第107話 大人は汚い
この四人の戦いに手を出そうと考えるほどの愚か者は戦場にはいなかった。
両軍の兵士達が巻き添えになるのを恐れて離れていくなか、戦いは続いていた。
「行きなさい! オロチ!」
アウローラの剣はいくつもの節に分かれ、蛇のように襲いかかってきた。
ジェイウォンはしなやかに動く刃を見極め、なんとか掴もうとしていた。
掴んでしまえば浸透勁でアウローラの腕を破壊できる。
横薙ぎに振り抜かれた刃を頭を下げて躱す。
そして、頭上を過ぎ去っていった刃をすぐさま追いかけた。
刃は向きを変えて戻ってくる。だが、向きを変えるときには絶対に一度止まらなくてはならない。
自然の摂理だ。
ジェイウォンが狙っていたのはそこだった。
読み通りアウローラの剣は向きを変えるために一瞬だけ止まった。ジェイウォンは魔力を込めた右手を剣の節のひとつに伸ばした。
勝利を確信していたジェイウォンだったが、本能に従って身を伏せた。
ジェイウォンの首があった場所をオロチの先端が突き抜けていった。
「やるわね。あのまま手を伸ばしていたら首を落としてやれたのに」
アウローラが冷ややかに言った。
「ほっほ、ただの変わった剣ではないようだな」
ジェイウォンは一旦距離を取った。
オロチの根元に近い部分の節は空中で静止している。だが、先端に近い部分はジェイウォンの様子をうかがうかのようにゆらゆらと空中で動いていた。
物理的に不可能なはずの動きだった。
「オロチはあたしの魔力で思い通りに動かせるの。捕まえようなんて思わないことね」
オロチはアウローラへの服従を示すかのように彼女の腕に巻き付いた。
「ふむ、なかなか厄介じゃな」
ジェイウォンは癖であごひげを撫でようとしたが今の体には髭などなく、その手はむなしく空を切った。
「ボケたことやってないでこっちも手伝いなさいよ」
クルツが声をかけた。
護衛に使っていた兵士達を糸で操り、エルウィンを襲わせる。
エルウィンは金属製の棺で兵士達の攻撃を防ぎ、巧みに隙を突いて棺に仕込まれた杭を撃ち込んだ。
その威力はすさまじく、クルツの兵隊は一撃で粉砕された。
「それが噂のクリサンセマムね。こんなのぶち込まれたらひとたまりもないわ」
人形を失ったクルツが言った。
「兄さんの仇、バラバラにしてやる……」
エルウィンの声には強烈で冷たい怒りがにじんでいた。
「連接剣に杭打ちか。ベリットの奴め……面倒なものを作りおって……」
ジェイウォンがぼやいた。
「おう、聞こえてんぞ爺様よ。あたしの素晴らしい発明品達に文句でもあるってのか」
ジェイウォンの通信機から不機嫌そうな声がした。
「……年のせいかのう、よく聞こえんわ」
面倒くさそうにジェイウォンが言った。
「こんなときだけ年寄り面するとか反則だろ!」
「すまんなあ、よく聞こえんから切らせてもらうぞ」
憤慨するベリットがなおも言い立てていたがジェイウォンは容赦なく通信を切った。
「さてと、どうしたもんかしらねえ」
クルツは頬に手を当てた。
「どうしたものかな」
ジェイウォンが言った。
「……ちょっと、麗しい乙女が困っているんだからちゃんとリードしなさいよ」
クルツが口をとがらせた。
「ふざけたことを抜かすな。お前さんからぶち殺すぞ」
ジェイウォンはクルツをにらみつけた。
アウローラのオロチが鞭のように地面を打った。
「あたし達は忙しいの。あんた達だけでなく、ほかの連中も皆殺しにしなくちゃいけないから」
アウローラが言った。
「だから、もう殺してもいいよね」
エルウィンが棺を構えた。
クルツとジェイウォンは顔を見合わせた。
「しょうがないわねえ」
クルツはため息をついた。
「不本意じゃが仕方ない」
ジェイウォンはかぶりを振った。
「調子に乗ったボウヤ達に」
「大人の怖さというものを教えてやるとするか」
ふたりはにやりと笑った。
エルウィンとアウローラはクルツを狙っていた。
アウローラのオロチで拘束し、エルウィンのクリサンセマムで仕留めるつもりだった。
「まずはアタシのカワイイアシスタントを紹介するわ」
クルツは懐から一枚のカードを取り出すと地面に落とした。
「ジェニファーちゃん、いらっしゃい!」
パンパンとクルツが手を叩くと魔術でカードに収納しておいた人形が現れた。
ミニスカートをはいた人形はアウローラ達に頭を下げた。
アウローラはオロチを伸ばし、クルツに迫っていた。
「さて、種も仕掛けもありませんよっと」
クルツは襲いかかってくる剣など存在しないかのように振る舞っていた。
握っていた手を開くと、クルツの手の中に白いボールが現れていた。
「イッツショーターイム!」
クルツは白いボールを地面に叩きつけた。
ボールがポンと弾けると真っ白の煙が一気に吹き出した。辺りは一瞬のうちに濃い煙に包まれ、誰の姿も見えなくなった。
「煙幕ってわけね!」
アウローラは伸ばしていたオロチを一旦戻した。
煙は濃いがそれほど広がってはいないはずだ。
ひとまず煙の外に出てエルウィンと合流する。
そう考えて動き出そうとしたとき、その声は聞こえてきた。
「うむ。良い判断だぞアウローラ。流石は俺の妹だな」
懐かしい声だった。
低く、力強い声。
聞き慣れたこの声を懐かしく感じてしまうことがアウローラはたまらなく悲しかった。
「兄さん……どうして……」
白い煙に囲まれてなにも見えないなかでアウローラは立ち尽くした。
愛する兄、ルドリックの声に涙がこぼれた。
「やあねえ、アタシの特技よ」
声そのものはルドリックのものだった。
だが、しゃべっているのはルドリックではなかった。
「人形遣いのたしなみとして腹話術も練習したんだけど、そのついでに身につけたのよ。一度聞いたことのある人間の声なら大体再現できるの。どう? 上手いもんでしょ?」
人形遣いはルドリックの声でしゃべり続けた。
アウローラは喉が潰れるのも構わず絶叫した。
自分をもてあそんだ相手を殺すため、兄の声の方に向かって行く。
怨嗟の言葉が止めどなくあふれてくるが、喉が潰れたせいで声になることはなかった。
いつの間にか右腕に糸が巻き付いていた。
叫んだせいでこちらの居場所が分かったのだろう。
だが、そんなことはもうどうでもいい。
人形遣いを殺す。
アウローラの頭にはそれしかなかった。
姿の見えない声の主を狙ってオロチを振るう。
剣が煙を切り裂くと、派手な身なりの男が現れた。
オロチが仇敵に食らいつく。アウローラは凄絶な笑みを浮かべた。
クルツもまた笑っていた。
「あらあら、ダメじゃない。誰と糸がつながっているのかちゃんと確認しなくちゃ」
クルツの言うとおり、アウローラの腕に巻き付いた糸はクルツとはつながっていなかった。
それに気づいた瞬間、アウローラの右腕は無残に吹き飛ばされた。
主を失ったオロチは獲物を捕らえることなく地面に落ちた。
アウローラは腕を失った激痛にもだえたが口からはヒューヒューと息が漏れるだけだった。
「ほっほ、冷静さを失ってしまったら負けじゃよ」
ジェイウォンが言った。その手には糸が巻き付いていた。
エルウィンは動揺していた。
さっきの身の毛もよだつような悲鳴はなんだったのか。アウローラの身に何かあったのか。敵はどこにいるのか。
周囲に目をやるが相変わらず白一色で自分がどちらを向いているのかすら分からない。
だが、エルウィンはナイフによる一撃を見事に防いだ。
襲ってきたのは煙幕を張る直前にクルツが出した人形だった。
人形の攻撃を棺で防いだエルウィンはいつも通りに杭を撃ち込んだ。いつも通りに人形はバラバラになった。
いつもと違ったのは砕けた人形の体から赤い霧が吹き出したことだ。
霧を浴びたエルウィンの目は燃えているかのように痛み出した。
エルウィンはたまらずうめき声を上げた。
目を開けていられない。涙があふれるが目の痛みは治まらない。
「エルウィン! 早く来て! クルツを捕らえたわ!」
アウローラの声だ。無事だったのだ。
エルウィンはクリサンセマムを抱えて走った。
「こっちよ! 早くして! いつまでも捕まえていられない!」
痛む目をこすりながらエルウィンは走った。
「すぐに行くよ!」
痛みが治まってきた。しかし、まだなにも見えない。でも大丈夫。
姉さんがいる。アウローラの声の方に進めば良い。
そうすれば兄さんの仇が取れる。棺を握る手に力が入った。
「もうダメ! 逃げられる!」
アウローラの声は切羽詰まっていた。
「もうすぐ! もうすぐだから!」
声はすぐ近くから聞こえている。目の痛みはだいぶ軽くなった。もうすぐに見えるようになるだろう。
だが、それを待っている暇はない。
エルウィンは必死で走った。
「あんたの右、三歩先よ! そいつを殺して!」
エルウィンは右を見た。
かすむ視界の向こうに人影のようなものが見えた。
全てを撃ち抜くクリサンセマムを構える。
「死んでしまえ!」
エルウィンは杭を撃った。命中した手応えがあった。
「やったわ!」
アウローラの声は弾んでいた。
強い風が吹き、立ちこめていた白い煙が晴れた。
エルウィンは目をこすった。少し痛むが我慢できる。
目を開ける。
地面に転がっている生首と目が合った。
生首はエルウィンと同じ色の目をしていた。
「ステキ! 流石はエルウィンちゃんだわ!」
その声はアウローラのものだった。
だが、当の本人はバラバラになって転がっていた。
「な……んで……」
エルウィンはアウローラの声の方にゆっくりと顔を向けた。
そこには憎き人形遣いがいた。
「ゴメンね。大人って汚いのよ」
おどけた調子でクルツが言った。
なぜアウローラが死んでいるのか。
なぜクルツが生きているのか。
なぜクルツがアウローラの声を出せるのか。
なぜ自分はアウローラを殺してしまったのか。
エルウィンはなにひとつ分からなかった。
「ほっほ、ご苦労だったな」
誰かがエルウィンの頭の上に手を置いた。
もうなにも考えなくてもいいのだ。
エルウィンにもそれだけは分かった。
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