第101話 自慢の息子

 フェイラム伯爵のウルグロースカタパルトをなんとか凌ぎはしたもののブレンダンは都市の外れまで吹き飛ばされていた。

 愛剣ブルーローズを杖代わりにしてふらつく体を支えながら通信機を手に取った。


「父上、聞こえますか?」


「ブレンダン! 無事か? いったいどうなったんだ?」

 ブレンダンは父になんと言えばいいのかわからなかった。


「……また、外れたのか……」

 フェイラム伯爵はブレンダンの様子から事情を察したようだった。

 通信機の向こうで、フェイラム伯爵が机に拳を打ち付ける音がした。


「父上、これはなにかがおかしい。どうやったのかはわかりませんが、恐らくは彼らの仕業です」


「あの小僧か……」


「原因が判明するまでは砲撃を中止するべきです」


「……わかった。それで、ルドリックの奴はどうした? お前と一緒じゃないのか?」

 ブレンダンはまた答えに詰まった。


「……ルドリックとは……はぐれてしまって……」

 フェイラム伯爵にはその言葉だけで十分だった。


「お前……俺の砲撃を食らったのか……俺はお前に向かって撃っちまったのか……」

 伯爵の声は震えていた。


「父上、これは敵の罠で……」

 ブレンダンは取り繕おうとしたが、通信機からはなにかが壊れる音がした。


「この俺は……息子を殺しかけたってのか……」

 フェイラム伯爵がこれほど弱々しい声を上げるのをブレンダンは聞いたことがなかった。


「父上、僕は生きています」


「ブレンダン……」


「少しくらい迷惑をかけられても平気ですよ。家族なんですから」

 ブレンダンの声は温かかった。


「……そうだな」


「父上がやったことの後始末をするのには慣れてますしね」


「……全く、お前って奴は……」

 伯爵の声はもう震えてはいなかった。


「僕はルドリックの様子を見に行きます」


「ああ、頼むぞ、ブレンダン」

 ブレンダンがルドリックがいる広場の方へ走り出そうとしたとき、通信が入った。


「父上! ルドリックからの通信です!」

 ブレンダンは安堵と興奮が入り交じった声をあげた。


「よし! 母ちゃんやアウローラ達も呼んでくる! ちょっと待ってろ!」

 通信機からはドタドタと部屋を走ったり扉を開けたりする音がした。


「いいぞ。つなげ」

 準備が整った伯爵から言われて、ブレンダンは通信機を操作した。



「……親父……兄貴……」

 通信機から聞こえてくるルドリックの声は弱々しかった。


「ルドリック! 無事なのか?」

 勢い込んで伯爵が聞いた。隣では妻のイゾルデに加えて、双子の姉弟アウローラとエルウィンが緊張した面持ちで通信機を見守っている。


「今どこにいるんだ?」

 ブレンダンが問いかけた。


「兄さん、大丈夫なの?」

 普段は気の強いアウローラが心配そうに言った。


「……みんな……いるのか……」

 ルドリックの声はかすれている。


「しっかりしな! あんたらしくもないよ!」

 イゾルデが叱咤するが、その声には不安が隠し切れていなかった。


「……みんな……すまん……」

 ルドリックは弱々しくそう言った。


「おい、どうした! 何があったんだ! ルドリック!」

 伯爵が言った。


「ええと、ちゃんとつながってますよね、これ」


 突然ルドリックではない人物の声がした。伯爵はその声に聞き覚えがあった。


「……小僧……」


 フェイラム伯爵は大きく目を見開いた。


「お久しぶりです、フェイラム伯爵」

 その声はあくまで穏やかだった。


「てめえ、ルドリックに何をしやがった!」

 激高した伯爵が叫んだ。


「ええと、僕はなにもしていないんですが、エイドレスさんがルドリックさんと戦って勝ったんです」

 相手は伯爵の剣幕に戸惑っているかのようだった。


「兄さんが……負けた……」

 三男のエルウィンが呆然とつぶやいた。


「ルドリック! 今どこにいるんだ! すぐに助けに行く!」

 通信機から切迫したブレンダンの声がした。


「……もう……おそい……」

 再びルドリックの声がした。


「あんた! 殺されたくなかったらすぐに兄さんを解放しなさい!」

 アウローラが叫んだ。


「解放してもあんまり意味がないと思いますよ。ルドリックさん、あちこち骨が折れてますし……」

 淡々としたその声にアウローラは唇を噛みしめた。


「いいから兄さんを離しなさいよ!」

 アウローラの目には涙が浮かんでいた。


「それは困るな」


 通信機から今までに聞いたことのない声がした。


「誰だ! てめえは!」

 フェイラム伯爵が言った。


「エイドレス・ライムホーン……」

 通信機からブレンダンのつぶやきが聞こえた。


「初めましてだな、フェイラム伯爵。私はエイドレス・ライムホーン。アルヴァンの仲間だよ」


「あんたがルドリックを……!」

 愛する息子を傷つけられたイゾルデの目は怒りに燃えていた。


「まあまあ強かったよ」

 エイドレスの声には余裕が感じられた。


「……小僧……ルドリックを人質にしようってのか……」


「違いますよ。放っておくとルドリックさんは死んじゃいますから」


「だったら早く兄さんに手当てしなさいよ!」

 泣きながらアウローラが声を張り上げた。


「ええと、エイドレスさん、どうしましょうか?」

「私はどちらでも構わんよ」

 二人の会話を聞いたアウローラの目に希望の光が宿った。


「すぐに兄さんを助けなさい! そうすればあんた達の命だけは……」

 アウローラは一筋の希望に縋った。


「どちらにしても結果は同じだしな」


「結果が同じって何よ……」

 エイドレスの言葉には不穏な響きがあった。


「ヒルデかジェイウォンさんなら傷の手当てが出来そうですけど二人ともここにはいませんし、エイドレスさんをあまり待たせるのも良くないですよね……」


「気遣いは無用だと言いたいところだが……正直言って私の我慢もそろそろ限界に近いのでな」


「じゃあ、治療は無しにしましょうか」


 アウローラの希望はたたきつぶされた。


「ふざけんじゃないわよ! 今すぐ兄さんを治療しなさい!」

 通信機に怒声を浴びせた。


 どちらからも返事は来なかった。

 その代わりに、通信機からは厚い布を力任せに引き裂いたような音がした。

 続いて、水滴の落ちる音がした。

 そしてまた、引き裂くような音がした。


「……う……おお……」


 それらの音に混じって、ルドリックがうめく声がした。


「ちょっと……あんた達……何してるのよ……」

 アウローラが言った。


 通信機から聞こえてくる音には言いようのない不快感があった。

 しかし、返事はなく、ただ引き裂く音と水滴が落ちる音が続いた。

 そして、ときおりクチャクチャとなにかを咀嚼しているような音が混ざりはじめた。


 フェイラム伯爵一家が固唾をのんで通信機を見守る中、その音は続いていた。

 どういうわけだかわからないが、刻一刻と不安が増していった。


「何をやってるのかって聞いてるのよ!」

 不安に耐えきれなくなったアウローラが叫んだ。


 返答はすぐにやってきた。


「ああ、失礼。食事に夢中になっていた」

 エイドレスはなにかを食べながらそう答えたようで、ときおり咀嚼音が混じった。


 アウローラは自分の頭の中でパズルのピースがはまっていくのを必死で拒んでいた。

 隣にいる父親と母親の方には目を向けることが出来なかった。


 二人が自分と同じ考えに至っているのではないかと思うと怖くてたまらなかった。


「……あんた……何を食べているのよ……」

 アウローラは精一杯強気に聞こえるように力を振り絞った。しかし、その声は震えていた。


「右足だな。筋肉質だがふくらはぎの肉は柔らかい。ほかの部分も適度な歯ごたえがあって食べ応えがある」

 エイドレスの声は満足そうだった。


「何を食べているのかって聞いてるのよ!」


 アウローラにはもうその答えがわかっていた。


「あなたのお兄さんですよ」

 夢中になって肉を食んでいるエイドレスに替わって穏やかな青年の声が答えた。


 アウローラは絶叫した。


 エルウィンが暴れる姉を抱きしめた。それでもアウローラの絶望に満ちた叫びは止まらなかった。


「エイドレスさんは狼の獣人なんですけど、肉の好みが変わっていて……」


「私からすればこれほど美味いものがそこら中を歩いているのに誰も食おうとしないのが不思議でならんよ」


「だそうです」


 アウローラの絶叫が部屋に響き渡っているにもかかわらず、通信機からの声は鮮明に聞こえた。


「殺してやる……殺してやるぞ……エイドレス・ライムホーン……」

 ブレンダンの声は怒りと絶望に震えていた。


「後でな。私はいま忙しいんだ。さて、右腕と腹、どちらからいくべきかな?」


「僕に聞かれても困るんですが……」


 二人の会話を聞いたブレンダンは訳のわからない叫び声を上げた。


 エルウィンの目からは止めどなく涙があふれていた。

 それでもエルウィンはもがくアウローラを何も言わずに優しく、力強く抱きしめていた。


 イゾルデの顔からは血の気が失せており、その瞳にはなにも映ってはいなかった。


「ブレンダン、今すぐに帰ってこい」

 フェイラム伯爵が言った。


「殺してやる! 殺してやるんだ!」

 ブレンダンはわめき続けた。


「ブレンダン!」

 フェイラム伯爵の一喝にブレンダンはようやく我に返った。


「…………父上……」

 通信機からは長男の縋るような声がした。


「帰ってこい。いいな?」


「はい……わかりました……」

 伯爵が念を押すと、ブレンダンは了解した。


「エルウィン、アウローラとイゾルデを寝室に連れていって付き添っていろ」


 伯爵の指示に三男はうなずくと、双子の姉と母を連れて部屋を出て行った。


「……ルドリック、聞こえるか?」

 ひとりになった伯爵は改めて問いかけた。


「……親父……すまない……」

 肉を裂かれる音に混じって、ルドリックの小さな声がした。


「お前はなにも悪くない。詫びなきゃならんのは俺の方だ」


 二人の会話の間にも肉を咀嚼する音は続いていた。


「……俺は……親父の息子に……産まれて……幸せだった……」


「ルドリック、お前は……俺の自慢の……息子だ……」


 伯爵は言葉に詰まりながらもそう言った。


 そして、父親は息子の言葉を最後まで聞き届けた。



「満足しましたか?」

「まあまあだな」

 アルヴァンの問いかけに口元の血をぬぐいながらエイドレスが答えた。


「……アルヴァン」


 ルドリックが残した通信機からフェイラム伯爵の声がした。


「なんでしょうか?」

 アルヴァンが通信機を手に取った。


「もう、なにも言うことはない」


 その言葉だけを残してフェイラム伯爵との通信は切れた。


 アルヴァンは少しの間、手の中の通信機を見つめていた。


「伯爵はなんと?」

 エイドレスが聞いた。

「なにも言うことはないそうです」


「それはまた……恐ろしいな……」

 エイドレスは神妙な面持ちになった。


「どうしたんですか? 今までで一番楽しめそうなのに」

 エイドレスを見て、アルヴァンは首をかしげた。


「……やれやれ、お前には付き合いきれんよ」

 アルヴァンの顔を見たエイドレスは苦笑いを浮かべた。


 銀髪の青年の瞳は思いっきり遊べるのを心待ちにしている子供のようにきらきらと輝いていた。

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