第116話 捕食者の嗅覚

「……見事な腕だな」


 倒された獣人兵達を観察していたエイドレスがつぶやいた。

 三人の獣人兵はいずれも一撃で斬り殺されていた。


「足跡の数から察するにお前の言う怪しい人物には数人の仲間がいるようだ」


 ストーンヘイムの近くにある森の入り口にはいくつもの足跡が残されていた。


「僕が行けばよかったですね」


 アルヴァンが言った。

 演壇で不審な人物に気づいたアルヴァンは支配下にある獣人兵に後を追わせたのだった。


 しかし、丸一日経っても獣人兵達は戻ってこなかった。そこでエイドレスに頼んでふたりで彼らを追跡したのだった。


「あの状況ではああするほかないだろう。ところで、その不審な人物に見覚えはないのか?」


 下を向いて獣人達を観察したままエイドレスが言った。


「心当たりはないですね」


「王国ないしは帝国の間者だな。ワイルドヘッジが崩壊したとなれば彼らとて黙ってはいまい」


「そうなんでしょうか」


「妥当な推論だと思うが……」


 エイドレスは顔を上げると意外な反応を返してきたアルヴァンを見た。


 アルヴァンは獣人達から少し離れたところに落ちている葉巻の吸い殻をじっと見つめていた。


「面白いものを見つけたな。お前にも捕食者の嗅覚が備わっているようだ」


 エイドレスは嬉しそうだった。


「食べ物の趣味はエイドレスさんとは合わないんですけどね」


 アルヴァンは苦笑いしながら葉巻の吸い殻を拾い上げた。


「この匂い……以前嗅いだことがあるな」


 エイドレスはアルヴァンから吸い殻を受け取って匂いを嗅いだ。


「僕もこの葉巻には見覚えがあります」


「収穫はあったようだ」


「ええ。そろそろ戻りましょうか。このこともみんなに話さないといけないし」


「それなんだが……その……先に戻ってくれないか?」


「あの人達を追うつもりですか? もう遠くまで行ってしまったでしょうから、エイドレスさんでも流石に無理だと思いますが」


「いや、そっちではなく……」


 エイドレスは獣人達の死体に目を向けた。鋭い牙が生えそろった口に端からはよだれが一筋垂れていた。


「…………」


 アルヴァンは何も言わずに灰色の狼を見つめた。


「……ダメか?」


 エイドレスが聞いた。


「ダメです」


「どうしてもか?」


「どうしてもです」


「一口だけ……」


「一口食べたら止まらなくなるじゃないですか」


 これにはエイドレスも反論できなかった。

 アルヴァンは半ば引きずるようにしてエイドレスを連れ帰ったのだった。




 ストーンヘイムのペリンの家に全員が集まると、アルヴァンは調査の結果を説明した。


「ガスリンとは長い付き合いだったんだけどね」


 グレースはアルヴァンが持ち帰った葉巻の吸い殻をしげしげと眺めていた。


「申し訳ありません。私がパインデールの方をほったらかしにしておいたばかりに……」


 ローネンはグレースのデスクの上に立つと器用に頭を下げた。


「フクロウってお辞儀できますのね」


 ヒルデは感心していた。


「やべえ、またバラしてみたくなってきた」


 ベリットのメガネが怪しく光った。


「話の腰を折るのはやめてくれないかな……」


 ふたりの反応にグレースはため息をついた。


「ガスリンちゃんってグレースちゃんの代わりにパインデールの管理をやってるのよね」


 クルツが言った。


「そうだね。向こうから何も報告が来なかったんだから、ガスリンはその辺りの処理もきちんと済ませた上でパインデールを離れたんだろうね」


 グレースがうなずいた。


「その葉巻は間違いなくガスリンの物なのか?」


 ジェイウォンが口を開いた。


「間違いない。ガスリンと会ったときと『同じ匂い』がしたからな」


 新鮮な肉にありつけなかったエイドレスは不満そうな顔で骨をしゃぶっていた。


「たまたまガスリンと同じ葉巻を吸っておった別人というのは考えられんか?」


「『同じ匂い』というのはガスリン自身の匂いという意味だ。その吸い殻からはガスリンの匂いがする。脂ののった肉の匂いがな」


 芳醇な香りを思い出したエイドレスは恍惚とした顔になった。


「これ以上信用できる言葉もないな」


 ジェイウォンは呆れていた。


「ですわね」


「全くだ」


 ヒルデとベリットも同意した。


「……そうなると、妙じゃない?」


 クルツが口を開いた。


「そうだね。アルヴァン君が見た不審人物が王国もしくは帝国の間者だとすればガスリンとの接点などないはずだ」


 グレースがうなずいた。


「ガスリンが王国か帝国に連絡取ったんじゃね? あたしのお父さんも似たようなことやってたし」


 ベリットが言った。


「ガスリンは裏社会にどっぷりつかっている人間だから王国も帝国もそう簡単には信用してくれないよ。寝返るとしたら長い時間をかける必要がある。ボクらが本格的に動き出してからそれほど時間は経っていないんだからその線は考えにくいね」


 グレースが首を振った。


「女狐さんが元々王国か帝国に目をつけられていたんじゃありませんこと?」


 ヒルデが言った。


「彼らがボクに目をつけていて、そのボクが表に出てきたからガスリンに接触して情報を引き出そうとしたってことかな? ボクも色々と悪さはしたけど、パインデールは王国や帝国が目をつけるほど大きな都市じゃないからね。ボクが目をつけられることはあり得ないよ」


「ぐぬぬ」


 ヒルデは引き下がった。


「前提が間違っているのかもしれませんね」


 アルヴァンが口を開いた。


「私の鼻を疑うというのか?」


 エイドレスの目が鋭くなった。


「そうじゃないですよ」


 アルヴァンは苦笑した。


「わかったわ。不審な奴が王国や帝国の間者じゃないんじゃないかって言いたいのね」


 クルツはポンと手を打った。


「そういうことです」


 アルヴァンが同意した。


「なるほど、間者の方については確かになんの証拠もないね。でも、王国と帝国以外にボクらを探る人間なんているのかな?」


 アルヴァンの指摘は理解できるものの、グレースには今ひとつ納得がいかなかった。


「いてくれたほうがいいじゃないですか。壊せるものは多い方が楽しいですから」


 アルヴァンは屈託なく笑っていた。


「アルヴァン様は結局それですわね」


 いつも通りのアルヴァンにヒルデは笑っていた。


「一貫してるよな」


 ベリットも笑った。


「まあ、考えていても正解は出ないし、アタシ達は前に進めばいいんじゃない?」


 クルツが言った。


「謎の間者もそのうち姿を見せるだろうしな」


 ジェイウォンが言った。


「それが一番良さそうだね」


 グレースも認めた。


「行きましょうか。グロバストン王国に向かって」


 アルヴァンの目は期待に輝いていた。


 その言葉に全員がうなずいた。エイドレスを除いて。


「どうかしましたか?」


 不思議そうな顔をしてアルヴァンが尋ねた。


「間者の件についてはっきりさせておきたいことがある」


 エイドレスが言った。


「なんでしょうか?」


「ガスリンは私がもらい受ける」


 口の端からよだれが垂れていたが、エイドレスは真剣そのものだった。

 灰色の狼以外の全員が呆れかえった。

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