第121話 ついていけない
ガスリンのおかげでエリヤフ達はなんとか砦の責任者に話を聞いてもらえることになった。
しかし、武器を取り上げられ、兵士に両手を縛られて責任者の部屋まで連行された彼らを待ち受けていたのは、エリヤフが最も会いたくない人物だった。
「帝国の遺物探索部隊の隠れ里……簒奪する刃……それに終の戦団か……」
エリヤフ達の説明を聞き終えたラウル・タルボット中佐の声には明らかな嘲りが含まれていた。エリヤフよりも少し若いが、タルボットの髪は大分後退している。だが、その細身の体は鍛え抜かれており、軍人としての威厳があった。
「かのご高名なレイモンド・エリヤフ中佐がまさかこんな世迷い言を口にするとは……ああ、失礼した。今はもう中佐ではなかったな」
タルボットはたっぷりの皮肉を込めてエリヤフに詫びた。
「信じられない気持ちはわかる。私もお前の立場だったら同じことを言うだろう。だが、これは紛れもない事実だ。きわめて強力な遺物を持ち、フェイラム伯爵をも打倒したアルヴァン率いる終の戦団はグロバストン王国に迫っている。タルボット、このことはなんとしても女王陛下にお伝えしなくてはならない」
エリヤフは必死で説得を試みた。
しかし、椅子に腰掛けたままのタルボットは軍服の襟のあたりを手で払っていた。ぴしりと折り目が付いた軍服には埃などひとつも付いていないことを知りながら。
「私は先ほど、お前はもう中佐ではないと言ったはずだが」
タルボットはため息をついた。その目は王国の軍服とは似ても似つかないエリヤフの薄汚れた服に向けられていた。
エリヤフ達を連行してきた兵士達が忍び笑いを漏らした。エリヤフは顔が赤くなるのを感じた。
「タルボット中佐、私がエリヤフ中佐を無理矢理連れ出したんです! ですから……」
たまらずマヤが声を上げた。
「何度も言わせないでくれ。その男はもう中佐ではない。もっとも、君のような若い娘に良いように利用されたというのであれば元々中佐の地位にはふさわしくなかったのだろうな」
タルボットは口の端を吊り上げた。
「よくもそんなことを!」
「マヤ君」
エリヤフは激高して立ち上がろうとするマヤを制した。
マヤは力なく椅子に座り込んだ。
「やれやれ……このお嬢さんはずいぶんと頭に血が上りやすいようだ。そこでおとなしくしている彼のことを少しは見習ったらどうだね」
タルボットはなにも言おうとはしないカイルに目を向けた。
彼はカイルを見くびっていた。
しかし、物言わぬ若者の瞳を見ていると、タルボットは言いようのない不安を覚えた。
「……と、とにかく、お前達ふたりは脱走兵だ。それ相応の処分が下されるのを覚悟しておけ」
タルボットはこびりつく不安を無理矢理振り払い、軍人らしく威厳を込めて言った。
マヤは反論しようとしたが、エリヤフが目で制した。
「そっちの娘は脱走の協力者として拘束する。それと、門番を殴ったあの男は暴行犯として罰を受けてもらう。以上だ」
タルボットが合図すると兵士達はエリヤフ達を椅子から立ち上がらせた。
「……ひとつ言い忘れていた。お前達の言うことでひとつだけ正しい部分があった」
ドアをくぐろうとしていたエリヤフは思わず振り返った。
「フェイラム伯爵を倒した反乱軍共がグロバストン王国を敵視しているという点だ。奴らが兵を集めて王国に向かっていることはこちらでも確認している」
「では、女王陛下に……」
期待を込めてエリヤフが言った。
「心配するな。運良く御山の大将に勝っただけの連中に過ぎん。このラウル・タルボットが本物の軍人の怖さというものを教えてやる」
「この砦の人員だけでアルヴァン達と戦うつもりか! 危険すぎる!」
エリヤフは血相を変えてタルボットを止めようとした。
「その通りだ。我々は実に危険だよ。自分の力を勘違いしてしまった哀れな連中にとってな」
タルボットがそう言うと、砦の兵士達は笑い声を上げた。
「さて、おしゃべりはもう終わりだ。私は出撃の準備をしなくてはならない」
兵士達は真っ青になったエリヤフを牢屋に連れて行った。
砦の地下に連行されたエリヤフは牢屋に入れられた。
「ここまで派手に失敗しちまうとはな……」
事情を聞くとガスリンは天を仰いだ。ガスリンの牢屋はエリヤフの左隣だった。
エリヤフの右隣の牢屋にはカイルがいた。彼は粗末なベッドに腰掛けて石造りの壁をじっと見つめていた。
「タルボットがこの砦にいるとは思わなかった」
エリヤフは悔しさをぶつけるように鉄格子を握りしめた。
「知り合いなのか?」
「王国の軍士官学校の同期だ。もっとも、私は一兵卒として軍に入って経験を積んだ後で士官学校に入学したからタルボットの方が年下だがな」
「兵卒から士官学校とはね。あんた、優秀だったんだな」
ガスリンは素直に感心していた。
「私など大したものではない」
「祖国に迫る危機も見抜けねえ奴よりはよっぽどいいだろ」
ガスリンが言った。昨夜の騒動で捕らえられたとき兵士達から袋叩きにされて彼の顔は腫れ上がっていた。
「情報を持ちこんだのが私でなければタルボットも……」
「そうかも知れねえけどよ、過ぎたことをどうこう言ったってしょうがねえぜ」
「……そうだな。問題はどうやってタルボットを救い出すかだ」
エリヤフは顔を上げた。
「…………」
「なんだ? 私はなにかおかしなことを言ったか?」
「いやあ、あんたはすげえよ。俺だったらあんなクソ野郎は迷わず見捨てるな」
ガスリンは思わず拍手を送った。
「私が軍人をやっているのは国を守るためだ。気に入らない奴が死んでいくのを眺めるためじゃない」
「気に入らない奴だってことは認めるんだな。反吐が出るような聖人君子様じゃなくて安心したぜ」
ガスリンが笑っていると、上の方から兵士達に命令を下すタルボットの声が響いてきた。
「まずいな。クソ野郎様の御出陣だ」
「クソッ、一体どうすれば……」
エリヤフは鉄格子に拳を打ち付けた。しかし、頑丈な鉄格子はびくともしなかった。
打つ手がないまま時間が過ぎていくなか、不意にカイルが口を開いた。
「……彼女が来ます」
すると、通路の奥から鈍い音がした。
鈍い音は少し間を置きながら合計三回聞こえてきた。
エリヤフが疑わしげな目で音の方を見ていると、愛用の杖を持ったマヤが走ってきた。
「中佐、遅れてしまって申し訳ありません。彼らはもう行ってしまいました。急いで後を追わなくては」
エリヤフの牢の前に立つとマヤが言った。
「一体どうやって……」
「手段を選ばなければ色々とやりようはあります。さっきの件もあったのでためらう必要はありませんでした」
エリヤフが呆然と立ち尽くしているとマヤは鈍く光る鍵を掲げてみせた。
「まったく、女は恐ろしいな」
ガスリンはため息をついた。しかし、その顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。
手早く鍵を開けるとマヤは三人を牢屋から出した。
「武器も回収してあります」
マヤは背負っていた包みを下ろしてカイルとエリヤフに武器を渡した。
「よし。すぐにタルボットの後を……」
「いたぞ! あの女だ!」
エリヤフが言いかけたとき、マヤを追って兵士達がやってきた。
「こんなときに!」
エリヤフは舌打ちすると走ってくる兵士達に向き直った。
「なにやってんだ。雑魚共の相手は俺がやってやる。お前らはとっととクソ野郎を追いかけろ」
エリヤフを制して前に出たのはガスリンだった。
「お前……」
「昨日はしこたま殴られたからな。今度は俺の番だ」
ガスリンは拳を打ち合わせた。
「……ガスリン」
「なんだよ?」
ガスリンは神妙な面持ちのマヤに顔を向けた。
「恐らく私達はここに戻れない。簒奪する刃を無力化しようにもアルヴァンには仲間がいる。今の戦力では終の戦団を相手にすることは出来ない。彼らを倒すには王国の最高戦力である女王と王の手の協力が不可欠なの。だから、今はこの砦を捨ててタルボット中佐を逃がすことが精一杯よ」
「だろうな」
「つまり、アルヴァン達はこの砦までやってくる」
「そりゃそうだ」
ガスリンが言った。
「自分がなにを言っているのか分かっているの! あなたは彼らを裏切ったのよ! 彼らがここまで来てしまったら……」
「……俺は悪党だ。ガキの頃から裏の世界一筋だ。殺した人間の数なんざ覚えちゃいねえし、殺したことを悔やんだことなんて一度もねえ。でもな、こんな俺でも流石にあいつらにはついていけねえんだよ。だからよ、お前らはせいぜい頑張ってあいつらを止めてくれや。まあ、今すぐにってわけにはいかねえみてえだがな」
そう言ってガスリンは口の端を吊り上げた。しかし、肉付きのいいその顔は青ざめており、太い両脚はカタカタと震えていた。
「……止めるわ。必ず」
それだけ言うとマヤはガスリンに背を向けた。
ガスリンが雄叫びを上げて兵士達に殴りかかるなか、エリヤフ達は走り出した。
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