第108話 狩られる狼
「ベリットちゃん。聞こえてるかしら?」
「あいよー、ばっちり聞こえてる」
反乱軍の天幕で待機していたベリットはクルツからの通信に答えた。
「アタシと爺さんで伯爵家の双子ちゃんを仕留めたわ」
「ご苦労さん。あんた達が一番早かったな。結構良いコンビなんじゃね?」
「ベリットちゃん、冗談でも言っていいことと悪いことがあるのよ」
「ああ、うん、なんかゴメン」
通信機から聞こえてきた心底嫌そうな声にベリットは素直に詫びた。
「分かってくれれば良いわ。それで、このあとはどうしたら良いかしら?」
「あー、グレースに代わるわ」
ベリットは通信機をグレースに渡した。
「クルツ君、ご苦労様。君たちがいるのは反乱軍の中央だから、指揮を執っているペリン殿を守りながら伯爵軍を正面から攻めてくれ」
「つまり子守ってこと? 年寄りの介護もしなくちゃいけないってのに……」
「おい、聞こえとるぞ!」
通信機はジェイウォンの声も拾っていた。
「ペリン殿を失うわけにはいかないんだ。今はまだね」
「……グレースちゃんがそう言うなら仕方ないわね」
クルツはため息をついた。
「ところで、アルヴァンちゃんの方はどうかしら?」
「派手にやっているよ」
グレースは平原の北にある丘に目を向けた。
フェイラム伯爵は魔力を込めた砲弾を次々と放っていた。
一発で小規模の砦を破壊できるほどの砲弾が丘に降り注いだ。着弾する度に丘がえぐられ、土煙が舞い上がる。
砲撃は既に五十回を超えていた。
それでも舞い上がった土煙を切り裂いて奴は現れた。
「アルヴァン……」
伯爵の言葉にはどうしようもないほどの憎しみがこもっていた。
アルヴァンは音よりも速く飛ぶ砲弾を躱し、時には大ぶりな漆黒の剣で切り裂いた。
伯爵との距離は少しずつ縮まってきていた。
フェイラム伯爵は攻め方を変えた。
ウルグロースカタパルトを自在に操り、砲弾の速度を変える。
二発目の砲弾が一発目の砲弾に追いついて同時に着弾し、広範囲を吹き飛ばす。
アルヴァンはなんとか逃れたようだが、そこに三発目が飛んでいく。
三発目の砲弾には強力な回転がかけられており、弧を描いて側面から獲物を襲った。
アルヴァンは足を止め、黒い剣で砲弾を受けた。
砲弾に押し込まれはしたものの、アルヴァンは凌ぎきった。
「……止まったな」
この三発は囮。
本命はあらかじめ天高く放り投げておいた特殊な砲弾だ。
通常の砲弾の三倍の大きさを持つそれは標的の頭上で炸裂し、伯爵が目一杯に魔力を込めた無数の小さな砲弾をまき散らした。
数十もの雷が一斉に落ちたかのような轟音が戦場に響いた。
この砲撃は丘の大半を吹き飛ばし、伯爵軍の天幕が振動で揺れた。
それどもなお、奴は死ななかった。
霧のように立ちこめる土煙の中からアルヴァンは現れた。
銀色だったはずのアルヴァンの髪はいつの間にか黒く染まっていた。
アルヴァンはまた伯爵に近づいてきた。距離はまだ十分に離れている。
だが、伯爵には彼が笑っているのが分かった。
「楽しいか? 俺も楽しいぜ。お前をぶち殺してやるのはな!」
フェイラム伯爵もまた復讐の喜びに笑みを浮かべていた。
「オッサン、聞こえてるかー?」
「ベリットか? 今は忙しいんだが」
反乱軍の右翼にいるエイドレスは手を止めて通信に答えた。
「グレースの奴がオッサンに言い忘れたことがあるんだってよ」
「なんだ?」
「エイドレス殿、今のボクらは暴君であるフェイラム伯爵を討つ正義の味方という設定なんだ」
ベリットに代わってグレースの声がした。
「そうだな」
「だから、ボクらは正義の味方らしく振る舞わなくてはならない」
「そうなるだろうな」
「つまりだね、あなたが戦場で『食事』を摂っているのを味方である反乱軍に見られるとまずいことになるんだよ」
「グレース、私をなんだと思っているんだ?」
「杞憂だったようだね」
「当然だ。つまみ食いはばれないようにやるのが鉄則だからな」
カエアンの出力を上げる。
鎧に浮かんだ葉脈のような紋様が脈打つように光り、エイドレスの体を加速させる。
味方の兵士には一瞬のうちにエイドレスが敵兵の首を切り裂いたようにしか見えない。
即死した敵兵の方も同じだろう。
首の肉を食いちぎったことを知っているのは肉を食んでいるエイドレスだけだ。
「……ばれたときはお仕置だからね」
グレースのため息が聞こえた。
「それは良い。リスクがあった方が楽しさが増すからな」
エイドレスは血が滴る新鮮な肉を味わっていた。
「そうかい? では、ばれたときにはエイドレス殿が自分の体を好きにしていいと言っていたとクルツ君に伝えるよ」
「……お前は本当に恐ろしい女だな」
「褒め言葉として受け取っておこうかな」
グレースは笑って通信を切った。
「やれやれ、どうしたものか……」
予想よりも遙かに大きなリスクを背負うことになってしまった。
だが、山盛りのごちそうを前にして我慢など出来はしない。
食欲を刺激する戦場の香りを吸い込む。
ごちそうの良い匂いを堪能していたエイドレスは顔をしかめた。
別の香りが混じっていたからだ。
それはバラの香りだった。
ひらひらと宙を舞うバラの花びらは青い色をしていた。
エイドレスは飛んでくるバラの花びらから素早く離れた。
近くにいた反乱軍の兵士は花びらの正体がなんであるのかを知らなかった。
彼らは宙を舞う無数の花びらに取り囲まれた。
ある兵士は近くに漂ってきた青い花びらを手に取っていた。
「流石に手遅れだな」
エイドレスはかぶりを振った。
花びらを持った兵士は哀れむような顔をしているエイドレスを見て首をかしげた。
そして、兵士の手の中で青い花びらは炎の花を咲かせた。
至近距離で爆発を喰らった兵士は即死した。ほかの兵士達が青いバラの危険性に気づくよりも早くバラが炸裂した。
もうバラの香りはしなかった。
辺りは血の香りで満たされていた。
「素晴らしい香りだ」
エイドレスは食欲をそそる香りを満足そうに吸い込んでいた。
「人食いの化け物め……」
フェイラム伯爵の長男、ブレンダンは吐き捨てるように言った。
「食わず嫌いはよくないぞ」
エイドレスは鋭い歯を見せてにやりと笑った。
「黙れ。ルドリックの仇、討たせてもらうぞ」
ブレンダンは愛剣ブルーローズを構えた。
端正だった彼の顔はげっそりとやつれていた。足取りも酔っているかのように不安定で今にも倒れてしまいそうだった。
しかし、両目だけはぎらぎらと光っていた。
「どうも栄養が足りていないように見えるな。ちゃんと肉を食ったらどうだ?」
エイドレスは軽い調子で言った。
「よくも……よくもそんなことを……」
限界を超えた怒りにブレンダンの顔が白くなった。
「ああ、そうか。肉を目にするとルドリックを思い出してしまうわけか。私はお前から肉を食う喜びを奪ってしまったのだな。なんということだ。これほどの楽しみを奪ってしまったとは……」
エイドレスは本気で嘆いていた。
「殺してやる……殺してやるぞ狼め!」
ブレンダンはブルーローズで斬りかかった。
「出力を上げるか」
灰色の狼は身に纏うカエアンの出力を上げ、ブレンダンの憎しみを込めた一撃を躱した。
「さて、相変わらず私の方が速いようだが、なにか策はあるのか?」
距離を取ってブレンダンと対峙したエイドレスが言った。
「心配するな。ちゃんと捕まえて殺してやる」
ブレンダンは笑っていた。しかし、その瞳にはたとえようもないほどの怒りが燃えていた。
怒りに燃えるブレンダンの足下からバラの蔓が生えてきた。
蔓はその先端をエイドレスに向けると一瞬のうちに成長し、槍のようにエイドレスを襲った。
エイドレスは槍の先端を躱した。エイドレスの脇を槍と化した蔓が通り過ぎてゆく。
しかし、バラの蔓は枝分かれしていた。
躱された蔓の側面からエイドレスに向かって新しい蔓が伸びた。
そして、枝分かれした蔓の先には青いバラの花が咲いていた。
エイドレスが目の端に鮮やかな青を捉えたのと同時にバラは炎の花を咲かせた。
「六十五パーセント」
とっさにカエアンの出力を上げ、爆発から逃れた。
そこに細身の剣が叩きつけられた。
エイドレスは爪に魔力を込めてブレンダンのブルーローズを逸らした。
「惜しかったな」
回り込んできていたブレンダンにエイドレスが言った。
「ああ。出来ればこの手で切り裂きたかったよ」
ブレンダンは嘲るような笑みを浮かべていた。
その笑みを見てエイドレスはようやくバラの香りに気づいた。
エイドレスの後ろで青い花びらがひらひらと漂っていた。
「だが、お前を殺せれば過程などどうだっていい」
狼の背後で炎の花が咲いた。
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