第111話 どうでもいい
紅髪の小娘の力はイゾルデの予想を遙かに超えていた。
しかし、イゾルデには切り札があった。
「趣味の悪い格好ですわね」
小娘は炎の中から出てきたイゾルデをあざ笑った。
「認めたくはないけど、これの見た目に関しちゃあんたと同じ意見だね」
黒い兜の下でイゾルデは自嘲した。
イゾルデはいま、黒一色の全身鎧に身を包んでいた。その鎧は長い時間をかけて魔力を練り込んできたイゾルデの髪で出来ている。
防御に必要な最低限の量の毛髪に全ての魔力を集中させたイゾルデは、紅蓮の聖女の強力な炎をも凌ぎきったのだった。
「あなたと意見が一致するだなんて不愉快ですわ」
バルドヒルデはそっぽを向いた。
「その点に関しても同じ意見だよ!」
イゾルデが駆けだした。黒髪の鎧は彼女の身体能力も飛躍的に向上させており、イゾルデは一瞬のうちに小娘の懐に飛び込んだ。
その速さにバルドヒルデは目を見開いた。
「驚くのはまだ早いねえ!」
イゾルデは髪で出来た籠手に包まれている右手を突き出した。
それに対してバルドヒルデは瞬時に三重の魔力障壁を張った。今までのイゾルデの攻撃は障壁一枚で凌がれていた。
しかし、黒髪の鎧に包まれたイゾルデの右手は三重の障壁をあっけなく突き破り、紅蓮の聖女を捉えた。
イゾルデはバルドヒルデの頭を掴むと、小娘の体を軽々と持ち上げて力一杯地面に叩きつけた。黒髪の鎧で強化されたイゾルデの一撃は地面を大きく陥没させた。
「憎たらしいくらいに頑丈な小娘だね……普通ならぐしゃぐしゃになるってのに」
未だに原形をとどめているバルドヒルデを見てイゾルデは舌打ちした。
「わたくしにはあなたにはない若さというものがありますので」
バルドヒルデは顔を上げてそう言うと、指を鳴らした。
先ほどよりも強力な炎がイゾルデを襲った。
バルドヒルデは勝利を確信して頬を緩めた。しかし、炎に包まれてもイゾルデは倒れなかった。
「よくわかってるじゃないか。あんたはまだまだ未熟なんだよ!」
紅蓮の劫火を振り払ったイゾルデは小娘を蹴り飛ばした。バルドヒルデは小石のように吹き飛んだ。
「……まだ生きてるのかい……」
イゾルデの視線の先で、バルドヒルデは再び立ち上がった。その紅い瞳に宿る炎はいささかも衰えてはいない。
とはいえ、傷は負ったようだ。その証拠に小娘は右手を背中に回していた。
地面に叩きつけたときもそうだが、今回も小娘は攻撃が当たるまでの一瞬のうちに魔力障壁を張っていた。普通であればそれほど短い時間でまともな障壁など張れるわけがないのだが、この小娘は何から何まで普通ではない。
それに加えて、この小娘が普段から放出している桁外れに強力な魔力が防御障壁のように機能している。結局のところ、小娘が負った傷は軽いものだろう。
「ちんたらやってたらこっちが持たなくなるね」
イゾルデがつぶやいた。
時間をかけて髪に練り込んできた莫大な魔力を最低限の量の毛髪に集中させ、それで全身を覆うことで凄まじい攻撃力と防御力を得ているイゾルデだが、この戦術は魔力の消費が激しい。
長い時間をかけて魔力を蓄えてきたとはいえ、遠からず魔力を使い切ってしまうだろう。この戦術を使えばよほどの強敵であっても一瞬のうちに決着がつくのだが、今回は時間がかかっていた。
とはいえ、バルドヒルデの攻撃は凌げるし、防御の方もある程度は打ち破れる。つまり、イゾルデの方が優勢なのだ。
今はまだ。
イゾルデは持久戦になったときにどうなるのかは考えまいとした。
「まあいいさ、次で殺しちまえばいいんだから」
籠手になってイゾルデの両手を覆っている黒髪が形を変え、腕に沿って伸びる剣となった。イゾルデは両手から伸びる剣を構えて最後の一撃に備えた。
「わたくしも火との付き合いは長いのですが、最近になって魔術の師から教わったことがありますの」
バルドヒルデが突然妙なことを語り出したが、イゾルデは構わず小娘の首を斬り飛ばすために走り出した。
「密閉した空間で炎を燃やし続けると熱の逃げ場がなくなって、それはそれは危険な状態になるそうですわ」
バルドヒルデは相変わらずわけのわからないことを語っていたが、イゾルデは全ての魔力を込めた両手の剣を小娘の首に叩き込むことに必死だった。
「ちょうどこんな風に」
そう言って、バルドヒルデは背中に回していた右手を前に出した。
小娘の手の上には紅く燃える火の玉が乗っていた。その火の玉はどういうわけか箱状に張られた魔力障壁の中に閉じ込められていた。
「……どうしましょう、この現象をなんと言うのか忘れてしまいましたわ」
紅髪の小娘は首をかしげた。
「気にすることはないよ! あんたはこれで死ぬんだからね!」
イゾルデは魔力を込めた髪で出来た両手の剣を振り上げた。
「まあ、あなたを殺してからゆっくり考えることにいたしますわ」
イゾルデの剣が憎たらしい小娘の首を捉えようとしたとき、火の玉を覆っていた魔力障壁が消えた。
炎が解き放たれ、地上に地獄が顕現した。
遠巻きに二人の対決を見守っていた敵味方双方の兵士達は発火して燃え尽きた。彼らが乗っていた馬も焼け死に、地面はどろどろに溶けて、金属製の剣や鎧も飴細工のようにねじ曲がった。
超高熱は魔力を練り込んだイゾルデの髪の鎧を紙切れのように貫いた。イゾルデの筋肉は熱のせいで急激に収縮し、無理な力をかけたせいであちこちで骨が折れた。超高温にさらされた両目は潰れ、超高熱の空気を吸い込んだ喉は焼けた。
イゾルデはこれ以上生きていることに耐えられなかった。
もうどうでもいい。
戦争なんてどうでもいい。
伯爵の妻であることなんてどうでもいい。
息子の仇討ちなんてどうでもいい。
終わりにしてくれ。
熱さ以外何も感じない中、イゾルデは一刻も早く死ぬことだけを願っていた。
「……派手にやりましたなあ……」
何もかもが燃え尽きた戦場を見ながらローネンがつぶやいた。
イゾルデに破壊された戦車の残骸に隠れていたローネンは決着がついたのを見計らって出てきたのだった。
「無事でしたのね。戦車が転がっていた辺りにも障壁は張っておきましたが、姿が見えないので遠火でじっくり炙られてしまったかと……」
ローネンを見つけたヒルデが言った。魔力障壁で身を守っていた彼女は涼しい顔をしていた。
「鶏肉扱いするのはいい加減にして欲しいもんですのう!」
ローネンは抗議の意志を込めて羽を打ち鳴らした。
「細かいことはいいではないですか。こうしてイゾルデも倒したのですから」
「それはそうですがのう」
ローネンも渋々同意した。
彼らは黒焦げの塊に目を向けた。イゾルデは胎児のように体を丸めたままぴくりとも動かなかった。
「この辺りの敵はみんな倒しましたし、移動しましょうか」
目の届く範囲には息のある人間がいないようなのでヒルデは場所を変えようとした。
「そうですなあ」
「……フクロウさん、馬が見当たらないのですが」
「誰かさんが無計画に広範囲を攻撃しましたからな」
ローネンは素っ気なく答えた。
「……もしかして、わたくし、歩かなくてはなりませんの?」
恐る恐るヒルデが聞いた。
「せっかく両足があるのですから、活用しない手はありませんのう。さて、私はアルヴァン殿の様子を見てきますので失礼させてもらいましょうかのう」
そう言うと、ローネンは翼をはためかせて空に舞い上がった。
「……これ見よがしに……」
ただ一人取り残されたヒルデは飛び去っていくローネンを悔しそうに見ていた。
「……だるいですわ」
ヒルデは重いため息をつくととぼとぼと歩き出した。
その場に残されたのは横たわったまま死を願い続けるイゾルデだけだった。
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