第100話 勘違い
「さすがのお前も逃げ切れまい」
ルドリックがエイドレスに向かって言った。
「……そもそも逃げる必要がない」
エイドレスの答えがルドリックに届くよりも速く、フェイラム伯爵による砲撃が命中した。
直撃を食らったのはルドリックとエイドレスがいる広場の東にある民家だった。民家は周りの建物ごと跡形もなく消し飛んだ。
「親父が……外した……」
ルドリックが驚きに目を見張った。
「こんなバカな……」
ブレンダンも愕然としていた。
未だかつてフェイラム伯爵が的を外したところなど見たことがない。にもかかわらず、今回は標的である広場を外れ、民家に着弾していた。
ブレンダンは思わず空を見上げた。魔力を孕んだ砲弾はまだ飛んできている。しかし、それらが広場に命中しそうもないのは明らかだった。
街は大混乱に陥った。
フェイラム伯爵のウルグロースカタパルトによる砲撃は本来の標的を外れ、酒場や警備兵の詰め所、病院など至る所を木っ端微塵にした。
警備兵が獣人達に敗北しつつある中でのこの攻撃は街の住民達に絶望をもたらした。
「作戦成功だね」
「だな」
グレースとベリットは祝杯を挙げていた。
ワインが満たされたグラスとジュースが満たされたグラスが打ち合わされる小気味よい音が二人だけの部屋に響いた。
「これがフェイラム伯爵のウルグロースカタパルトですか……とんでもない代物ですなあ……」
通信機から都市の上空を飛んでいるローネンの声がした。
「今回は伯爵最大の武器が徒になったね」
「あたしのおかげだけどな」
ベリットが得意気に胸を張った。
ベリットは小型の妨害装置を作り、ローネンの足にくくりつけて都市の上空を飛ばせていた。
妨害装置によって通信機の位置情報を誤認させ、フェイラム伯爵の砲撃を外させる。それがベリットの作戦だった。
フェイラム伯爵は標的を目視してウルグロースカタパルトを撃っているのではなく、通信機が伝えてくる位置情報を元にして砲撃を行っている。であれば、通信機が伝える位置情報を誤認させてしまえばそれを元にした砲撃も自ずと的を外れることになる。
「ご苦労様」
グレースがベリットのグラスにジュースを注いだ。
「おう、苦しゅうない苦しゅうない」
ベリットは甘いジュースを堪能した。
「私の仕事は終わりですかのう」
通信機を介してローネンが聞いた。
「そだね。デブの伯爵様には一泡吹かせてやったし……」
「……いや、もうちょっと働いてもらおうかな」
ブレンダンの通信を盗聴していたグレースがにやりと笑った。
「父上! 狙いがはずれています!」
ブレンダンは慌ててフェイラム伯爵に連絡を取った。
「何言ってやがる! そんなはずは……」
フェイラム伯爵はブレンダンの言葉に面食らっているようだった。
「標的を仕留めることが出来ていません! このままではルドリックが危ない!」
ブレンダンは必死で訴えた。
「今度こそ当てるぞ! そこを動くなよ!」
フェイラム伯爵はそう言うと通信を切った。
ブレンダンはフェイラム伯爵の砲撃が今度こそ命中することを祈っていた。
ほんの少し前までのブレンダンなら信じられなかっただろう。
自分が父の砲撃が外れることを心配するときが来るなどということは。
「なぜだ……何が起きているんだ……」
ルドリックはまだ状況を受け入れられずにいた。
広場から遠く離れた場所にウルグロースカタパルトが着弾し、都市を破壊している。想像すらしなかった事態だった。
「そろそろ始めてもいいかな?」
エイドレスが聞いた。その顔には嘲るような笑みが浮かんでいた。
「クソっ……」
ルドリックが身構える。その目は無意識のうちにちらちらと空の方を見ていた。
「ああ、もう一度砲撃が来るのか。では、待つことにしようか」
エイドレスはそう言うと、あろうことか地面に座り込んだ。
「なにもそんな顔をしなくてもいいだろう」
絶句したルドリックを見てエイドレスが笑う。
「砲撃はあちらから来るのか?」
エイドレスはルドリックが目を向けていた方を見た。
ルドリックは思わずうなずいてしまっていた。
「そうかそうか。ウルグロースカタパルトによる砲撃を特等席で見物する機会などこれっきりだろうからな」
狼の獣人は花火が上がるのを待っているかのようにじっと座っていた。
そして、それは再び飛来した。
ブレンダンの顔に浮かんだ希望はすぐに絶望に取って代わられた。
まただ。
また外れる。
父を信じるブレンダンの心とは裏腹にブレンダンの頭脳は冷徹にそう判断していた。
ブレンダンの頭脳は剣を抜くように体に命令を下す。
今回は自分の方にも砲撃が飛んでくるからだ。
家族の砲撃から身を守らなければならないなどということはブレンダンの想定の埒外だった。
「まるで流れ星だな」
ウルグロースカタパルトによる砲撃を見物していたエイドレスが感心したように言った。
流れ星は再び街を蹂躙した。
しかし、エイドレスに被害は及ばなかった。
「……そうか! 貴様らが何かやったのか!」
余裕の表情で砲撃を見物しているエイドレスを見て、ルドリックはようやく気づいた。
「気づくのが遅すぎはしないか? 我々は二度目の砲撃までは想定していなかったのだが……」
少しあきれたような顔でエイドレスはブレンダンを見た。
「兄貴! すぐに砲撃をやめるよう親父に言うんだ!」
ルドリックは通信機に怒鳴った。
「ブレンダンはそれどころではないと思うが」
エイドレスの言葉にルドリックはブレンダンがいる建物の屋根を見た。
ついさっきまでは三階建ての立派な建物があった場所には大穴があいていた。
ルドリックは通信機を取り落とした。
「兄貴……親父……」
ルドリックの膝から力が抜けた。
「麗しい家族愛だな」
エイドレスの言葉には嘲笑の色があった。
都市の領主、ラピールもまた膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえていた。
「なぜだ……なぜ伯爵がこんな真似を……」
部屋の窓から見える悪夢のような光景を前に、ラピールに出来ることはなにもなかった。
「ラピール様! また『あれ』が来ます! すぐに避難してください!」
部屋の扉を勢いよく開けて二人の警備兵がやってきた。
しかし、ラピールにはもう気力がなかった。
自分が今まで積み上げてきたものが音を立てて崩れていくのを見るのは耐えがたかった。
警備兵のひとりがラピールを抱えて逃げようとした。
「大変だ……こっちに飛んでくる……」
窓から空を見上げたもうひとりの警備兵が青ざめた。
ラピールを抱えていた警備兵はそれを聞いて慌てて走り出した。
ラピールにはもうすべてがどうでもよかった。
何もかも壊れていくというのになぜ自分が生き残らなければならないのか。
所詮自分はフェイラム伯爵の所有物なのだ。
ご主人様が死ねと言うのであれば死ぬのが当然だ。
すべてをあきらめながら、迫ってくる魔力の塊に身をゆだねようとしたとき、彼は現れた。
「ああ、まだ逃げ遅れてた人がいるんですね」
淡々とした声がしたかと思うと、何かがものすごい速さでラピール達の横を突き抜けていった。
その何かは窓をぶち破ると、目前まで迫っていたフェイラム伯爵の砲弾と衝突した。
衝撃が走るとともに轟音が響き渡った。
しばらくして、ラピールは自分がまだ生きていることに気づいた。
そして、そのことに気づくと、命があることの素晴らしさが心の中にじんわりと広がっていった。
ラピールは知らないうちに涙を流していた。
「無事ですよね?」
彼はラピールに手をさしのべた。
ラピールには銀色の髪をしたその青年がなによりも尊い存在に思えた。
「みなさーん、こちらですわよー」
「瓦礫に気をつけながら進んでくれ。建物にはあまり近づかないようにな」
ジェイウォンとヒルデは声を張り上げて逃げ惑う都市の住民達を誘導していた。
最初は戸惑っていた住民達も紅い髪の少女が砲撃から自分たちを守ってくれたのを見て、徐々にヒルデ達の指示に従い始めていた。
「あんたちはいったい……」
住民のひとりが自分たちを守ってくれた謎の少女と謎の青年に聞いた。
「わたくしは通りすがりの美少女ですわ」
ヒルデが断言した。
「ほっほっ、人助けが趣味なだけじゃよ」
ジェイウォンが笑いながら答えた。
「人助けが趣味か……本当に助かった。ありがとう」
住民は頭を下げた。
「気にすることはない」
ジェイウォンが鷹揚にうなずいた。
「あれ? なんで誰もわたくしの言葉に反応してくれませんの?」
「みんなやさしいからな」
ぼそっと言ったジェイウォンをヒルデがにらみつけた。
「アルヴァン君もヒルデ君達も住民の救助を開始したようだ。これで事が済んだ後の処理が楽になるね」
通信を切ってグレースが言った。
「まー、あたしらが砲撃の原因作ったんだけどね。マッチポンプ、マッチポンプ」
口の中でアメ玉を転がしながらベリットが言った。
「あとはオッサンに頑張ってもらうだけか」
ベリットは通信機を手に取った。
「さて、そろそろ立ち直れたかな?」
エイドレスはルドリックの方を見た。
ルドリックの目には闘志が戻っていた。
「してやられたな……だが、このままでは終わらんぞ」
両手のタラニスに雷光が走った。
ルドリックは高々と両手を掲げた。晴天にもかかわらず、大きな雷が落ち、タラニスのまとう雷光がさらに力強さを増した。
「やるものだ」
エイドレスが感心したように言った。
ルドリックの姿が消える。
エイドレスは身構えていたが、ルドリックの方が速かった。
雷と化したルドリックが側面からエイドレスを襲った。
突き出されたルドリックの拳を紙一重で躱し、回し蹴りで反撃する。
それを読んでいたルドリックは腕一本でエイドレスの蹴りを受け止めた。
瞠目するエイドレスに向かって再び突きを繰り出す。
その拳はついに狼の獣人を捉えた。
雷をまとった籠手から電流がほとばしった。感電によって動きが鈍ったエイドレスにルドリックが追い打ちをかける。
電流を帯びた左右の籠手で連打する。ルドリックの拳が炸裂するたびに落雷の轟音が広場に響き渡った。
狼の獣人の動きは十分に鈍らせた。
あとは全身全霊を込めた一撃で敵を葬るのみ。
ルドリックはそう判断してエイドレスから距離を取った。
「これで終わりだ!」
両手のタラニスに蓄積された電力をすべて解放し、標的に向かって撃つ。
いままさにルドリックの切り札が切られようとしていた。
「……仕方ない。出力、五十五パーセントから七十パーセントに上げるぞ」
「おっけー」
落雷を幾重にも束ねたような強烈な光を両手の籠手から撃つ直前に、ルドリックはそんなやりとりを聞いた。
そこから先はルドリックには理解できない光景の連続だった。
狼の獣人の鎧が放っていた青い光が赤い光に変化した。
自分が撃った極大の雷撃が狼の獣人に向かって飛んだ。
瞬きする暇すらないはずなのに、狼の獣人は雷撃を躱した。
狼の獣人がこちらを向いた。
奴が雷撃よりも速く迫ってきた。
全身がバラバラになるほどの衝撃に襲われた。
そして、ルドリックの意識は闇に飲まれていった。
広場に横たわっていたルドリックは全身に走る激しい痛みで意識を取り戻した。
痛みはあまりにも強く、うめき声すら出なかった。
「生きているとは驚きだ」
狼の獣人がこちらを見下ろしていた。
「……なん……という……速さだ……」
ルドリックはそれだけ言うのにも全身の力を振り絞らなければならなかった。
「おうよ、なにせあたしの最高傑作だかんね」
エイドレスの通信機からベリットの得意気な声がした。
「お前、黙っていられないのか……」
エイドレスがあきれた顔で言った。
「……敗れはしたが……清々しい……気分だ……」
ルドリックが言葉を絞り出す。
「エイドレス……ライムホーン……ひとりの武人として……お前のような……強者と……戦えたことを……誇りに思う……」
満足げに語るルドリックをエイドレスは黙ってみていた。
「兄貴や……親父には……申し訳ないが……な」
ルドリックは全身の骨が砕けた体でなんとか笑みのようなものを作ろうとした。
「お前、なにか勘違いしていないか?」
「……勘……違い……?」
ルドリックは自分を上回った武人を不思議そうな目で見た。
「私はお前のことを武人だと思ったことなど一度もないぞ」
横たわるルドリックを見つめている灰色の狼の口からは、よだれが垂れていた。
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