第117話 ある門番の災難

「気味の悪い連中だったな」


 後ろを振り返りながらガスリンが言った。

 追っ手の獣人兵を返り討ちにした後、エリヤフ達は馬が潰れかねないほどの速さで森を離れた。


 十分に距離を取ったと判断してからもずいぶん長く馬を走らせ続けた。

 流石に馬の方に限界が来ていたので、今は速度を落として一番近くにあるグロバストン王国の砦を目指していた。


「彼らは……」


 獣人兵を見たエリヤフはガスリンが簒奪する刃で他人を操ることが出来ると語っていたことを思い出していた。


「まず間違いなくあんたの想像通りだぜ、中佐殿。あいつらは操られてた」


「アルヴァンに付き従う者たちも全員操られているのか?」


「バカ言っちゃいけねえよ。あの剣じゃおおざっぱにしか人間を操れねえ。たいていの奴はさっきの連中みたいに動く抜け殻になっちまう。俺が見たアルヴァンの仲間はそんな風じゃなかった」


「彼に付き従う人間がいるだなんて……」


 マヤは寒気を感じているかのように体を震わせた。


「あいつらは楽しそうだったぜ。操られてるなんてあり得ねえよ。俺から見ればそこの兄ちゃんの方がよっぽど……」


 ガスリンは無表情で馬を走らせているカイルに目を向けた。


「おい! ガスリン!」


 エリヤフが怒鳴った。


「なんだよ? お前らだって思っただろ? この兄ちゃんの方が獣人共より人形らしく見えるって」


 エリヤフがすごんでもガスリンは笑っていた。


 マヤは何も言わずに馬をガスリンの前で止め、彼の進路をふさいだ。


「……降りなさい」


 マヤは有無を言わさずガスリンを馬から引きずり下ろした。


 エリヤフも慌てて馬を止めた。

 カイルも馬を止めてマヤを見ていた。


「一体何だって……」


 ガスリンは戸惑っていた。


 マヤはそんなガスリンの頬を力一杯張った。


「カイルさんは人形なんかじゃない」


 マヤはそれだけ言うと自分の馬に乗った。その顔は今にも泣き出しそうだった。


「……悪かったよ」


 ガスリンはぽつりとそうつぶやくと馬に乗った。


 一行は再び砦を目指して走り出した。


「中佐、申し訳ありませんでした」


 マヤは馬をエリヤフの馬の隣につけると謝罪した。


「謝ることはない。悪いのはガスリンだ。あいつにはいい薬になるだろう」


 エリヤフは少し離れてついてくるガスリンをちらりと見た。


「……いいえ。悪いのは私です」


 マヤはおもむろにかぶりを振った。


「私がアルヴァンを利用しようとしなければカイルさんは……」


 マヤは目を伏せた。


「……マヤ君、君は確かに罪を犯した。そして罪は償わなければならない」


「はい。ですから、私はこの身が滅びようとも必ずアルヴァンを止めなくてはならないんです」


「そうだ。アルヴァンはなんとしても止めなければならない。だが、それが終わった後、君はどうする?」


「アルヴァンを止めた後のことなんて考えられません」


 マヤは戸惑っていた。


「質問を変えよう。君は罪を犯した自分を永遠に責め続けるつもりなのか? それが償いだと思っているのか?」


 エリヤフは険しい表情でマヤを見ていた。


「それは……」


 マヤは答えられなかった。


「今はまだ答えられなくてもいい。だが、考えておいて欲しい」


 ふっと顔を綻ばせると、エリヤフは優しくそう言った。


「……わかりました」


 マヤが言った。

 彼女は自分の前を走るカイルの背中に目を向けた。



 エリヤフ達が砦にたどり着いたのは夜遅くだった。

 砦の門番はカイルと同じくらいの年の若者だった。


 エリヤフはとにかく砦の責任者に会わせてくれと頼んだ。


 しかし、門番はそれを許さず、まず自分に要件を説明しろと言った。


 若い門番は自分が相手よりも上に立っていることを楽しんでいるようだった。


 エリヤフは怒鳴りつけたい気持ちを懸命に抑えて、今までに調べてきたことをかいつまんで説明した。


「そのフェイラムとかいうのが死んだのは聞いてるよ」


 砦の門番はあくびをかみ殺しながらそう言った。エリヤフの話をろくに聞いていなかったのは明らかだった。


「で、その終の戦団とかいうのが攻めてくるって?」


「そうだ。だから……」


「よし! あんたの心配はよーくわかった! 夜が明け次第、この俺がグロバストン王国に仇なす愚か者共を成敗してくれよう! どうだ! もう安心だろ!」


 門番は得意気に胸を張った。

 エリヤフが我慢の限界に達しようとしたとき、黙って成り行きを見ていたガスリンが前に出た。


「おい、なにを……」


 ガスリンはエリヤフの言葉には耳を貸さずにすたすたと門番の前まで歩いて行った。


「若いの、歯を食いしばれ」


 ガスリンはそれだけ言うと門番がなにか言うよりも早く、若者の顔面に大きな拳を叩き込んだ。


 松明に照らされるなかで門番の前歯が三本宙を舞った。


「だれか! だれか来てくれ! 侵略者だ! 王国を狙う侵略者が現れた!」


 門番は口元を押さえて喚きながら砦の中に走って行った。


「侵略者はこれからやってくるんだ、バカタレめ」


 ガスリンは鼻を鳴らした。


「…………」


 エリヤフは何も言えずに突っ立っていた。


「なんだよ? こうでもしなきゃ門前払いだろうが」


「それはそうだが……」


「どのみち俺は牢屋にぶち込まれる身だ。犬みてえに引きずられていくよりこっちの方が面白え」


 ガスリンは葉巻に火をつけるとじっくりとその香りを堪能した。


「おい、兄ちゃん」


 呼ばれたカイルがガスリンの方を向いた。


「さっきは悪かった」


 ガスリンは頭を下げた。


「……僕は別に……」


 カイルは相変わらず無表情だった。


「ガスリン……」


 マヤは頭を下げるガスリンに驚いていた。


「この俺が道を切り開いてやったんだ。上手くやれよ」


 ガスリンはマヤに向かって口の端を吊り上げた。


 ほどなくして砦は大騒ぎになり、飛び起きた兵士達が門に殺到した。


 主犯であるガスリンは犬のように引きずられていき、エリヤフ達もまた暴行の共犯として捕らえられたのだった。

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