第102話 強欲の果てに
フェイラム伯爵の言葉を聞いたベルナルド・コスタは耳を疑った。
「……全軍を出せですって?」
コスタの仕事はフェイラム伯爵の補佐であり、都市国家同盟ワイルドヘッジの実務におけるナンバーツーにあたる。つまり、フェイラム伯爵が考えたことを実行に移すのがベルナルド・コスタの役目なのだ。
フェイラム伯爵とは彼が『伯爵』を名乗る前からの付き合いである。当時フェイラム伯爵が所属していた傭兵団で事務仕事を担当していたコスタはフェイラム伯爵から誘いを受けた。
そして、伯爵とともに傭兵団の団長を暗殺し、傭兵団を乗っ取った。これが後に都市国家同盟ワイルドヘッジにまで発展することとなった。
傭兵団という名の掃きだめから抜け出すことすらあきらめかけていた頃にやたらと腕っ節の強い『新入り』に傭兵団の乗っ取りに協力しないかと言われたときの驚きは今でも鮮明に思い出すことが出来た。
場末の酒場で薄められた酒を飲みながらぎらぎらした目でこちらを見ていたデブの男とともに、コスタは成り上がっていったのだった。
それから今日に至るまで、フェイラム伯爵から無茶なことを要求された回数などいちいち数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどだった。
だが、伯爵のすべての要求に対してコスタは何かしらの解決策を提案した。
その中には伯爵の要求に勝るとも劣らないほど無茶な提案もあった。
しかし、フェイラム伯爵はその圧倒的な力で無謀とも言えることも成し遂げてきた。
二人の間には長い付き合いによって積み上げられてきた信頼があった。
だが、それでもなおコスタはフェイラム伯爵の今回の提案にコスタは驚かずにはいられなかった。
「……全軍というのはワイルドヘッジの全兵力という意味でしょうか?」
コスタが改めて聞いた。
「その通りだ。すべての都市から集められるだけの兵隊を集めろ。すぐにだ」
「……伯爵、今の状況でそんな真似をしてしまえば大変なことになりますよ……」
コスタの念頭にあったのはストーンヘイムという小さな街の連中が中心になっている反乱軍のことだ。
税金を上げることを拒否したうえに伯爵を侮辱したストーンヘイムをたたきつぶすべく兵を送ったものの、どういうわけだか返り討ちに遭ったのをきっかけにワイルドヘッジの各地で反乱が起きている。
反乱軍のリーダーが古の大国アイボルーブ王国の後継者を自称しているのは噴飯物だが、奴らは異様に腕の立つ人材を抱えている。
認めたくはないが奴らを鎮圧するどころか勢いづかせてしまっている有様だ。
反乱自体は珍しいことではない。
フェイラム伯爵は控えめに言ってもどうしようもないほどに強欲であり、その統治は取り繕いようもないほどに暴虐だ。
しかし、過去の反乱はフェイラム伯爵の圧倒的な暴力によって苦もなく抑え込めていた。
そしてそんな暴君の隣で、コスタは伯爵の途方もない欲望と比べればささやかなものである自分自身の欲望を満たしていた。
コスタは強欲ではあるが愚かではない。そして、伯爵もそうであると信じていた。
「なにがだ?」
フェイラム伯爵が聞き返してきた。
「今の状況で傘下の都市をさらに締め上げるのはいくらなんでも無茶です。今回の反乱を抑え込むのに成功したとしてもワイルドヘッジが崩壊しかねません」
コスタはあくまで冷静に訴えかけた。
伯爵は冷静さを失っている。
コスタはそう判断していた。ならばとにかく落ち着いて話を聞いてもらうことが肝要だ。
しかし、フェイラム伯爵はコスタよりも冷静だった。
「それでもいいんじゃないか?」
「……なんですって?」
「俺は別にワイルドヘッジが崩壊しても構わん」
「なにを言っているんですか伯爵!」
コスタは思わず声を荒げた。
「……ベルナルド、俺は今まで欲しいものは何でも手に入れてきた。そして、欲しかったものが手に入るとすぐに別のものが欲しくなった……きりがなかった……当然だが満足したことなんざ一度もなかった……そう思っていたんだ」
フェイラム伯爵は淡々と語り出した。
「だがな、それは俺の思い違いだったらしい。俺は充分に満ち足りていたんだ……そのことにやっと気がついた……もう遅いがな」
伯爵は目の前のコスタではなく自分自身に言い聞かせるように話し続けた。
「俺にはもう欲しいものはない……だが、ひとつだけやらなきゃならんことがある。協力してくれるな?」
コスタはうなずいた。
ここに至ってようやく理解できたのだ。
伯爵の全身から放たれている、あまりにも強すぎて気づくことすら出来なかった怒りを。
コスタが各都市に出した通達は簡潔だった。
フェイラム伯爵とともに戦え。従わないのならば殺す。
勢いづいている反乱軍に同調し、コスタの命令を拒否することを決めた都市がふたつあった。
ちょうど昼食を食べ終わったときに通達への返事を受け取ったフェイラム伯爵は食後のデザートが運ばれてくるまでの間にふたつの都市を瓦礫の山に変えた。
その後、拒否の返事が届くことはなくなった。
「なんという暴挙だ!」
フェイラム伯爵が都市をふたつ破壊したことを聞かされたペリンは怒りをあらわにした。
ペリンを含めたアルヴァン一行はストーンヘイムからラピールの都市に拠点を移していた。元は領主であるラピールのものだった屋敷に一同は集まっていた。
「フェイラム伯爵の頭にあるのは家族を奪った我々への復讐だけなのでしょうね」
グレースが言った。
「あの男が復讐とは笑わせてくれる。自分が今までいったいどれだけのものを人々から奪ってきたと思っているんだ」
ペリンの憤りは収らない。フェイラム伯爵の身勝手な振る舞いにはもう我慢がならなかった。
「全くです。今こそ悪辣な伯爵に正義というものを思い知らせてやりましょう」
「その通りだ! まずは伯爵に媚びを売ってこの都市の人々を苦しめ続けた領主からだな!」
「ラピールの処刑の準備は整っています。住民達も待ちわびていますよ」
「後は私が薄汚いドブネズミの首をはねるだけだな」
ペリンは笑みを浮かべると、部屋を出て行った。
「……あのオッサン、なんか変わったな……」
黙ってペリンを眺めていたベリットが言った。
「ほっほ、権力というのは人を変えるものじゃよ」
同じく様子を見ていたジェイウォンが言った。
「そうなんですの?」
ヒルデは自分の肩にとまっているローネンを見た。
「多かれ少なかれ影響は受けるものですのう」
ローネンはうなずいた。
「まあ、扱いやすくなってくれて何よりだよ」
グレースがにやりと笑った。
「……しかし、ここに陣取って大丈夫なんですかのう……」
ローネンは不安そうに窓から空を見上げた。
「ウルグロースカタパルトなら心配しなくてもいいよ。フェイラム伯爵が僕らを狙って長距離砲撃をすることはもうない」
グレースが言った。
「伯爵はワシらを殺すところをその目で見ずにいられんからな」
ジェイウォンが言った。
「アルヴァン君の話によると伯爵の怒りはもはや言葉にならないほどらしいからね。伯爵は自らの手でボクらを殺すことしか頭にないんだろう」
グレースが言った。
「んで、兵力全部かき集めてあたしらにぶつけるつもりなわけか」
ベリットが言った。
「雑兵は露払いに過ぎないだろうね。伯爵の狙いはあくまでも自分の手でボクらを殺すことだ」
「戦にはフェイラム伯爵本人が出てくるというわけですな」
「って言うか伯爵一家総出じゃね?」
「こうなれば奴らが逃げることはあるまい。命つきるまでワシらを殺そうとするだろうな。探す手間も追いかける手間も省けるわけだ。実に都合がいい」
ジェイウォンが笑った。
「えーと、ウルグロースカタパルトを封じて、フェイラム伯爵を表に引きずり出せて、おまけに伯爵が逃げることもないわけですから……一石三鳥ですわね」
「そのたとえを持ち出すのはやめていただけませんかのう……」
悲しそうな目をしてフクロウのローネンが言った。
「そういやアルヴァンとオッサンはどこ行ったんだ?」
ベリットが言った。
「アルヴァンの奴が試したいことがあるとかでエイドレスと一緒に出て行ったぞ」
ジェイウォンが答えた。
「あいつらなにやってんだ?」
ベリットが首をかしげた。
「あっちは盛り上がってますね」
ラピールの処刑が行われている方から届いてくる人々の歓声を聞きながらアルヴァンが言った。
「あの男はずいぶん素直に従っていたな」
エイドレスがラピールの様子を思い出しながら言った。
「最初は暴れてたらしいんですけど、僕が処刑されてくださいって頼んだらあっさり承諾してくれましたよ」
「あいつはお前のことを……なんというか……神聖なもののように見ていたからな」
「そうだったんですか? 後で処刑しなきゃいけないからグレースさんに言われたとおりに助けただけなんですが」
「相手はそんな事情までは知らんだろうしな……さて、そろそろいいか」
都市の外れまで来たエイドレスは周囲に人の気配がないのを確認した。
「そうですね。はじめましょうか」
アルヴァンは簒奪する刃を覆っていた布をはぎ取った。
それを見たエイドレスは担いでいた包みを地面に置いた。
包みの中から出てきたのはフェイラム伯爵の次男ルドリックが身につけていた籠手、タラニスだった。
「……なんというか感慨深いな……」
エイドレスは懐かしむようにルドリックの籠手を眺めた。
「エイドレスさん、よだれ垂れてますよ」
アルヴァンに言われてエイドレスは慌てて口元をぬぐった。
「……コホン、用意はしたが本当に上手くいくのか?」
エイドレスはわざとらしく咳払いをしてごまかした。
「うーん、どうでしょうね?」
いつも通りの気楽な調子で答えたアルヴァンは簒奪する刃を構えた。そして、地面に鎮座している雷を宿した籠手に向かって漆黒の魔剣を振り下ろした。
黒い剣と籠手が衝突した瞬間、まばゆい光が籠手からあふれ出した。
エイドレスはまぶしさに思わず目を背けた。
「……成功したのか?」
エイドレスが目を戻したが、タラニスが置いてあった場所にはなにもなかった。
「大丈夫そうです」
そう言ったアルヴァンの方に目を向ける。彼が持つ黒い魔剣は何も変わっていないいようだった。
「そうか?」
「そうですよ」
アルヴァンは簒奪する刃の切っ先を近くにあった木に向けた。
すると、晴れているにもかかわらず、雷が木に落ちた。
タラニスの時とは違う黒い雷だった。
「驚いたな……」
落雷を受けて真っ二つになった木が倒れはじめたのを見ながらエイドレスがつぶやいた。
「ええと、ほかにもできることがありますよ」
エイドレスがアルヴァンの方を見たときには簒奪する刃だけを残して彼の姿は消えていた。
「こんなものかな」
アルヴァンは落雷で倒れかけていた木に向かって走ると木を殴りつけた。再び雷が落ちたような音がした。
「驚いたな……」
エイドレスはまたつぶやいた。
木を殴ったアルヴァンの両手は黒く染まったタラニスを纏っていた。
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