませんわ」


 ヒルデの否定は不自然なほどに早かった。その手は決して逃がすまいとアルヴァンの手を掴んだままだった。


「……この状況で言質を取りに来るとは……常々思っていたことだけど、ヒルデ君はちょっとたくましすぎるんじゃないかな」


 二人の間に割って入ったのはアルヴァンとともにヒルデの様子を見に来ていたグレースだった。


「ボクも気を遣って多少のことは大目に見るつもりでいたんだけど、これは流石に度を超しているよ」


 ひどく落ち込んでいたヒルデに気を遣っていたグレースだったが、ヒルデが状況を利用して仕掛けてきたのを見て態度を変えたのだった。


「あらあら、女狐さんもいらっしゃったのですか。気を遣ってくださるのであれば、多少のことは大目に見るだなんてみみっちいことを仰らずに永遠に身を引いていただけませんこと?」


 今になってようやくグレースがいることに気づいたとでも言いたげに、ヒルデはわざとらしく目を丸くした。


「君はもう少し慎みというものを持った方が良いんじゃないかな」


 グレースの穏やかな声には確かな怒りが込められていた。


「おほほ、その言葉はそっくりそのままあなたにお返しいたしますわ」


 ヒルデは上品な笑みを浮かべていたものの、その紅い瞳にははっきりと苛立ちが現れていた。



「よくもまあ、毎度毎度飽きもせず……」


 少し離れたところから三人を眺めていたジェイウォンは心底呆れていた。


「まあ、いつも通りに戻ったのは良いことではないですかのう……多分」


 ジェイウォンの肩にとまっているローネンは自信なさげにそう言った。

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