第98話 盗み聞き
ルドリックの雄叫びとともに両手につけた籠手、タラニスからまばゆい雷光が迸り、警備兵を掴みあげていた機動鎧を穿った。
胴体に大穴を開けられた機械の騎士は轟音とともに倒れた。
「た、助かったのか……」
機動鎧から逃れることが出来た警備兵が安堵の息を漏らす。
「お前達は獣人どもを倒せ。機動鎧は俺たちが仕留める」
ルドリックがそう言うと、助け出された兵士は獣人兵と戦っている味方の方へ走っていった。
「機動鎧の数はそれほど多くないようだね。この調子なら思ったよりも早く片付きそうだ」
別の機動鎧を撃破したブレンダンがやってきた。
「獣人のみが相手なら数さえそろえれば警備兵だけでも倒せるだろう。俺たちは別の標的を探した方がいいな」
「あの青年達か……」
ブレンダンは雷雨の中で対峙した銀髪の青年とその仲間達のことを思い浮かべた。
「あのときはしてやられたが今回はそうはいかん。この俺が必ず仕留めてやる」
タラニスの表面で雷光が爆ぜる。
「彼らはどうも不気味だ。気をつけてくれよ、ルドリック」
ブレンダンが言った。
「言われるまでもない」
ルドリックがブレンダンにそう答えたとき、二人の方に向かって先ほど機動鎧から助け出してやった警備兵が駆けてきた。
「た、助けてくれ!」
警備兵は足をもつれさせながら必死で走っている。その顔は恐怖にゆがんでいた。
「またお前か、さっき助けてやったばかりだろう……」
ルドリックがため息をついた。
「あいつが来るんだ! みんなあいつに殺されちまったんだ!」
警備兵が声を張り上げる。
「ルドリック、様子がおかしい」
あきれているルドリックとは違い、ブレンダンの表情は張り詰めていた。
ルドリックが逃げてくる警備兵から目を離して、ブレンダンの方に注意を向けたのはほんの一瞬のことだった。
しかし、その一瞬のうちに、警備兵は忽然と姿を消していた。
「どこへ行ったんだ……」
ルドリックもブレンダンも戸惑っていた。
逃げてくる警備兵など元から存在していなかったかのように、何の痕跡も残さず彼の姿はなくなっていた。
二人は警備兵を最後に目撃した地点まで走った。二人で周囲を見回すが、警備兵はどこにも見当たらない。
「転移魔術のたぐいか?」
ルドリックが言った。
「あのタイミングでそんなものを使うとは思えないが……」
否定はしたものの、ブレンダンにも何が起きたのか見当がつかなかった。
「それはそうだが、一瞬で姿を消す方法などほかにないだろう」
ルドリックの反論にも力がない。
見れば見るほど状況の不可解さが増していくようだった。
そのとき、水滴が石畳の地面に当たる音がした。音はすぐ近くから聞こえてきた。
「雨か? 今は晴れているが……」
ルドリックが言った。よく晴れた午後の空には雲ひとつなかった。
「違う」
音の方へ近づいていったブレンダンがかぶりを振る。
「これは血だ」
石畳に付着したその液体は赤かった。
「探し物はこれか?」
ルドリックとブレンダンは弾かれたように上を見た。
それは片手で死んだ警備兵の体を掴みあげていた。
警備兵の体からはまだ血が滴っている。
屋根の上に立っていたそれは二人が見たこともない姿をしていた。
身につけているのは軽装の鎧のようだが、その表面には葉脈のような模様があり、青く光る何かが模様の上を脈打つかのように走っている。
鎧の隙間からは灰色の体毛が見えた。
そして、それの顔には狼の牙があった。
「狼の獣人! あの小僧の仲間か!」
ルドリックは相手が戦場で相まみえた灰色の狼の獣人であることに気づいた。
「覚えていてくれたようだな」
掴んでいた警備兵の死体を無造作に放り投げると、奇妙な鎧を身につけた狼の獣人が言った。
「なかなか忘れられん相手だからな」
ルドリックがそう言うと灰色の狼は口をゆがめて笑った。
ブレンダンもルドリックも相手から目を離したつもりはなかった。
しかし、狼の獣人の声は二人の背後から聞こえた。
「そういえば名乗っていなかったな。私はエイドレス・ライムホーンだ」
ルドリックとブレンダンの背筋が凍る。二人はとっさに武器を構えて振り返った。
「そんな顔をすることはないだろう。それとも、私の名前は驚くほど奇妙なものなのか?」
いつの間にか屋根から降りて二人の後ろに回り込んでいた灰色の狼が牙を見せて笑う。
この獣が二人の反応を楽しんでいるのは明らかだった。
「兄貴、ここは俺に任せてくれないか?」
ルドリックが言った。
「何をバカなことを。僕も戦うよ」
ブレンダンがかぶりを振る。
「機動鎧はまだ残っている。あの機械の相手は俺たちにしか出来ない」
「こんな街ひとつどうなろうと知ったことじゃない。お前を残していけるものか」
「この街自体はどうでもいいが、こんな街ひとつ守れなかったとなると親父の名に傷がつく」
ルドリックの言葉にブレンダンは考え込んだ。
「私の方としてはどちらでも構わんが、どちらかと言えば分かれてくれた方が助かるな。得物を独り占めしてしまうと仲間から文句を言われるのでね」
エイドレスは余裕の笑みを浮かべた。
「やはり貴方ひとりでやってきたわけではないか」
エイドレスの言葉で彼が仲間を連れてきていることを知ったブレンダンが言った。
「兄貴」
ルドリックがブレンダンを促す。
「……わかった。だが、僕らは家族だ。常に助け合う。いいね」
ブレンダンは最後に念を押した。そして、自分の言葉に弟がうなずいたのを確認すると、この場を離れた。
去って行くブレンダンを見送ると、ルドリックは改めて狼の獣人と対峙した。
「ベリット・ブロンダムの仕業だな」
エイドレスの奇妙な鎧を観察しながらルドリックが言った。
「少々おかしな娘だが有能なのは確かだ」
エイドレスが答えた。話している間も、青く光る何かが脈打つように鎧の模様の上を走っていた。
「何を引っ張り出そうと結果は同じだ。今回は生き延びられはせんぞ!」
ルドリックが構える。両手のタラニスで雷光がはじけた。
「そういうことは私が何を引っ張り出してきたのかをきちんと理解してから言うべきだな」
鎧姿の狼の獣人は腕を組んで悠然と構えていた。
先に動いたのはルドリックだった。
石畳に亀裂が走るほどの力で地面を蹴り、飛翔する。頂点に達すると、タラニスの力を解放した。
晴天にもかかわらず、ルドリックの籠手に向かって空から雷が落ちた。
落雷をまとった籠手に落下の勢いを乗せて、エイドレスめがけて一気に打ち下ろす。
一発分の威力だけであればフェイラム伯爵のウルグロースカタパルトすら上回るルドリックの一撃の余波はすさまじかった。
建物を揺らすほどの轟音が響き渡り、膨大な熱と衝撃によって街路にすり鉢状の大穴が開いた。穴の周囲の大気には微弱な電流が雷撃の名残のように走っていた。
「跡形も残らなかったか……」
大穴の底に立つルドリックは自身が残した破壊の爪痕を眺めた。
鎧姿の狼の獣人の姿は影も形もなかった。
得体の知れない相手であったが故に最初から全力を出したのだが、ここまであっけなく勝利を収めてしまうのはルドリックとしても計算外だった。
「ベリット・ブロンダムは自分で思っているほど賢くはないらしい」
ルドリックが口の端をつり上げた。
「ああん? あんたみたいな筋肉お化けに馬鹿にされる筋合いないんだけど?」
聞こえるはずのない声がした。ルドリックが顔を見上げる。
雷撃の大穴から離れた民家の屋根の上に、それはいた。
「そうかっかするな」
鎧姿の狼の獣人は手にした通信機に向かって言った。
その体には傷ひとつなかった。
「猿に毛が生えたような奴に馬鹿にされるとか、あり得ないんだけど!」
狼の手の中の通信機からは怒りに燃えるベリットの声が響いた。
「ベリット、落ち着け」
「オッサン! そこの身の程知らずに目にもの見せてやんな!」
怒りが収らないベリットがまくし立てた。
「『見せる』のはいいが、奴に『見える』かどうかはなんとも言えないところだな」
笑みを浮かべたエイドレスの口元で牙が光ったと思ったときにはもう、ルドリックの体は宙を舞っていた。穴の底から吹き飛ばされたルドリックが無様に地面を転がった。
籠手をまとった両手をついて、ふらつく体を起こす。
なんとか顔を上げると、目の前に奴がいた。
かすむ視界の中でも、奴が足を振り上げているのはなんとか認識できた。
ルドリックを再び衝撃が襲った。彼の体は木造の家屋をぶち抜きながら吹き飛んでいった。
三軒目の家をぶち抜いたところで、ルドリックはさきほども今と同じように蹴り飛ばされたのだということにようやく気づいた。
石畳の街路を突き破って伸びた枝から、青いバラが花を咲かせる。
ブレンダンが愛剣ブルーローズを一振りすると、青い花びらは風に吹かれたかのように散っていく。
機械仕掛けの機動鎧はその幻想的な光景にも反応せず、敵と認識したブレンダンに襲いかかった。宙を舞うバラの花びらは銀色に光る機動鎧に触れられるほどの距離まで近づくと、青い炎の花を咲かせた。
家よりも高さがある機動鎧が花びらひとつが起こした爆発によって倒れた。
そして、倒れた機動鎧に向かってさらに多くの花びらが漂っていっていき、閃光の花を咲かせた。
「これで全部か」
最後の機動鎧を撃破したブレンダンがブルーローズを鞘に戻した。
「よし! 後は獣人どもを始末するだけだ!」
機動鎧に苦戦していた警備兵達から歓声が上がる。
ブレンダンは無意識のうちにルドリックを残してきた方に目を向けた。
ちょうどそのとき、タラニスが放った落雷が見えた。
空を切り裂くように稲光が走ったかと思うと、わずかに遅れて落雷の轟音が響いた。
ルドリックが全力を出している。
それはつまり、ルドリックと敵対している相手は粉砕されるということだ。
そう確信しているにもかかわらず、ブレンダンは自分が不安を感じていることを否定できなかった。
逃げ惑う一般市民達をかき分けながら、ブレンダンが走る。
「父上、聞こえていますか?」
通信機を使って父であるフェイラム伯爵に連絡を取った。
「おう。どうも仕留め損なったらしいな」
フェイラム伯爵が油断なく答えた。
「そのようです。僕がしっかりと確認しておくべきでした」
「そう言うな、ブレンダン。俺が撃ったんだから、仕留められなかったのは俺の責任だ」
「…………」
「なんだ?」
押し黙ったブレンダンを不思議に思ったフェイラム伯爵が聞いた。
「父上にも反省することが出来たんですね。驚きましたよ」
「……帰ってきたらこの俺が手厚くもてなしてやるぞ、ブレンダン」
怒りのこもった声で伯爵が言った。
「楽しみにしていますよ。…………父上、もしもの時は援護を頼みます」
「……任せとけ。息子二人の面倒くらい見てやるさ」
父であるフェイラム伯爵の力強い言葉はブレンダンの中の不安をぬぐい去っていった。
「頼りにしていますよ、父上」
ブレンダンは通信を切り、弟の元へ向かった。
「ホウ! なんとも鮮明に聞き取れるものですのう……!」
ローネンが足にくくりつけられた新しい機械の出来に感嘆した。
「やだなあ、誰が作ったと思ってんのさ」
ローネンのもう片方の足にくくりつけた小型の通信機からベリットの得意気な声がした。
「ブレンダンは伯爵に援護を要請した。ここまでは狙い通りだ」
今度は満足げなグレースの声がした。
「最初に説明したけど、通信機の盗聴を続けるにはある程度近づかないといけないから、引き続き空からの追跡ヨロシク」
「ホウ、任せてくだされ! このローネン、優雅に大空を舞って見せましょうぞ!」
ローネンは都市の上空からルドリックの元へ向かうブレンダンを追っていた。
グレースとベリットはストーンヘイムのペリンの家からベリットの通信機を使って指示を出していた。
「さて、いよいよ今回一番の見せ場が来るね」
ローネンとの通信を終えたグレースがベリットに目を向ける。
「あのデブの伯爵様にはあたしもいっぺん殺されかけたからね。軽く一泡吹かせてやるよ」
大きな眼鏡の奥で若き天才の瞳が怪しく光った。
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