第109話 怯える獲物

 背後で起きた爆発にエイドレスは大きく体勢を崩した。ブレンダンは手を緩めずに追撃をかけた。


 蔓を使った攻撃、花びらを飛ばしての爆撃、そしてブレンダン自身がブルーローズを振るって繰り出す斬撃。


 この三つを組み合わせた変幻自在の攻撃に人食い狼は狩りたてられていた。


「スピードはこちらが上なのだがな……」


 側面から襲ってきたバラの蔓を躱したエイドレスが苦々しげにつぶやいた。


 ブレンダンの攻撃において最も危険なのはこの蔓だった。

 拘束されてしまえば無数の花びらが押し寄せて一瞬のうちにエイドレスを爆殺してしまうだろう。


 しかし、蔓に気を取られてばかりだと飛び交う花びらやブレンダン自身への反応がどうしても遅れてしまう。

 花びらの爆発と的確に繰り出されるブレンダンの斬撃はエイドレスを追い詰め始めていた。


 ブレンダンは巧みに距離を保ちながらエイドレスを攻撃している。


「爪も牙も自慢の一品なのだが届かなくては意味がないな」


 遠距離攻撃の手段を持たないエイドレスはブレンダン自身が近づいてくるのを待つしかなかった。


 狼は花びらの爆発を凌ぎつつ機会をうかがっていた。


 そして、そのときはやってきた。


 ブレンダンが剣を構えて斬りかかってきたのだ。


 不用意に近づいてきたブレンダンに魔力を込めた爪を繰り出す。


 しかし、それはブレンダンの罠だった。


 狼を誘い出したブレンダンはすぐさま飛び下がった。

 後に残されたエイドレスはいつの間にか青い花びらに囲まれていた。


「七十パーセント!」


 カエアンの出力をさらに上げてなんとか離脱することに成功した。

 エイドレスの鎧の表面では赤い光が脈打つように走っていた。


「流石は獣だ。逃げ足が速い」


 ブレンダンは狼をあざ笑っていた。


「うらやましいだろう?」


 エイドレスが言い返した。


「もうすぐだ。もうすぐお前を狩ってやる」


 勝利を確信しているブレンダンはエイドレスの言葉など気にもとめなかった。


「……ベリット、カエアンの出力を八十パーセントまで上げるぞ」


「八十パーセントまで上げてくれんの! マジかよオッサン! こりゃあいいデータが取れるわ! 普通の人間に着せたときに八十パーセントまで上げたら内蔵ぐっちゃぐちゃになって死んじゃったんだけどオッサンなら大丈夫だよ! 多分だけど!」


 通信機から聞こえるベリットの声は弾んでいた。


「お前と話しているとどんどん不安になってくるが……どのみちこのままでは狩られてしまうからな」


 エイドレスにとっては苦渋の選択だった。


「後悔はさせないからさ! カエアン出力八十パーセント! いってみよー!」


 ベリットが元気よく言うとカエアンの表面の赤い光がさらに力強くなった。


「なにをやろうと同じことだ。ルドリックの仇、討たせてもらうぞ」


 ブレンダンはバラの蔓を操ってエイドレスを攻撃してきた。

 瞬時に伸びた蔓は四方からエイドレスに襲いかかった。


 狼は動かなかった。


 獲物を捕らえたことを確信したブレンダンが口の端を吊り上げた。

 バラの蔓は狼の体に巻き付くはずだった。


 しかし、蔓は狼の体をするりと突き抜けてしまった。


「なんだ! なにが起きたんだ!」


 ブレンダンが声を荒げた。

 彼の視線の先には確かにエイドレスの姿がある。

 しかし、ブレンダンの蔓は狼の大きな体を捕らえることが出来なかった。

 まるで幻を相手にしているかのようだった。


「魔術か! だが幻影を出している暇などなかったはず……」


「私に魔術は使えんよ」


 ブレンダンは弾かれたように声の方を向いた。


 灰色の狼はブレンダンから離れた場所に立っていた。


「このカエアン、高出力状態で高速移動すると幻影を生み出すようだ」


「へー、そうなんだ。あたしはそんな機能つけた覚えないんだけど……まあ、無自覚で新機能つけちゃうあたしが超天才だったってことでいいかな」


「それで構わん。これはずいぶんと役に立ちそうだからな」


 エイドレスはにやりと笑うと獲物を狩りにいった。

 灰色の狼は幻影を生み出しながらブレンダンに接近していった。


「化け物め! 調子に乗るな!」


 ブレンダンは花びらを飛ばし、蔓を操って狼を狙う。

 しかし、攻撃は狼の幻影にしか当たらなかった。


 高速移動するエイドレスは次々と幻影を生み出してブレンダンを翻弄した。


「どれだ! どれが本物なんだ!」 


 自分を取り囲む無数の幻影に向かってブレンダンは叫んだ。


「改めて見るとお前達兄弟は似ているな」


 エイドレスの声がした。


 しかし、ブレンダンには狼がどこにいるのかわからなかった。


「お前を見ているとあのときの肉の味が蘇るよ」


 狼の声は楽しげだった。


「殺してやる! 殺してやるぞ! ルドリックの仇を討ってやる!」


 ブレンダンは一番近くにいた狼に斬りかかった。しかし、それは幻影だった。 


「どうしたブレンダン? もっと勇ましく振る舞え。でないと……怯えているのがばれてしまうぞ」


 嘲るような狼の声にブレンダンの動きが止まった。


「で、デタラメを言うな……怯えてなどいない……お前なんて恐くない!」


 ブレンダンは必死になって剣を振り回しながら狼の言葉を否定した。


「獲物が怯えていることくらい分かるんだよ。私も長いこと捕食者をやってきたからな」


 灰色の狼は獲物の耳元でささやいた。


 ブレンダンはガタガタと震えながらゆっくり後ろを振り向いた。


「いただきます」


 よだれを垂らした狼は嬉しそうに言った。




 通信が入ったのはグレースがペリンへの指示を伝令に伝え終わったときだった。

 伝令が戦場で指揮を執っているペリンの元へ向かったのを確認するとグレースは通信機を手に取った。


「グレースか? 私だ」


「エイドレス殿だね。連絡を入れてきたってことはブレンダンを仕留めたのかな?」


「その通りだ。ブレンダン・フェイラムは死んだ」


「ご苦労さま。クルツ君とジェイウォン殿が伯爵の双子を倒したからあとは伯爵の妻であるイゾルデだけだね」


「この分だとイゾルデは左翼に配置されていそうだな」


「ボクもそう思うよ。左翼ならヒルデ君の出番だけど、万が一ってこともあるから警戒はしておいて欲しいな」


「了解だ。私は引き続き右翼の敵を始末する」


「よろしく頼むよ。ところで、さっきからなにかを噛んでいるような音がするんだけど、ボクの気のせいかな?」


 グレースは通信機からひっきりなしになにかを咀嚼する音が聞こえていることに気づいていた。


「…………」


 エイドレスは押し黙っていたがなにかを噛む音は相変わらず続いていた。


「ベリット君の通信機はよく出来ているんだ。言い逃れは出来ないよ」


 グレースは目を細めた。


「グ、グレース、私はルドリックに続いてブレンダンも倒したのだ。つ、つまり、伯爵一家のうちふたりも仕留めたことになるわけで……それ相応の扱いを受けても良いと思うのだが……」


 エイドレスは慌てて弁明していた。


「ボクが特別扱いするのはアルヴァン君だけなんだけど……エイドレス殿の働きは認めないわけにはいかないかな」


 グレースはため息をついた。


「お前が話の分かる奴でよかったよ。では、お仕置きは……」


「そうだね。今回は大目に見よう。クルツ君にはエイドレス殿の体を撫でまわすことだけを許すことにするよ」


「……慈悲はないのか……」


「売り切れだよ。ボクの中のそういった感情は全部アルヴァン君に捧げているからね」


 グレースは笑顔でそう言うと通信を切った。


「ありがとう、オッサン。フォーエバー、オッサン」


 ふたりのやりとりを聞いていたベリットは胸に手を当てて涙ぐんだ。


「さてと、伯爵家の面々もあとふたり……ヒルデ君もアルヴァン君も目一杯楽しんでくれよ」


 天幕を出たグレースは血に染まる戦場を嬉しそうに眺めていた。

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