第103話 シャル・ウィ・ダンス?

「こちらの総兵力はおよそ一万になる見込みです」

 ベルナルド・コスタは集まったフェイラム伯爵一家に現状を報告した。


「よくやってくれたな、ベルナルド」

 フェイラム伯爵はコスタに礼を言った。

 これほど素直に伯爵が感謝を述べたことなどいったいいつ以来なのかコスタには思い出せなかった。


「いつになったらはじめられるの?」

 伯爵の長女アウローラが聞いた。

 その瞳にはいつもの覇気はなく、震える手で隣にいる弟のエルウィンの袖を握っている。


「準備が整うまでにはあと三日ほどかかります」

「そう……」

 アウローラは一見するとルドリックの死によって心が折れたように見える。


 だが、コスタにはわかっていた。


 アウローラの空虚な瞳の奥には父であるフェイラム伯爵に勝るとも劣らない怒りが眠っている。


「奴らの動きはどうなってるんだい?」

 伯爵夫人イゾルデが聞いた。


 イゾルデの長い指は彼女の黒髪を無意識のうちにいじっていた。優れた魔術師である彼女が長い年月をかけて魔力を練り込んでいるその髪は怪しく光っていた。


「こちらの動きを知って、各都市の反乱分子が集結しています。ですが集められるのはせいぜい七千程度でしょう。兵力はこちらの方が上です」

 コスタはそう答えたが、実際のところ伯爵一家が兵数の多寡など気にしていないことは明らかだった。彼らの目的は反乱の鎮圧ではないのだ。


「敵が陣を張るのはグレイマロー平原かな?」

 長男ブレンダンが口を開いた。

 口調こそ穏やかだったがその表情にはかつての余裕はもうない。

 やつれた生気のない顔で瞳だけがぎらぎらと光っている。


「このまま進めればそうなるでしょうな。地形的にはブライトゲートあたりまでおびき出したほうがこちらにとっては有利なのですが……」


「ダメだ。俺は待てん」


 フェイラム伯爵が厳かに言った。

 落ち着いているように見えるが、実際のところ伯爵は今すぐにでも飛び出していきたいのを必死で押さえ込んでいた。


「かしこまりました。後の手配は私にお任せください」


 ここまで来てしまったら後はもう伯爵の力を信じるしかない。

 たとえ伯爵が求めているのが勝利ではなく復讐であったとしても、彼の力を持ってすればどちらも手に入れることができるだろう。


「……伯爵……」

 コスタはちらりと伯爵の様子をうかがった。


「…………」

 フェイラム伯爵はコスタの言葉には気づかず、ただぼうっと窓の外を見ていた。


 結局、コスタは切り出すことができなかった。

 だが、それで良かったのかもしれない。この戦はあくまでも家族の恨みを晴らすためのものなのだ。

 部外者である『あの男』を引っ張ってくる必要はない。

 コスタは頭を切り換えて最後の準備に取りかかった。



「フェイラム伯爵の兵力は一万に達するでしょうね」

 グレースが言った。処刑されたかつての領主ラピールの館にはアルヴァン達に加えて、反乱軍を率いるペリンの姿があった。


「こちらの兵力は多くても七千といったところか……」

 広げた地図の上に並ぶ兵に見立てた駒を眺めるペリンの表情は硬かった。


「ですが伯爵は復讐に心を奪われています。本来であればここまで急いで兵を動かす必要はありません。兵を集めるのにもかなりの無理をしていますから士気は低く、補給もままならないでしょう」


「それに対してこちらは是非とも戦いたいとあちこちから志願者がやってきている」


「勢いに乗っているのは我々です」


「彼らの面倒を見てやるのも一苦労だがな。協力しにやってきた領主達を見たが、どいつもこいつも頼りない。この私が人の上に立つもののあり方をしっかりと示してやらないとな」


「ペリン殿の腕の見せ所ですね」

 グレースは笑みを浮かべた。

 田舎町の領主殿はいい具合に育っている。


「すみません、ここって何かあるんですか?」


 アルヴァンが広げられた地図の一点を指さして聞いた。アルヴァンが指さしたのは今いる都市から少し離れたところにある森だった。


「ただの森だろう。それがどうかしたのか?」

 邪魔が入ったことに苛立ちながらペリンが言った。


「ここからだと……あっちの方角ですよね?」

 アルヴァンは地図から顔を上げると西の方を見た。


「気になるのかな?」

 グレースが聞いた。


「ええ、すこし」

 アルヴァンがうなずく。


「なんだか知らんが後にしてくれないか。今はそんなことに構っていられん」

 ペリンはアルヴァンをにらみつけた。


「……そうですね」

 アルヴァンが言った。


 その後、ペリンはアルヴァンのことなど気にもせずにグレースとの相談を続けた。


「……こんなところだな……グレース、私はこの場で決まったことをほかの領主達に伝えてくる」

 ペリンはそれだけ言うと部屋を出て行った。


「よろしくお願いします」

 グレースは去って行くペリンの背中に深々と頭を下げた。


 扉が閉まり、ペリンが充分に離れたと確信できるとグレースは処刑されたラピールが使っていた大きな椅子に腰掛けた。


「アルヴァン君、こっちにおいで」

 グレースはアルヴァンを手招きした。


「どうかしましたか?」

 アルヴァンがグレースの方に近づいていった。


「座りなさい」

 グレースが言った。


「ええと、どうすれば……」

 アルヴァンは困惑していた。


「……えい」

 グレースはアルヴァンの手を引っ張って、椅子に座る自分の上に彼の体をのせた。


「はー、落ち着く」


 グレースは膝の上にのせたアルヴァンを後ろから抱きしめるとようやく一息ついた。


「重くないんですか?」

 ぬいぐるみのように抱きしめられているアルヴァンが聞いた。


「君はそれほど大柄じゃないから平気だよ。それにしてもあのド田舎の領主殿の相手をするのは疲れるなあ……」

 アルヴァンの頭を撫でながらグレースがぼやいた。


「ペリンさんはだいぶ変わりましたよね」

 グレースにされるがままのアルヴァンが言った。


「そうなんだよ。最近では名が売れたのをいいことに女の子にも手を出す始末だ。ボクもいろいろと手を打っているから、いまのところそれほど大事にはなっていないんだけど、取り繕いきれなくなるのは時間の問題だね」

 思う存分アルヴァンを愛でながらグレースは話し続けた。


「挙げ句の果てにはこのボクまでそういう目で見始めているからね。いい加減嫌になるよ」

 グレースはため息をついた。


「グレースさんは綺麗ですから」


 アルヴァンの頭を撫でていたグレースの手が止まる。


「……あ、ありがとう」

 グレースは赤くなった頬を掻きながら言った。


「……綺麗だなんて言葉、散々言われて慣れているのに君から言われるとどうしてこうなるかな……」

 落ち着かない自分に戸惑いながらも心地よさを感じているグレースがつぶやいた。


「グレースさん、僕やっぱり気になるんですが……」


「さっきの地図の話しかい?」

 アルヴァンはうなずいた。


「あのペリンと同じことを言うのはたまらなく不愉快なんだけど、確かに今は忙しいんだよねえ……」


「僕だけで見に行くのもダメですか?」


「うーん……君だけならなんとかできるかな。ただし……」


「なにか条件があるんですか?」


「ボクの気が済むまで、こうしてアルヴァン君を愛でさせてくれるならいいよ」


「それは構いませんが」


「君はいい子だね。では遠慮なく……そうだ、ボクだけが愛でるのも不公平だから君の方からボクに触ってもいいよ」

 いつも通りの挑発的な態度でグレースが言った。


「こんな感じでしょうか?」


 アルヴァンは体の向きを少し変えると、グレースの頬に手を添えた。


 想定を遙かに超えた事態にグレースは顔を真っ赤にした。


「……っ!」


 グレースにも意地がある。

 飛び上がりそうになる体をどうにかこうにか押さえ込むのに成功した。


「グレースさん、顔が赤いですよ?」

 目の前にいるアルヴァンが不思議そうに首をかしげた。


「……余計なことは言わなくていいの」


 拗ねたようにそう言うと、グレースはアルヴァンと唇を重ねた。


 触れていた唇を離すとグレースは改めてアルヴァンを見た。


「さあ、いちゃいちゃしようか」

 グレースの目は期待に輝いていた。



「……もうちょっとだったのになあ……」

 都市の門までアルヴァンを見送りに来たグレースが残念そうに言った。


「女狐さん、その口を閉じてくださいまし。でないと、わたくし、自分自身を抑えられなくなりそうですわ……」

 グレースの隣にいるヒルデの瞳では炎が燃えていた。


「まさかローネンが裏切るとはね」

 グレースは恨めしそうにヒルデの肩にとまったフクロウを見た。


「裏切ったつもりはないのですがのう……」

 ローネンが言った。

 窓の外からペリンとアルヴァン達の会話を眺めていたローネンはグレースとアルヴァンが口に出しては言えないようなことをはじめたのを見て、慌ててその場を離れたのだった。


 そして、ローネンはばったりヒルデと出くわした。


 ローネンの様子がおかしいことに気づいたヒルデは手早くフクロウの口を割らせると、終焉を止めるべく即座に走り出したのだった。


「あのときのヒルデ君の悲鳴は街の外にまで聞こえたらしいね」


「女狐さん、これ以上しゃべるようでしたらあのときのわたくしよりも大きな悲鳴を上げさせてやりますわよ」

 ヒルデの目は本気だった。

 さすがのグレースも黙らないわけにはいかなかった。


「ええと、じゃあ行ってきますね」

 旅支度を調えたアルヴァンが言った。


 ゴールにはたどり着かなかったものの、グレースは充分に満足していたのでアルヴァンは約束通り、西にある森に向かうことを許された。


「なるべく早く帰ってきてくださいまし」

 にこやかにヒルデが言った。


「そうだね。今は戦争の準備で忙しいから」

 アルヴァンはうなずいた。


「ほほほ、全くですわ。ですから、わたくしはこのクソ忙しいときにアルヴァン様がなにを思って女狐さんと乳繰り合っていたのかをじーっくりたーっぷり伺わなければなりませんの。帰ってくるまでにわたくしになにを話すのかをしっかりと考えておいてくださいまし」

 ヒルデの笑顔は崩れなかった。


「……行ってくるね」

 アルヴァンは逃げるように歩き出した。



 天気も良く、森までの道は整備されており、アルヴァンは快調に進んでいった。そして、アルヴァンは森の中に入っていった。


 道しるべなどなかったが、アルヴァンは迷うことなく森を進んでいった。てくてくと歩き続けていると、木々を切り開いて作られた開けた場所に出た。


 そこには白く塗られた大きな館があった。


 アルヴァンは館を見上げた。その顔には笑みが浮かんでいた。


「あら? アタシのお家に何のご用なの、ボーヤ」

 館の正面の扉から出てきたのは親しげな笑みを浮かべた男だった。

 アルヴァンよりも背が高いが体は細身ですらりとしている。服装はひたすら派手さを追い求めているかのようにあちこちに華美な装飾が施されていた。

 だが、よく見れば派手な装飾の数々は体の動きを阻害しないように配置されていた。


「遊びませんか?」

 男を見てアルヴァンの笑みは大きくなっていた。


「……あらあらまあまあ、このアタシを誘ってくれるオトコがいるだなんて……涙が出ちゃいそう」

 派手な男はわざとらしく目元をぬぐった。


「久しぶりのダンスね。そっちから誘ったんだからアタシをガッカリさせないでよ、ボーヤ」

 男は真っ白な手袋を両手にはめると誘うような目でアルヴァンを見た。


 アルヴァンは漆黒の魔剣を抜くと嬉しそうにそれを構えた。

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