第110話 暴君の妻

 反乱軍の左翼に配置されたヒルデは立ちはだかる敵を次々と灰に変えていた。

 その圧倒的な戦闘能力は敵はおろか味方をも震え上がらせた。


「あら? いつの間にやらひとりぼっちになってますわ」


 敵も味方も自分から距離を取っていることにヒルデもようやく気づいた。

 そんなとき、手元の通信機が鳴った。


「ただいま留守にしておりますの。ご用件のある方は改めてお掛け直しを――」


 ヒルデは事務的な口調で言った。


「おい! ふざけんな! この通信機に自動応答の機能なんてつけてねーぞ!」


 通信機からはベリットの声がした。


「ああ、あなたでしたか。てっきり女狐さんだと思ってましたわ」


「ボクもいるよ」


 ベリットに続いてグレースの声が聞こえた。


「ただいま留守に――」


「それはもういいから。ベリット君の新兵器の具合はどうかな? 突貫工事でつくったそうだから安全性の

保証が……じゃなくて乗り心地が悪いんじゃないかって心配してたんだけど」


 危うく口を滑らせそうになったグレースだったがなんとか誤魔化した。


「すこぶる快適ですわ。メガネさんもやれば出来ますわね」


 ヒルデは上機嫌だった。

 彼女は今、二頭の馬が引く戦車に乗っていた。乗馬が苦手なヒルデのためにベリットが用意したのだった。


「おう! メガネ馬鹿にするのやめろや!」


 ベリットの声には本気の怒りがこもっていた。


「誤解しないでくださいまし、あなたには感謝していますわ」


 ヒルデは笑っていた。


「私にも感謝してほしいものですのう」


 戦車に同乗して馬への指揮を担当しているローネンがぼやいた。


「フクロウさん、次はあの辺りを蹴散らしましょうか」


 ヒルデが敵兵の集団を指さした。


「……仰せのままに」


 ローネンはあきらめて馬たちに指示を出した。


「さて、わたくしはこれから伯爵軍の方々を火葬するのに忙しくなるのですが、まだなにかありますか?」


 ヒルデの声は破壊への期待に弾んでいた。


「それなんだけどね、クルツ君とジェイウォン殿、それにエイドレス殿はすでに伯爵家の面々を倒したんだ」


「わたくしがビリですの!」


「早い者勝ちってわけじゃないからそれはどうでもいいだけど、彼らの報告から察するに、最後のひとりである伯爵夫人のイゾルデは君がいる左翼側に配置されている可能性が高い」


「そのイゾルデというのはどんな方なんですの?」


「外見のことかい? 彼女は細面で背が高いそうだ」


「……その方は黒くて長い髪を高く結い上げていませんこと?」


「そこまで説明した覚えはないんだけど……」


 グレースの声は少し固かった。


「説明される必要はありませんわ。目の前にいますもの」


 ヒルデは通信を切った。


 前方に立っている女はグレースから聞いたとおりの外見だった。


「わたくしだけ遅れているようですし、とっとと仕留めてしまいましょう」


「了解ですのう。このまま突っ込みますぞ!」


 ローネンは戦車を加速させて細身の女に向かっていった。


 戦車が迫ってくるのを見ても、細身の女は全く動じなかった。


 彼女が髪留めを取ると、身長よりも長い彼女の黒髪がはらりと広がった。

 その艶やかな黒髪には長い年月をかけて練り込んだ膨大な魔力が蓄えられていた。


「ぶっ飛ばしちまいな!」


 細面の女が憎しみを込めてそう叫ぶと、黒い髪が爆発的に伸びた。

 伸びた黒髪は意思を持っているかのように蠢いて形を変え、一瞬のうちに巨大なハンマーを形成した。


 黒髪のハンマーは迫っていた戦車を横から殴り飛ばした。

 二頭の馬は全身の骨を砕かれて即死し、戦車は玩具のように吹き飛ばされて粉々になった。




「もうちょっと歯応えのある相手かと思ったんだけど」


 巨大なハンマーに変えた髪を元に戻すと伯爵夫人イゾルデ・フェイラムは不満そうに鼻を鳴らした。


「さて、うちの子達と合流しようかね」


「合流なんて出来ませんわ」


 イゾルデが踵を返して子供達を探しに行こうとしたとき、壊れた戦車の方から嘲るような声がした。


「なんだって?」


 赤い髪の小娘が生きていたことよりも彼女の言葉の方が気になった。


「言葉通りですわ。あなたはお子さん達と合流することなんて出来ません。わたくしの仲間があなたのお子さん達をひとり残らず殺してしまいましたから」


 戦車の残骸を押しのけて出てきた小娘は噛んで含めるように言った。


「うちの子達はあんたらみたいなのに負けるほど柔じゃないよ」


「あらあら? ルドリックさんはあなたの実の息子ではないのですか? うちの狼さんに負けて食べられてしまいましたが」


 赤髪の小娘は意地の悪い笑みを浮かべていた。

 イゾルデは憎しみを込めて小娘をにらみつけた。あまりにも強く歯を噛みしめたせいで口の端からは血が滴っていた。


「まあ、お子さん達を信じる信じないはあなたの勝手ですが、もしも彼らが生きていてもあなたはもうお子さん達とは会えませんわ」


 小娘はイゾルデの怒りなどどこ吹く風といった顔で服についた汚れを払っていた。


「へえ、どうしてそう思うんだい?」


「わたくしがあなたを殺すからですわ」


 赤髪の小娘の体から劫火のような魔力があふれ出した。


「あんたは一体……」


 元々妙に強い魔力を感じてこの場にやってきたのだが、臨戦態勢に入った小娘の魔力はイゾルデの想像を超えていた。

 魔力の総量だけであればイゾルデ自身はおろか、夫であるフェイラム伯爵をも上回っている。


 これほどまでの莫大な魔力を持った人間を見るのはイゾルデも初めてだった。


「申し遅れましたわ。わたくしはバルドヒルデ。かつては紅蓮の聖女と呼ばれておりました」


 バルドヒルデは不敵に笑っていた。


「フェイラム伯爵夫人を舐めるんじゃないよ、小娘」


 イゾルデは動じなかった。

 自分こそが最強の暴君バートランド・ユービクタス・フェイラムの妻に相応しい女であるという自負がイゾルデを支えていた。


「そうでなくては面白くありませんわ」


 一歩も引かないイゾルデを見て、バルドヒルデの笑みが大きくなった。


「楽に死ねると思わないことだね、紅蓮の聖女様!」


 イゾルデが仕掛けた。

 艶やかな黒い髪がみるみるうちに伸びていく。髪は剣や槍、斧、ハンマーなど無数の武器に形を変えた。


 何十年もかけて魔力を練り込んできたイゾルデの髪で作られた武器は、名工の一級品をも上回る代物だった。


 髪で出来た無数の武器が一斉に紅い髪の小娘に襲いかかった。


 バルドヒルデは魔力障壁を展開してイゾルデの攻撃を凌いでいた。


「どうしたんだい! 防戦一方じゃないか!」


 煽りながらもイゾルデは冷静に敵を観察していた。


 バルドヒルデの守りは堅固だった。

 四方八方から攻撃を仕掛けているが、小娘は十枚を超える魔力障壁を張ってイゾルデの攻撃を防いでいた。

 奴の莫大な魔力を使った障壁は一枚一枚が憎たらしいほどに頑丈だった。


 イゾルデの攻撃は一撃一撃が並の魔術師が全力で防御しても凌げないほどに強力なものだ。

 それが雨あられと襲いかかっているにもかかわらず、バルドヒルデは汗ひとつかいてはいなかった。


 イゾルデは正面から防御を突破するのではなく、バルドヒルデの注意を一方に向けて、防御が手薄になった箇所を突く戦法に切り替えた。


 バルドヒルデの右前方に攻撃を集中させた。イゾルデの狙い通り、小娘の注意は攻撃が集中している場所に向いている。


 イゾルデは黒髪を空に向かって伸ばし、人間の死角である頭上からバルドヒルデに攻撃を仕掛けた。


「髪は女の命ですからわたくしも遠慮していたのですが、そろそろこちらから攻めてもいいですわよね」


 バルドヒルデはさっと上を向いて、頭上に迫っていた黒い髪で出来た槍を見た。


「燃えてしまいなさい」


 紅蓮の聖女が指を鳴らすと鋼をも砕く黒髪の槍が一瞬のうちに燃え尽きた。


 イゾルデにはバルドヒルデの魔術の威力に驚いている暇などなかった。


 紅蓮の聖女は自身に迫っていたイゾルデの髪を次々と燃やしていった。

 そこかしこに巨大な火の玉が出現し、イゾルデの武器は瞬く間に破壊されてしまった。


 一旦体勢を立て直すために距離を取ろうとしたイゾルデだったが、炎のように紅いバルドヒルデの瞳に捉えられてしまった。


「わたくしの勝ちですわ」


 赤髪の小娘が勝利を確信して顔をほころばせた。

 彼女が指を鳴らすと、イゾルデの体が炎に包まれた。


「そいつはどうだろうね」


 燃えさかる炎の中で、イゾルデもまた笑っていた。

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