第105話 開戦

「やれやれ、あの男、最後まで持つんだろうな……」


 軍議を終えたあと、グレースに与えられている部屋に集まると、ジェイウォンが口を開いた。


「持ちこたえると思うよ。まあ、いざとなれば実務の方はボクがやればいいしね」


 グレースが言った。


「驚いたな。あの男を信用しているのか?」


 エイドレスが目を丸くした。


「ボクが信用しているのはペリンじゃなくてボク自身の魅力だよ」


 グレースが笑みを浮かべる。


「どういうことですの?」


 ヒルデが聞いた。


「ペリン殿にはこの戦に勝ったらボクから『ご褒美』をあげることになっているんだよ」


「あー、そういうことね」


 ベリットが言った。


「戦が近づくにつれて彼の酔いも覚めてきたみたいでね。ここのところ毎日ボクに泣き言を言うものだから、手っ取り早くやる気になってもらうことにしたんだよ。逃げ出されても面倒だからね」


「その結果、逃げ出したいけど『ご褒美』は欲しいペリンちゃんはお酒に走っちゃったわけね……やだやだ、お酒は楽しく飲むものなのにねえ」


 あきれたようにクルツが言った。


「とりあえずペリンについては問題ないか。我々はフェイラム伯爵に集中できるわけだな」


 ジェイウォンが言った。


「だけど今回は結構キツイな……前みたいに通信妨害でカタパルトを封じるわけにもいかないし……」


 ベリットが腕を組んで考え込んだ。


「標的を目視できてしまいますからなあ……」


 ローネンも同意見だった。


「こちらにはウルグロースカタパルトを上回る遠距離攻撃の手段はない。まともにぶつかれば向こうからの砲撃を一方的に食らうことになるな」


 エイドレスが言った。


「さすがはワイルドヘッジの盟主様。面倒なことこの上ないわね」


 クルツが言った。


「それなんですけど……」


 アルヴァンは自分の考えをみんなに話した。



「……本気で言っているのか?」


 話を聞き終わるとエイドレスはアルヴァンを見た。


 アルヴァンはうなずいた。


「マジかよ……」


 ベリットも言葉を失った。


「ほっほ、無茶なことを考えるものだ……だが、お前さんらしいな」


 ジェイウォンが笑う。


「ステキ……ゾクゾクしちゃう」


 クルツが身をくねらせる。


「君の意思は尊重するけど、一言くらいボクに相談しておいても良かったんじゃないかなあ?」


 グレースは不満そうな目でアルヴァンを見た。


「すみません」


 アルヴァンは頭を下げた。


「謝ることじゃないよ。君の欲望を満たすのがボクの務めだからね」


 そう言ってグレースは微笑んだ。


「確かにこのやり方ならば実質的にウルグロースカタパルトを封じることになりますが……本当にやるんですかのう……」


 ローネンは不安そうにしていた。


「これが一番楽しそうなので」


 腰に差した簒奪する刃を撫でながらアルヴァンが笑った。


「アルヴァン様らしいですわ」


 ヒルデも笑っていた。


「……決まりだね。ボクらは君に全てを託すよ」


 グレースの言葉にアルヴァンは嬉しそうにうなずいた。




 オットー・ペリン率いる反乱軍はグレイマロー平原に陣を張り、フェイラム伯爵を待ち構えた。


 軍議を終え、天幕に集まった領主達が去って行くと、ペリンはグレースを呼び出した。


「グレース、この作戦で本当に大丈夫なんだろうか?」


 ペリンはもう不安を隠せなくなっていた。


「心配いりませんよ。私に従っていれば万事上手くいきます」


 グレースはにっこりと笑った。


 初めのうちはペリンの思考をそれとなく誘導し、自分で考えて決断を下していると錯覚させていたのだが、今となってはもはやその必要もなかった。


「グレース、君は俺の希望だ。君がいなくては俺は……」


 ペリンは縋るような目で自分よりも遙かに若いグレースを見ていた。


「あなたは自分で思っているよりも立派に働いていますよ」


 グレースは励ますように言った。

 この自分が操っているのだからペリン自身が働くよりもよい結果が出るのは当たり前だ。


「グレース!」


 感極まったペリンはグレースの手を取った。


 しかし、グレースはその手を優しくふりほどいた。


「そんな! どうして……」


 グレースの反応に、ペリンはあからさまに落胆した。


「オットー、ここから先は全てが片付いたあとで……ね」


 捨てられた子犬のような目をしているペリンに、グレースは耳元でささやいた。


「あ、ああ! 任せておけ! 必ずや君を満足させてみせる!」


 天幕をあとにするグレースの背中に、ペリンは熱い思いを投げかけた。


 まずは念入りに手を洗わなくては。


 そのあとでアルヴァン君に褒めてもらおう。

 それくらいはしてもらわないと割に合わない。


 グレースはそそくさと去って行った。



 午前のうちにグレイマロー平原にたどり着いたベルナルド・コスタは敵軍を観察していた。

 おおよそ七千人。反乱軍の総数はコスタの予想通りだった。


 フェイラム伯爵が集めたのは一万人。数ではこちらが勝っている。


 しかし、こちらの兵は伯爵が脅して無理矢理かき集めたものだ。当然士気は低い。無茶な行軍のおかげで疲れもたまっている。


 加えて、今回の戦では総大将であるフェイラム伯爵ではなく、伯爵の補佐役であるコスタが指揮を執ることになっていた。


 昨夜このことを聞かされたコスタは絶句した。言葉を失って立ち尽くすコスタに対してフェイラム伯爵はこう言った。


 俺には指揮なんぞより大事なことがある。


 コスタは助けを求めて伯爵の家族を見た。


 しかし、伯爵家の面々は取り乱すコスタを不思議そうに見ていた。


 この戦に勝っても負けても都市国家同盟ワイルドヘッジは終わる。


 コスタはそう確信した。


 だが、コスタには反論する気も逃げ出す気もなかった。


 全てをかなぐり捨ててしまうほどに怒り狂っているフェイラム伯爵がそんなことを許すはずがなかったからだ。




 コスタが指揮を執る伯爵軍は、グレイマロー平原の西側に陣取る反乱軍の正面に陣取った。


「いつでも始められます」


 フェイラム伯爵一家の天幕でコスタは報告した。


「あんた、あたしらであんたを守りながら突っ込んでいくよ」


 伯爵の妻、イゾルデが言った。


「父上はなにも気にせず前だけを見ていてください」


 伯爵の長男、ブレンダンが言った。


「父さん、あいつらをぶっ殺して」


 伯爵の長女、アウローラが言った。


「ボクらで兄さんの敵を討とう」


 伯爵の三男でアウローラの双子の弟であるエルウィンが言った。


「……悪いな。俺はひとりで行く」


 一家の長、バートランド・ユービクタス・フェイラムはかぶりを振った。


「どうして……」


 イゾルデが聞いた。


「あいつがひとりで来てやがるからだ」


 フェイラム伯爵は椅子から立ち上がると愛用の投石器、ウルグロースカタパルトを手にして天幕を出ていった。


 伯爵に続いてみんなも外に出た。


「父上?」


 ブレンダンはぼんやりと突っ立っている父親を見た。


 フェイラム伯爵は北にある小高い丘を見ていた。


 伯爵軍の陣から離れたところにある丘では、風に吹かれて雑草が揺れていた。


「あいつ……」


 アウローラは伯爵が見ているものに気づいた。


 丘の上にはひとりの青年がいた。


 彼は銀色の髪を風になびかせ、右手に剣を持っていた。

 それは剣身から柄に至るまで全てが真っ黒な剣だった。


 顔が見えるような距離ではないが、フェイラム伯爵には彼が笑っているのが分かった。


「お前ら、邪魔が入らないようにしてくれ」


 フェイラム伯爵は愛する家族を見回してそう言った。

 彼らは揃ってうなずくと、邪魔者を蹴散らすために戦場に向かった。


 コスタも慌てて伯爵一家の面々を追いかけていった。


 ひとりきりになった伯爵はウルグロースカタパルトを構えた。


「……殺してやるぞ、小僧」


 全てを奪った相手を見据えて、ひとりの父親が宣言した。



「会いに来ましたよ、フェイラム伯爵」


 丘の上から極上のおもちゃを見ていたアルヴァンが言った。


 アルヴァンはまっすぐに駆けだした。

 怪しく光る漆黒の魔剣を携えて。

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