第97話 滾る聖女

 ブレンダンとルドリックは状況を把握するために領主であるラピールの元へ向かった。

 ルドリックが無駄に豪勢な作りの扉を壊れんばかりの勢いで押し開ける。


 部屋にいたラピールと状況を報告していた警備兵が驚いて振り返った。やってきたのがルドリック達だと気づくと、ラピールは今まで見せていた愛想笑いを引っ込め、憎しみに染まった目でにらみつけた。


「いったいどうなっているんだ! 反乱を企てた連中のリーダーは片付けたと言っていただろう! あとは小さな街の残党を狩るだけじゃなかったのか!」


 顔を真っ赤にしてラピールが言った。


「残念ながら彼は生きていたようだ」


 ブレンダンが優雅に肩をすくめる。


「ふざけるなよ! あの薄汚いフェイラム伯爵はおれについてくれば絶対安泰だなんて抜かしやがったんだぞ! それを信じた結果がこのざまだ! いったいどうしてくれるんだ!」


 頭に血を上らせたラピールが都市の広場に面した大きな窓を示す。窓の外では警備兵が都市を蹂躙する巨大な機動鎧と生気のない目をした獣人兵達を相手に必死の抵抗を繰り広げていた。


「ラピール殿、この世に絶対などというものは絶対に存在しないのですよ」


 ブレンダンが諭すように言った。


「口の利き方に気をつけろ、若造! 貴様らのようなドブネズミどもにこの私がいったいいくら貢いでやったと思っているんだ!」


 ラピールは我慢の限界だった。事前の連絡もなしにいきなりやってきて物資と宿泊場所を要求し、それをこちらが提供してやれば、さも当然だと言わんばかりの態度で礼も言わずにふんぞり返る。

 ここで恩を売っておけばいずれは自分に返ってくる。そう信じてこらえていたのに結果はこのざまだ。


「なにが伯爵だ馬鹿馬鹿しい! 薄汚いドブネズミに絹の衣をかぶせてみたところで所詮ネズミはネズミだ! もっとも、私の目の前の子ネズミ共はそれがわかっていないようだがな!」


 勢いに乗ってラピールが本音をぶちまける。フェイラム伯爵の長男と次男を言い負かしてやったという満足感を味わった。


「誰であろうと」


 ラピールが怒鳴り散らすのを黙って見ていたブレンダンがおもむろに口を開く。


「僕の家族を侮辱することは許さない」


 ブレンダンの目がラピールを捉える。

 普段は穏やかなその瞳の奥に、たとえようもないほどの強烈な怒りが渦巻いていることに小男がようやく気づいた。

 弁明のために口を開くどころか瞬きひとつすることが出来ない。絶対的な強者の怒りに触れたラピールは死を覚悟した。


「兄貴、落ち着け。いまはそれどころじゃない」


 ルドリックがブレンダンの肩に手を置く。

 ブレンダンの目に浮かんでいた怒りが消える。ラピールはようやく息が出来るようになった。

 小男には先ほどまでの勢いはもう影も形もなかった。いまはただ、おびえた子犬のような目でご主人様の様子をうかがっていた。


「ラピール殿」


 普段通りの穏やかな声でブレンダンが言った。

 だが、ラピールはもう今までのようにこの男に接することは出来なかった。

 何も言わずにご主人様の言葉に耳を傾ける。


「警備兵の指揮は貴方に任せる。機動鎧は僕達が相手をするから、貴方たちは獣人達に的を絞るんだ」

 ブレンダンの指示にラピールがうなずく。それ以外のことなど出来ようはずもない。


「ほかに何か言っておくことはあるかな?」

 ブレンダンがルドリックに目をやる。

 ルドリックは首を横に振った。


「では、後のことは任せるよ」

 ブレンダンの言葉に再びラピールがうなずく。

 話を終えて二人が部屋を出て行こうとしたとき、不意にブレンダンが振り返った。


「そうだ、言い忘れていたけど、僕の家族を侮辱した以上、貴方は必ず殺す。だが、この場でやるわけにはいかない。貴方は僕らの指示通りにちゃんと戦ってくれ。そして、これが片付いた後で僕が殺しに行くからきちんと待っているように」

 ブレンダンの宣告にラピールは迷うことなくうなずいた。それ以外のことなど出来ようはずもない。



 すでに攻撃を開始している機動鎧と獣人兵の混成部隊に続いて、二人が都市に侵入した。

「さあ戦闘ですわ! 心が躍りますわね! ……隣にいるのが干からびた年寄りでさえなければ……」


 燃えるような赤髪を穏やかな風になびかせながら、ヒルデは不満そうな目で隣を見た。


「誰が干からびた年寄りじゃ! 肉体の年齢ならお前さんと大差なかろうが!」


 若い弟子の体を乗っ取ったジェイウォンがヒルデに反論する。


「おじいちゃん、心の若さというものが違いますのよ」


 子供に言い聞かせるような口調でヒルデが言った。


「この小娘は……」


 ジェイウォンが屈辱に奥歯をかみしめる。


「介護をしている場合ではありませんわね。わたくしたちもルドリック・フェイラムとブレンダン・フェイラムを見つけなければ」


「覚えとれよ……まあ、とりあえず適当に暴れとけば奴らの方から出てくるじゃろ……ああ、今回は一般市民の犠牲は極力出さないようにな」 


「つまり、こんな感じでよろしいのでしょうか?」


 ヒルデが首をかしげてそう言うと、たまたま近くを通りかかった警備兵のひとりが劫火に包まれた。突如として燃え上がった警備兵を助けようと仲間の警備兵が駆けつける。


「驚いたな……まさかこれほどとは……」


 ヒルデの魔術を目の当たりにしたジェイウォンが感嘆の声を漏らす。


「わたくし一応天才ですの。かつては紅蓮の聖女と呼ばれたものですわ」


 ジェイウォンの反応に気をよくしたヒルデが得意気に胸を張る。


「これほどの才を持った者は久しぶりに見たな……」


「あら? その言い方だとまるでわたくしに匹敵する魔術の天才がいるかのように聞こえますわね」


「ああ、おるぞ」


「……それはどなたですの?」


 ヒルデは気になった。ジェイウォンが自分をからかっているようには見えない。そして、この老人の目は確かだ。それならば、この世界には自分に匹敵する者が存在していることになる。


「グロバストン王国の女王、バーニス・マルフロント・グロバストン。世界最強の魔術師じゃよ」


「バーニス・マルフロント・グロバストン……世界最強の魔術師……」


 ヒルデはその名を噛みしめた。


「いずれはワシらの前に立ちはだかる相手じゃな」


「……こういうの、なんと言ったらいいのでしょうね……そう、血が滾る、と言えばいいのでしょうか」


「ほっほ、若者はそうでなくてはな」


 ヒルデの胸の中に渦巻いているものを見て、ジェイウォンが笑う。


「そういうことを言うから年寄り扱いされるのですわ」


 ヒルデがにやりと笑う。


「全く、クソ生意気な小娘じゃな。では、年寄りらしくもう一言付け足しとくとしようかの」


「まだ何かありますの?」


「先のことばかり考えているのは良くないぞ」


「あら、珍しく良いことを仰いますわね。では、目の前の目標に集中いたしますわ」


 ヒルデは燃え上がった仲間を必死で手当てしている警備兵たちに攻撃を開始した。


「さて、生意気な小娘に年の功というものを見せてやるとするか」

 ジェイウォンもまた警備兵達に躍りかかった。




――いいぜ! そこだ! 心臓をえぐってやれ! 首を斬り飛ばせ! 腹かっさばいて内臓をぶちまけろ!


 フィーバルが哄笑する。

 アルヴァンは簒奪する刃を振るい、都市の警備兵達を次々と斬り伏せていく。

 警備兵達はどこからともなく聞こえてくる謎の声に戸惑いながらも勇敢に立ち向かっていた。


――ははっ! バカな連中だぜ! 俺たちに勝てるとでも思ってんのか! 相棒、この哀れな奴らに現実ってもんを見せてやろうぜ!


 アルヴァンは民家の屋根の上から石弩でこちらを狙っていた警備兵に人差し指を向ける。アルヴァンの指先から白い雷が迸り、警備兵の額を撃ち抜いた。


 命中を確信していたアルヴァンはすでに次の行動に移っていた。簒奪する刃を投擲して街路樹に突き刺すと、剣に向かって転移する。


 アルヴァンを包囲した警備兵達が一斉に斬りかかったときには、アルヴァンの姿はなかった。


 安全なところまで離れたアルヴァンはベルトに差した短剣を引き抜くと、空に向かって投げた。印相を組んで魔力を流し、投げた短剣を分身させる。

 投げられた短剣がみるみるうちに分身していくという光景に警備兵達は唖然としていた。


――おっ! 里で戦ったあの親父の技だな! いいぞ! ぶちかませ!


 フィーバルが歓喜する。

 アルヴァンが右手を振り下ろすと、無数の刃が驟雨のように警備兵達に降り注いだ。


――なんだよ、おい! お前、あの親父よりも上手く使いこなしてるじゃねえか! ははっ、最高だ! 最高だぜ、相棒!


 アルヴァンは簒奪する刃を腰に差した。


――おいおい、なんとか言ったらどうなんだ? それともあれか? 興奮しすぎて口もきけねえか? 気持ちはよくわかるぜ。俺様だってこんなに楽しんでるんだからな。


 フィーバルが陽気に話しかける。


 アルヴァンはひとつため息をつくと、ようやく返事をした。


――うるさいなあ。


――そ、そいつは……悪かったな……だがよ、しょうがねえだろ……雑魚どもをぶち殺してやるのは……楽しいんだからな……。


――そうだね。君は楽しそうに見えるよ。

 アルヴァンの言葉には蔑むような響きがあった。


 そのとき、ひとりの警備兵が現れた。銀色に輝く全身鎧をまとった新手の警備兵の手には、長大なランスが握られていた。


「何というざまだ。こんな貧相な小僧ひとりにやられるとは……」


 アルヴァンの周囲に転がる死体を見渡すと新手の警備兵が言った。


――おい、相棒、楽しそうに見えるってのはどういう意味だ?


 フィーバルが言った。その声にはわずかばかりの震えがあった。


「なんだ? この声は? お前がしゃべったのか?」

 警備兵は怪訝そうな顔をした。


「僕じゃありませんよ」

 アルヴァンが言った。


「確かに違う声だな……ただの貧相な小僧ではなさそうだ。隊長であるこのおれが相手をしなければならないほどでもなさそうだが、乗りかかった船だ。その首、取っておくとしようか」


――言葉通りだよ。君は楽しそうに見える。


 少し疲れたような声でアルヴァンがフィーバルに答えた。


「このおれの突撃、止められるものなら止めてみろ!」


 警備隊長はランスを構えるとアルヴァンに向かって一気に踏み込んできた。

 アルヴァンは突っ込んできた隊長を難なく躱した。突撃を躱された隊長は、ランスを地面に突き立てて勢いを殺すと、改めてアルヴァンを見た。


「なかなか反応がいいな。だが、いつまで続くかな?」

 隊長は余裕を感じさせる声でそう言うと、またランスを構えた。

 再び疾風と化した隊長がアルヴァンに迫る。


――本当は楽しんでいないとでも言いたそうだな……。


――違うの?


 アルヴァンはフィーバルに答えながら、また身を躱してランスを避ける。


「ええい、ちょこまかと逃げ回りおって!」

 また突撃を躱された隊長が苛立つ。

 もう一度体勢を立て直し、隊長が突撃をかける。


――ふざけるなよ……この俺様を誰だと思ってやがる……破壊の魔神、フィーバル様だぞ!


――それはもう何度も聞いたよ。


 フィーバルとのやりとりを続けながらアルヴァンは身を躱す。アルヴァンは何度も突っ込んでくる隊長をその都度躱し続けた。


「やれやれ……こうなったらおれの切り札を見せるしかないようだな……」

 幾度となく突撃を繰り返した隊長が息を荒くして言った。


――お前、俺様を馬鹿にしてんのか?


「その身で味わうがいい、我が奥義、リフレクションランスを!」

 隊長が今まで一番の突撃を見せる。

 アルヴァンは隊長の全力の突撃も難なく躱した。


――馬鹿にしてはいないよ。


――その言い方が馬鹿にしてるってんだよ!


 フィーバルが激高する。


「やるな! だが、おれの奥義はここからが本番だ!」


 アルヴァンに躱された隊長はランスを地面に突き立てると、突進の勢いを落とすことなく、ランスを中心として円を描くように反転する。そして、再び地面を蹴って突進を繰り出した。


 戻ってきた隊長をアルヴァンはまた躱す。しかし、隊長は先ほどと同じようにランスを使って反転してアルヴァンに襲いかかる。


「どうだ! ランスを巧みに操って突撃の勢いを殺すことなく向きを変え、反射する光のごとく何度でも突撃を繰り返す! これこそがリフレクションランスだ!」


――じゃあ、君が本当に楽しんでいるのか確かめてみようか。


 アルヴァンが提案した。


――なんだと?


 アルヴァンは動くのをやめた。ただじっと立って、隊長の突撃に身をさらした。


「もう限界か? なかなかよくやった! 貴様のことは覚えておいてやろう!」

 勝利を確信した隊長は今日一番の突撃を繰り出した。アルヴァンの体を貫くべく、長大なランスが迫る。


 襲いかかってくる隊長を真正面から見据えると、アルヴァンは突っ込んでくるランスの穂先を狙って簒奪する刃を突き出した。

 ランスと簒奪する刃は正面から衝突した。


 アルヴァンの方はびくともしなかった。しかし、隊長は耐えられなかった。


 衝突の衝撃で飴細工のようにねじ曲がったランスが隊長の右腕ごと吹き飛んだ。


 隊長はしばしの間、右腕を吹き飛ばされた自分の肩口から心臓が脈打つのに合わせて血が噴き出すのを呆然と見ていた。

 ようやく何が起きたのかを理解できた隊長が腕の痛みに絶叫した。


「お、おれの……おれの腕が!」

 残った左手で出血を抑えようとしてもがく。


――ええと、なんて言ってたっけ……。


 真っ赤な血をまき散らしながら激痛にのたうち回る隊長に向かって、アルヴァンが一歩一歩近づいていく。

 簒奪する刃が怪しく光った。


――腹をかっさばいて内臓をぶちまける。


 アルヴァンが漆黒の魔剣を振るう。簒奪する刃は鎧ごと隊長の腹を切り裂いた。

 隊長の悲鳴がさらに大きくなる。


 フィーバルは息をのんだ。


――心臓をえぐる。


 黒い剣が隊長の胸を貫く。アルヴァンはきちんと手首をひねって、心臓をえぐった。

 隊長の悲鳴はもはや言葉にはなっていなかった。


――首を斬り飛ばす。


 簒奪する刃を一閃させると、隊長の悲鳴が途絶えた。

 苦悶の表情を貼り付けた隊長の首は石畳の街路を転がっていった。


――もう一度聞くけど、君は本当にこれを楽しんでいるの?


 フィーバルは答えることが出来なかった。

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