第118話 女王バーニス・マルフロント・グロバストン
砦での騒動から遠く離れたグロバストン王国の王都グロバストンでは、いつも通りの穏やかな日々が続いていた。
活気に満ちた王都の大通りから少し離れた場所に石造りの立派な建物があった。
堂々とした佇まいの建物からは大勢の子供達の元気な声が聞こえてきていた。
建物の入り口には金文字で王立孤児院と書かれた看板が誇らしげに掲げられていた。
午後の授業の終了を知らせる鐘が鳴ると、子供達は孤児院に併設されている広い庭に出て遊び始めた。
外は少し暑かったが、そんなことはお構いなしに子供達は追いかけっこをしたり、ボール遊びをしたりしていた。
子供達は元気に楽しく過ごしていた。
そして、そんな子供達を庭の茂みの影からこっそりと見ている若い女性の姿があった。
手入れの行き届いた見事な金色の髪は少し短めに切りそろえられている。ややつり上がった目は普段であれば鋭い光を帯びており、きつい印象を与える。
だが、今の彼女は柔らかな表情で子供達を見守っていた。
「今日は少し暑いのだからあまり走り回って欲しくはないのだが……」
彼女は少し心配そうにしていた。孤児院の職員に注意するべきだろうか。迷いながらも彼女は辺りを見回して職員を探した。
「あのー、なにか御用でしょうか?」
突然後ろから声をかけられて、彼女は飛び上がった。
慌てて振り向くと、そこにはほうきを持った職員の女性がいた。職員の女性は疑わしげにこちらを見ていた。
「いや、その、わらわ……じゃない、わたしは……」
茂みと一体化して完璧に隠れていたはずなのに発見されてしまったことに彼女は慌てていた。
その慌てぶりを見て、職員の女性の目がさらに細くなった。女性の手は用心するかのようにしっかりとほうきを握りしめていた。
彼女が途方に暮れていると、遊んでいた子供達がこちらに気づいてとことこと歩いてきた。
「あ、女王陛下だ」
「女王様また来たの?」
「来るときはちゃんと院長に連絡しとかないとダメだよ」
子供達が言った。
「あなたたち! 女王陛下はとても立派な方なのよ! それなのにこんな怪しい人を女王陛下と呼ぶだなんて!」
職員の女性は子供達をしかりつけた。
「うそじゃないもん」
「女王陛下はよく来るんだよ」
怒られた子供達は不満そうだった。
「何を言うか……わらわはバーニス・マルフロント・グロバストンなどでは……」
彼女はなんとか誤魔化そうとしていた。
「……陛下、このような形でのご訪問は大変困ると何度も申し上げたはずですが」
騒ぎを聞きつけたドリーン院長が杖をついてやってきた。髪はすっかり白くなり、最近になって足も悪くなってきた院長だが、怒ったときの顔は彼女が孤児院にいた頃と全く同じだった。
「わらわは……その……」
孤児院を出てから波瀾万丈の人生を送り、この国の女王となっても彼女にとっての院長は怒らせると怖い子供の頃の院長のままだった。
「うそ……でしょう……じゃあ、この方は……」
ようやく状況を飲み込めた職員の女性が思わず息をのんだ。
「わらわは……」
「そうだ! このお方こそがこのグロバストン王国を治める心優しき女王! バーニス・マルフロント・グロバストン女王陛下だ!」
バーニスが自分の正体を明かそうとしたとき、彼女が隠れていた茂みとは別の茂みから筋骨隆々とした大男が飛び出して声を張り上げた。
「あ、王の手のグラン護衛隊長だ」
「相変わらずでっかいねー」
「いつも暑苦しいよなー」
子供達は大男を指さして言った。
「口さがない小童共め! この私のどこが暑苦しいというのだ!」
女王直属の特務部隊『王の手』の一員にして女王の護衛隊長を務めるグラン・モーランは鍛え抜かれた鋼のような体を見せつけた。岩を切り出したかのようにごつごつした彼の顔は見事に手入れされた髭で覆われていた。
「なにからなにまで」
子供達は口をそろえてそう言った。
「生意気な口をききおって……」
グランは顔をしかめた。
「グラン」
バーニスが声をかけるとグランは素早く振り向いた。
「陛下! この小童共に私がいかにさわやかな男であるかをよく言い聞かせて……」
「あれほどついてくるなと言ったであろうが!」
バーニスは王宮を出る前に散々言い聞かせたにも関わらず後をつけてきていたグランに対して怒りを露わにした。
「お忍びで子供達を見守りたいという陛下のご意志は尊重いたします」
かしこまってグランが言った。
「女王様、忍べてないよな」
「全然だよね」
「グラン隊長よりはマシじゃない?」
子供達は率直な感想を述べた。
「しかし! 私はあなたの教育係を務め、今は護衛隊長としてあなたにお仕えしているのです! 万が一あなたの身に何かがあれば、私は……私は……!」
グランは目に涙を浮かべていた。
「グラン護衛隊長、みっともないのでこんなところで泣かないでください」
突然割り込んできた冷ややかな声にその場の全員が驚いた。
エプロンドレス姿で頭にはカチューシャを着けた声の主は、冷めた目で泣き出した大男を見ていた。
「パティ! 私の陛下への思いがみっともないと言うのか!」
「みっともないのは陛下への思いではなくグラン隊長の振る舞いです。それと、私のことはパティではなくパトリシアと呼んでください。親子とはいえ、公私の区別をつけなくては他のものに示しがつきません」
護衛隊長グラン・モーランの娘であり、父と同じ『王の手』の一員にして女王バーニス付きのメイドを務めるパトリシア・モーランは冷たく言った。
「パトリシアさんだ」
「グラン隊長とは全然似てないよな」
「似てない方がいいだろ」
子供達は相変わらず遠慮がなかったが、パトリシアに睨まれると口をつぐんだ。
「おやまあ、久しぶりだねえ、パトリシアちゃん」
ドリーン院長は笑顔になった。
「ご無沙汰しております。いつもいつも陛下と父がご迷惑をおかけして申し訳ございません。ただ、パトリシアちゃんと呼ぶのはやめてください。私はもう二十歳です」
パトリシアは恭しく頭を下げつつも抗議した。
「パトリシアちゃんが謝ることじゃないよ」
ドリーンが言った。
「そうだ。わらわは迷惑などかけておらん」
「その通りだ。私は完璧に職務を全うしている」
バーニスとグランはそろって胸を張ったが、ドリーン院長に睨まれると小さくなった。
「そ、それで、何故パティがこんなところまでやってきたのだ?」
気を取り直してバーニスが聞いた。
「『あちら』から申し入れがありました」
パトリシアがそう言うと、バーニスの顔色が変わった。
「わかった。すぐに向かう」
バーニスは子供達に向き直った。
「お前達、ドリーン院長や職員の者たちの言うことはちゃんと聞くんだぞ」
「女王様、帰っちゃうの?」
「今日こそはグラン隊長に追いかけっこで勝てると思ったのに」
「久しぶりにパトリシアさんと遊びたかったな」
子供達は残念そうだった。
「そう言うな。みんなでまた遊びに来る」
バーニスは子供達の頭を撫でてやった。
子供達は帰って行くバーニス達に笑顔で手を振った。
「あの子はいつまで経っても変わらないね」
ドリーン院長が言った。その頬は綻んでいた。
「女王陛下が幼少の頃にこの孤児院にいたことは存じていましたが、まさかこんな風に……」
職員の女性は今起きたことを受け止められずにいた。
「そうだね。王族の私生児だったあの子は親に捨てられてこの孤児院にやってきた。そして、あの子が八歳になったとき、王家に伝わる遺物である『知ろしめす指輪』に選ばれた」
「そして、当時帝国との戦いで劣勢に立たされていたこの国を救ったんですよね」
この国の人間ならば誰でも知っているバーニス・マルフロント・グロバストンの伝説だ。
「戦争の方は帝国に『剣帝』が現れて結局停戦になったけどね。その後もあの子はこの国の人々を守るために力を尽くし続けた。今では誰もが認めるこの国の女王さ」
立派に成長したバーニスのことを語るドリーン院長は誇らしげだった。
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