第112話 最初で最後の挨拶
「では、イゾルデは倒したわけだね」
通信機に向かってグレースが言った。
「その通りですわ。そこそこ歯応えのある人でしたわね。わたくしの相手をするには若さが足りなかったようですが」
通信機からは得意気なヒルデの声がした。
「よっしゃ。これで伯爵家は潰れたも同然だな」
グレースの隣でベリットが言った。
「ですわね」
ヒルデも同意した。
「いや、まだだよ」
ただひとり異を唱えたグレースをベリットは不思議そうに見た。
「バートランド・ユービクタス・フェイラムを倒さない限り、伯爵家は倒れない。ウルグロースカタパルトを持ってすればここからでも状況を打開できてしまうからね」
「あれか……チート過ぎて嫌になるな」
ベリットも同意せざるを得なかった。
「とはいえ、これはあくまで理屈の上での話だ。実際のところフェイラム伯爵は破滅しているんだよ。アルヴァン君に目をつけられた時点でね」
「アルヴァンの奴はホントにアレだからな……」
ベリットは苦笑していた。
「アルヴァン様は本当に素晴らしいですわ」
夢見るようなヒルデの声がした。
「ところで、味方に指示を出している女狐さんはともかく、メガネさんの方は天幕に陣取ってぶらぶらしているだけですの? もう少し働くべきではないかと思うのですが」
ヒルデの声は冷ややかだった。
「おう! 人が作った戦車を乗り回しといて言ってくれるじゃねえか!」
ベリットは声を荒げた。
「そうでしたわね。あなたは『立派に』戦車を作りましたわね。『十分に』働いていますわよね」
「『立派に』と『十分に』を強調したのは嫌味か! 嫌味だろ! わかってんだからな!」
ベリットはヒルデの真意を見抜いていた。
「まあまあ、ベリット君には普段から色々と役に立ってもらっているんだから、そんな風に言うものじゃないよ」
グレースは笑いながらヒルデを諭した。
「ベリット君がこの戦争に参加していないのは別の仕事をしてもらっているからさ」
「別の仕事? 熱いスープを飲むときでもメガネが曇らないようにする研究とかですの?」
ヒルデが聞いてきた。
「舐めんな! その研究ならとっくに済んでるぜ! あたしのメガネは何があろうと絶対に曇らない!」
ベリットが反論した。
「へえ、そうなんですの」
ヒルデは無関心だった。
「こいつ……」
ベリットはギリギリと歯を噛みしめた。
「メガネの件はともかく、ベリット君は少々大がかりなものを作っていてね。いつぞやの襲撃のときのように遠隔操作の機動鎧とかを用意するだけの余力がなかったんだよ」
グレースが説明した。
「おかげさまであたしは制作に没頭できた。成果は近いうちに見せてやれるぜ。腰抜かすなよ?」
ベリットは得意気に言った。
「大がかりなものですか……踏んづけても壊れないメガネとかですの?」
ヒルデの声は真剣だった。
「いい加減メガネから頭離せ! アホ聖女が!」
ベリットは怒りを爆発させた。
「アホ聖女ですって! あなたのようなちんちくりんに言われたくはありませんわ!」
ヒルデが言い返した。
「言うに事欠いてちんちくりんだと! 頭空っぽのくせに!」
「なんですって!」
二人の口論は白熱していった。
グレースが通信機を介して罵り合う二人を眺めていると天幕にローネンがやってきた。
「ご苦労さま。偵察に行ってきたのかな?」
グレースが聞いた。
「行ったことは行ったのですが……私も命が惜しいもので……」
ローネンは天幕に置かれたテーブルに降りて羽を休めると申し訳なさそうに言った。
「なるほど、アルヴァン君は存分に楽しんでいるようだね」
グレースは怪しく微笑んだ。
「それはもう、心の底から」
ローネンはうなずいた。
「ところで、これは一体何事なんですかのう?」
フクロウの大きな目の先ではベリットが通信機に向かって怒鳴り散らしていた。通信機の方からもベリットに負けないくらいのヒルデの怒声が響いていた。
「聖戦だよ」
グレースはため息をついた。
伯爵軍の陣地の北にあった丘はもはや影も形もなかった。
フェイラム伯爵のウルグロースカタパルトによる数限りない砲撃を浴びた丘は真っ平らになっていた。
地形を変えてしまうほどの戦闘はまだ続いていた。
迫ってくるアルヴァンの足下でフェイラム伯爵の砲弾が炸裂した。あふれんばかりの魔力を込めた砲弾は衝撃の余波でアルヴァンを押し戻した。
伯爵が追撃を放とうとしたとき、銀色だった髪が黒く染まったアルヴァンがこちらを指さすのが見えた。
アルヴァンの指先から白い閃光がほとばしった。まだ大分距離があったが、白い閃光は伯爵めがけてまっすぐに飛んできた。砲撃の動作に入っていた伯爵には避けることは出来なかった。
「鬱陶しい!」
フェイラム伯爵は左手に魔力を集中させて、飛んできた閃光を殴りつけた。膨大な熱量を持った白い閃光は霧散した。
「読みが外れたか? 小僧」
伯爵はにやりと笑った。
あの白い閃光でこちらが怯むと思っていたのだろう。アルヴァンは前に出すぎていた。
フェイラム伯爵はこの好機を逃がしはしなかった。右手に持ったウルグロースカタパルトで目一杯に魔力を込めて砲撃を繰り出した。
アルヴァンは動かなかった。
伯爵が勝利を確信したとき、妙な音が聞こえてきた。
その音はアルヴァンが発しているようだった。怪訝に思っていると、アルヴァンの目の前に黒い魔法陣が出現した。
「なんで人間があんなもんを……」
伯爵も知識として知ってはいたが、それを目にするのは初めてだった。
それは地上最強の種族である竜にしか使えない魔法陣だった。
竜の魔法陣を展開したアルヴァンは飛んでくる砲弾めがけて漆黒の剣を振り抜いた。地上最強の種族の力を纏った剣は伯爵の渾身の一撃をあっけなく粉砕した。
二人の距離は縮まってきていた。
伯爵にはアルヴァンの顔がはっきりと見えた。ワイルドヘッジ最強の男の攻撃を退けたアルヴァンの顔には誇りも驕りもありはしなかった。
アルヴァンは笑っていた。楽しくてたまらないとでもいうように。
「なんなんだよ……なんでそんなに楽しそうにしてやがるんだ!」
この戦いを楽しんでいるのはフェイラム伯爵も同じだ。
これが楽しいのは勝利することで大切な家族を奪った相手に復讐できるからだ。
今までに経験してきた他の戦いも同じだ。フェイラムは戦いに勝利して金や地位、名誉といったものを手に入れるために戦ってきたのだ。
勝てばなにかが手に入るから戦いは楽しい。
フェイラムは常に勝利の先にあるものを見ていた。何も手に入らない勝利など意味がないのだ。
だというのに、この小僧はなんだ。
これ以上の喜びなどないとでも言いたそうな顔で笑っているではないか。
何も手に入れてはいないのに。
「どうかしてるぜ……」
フェイラム伯爵はかぶりを振って余計な思考を振り払った。
意識を集中する。
雑念を取り払うと心に残ったのは大切な家族を奪った相手への憎しみだけだった。
バートランド・ユービクタス・フェイラムは子を失った親として、憎しみの全てを込めて最後の一撃を繰り出した。
「信じられん……」
護衛に囲まれながら安全な戦いを繰り広げていた総大将のペリンはその光景に立ち尽くした。
ペリンの護衛達に追い立てられていた伯爵軍の兵士も逃げることを忘れてそれに見入っていた。護衛達も敵を倒す好機なのはわかっていたが、その光景から目を離すことなど出来なかった。
それは他の兵士達も同じだった。反乱軍の兵士も、伯爵軍の兵士も皆一様に戦闘のことなど忘れて伯爵軍の本陣を見ていた。
ヒルデとエイドレスは反乱軍の中央でクルツとジェイウォンの二人に合流していた。
競い合うように敵兵を狩っていた四人だったが、異変に気づいて手を止めた。
「ほっほ、流石はワイルドヘッジの盟主といったところか」
ジェイウォンは目を細めて笑った。
「すっごいわねえ」
クルツもその光景に目を奪われていた。
「おい! どさくさに紛れて私の体を撫でまわすんじゃない!」
見入っていた隙を突かれたエイドレスがクルツに怒鳴った。
「あれを見ながらでも感じ取れるなんて……敏感ねえ」
狼の怒声もクルツには響かなかった。
「楽しそうですわね」
ヒルデは遊んでいる我が子を見守る親のように優しく微笑んでいた。
「消えてなくなれ、アルヴァン!」
フェイラム伯爵は莫大な魔力によって膨れあがった砲弾をウルグロースカタパルトで放った。
その巨大な砲弾は戦場に現れたふたつめの太陽のようだった。砲弾は戦場にいる人間全ての視線を奪いながら飛んでいった。
その大きさ故に砲弾の速度はそれほどでもない。
しかし、こんな馬鹿げた代物など防ぐことも避けることも出来るわけがなかった。
それでもアルヴァンは歩みを止めはしなかった。
夜の闇を溶かし込んだような真っ黒の剣を携えて、フェイラム伯爵が放った太陽に突っ込んできた。
巨大な砲弾がアルヴァンを飲み込もうとしたとき、フェイラム伯爵の耳にまたあの音が聞こえてきた。
「無駄だ。竜の魔法陣でもこれを止めることなんて……」
伯爵は言葉を続けることが出来なかった。
アルヴァンが再び竜の魔法陣を展開したからだ。
魔法陣そのものは先ほどと同じものだった。先ほどと違ったのは魔法陣の数だ。
竜の魔法陣はアルヴァンを中心として円を描くように展開されていた。
その数は十二。
たったひとつで伯爵の渾身の一撃を粉砕した魔法陣が群れをなしていた。
フェイラム伯爵は生まれて初めて絶望に直面した。
十二の黒い魔法陣が不気味な光を放つ中でアルヴァンはどす黒い剣を振り上げた。
そのとき、伯爵はアルヴァンと目が合った。すると、アルヴァンが口を開いた。
声が届くような距離ではなかったが、フェイラム伯爵はなぜかアルヴァンの言葉が聞き取れた。
アルヴァンは漆黒の剣を振り下ろした。
十二の魔法陣が連動し、剣から放たれたどす黒い魔力を増幅した。
それはフェイラム伯爵が放った太陽のような砲弾を真っ二つに切り裂いていった。
そして、どす黒い魔力の奔流は伯爵軍の本陣を飲み込んでいった。
はじめまして、フェイラム伯爵。それと、さようなら。
黒い魔力に消し飛ばされてゆくなか、バートランド・ユービクタス・フェイラムの頭の中ではアルヴァンの言葉がいつまでも響いていた。
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