第123話 変わらない笑み

「生きてたんだね」


 マヤを見てもアルヴァンはあまり驚いてはいないようだった。


「私達はあなたを利用して殺そうとした。それは謝って済むことではないわ。それでも、私は謝らなければならない。アルヴァン、ごめんなさい」


「気にしなくていいよ」


 アルヴァンは穏やかに笑っていた。

 その笑みは隠れ里にいた頃とまったく変わっていない。


 このどこか頼りなさそうな幼なじみがあれほどのことをやったことが信じられなくなってしまいそうだった。


「……あのときフィーバルはあなたを操ってはいないと言った。そんなことは信じられなかった。でも、今ならわかるわ……これが、あなたなのね」


「隠してたのは悪かったと思うけど、そこはお互い様じゃないかな」


 マヤにはこのアルヴァンが嵌められたことを恨んでいるとは思えなかった。

 アルヴァンは怒りや憎しみ、復讐や報復のためにこんなことをしているのではない。


 ただ、楽しいだけなのだ。


「私が謝っても意味がないのね」


「僕は恨んでもいないし怒ってもいないよ。今はすごく楽しいから」


 アルヴァンの手にはどす黒い魔力を纏う漆黒の剣があった。そして、彼は楽しそうに笑っていた。


「止めるわ。あなたは私が止める」


 マヤはアルヴァンを嵌めたときと同じように杖を構えた。


 アルヴァンの笑みが大きくなった。

 だが、彼はマヤを見てはいなかった。


 アルヴァンの視線の先にいたのは名刀と短剣を構えた青年だった。


「久しぶりですね」


 アルヴァンがカイルに声をかけた。


「僕は、やっと、罰を受けることが出来る」


 カイルの顔は骨のように真っ白になっていた。

 両脚はがくがくと震え、がちがちと歯が鳴っていた。怯えているのは一目瞭然だった。


 だが、その瞳は例えようもないほどの喜びに輝いていた。


「カイルさん……」


 アルヴァンと対峙して極限の恐怖に晒されることを心の底から喜んでいるカイルの姿に、マヤは胸が張り裂けそうだった。


「あのとき放っておいてよかった」


 アルヴァンは満足そうだった。


「あのとき……そうだ……僕は……嘘つきだ……アーシャ……僕はこれから……罰を受ける」


 カイルはアルヴァンに躍りかかった。突き出したフレドの短剣は黒い剣に受け止められた。


 だが、短剣はほんの少しだけアルヴァンを押し込んだ。


「前とは全然違いますね」


 アルヴァンが言った。


「僕は罰を受けなければならない。それは少しでも長く君と対峙することだ」


 恐怖に震えるカイルの目には涙が光っていた。

 両腕はガタガタと震えている。それでもその動きは全く鈍っていなかった。


「面白い人ですね」


 アルヴァンが楽しげに笑っていた。


 カイルが繰り出す剣はそれほどまでに鋭かった。


 こんなことは間違っている。マヤにはカイルが一分一秒でも長く恐怖に晒されることが償いになるとは思えなかった。


 それでもマヤはカイルに頼らざるを得なかった。


 アルヴァンの強さは常軌を逸している。

 簒奪する刃を無力化する方法はあるが、まともに戦えばそんなことをする前に殺されてしまうだろう。


「カイルさん! 少しだけ時間を稼いでください!」


 アルヴァンを止めるために、カイルの苦しみを早く終わらせるために、マヤは杖を構えて術の準備を始めた。


「なにかやるつもりかな?」


 カイルに向かって簒奪する刃を振り下ろしながらアルヴァンはマヤに目を向けた。


 漆黒の剣はアーシャの形見の刀に逸らされた。

 体勢を崩したアルヴァンの首めがけてフレドの短剣が振り抜かれた。


 アルヴァンは黒い魔力による障壁を張りつつ短剣を躱した。


 だが、アルヴァンの首筋には浅い傷がつけられていた。


「僕は罰を受けたいんだ。手を抜かないでくれ」


 カイルは不満そうに顔をしかめていた。


「いまのは僕が悪かったですね」


 アルヴァンは首筋の血をぬぐった。彼の体からあふれだすどす黒い魔力がさらに力強くなった。


「これだ……あのとき僕が逃げ出したもの……僕はいま、罰を受けている」


 カイルの瞳から止めどなく涙があふれた。だが、その瞳には異様な光が宿っていた。


「放っておいて本当によかった」


 カイルは泣きながら、アルヴァンは笑いながら、互いの剣を打ち合わせた。



 アルヴァンの人差し指から放たれた白い閃光をフレドの短剣で受けた。


 側面に回り込んでいたアルヴァンが剣を振るってどす黒い魔力の刃を飛ばしてきた。


 カイルの持つアーシャの刀が黒い魔力を切り裂いた。


 驚きに目を見張るアルヴァンに向かって踏み込み、その胸をフレドの短剣で突く。


 だが、突き出された短剣は簒奪する刃によって天高く弾き飛ばされた。


「罰はもう終わりですね」


 アルヴァンが簒奪する刃を振り上げた。


「まだだ。まだまだ足りない」


 カイルはアーシャの刀を地面に突き立てた。

 そして、その両手がかつてのフレドと同じように印相を結んだ。


「カイルさんも出来たんですね」


 アルヴァンの視線の先で打ち上げられた短剣が次々と分裂していった。


「この術を使うとフレド隊長を思い出す。この術を使うとアーシャの最期を思い出す。この術を使えば、僕は苦しむことが出来る。だから僕はこの術を覚えたんだ」


 そう語るカイルは腕を振って分裂した短剣をアルヴァンに飛ばした。

 その顔は苦痛にゆがんでいた。


 上から飛んでくる無数の短剣にアルヴァンが身構えていたとき、カイルはすでに印相を結び終わっていた。


「アーシャの刀でフレド隊長の術を使うことは、どこまでも僕を苦しめる」


 カイルの周囲には無数に分裂したアーシャの刀があった。刀は一斉にその切っ先をアルヴァンに向け、無数の短剣とともに襲いかかった。


 頭上と側面からの攻撃が迫るなか、カイルはアルヴァンの銀色の髪が黒く染まるのを目にした。


 簒奪する刃が振動し、異様な音を発した。


 アルヴァンが剣を振るうと、彼に迫っていた無数の刃はあっけなく消し飛ばされた。


 黒い髪のアルヴァンはカイルに向き直った。


「ああ……これほどまでの恐怖があったなんて……」


 カイルは魅せられたかのようにアルヴァンを見つめていた。


「そんな風に反応する人は初めて見ましたよ」


 アルヴァンは少し驚いているようだった。それでもアルヴァンはカイルに向かってきた。


「カイルさん! 離れてください!」


 見たこともない姿になったアルヴァンにマヤは焦っていた。魔力の禍々しさがさらに増している。


 こんな魔力を人間が発していることがマヤには信じられなかった。


 準備はまだ完全ではない。だがあんな姿になったアルヴァンとカイルを戦わせるわけにはいかなかった。


 カイルは指示に従ってくれた。震える足でアルヴァンから距離を取った。

 アルヴァンにはカイルを追うつもりはないようだった。


「準備は出来たのかな?」


 黒い髪のアルヴァンは首をかしげた。

 その様子がいつものアルヴァンとまったく同じであることにマヤはどうしようもないほどの恐怖を感じていた。


 マヤは杖を振った。


 アルヴァンの足下に魔法陣が現れ、赤く光った。


「こんなものなの?」


 アルヴァンはがっかりした様子で足下を見ていた。


 だが、黒かった彼の髪が徐々に銀色に戻っていった。


「あれ?」


 銀髪に戻ったアルヴァンががくりと膝をついた。


 その手から漆黒の剣が落ちた。


「『簒奪』」


 マヤがそう唱えると、アルヴァンは絶叫した。

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