第99話 ふたりのいたずらっ娘
自分が戦っている相手の姿すらまともに捉えることが出来ないなかでルドリックはもがいていた。致命的な攻撃だけは辛うじて凌いでいたが、それも限界に迫りつつあった。
両手のタラニスに雷光をまとい、攻撃を繰り出すが、狼の獣人にはかすりもしない。
まるで霧や雲を殴ろうとしているかのようだった。
「獣人とはいえ、これほど速く動けるものなのか……」
ルドリックが思わずつぶやいた。
「いや、さすがに無理でしょ」
エイドレスが持っている通信機からベリットの声がした。
「頭に筋肉詰めてるあんたは気づいてないかもしれないけど、オッサンが速く動けるのはあたしが作った『カエアン』のおかげだよ」
ベリットは得意気に語りだした。彼女が説明している間も、烈風のようなエイドレスの攻撃は続いていた。
目の端を何かがかすめたのを捉えたルドリックが右の拳を突き出す。しかし、奇妙な鎧を着た狼はなめらかな動きで雷光をまとった籠手の一撃を躱し、獲物の脇腹に蹴りを入れた。
「知っての通り、機動鎧は超がつく天才であるあたしが作ったんだけど、なにせアイデア浮かんだのが五歳の時だったからね、今のあたしから見るといろいろと未熟な部分があるわけよ」
強烈な蹴りを受けたルドリックが顔をゆがめて体を折った。エイドレスは軸足を乗せた石畳がえぐれるほどの速さで体を一回転させ、高速回転の勢いを乗せてルドリックの頬に裏拳をたたき込んだ。
ルドリックは自分の首がもげてしまうのではないかと思った。
「お父さんが考えてた魔石をふたつ使った機動鎧も試しに作ってみたけど、思ったほど良くなくてね。まあ、所詮凡人のアイデアだし、当然と言えば当然なんだけど」
またも吹き飛ばされたルドリックは得意気に語るベリットの声を遠くに感じていた。
放り投げられた小石のように飛んでいったルドリックをエイドレスが追う。
まだ体が宙に浮いているルドリックを上から殴りつけた。ルドリックの体は地面にたたきつけられて跳ね返った。
「で、いまのあたしが脳みそをフル回転させた結果、生み出されたのがその『カエアン』ってわけよ。装着者への負荷がデカいんでいまんところそこのオッサンしか使えないのが欠点だけど、その分性能はすんげえの。で、どう? 今後の研究に役立てるために体験者の感想を聞きたいんだけど?」
再び宙に戻ってきたルドリックの足をエイドレスが掴み、棒きれのように振り回すと、地面に向かって投げつけた。
捨てられた人形のようになって地面に転がるルドリックには、ベリットののんきな質問に答える余裕などなかった。
「いまはそれどころではないようだ」
エイドレスが通信機に向かって言った。
「体験者の生の声は役に立つんだけどなあ……」
ベリットは落胆していた。
「……勝手に決めつけるな」
エイドレスの視線の先で、ルドリックがゆっくりと起き上がった。その体は傷だらけで、今も至る所から出血していた。
「もう声は聞けないのかと思っていたが」
捕食者の余裕をにじませてエイドレスが言った。
「残念だったな……親父に似て、俺は頑丈なんだ」
ルドリックが構える。その目に宿る闘志はいささかも衰えてはいなかった。
「確かにそうらしいな」
エイドレスは未だに立ち上がることが出来るルドリックに感心していた。
「エイドレス・ライムホーン、お前はとんでもなく素早い」
「少々無茶な手段を使ってはいるがね」
「だが、お前がいくら速く動けようとも、これは躱せない」
切った頭から血を流しながら、ルドリックが口の端をつり上げた。
「ずいぶんと自信があるようだ」
エイドレスにはまだ余裕があった。試すような笑みを見せてルドリックを観察していた。
ルドリックのタラニスに力がみなぎっていく。
「ああ、よく見ておくといい」
ルドリックが両手の籠手を打ち合わせた。
その瞬間、激烈な閃光が放たれた。
「目眩ましか!」
エイドレスはとっさに手で両目を守ろうとした。
しかし、光の方が速かった。
「やってくれる!」
一時的に視力を失ったエイドレスは悪態をつきながら飛び下がった。
目をしばたたかせて視力の回復を図る。その間もルドリックへの警戒は怠らない。
実際には数分の間だったが、視力が戻るまでの時間はエイドレスには永遠にも感じられた。
ようやくものが見えるようになったとき、ルドリックの姿は消えていた。
「オッサン、大丈夫か?」
不安げなベリットの声が通信機から聞こえた。
「問題ない。籠手の雷光を目眩ましに使われただけだ」
目を慣らすために瞬きを繰り返しながらエイドレスが答えた。
「あー、その手は予想してなかったわ……あいつ意外と頭いいな」
「私も油断していた。奴を見失ってしまったよ」
「うーん、グレースの作戦は失敗か……」
「そうでもないよ」
通信機からベリットの隣にいるグレースの声がした。
「ベリット君が長々としゃべっている間、ブレンダン達の通話を聞いていたんだけど、結局彼らはこちらの狙い通りに動いてくれそうだ。アルヴァン君達にも指示を出しておくから、エイドレス殿にはルドリックを追いかけてもらおうかな」
「了解した」
「でもさあ、もうルドリックの奴どこにも見当たらないんでしょ? どうやって追っかけんの?」
ベリットが聞いた。
「心配するな。私はこういうことが生まれつき得意なんだ」
灰色の狼はルドリックが残していった血の香りを吸い込むと、獲物を追い詰めに行った。
目眩ましによってエイドレスから逃れたルドリックは、傷を負った額から流れる血をぬぐいながら走っていた。
都市に侵入した獣人兵達と警備兵による戦いはまだ続いていたが、形勢は徐々に獣人達に傾きつつあった。
勝利を収めつつある獣人達だったが、奇妙なことに彼らは警備兵以外の都市の住民を襲うことはなかった。
先日戦ったときにも薄々感じていたことだが、獣人達は何らかの手段で操られているようだ。
「あの小僧か……」
ルドリックは銀髪の青年が持っていた異様な魔力を思い出していた。
恐らくは今回の攻撃にも参加しているはずだ。とはいえ、今はあの狼の獣人をなんとかするのが先決だった。
「ルドリック、聞こえるか?」
ブレンダンからの通信が入った。
「ああ、手ひどくやられたがな」
ルドリックはなんとか笑おうとしたが、体のあちこちが悲鳴を上げた。
こちらを気遣うブレンダンを制して、ルドリックは状況を説明した。
「俺の考えは甘かったらしい。奴らは危険だ。なんとしても仕留めなければ」
「彼らがここで仕掛けてきたのは僕らの味方であるワイルドヘッジ傘下の都市に入ってしまえば、前回のように父上が砲撃してくることはないと踏んでいるからだ」
「忌々しいが、奴らの推測は当たっているな。いくら敵を倒すためとはいえ、この規模の都市を巻き添えにしてウルグロースカタパルトを撃つわけにはいかない。どうする? 都市の外に誘い出すか?」
「いや、彼らはそれを警戒しているはずだ。警備兵の話によると、街の入り口近くにやたらと腕の立つ侵入者が陣取っているらしい」
「あの小僧の仲間だな。俺たちを閉じ込めて親父の砲撃を封じるつもりか」
「そのようだね」
「舐められたものだ」
「ああ、フェイラム一家を見くびるとどういうことになるのかを彼らにも思い知らせてやろう」
逆転への希望を胸に、ルドリックはブレンダンの指示する場所へ走り続けた。
血のにおいを頼りにルドリックを追跡していたエイドレスは徐々に獲物に近づいているのを感じていた。
ときには狭い路地を抜け、民家の裏庭を横切り、ルドリックの残した痕跡をたどっていく。
「この程度で攪乱しているつもりか?」
ルドリックの小細工は狼からすれば微笑ましいほどお粗末だった。
エイドレスは狩りを楽しんでいた。それ故に、自分がどこに向かっているのかは意識していなかった。
裏道を駆け抜け、食堂の角を曲がると突然視界が開けた。
そこにあったのはこの都市で一番の広場だった。襲撃を知った人々が避難するまでは市場が開かれていたらしく、軽食や衣類などを売っていたようだった。
エイドレスはゆっくりと広場に入っていった。
「見つけたぞ」
狼の視線の先には獲物がいた。
「伊達に狼の獣人をやっているわけではないようだな」
ルドリックは広場の中央に立っていた。
「さあ、終わりにしようか」
エイドレスが構えると青い光が脈打つように鎧の上を走った。
「俺はなによりも家族を大事にしている」
ルドリックの言葉にエイドレスは怪訝な顔をした。
「自分自身のために戦うのも悪くはないが、俺たち家族が勝利を収めることに比べれば、俺自身の楽しみなど小さな問題だ」
「麗しい家族愛だな……それで、何が言いたいんだ?」
エイドレスが聞いた。
「俺自身の手で貴様との決着をつけられないのは残念だが、仕方のないことだという話だ」
ルドリックの手には通信機があった。
「ルドリック、そこを一歩も動くなよ」
通信機からは先日、戦場で聞いたのと同じ声がした。
声の主はワイルドヘッジの盟主、フェイラム伯爵だった。
「いよいよだな」
エイドレスが広場に入ったのを見届けたブレンダンがつぶやいた。
フェイラム伯爵と会話していることをエイドレスに気づかれないようにするために、伯爵への援護要請はルドリックではなく、ブレンダンが行っていた。
広場を見渡せる屋根の上に陣取り、エイドレスから身を隠しながら二人の様子をうかがう。
ベリット・ブロンダムの通信機を持っているルドリックと自分の居場所はフェイラム伯爵が正確に把握している。
あとは二人に当たらないようにフェイラム伯爵に砲撃してもらうだけだ。さすがに広場は吹き飛ぶだろうが、人的な損害さえ出なければ、後のことはどうとでもできる。
「あのドブネズミ殿に詫びるのは不愉快だけど」
ブレンダンはその光景を想像して苦笑いを浮かべた。
ただし、あの小男はこの手で殺すことが確定している。
一応は筋を通して広場を跡形もなく破壊したことを謝ってから殺すとしよう。
ブレンダンがそんなことを考えていると、膨大な魔力が込められた物体が彼方から飛来した。
「いよいよだね」
ブレンダンと伯爵の広場への砲撃の打ち合わせを盗聴していたグレースが上機嫌で言った。
「あーあ、あたしも見てみたかったなあ……」
不満そうな顔でベリットが言った。
「ベリット君を前線に出すわけにも行かないからね」
「アルヴァンに守ってもらえば見に行けたのになあ」
ベリットは思わず本音を漏らした。
「……君がアルヴァン君のことをどう思っているのかについては後でじっくりと聞かせてもらおうかな」
グレースの目が鋭く光った。
「…………えーと、ローネンに最終確認しとこうかな」
戦略的撤退を選んだベリットはローネンに通信を送った。
「……ボクやヒルデ君ともまた違うタイプだからね……油断は出来ないな……」
「お、おーい、準備できてるかー?」
警戒感をあらわにしたグレースのつぶやきは聞こえなかったふりをしてローネンに呼びかける。
「ホウ、もちろんですとも」
都市の上空を旋回しているローネンの足にくくりつけられた機械には、盗聴機能以外にも今回の作戦を成功させるための機能が備わっていた。
「だってさ」
ベリットがにやりと笑う。
思い人を巡るあれこれはあるものの、グレースはこの後の展開を想像すると自然と笑顔になっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます