第96話 芽生え
「本当にいまから行かなければいけないのですかのう……」
ローネンが不満を漏らした。
「ルドリックが逃げ込んだ街の様子は確認しておきたいからね」
グレースが言った。
深夜、ランプの明かりに照らされた部屋で会合は続いていた。
ベリットの作戦を実行するにはルドリックが滞在している街の様子を偵察することが必要になるという結論に達していた。
「補給が出来そうな街となると一番近いところでも結構距離があるんですがのう」
ローネンがため息をついた。
「なに、スピードあげたいの? ちょっと待ってな、いますぐ改造してやるから!」
目を輝かせてベリットが食いついた。
「やめて! 近寄らないで!」
ローネンが悲鳴を上げる。
「大丈夫、大丈夫。切ったり、貼ったり、ねじ込んだりするだけだから」
興奮に息を荒くしてベリットがローネンに迫る。
「全部却下ですのう!」
必死になってローネンが逃げ惑う。
「でしたら、わたくしのクスリを使いませんこと?」
ぽんと手を打ってヒルデが言った。
「あのどう見ても怪しいクスリを私に飲ませるつもりですかのう!」
「あら失礼ですわね。あれはみんなを元気にするクスリですわ」
「表現がおおざっぱすぎますのう!」
二人と一羽が争う様子を眺めていたアルヴァンが不意に浮かんだ疑問を口にした。
「エイドレスさん、フクロウって夜行性なんじゃないんですか?」
「フクロウは夜行性だな」
エイドレスがうなずいた。
「あー、なるほど、夜に動くのをいやがるってことはつまりパチモンな訳か」
二人の会話を聞いていたベリットがぼそっと言った。
「いま、なんとおっしゃいましたかのう」
ローネンの目にかつて宿ったことのない光が宿った。
「パチモン? 言うに事欠いてこのわたしにフクロウのパチモンですと……いいでしょう。このローネン、身も心も鳥となったことを証明して見せましょうぞ」
その大きな目に異様な輝きを宿したローネンが宣言した。
「お、おう」
軽口を叩いたベリットも思わずたじろぐ。
「燃えているな」
「燃えてますね」
いつになく気合いが入っているローネンを見てエイドレスとアルヴァンが言った。
「グレース様、私の勇姿を見ていてくだされ」
力強くそう言うと、ローネンは闇夜に羽ばたいていった。
「やれやれ、あまり煽ってやるなよ。本当に夜行性になられても面倒じゃからな」
優雅に空を舞うローネンの姿が見えなくなるとジェイウォンが言った。
「ローネンには言い聞かせておきますよ……そうだ、ベリット君、先ほど君宛の荷物が届いたそうだよ。ずいぶん大きいみたいだけど、あれはいったい何なんだい?」
グレースが聞いた。
「お、ようやく来たか! 待たせたなオッサン! 天気悪くて到着が遅れてたけどようやく届いたぜ!」
ベリットが興奮に目を輝かせてエイドレスを見た。
「ほう。ルドリック達を攻撃するまでに使えるようになるか?」
エイドレスが聞いた。
「それはオッサン次第だね」
ベリットがにやりと笑う。
「ならばなにも問題はないな」
エイドレスもまた笑みを浮かべた。
「おやおや、二人で何を企んでいるのかな?」
グレースが聞いた。
「その辺は後のお楽しみかな」
ベリットがエイドレスに目配せした。
「そういうことだ」
エイドレスがうなずいた。
「気になりますわね」
ヒルデが言った。
「何にしろ、今日はもう遅い。明日に備えて休むとしよう」
ジェイウォンがあくびをかみ殺しながら言った。
ペリンが用意してくれた個室に戻ったアルヴァンは簒奪する刃をベッドの脇の壁に立てかけると横になった。
目を閉じると自分を呼ぶ声がした。
――相棒、起きてるか?
――もちろん。
フィーバルの問いかけにアルヴァンが心の中で答えた。
――昼間に取り逃がしたデカいのと邪魔してくれた気障な野郎を殺しに行くんだろ?
――そうだね。
――ははっ、そいつは良いぜ。あいつらをぶち殺してやるのは楽しそうだ。
フィーバルが笑う。
――そうだね。
――奴らをこの剣で切り刻んでやることを想像すると興奮して夜も眠れやしねえ。おっと、おまえはちゃんと寝ておけよ。俺様とは違うんだからな。
――そうだね。
――本当にわくわくするぜ。自分が一番強えと思ってやがるバカな奴に上には上がいるってことを思い知らせてやるのはよ。
――そうだね。
――さっきからなんなんだよ! おい! 俺様の言うことに文句でもあるってのか!
フィーバルがいらだちを爆発させる。
――イライラすることなんてないでしょ?
――テメエ、俺様をおちょくってんのか!
――そんなことはないよ。
アルヴァンは淡々と答える。
――じゃあいったい何だってんだよ!
――それを聞きたいのは僕の方だよ。
――何だって?
予想だにしなかった反応にフィーバルは怒りを忘れた。
――これからなによりも楽しいことが待っているのに君はどうして苛立っているの?
――何言ってやがる……俺様はこんなにも楽しそうにしてるじゃねえか……。
――そうだね。君はそう見えるように振る舞ってる。
――何だよ……その言い方じゃまるで俺様が本当は楽しんでいないみたいに聞こえるじゃねえか……。
――違うの?
アルヴァンは壁に立てかけた簒奪する刃をまっすぐに見つめた。
その瞳の奥には何かが潜んでいる。とてつもない何かが。
――わ、私は……いや、違う! 俺様は破壊と殺戮をなによりも楽しんでいる! そうだ! 俺様はフィーバル! 破壊の魔神フィーバルだ!
アルヴァンは剣に背を向けると何も言わずに眠りについた。
フィーバルは目をそらした。自分自身の中にあるはずのないものから。
『それ』はまだ小さい。芽とも言えないような代物だ。
無視してしまえばいい。
なにも問題はない。
しかし、『それ』は確実に彼の中に芽生え始めていた。
そのことはアルヴァンも知っていた。
そして、フィーバルはアルヴァンに『それ』の存在を見抜かれていることを認識していた。
また、フィーバルはアルヴァンに自分の奥底を覗かれていることに対して自分がどう感じているのかを理解していた。
だが、いまの自分が抱いている感情を言葉にすることは出来ない。
それは破壊の魔神が決して持ってはならない感情だからだ。
翌朝早く、グレースはペリンに対して今後の方針を説明していた。
「私たちは打って出なければなりません。フェイラム伯爵は執念深い男です。私たちを打ち倒すまで彼が止まることはありえない。ですから、私たちはなんとしても……」
「グレース殿」
テーブルを挟んで向かい合うペリンが口を挟んだ。その表情は神妙だ。
グレースの胸に少しばかりの焦りが生まれる。
怖じ気づいたか。
ここまで来てこの男を手放すわけにはいかない。ルドリックこそ取り逃がしたものの、これまで順調にフェイラム伯爵の攻撃を凌いできた甲斐あって、伯爵への抵抗の気運は高まりつつある。
ペリンが古の超大国アイボルーブ王国の正統な後継者であるというグレースがでっち上げた噂も徐々に広まってきた。さすがに真に受けている人間は少ないだろうが、ペリンはグレース達の助力によって着実に成果を出している。
アイボルーブ王国の件はまだ与太話に過ぎないが、戦果を上げ続ければいずれは役に立つときが来る。
だが、昨日はフェイラム伯爵のウルグロースカタパルトによる反撃を食らった。あれがストーンヘイムに向けられたらとペリンが考えてしまうのも無理はない。
とはいえ、計画が軌道に乗り始めた今、ペリンを失うわけにはいかなかった。
扱いが面倒になるが最悪の場合は簒奪する刃で操るしかない。
グレースが選択肢を天秤にかけ始めたとき、ペリンが口を開いた。
「私は有能な人間ではない。たまたま領主の跡取りとして生まれただけだ。ストーンヘイムの統治にしても上手くいっているとは言いがたかった。住民達が比較的寛容なのでそれほど大きな問題にはならなかったがね」
ペリンは自嘲気味に笑った。
「それでもいいと思っていたんだ。自分に出来る範囲のことをやる。それ以上に多くは望まない。それが私の人生だった。あの日、フェイラム伯爵からの『伝言』が届くまではね」
ペリンの目はフェイラム伯爵が最後通牒をたたき込んできたせいで出来てしまった穴の方に向いていた。
「フェイラム伯爵は強大だ。私なんぞとは比べるべくもない。彼をどうにかするだなんて私の手に負える仕事じゃない。それは痛いほどにわかっているんだ」
グレースは何も言わずにペリンの話に耳を傾けていた。
「でもね、この街を救ってくれた君たちを見ていると、伯爵への不安におびえながらもこの街にとどまってくれる住民達を見ていると、望まずにはいられないんだよ。この手でフェイラム伯爵を倒すことをね」
ペリンは今まで身の丈に合ったことしか望んでこなかった。それが変わった。彼は自ら望んでいるのだ。フェイラム伯爵を打ち倒す英雄となることを。
「良い傾向だね」
グレースは思わず口にしていた。
「何か言ったかな?」
よく聞き取れなかったペリンが尋ねた。
「いや、何でもありませんよ」
グレースは笑ってごまかした。
「グレース殿、私は君たちに全面的に協力させてもらう。君たちも私に力を貸して欲しい。フェイラム伯爵を倒すために」
「その言葉を待っていましたよ。ともに戦いましょう」
グレースはペリンがより扱いやすくなってくれたことに笑みがこぼれるのを隠しきれなかった。幸いなことに今は笑いをこらえる必要はない。
グレースは心からの笑顔を浮かべると、決意を新たにしたペリンと固い握手を交わした。
都市で一番の宿屋の中でも最上級の部屋の一室で二人の男が話していた。
「ルドリック様、昨夜はよく眠れましたかな?」
ルドリックが逃げ込んだワイルドヘッジ傘下の中規模都市の領主であるラピールは禿げ上がった額に汗をかきながら愛想笑いを浮かべた。
「問題ない」
朝早くに起きて、すでに身支度を調えていたルドリックは素っ気なく答えた。
この都市に逃げ込んでからもう四日目になる。
ルドリックは逃げてきた配下の兵達とともに、この都市で休息を取ることを余儀なくされていた。生き延びはしたものの、兵の損耗は激しく、ルドリックは麾下の騎兵のほとんどを失ってしまっていた。
「お食事の準備が出来ておりますよ。ご要望とあらばお酒もご用意いたします。それとその、大きな声では言いにくいのですが戦場での興奮を静めたいのであれば……その……手配の方も……」
お前もわかっているだろうとでも言いたげな笑みを浮かべて小男のラピールが声を潜める。
ルドリックは何も言わずに小男をにらみつけた。
「お、お食事だけご用意しておきます!」
殺気のこもったルドリックの視線をぶつけられて、ようやく自分の間違いに気づいたラピールは慌てて部屋を後にした。
ルドリックが大きなため息をついた。
「おや、朝から機嫌が悪いようだね」
長い髪を揺らしながらブレンダンが部屋にやってきた。
「朝からドブネズミを相手にしていてはな」
「その言い方は失礼だね」
「あの領主にか?」
「領主と比べられるドブネズミの方にさ」
ブレンダンが微笑んだ。
ルドリックもつられて笑った。
「……兄貴には助けられてしまったな。改めて、礼を言う」
ひとしきり笑った後、ルドリックがおもむろに口を開いた。
「家族ならば当然のことさ」
涼しげな顔でブレンダンが言った。
「結局、ひとりで俺の後を追ってきたのか?」
「今回の相手はどうにも嫌な感じがしてね……父上を説き伏せるのにはだいぶ苦労したし、必死な僕を見てほかのみんなは不思議そうな顔をしていたよ」
「だが、兄貴の予感は当たった」
「その通り。恥をかいた甲斐があったね」
「奴らはローゼンプールを掌握して機動鎧を量産していた。どんな手を使って俺たちを欺いたのかはわからんが、してやられたよ」
「おまけに獣人の兵隊まで持っていた」
ブレンダンが付け足した。
「ライムホーンも奴らの手に落ちていたということだ。そして、おそらくはパインデールも」
「しっかりと準備をしていたというわけだね」
「とんでもない奴らだ」
「それは違う。彼らは結局のところ父上の砲撃によって散った。つまり、とんでもない奴らだった、と言うのが正しい表現だね」
「……死んだと思うか?」
ルドリックが問いかける。
「疑う理由でもあるのかい?」
ブレンダンが問い返した。
「それは……」
ルドリックが答えに詰まった。
「久しぶりに現れた骨のある相手だ。自分の手で仕留められなかったことを不満に感じるのは無理もない。だが、父上の力を疑うのは良くないな」
ブレンダンが優雅にかぶりを振る。
「ぬう……」
ルドリックが唸る。
「幸か不幸か彼らにはまだ仲間がいる」
「また親父が砲撃すればすぐに片付くだろう」
「生憎と誰かが見に行って戦果を確認する必要がある。ウルグロースカタパルトの数少ない欠点だね」
「……仕方ない。行くとするか」
あまり気乗りしないルドリックだったが、責任を取らないわけにはいかなかった。
「それが良い。でないと一日中ドブネズミにつきまとわれることになる」
ブレンダンが満足げにうなずいた。
「ラピールの奴と比べるのはドブネズミに失礼なんじゃなかったのか?」
「そうだったかな?」
ルドリックの反撃にブレンダンが笑っていると非常事態を知らせる鐘の音が響き渡った。
柔らかだったブレンダンの表情が引き締まった。
「火事かな?」
「違うことぐらい兄貴にもわかっているだろう?」
うれしさを隠しきれないルドリックが愛用の籠手タラニスに手を伸ばす。
「全く、憎たらしい弟だ」
ブレンダンも愛剣ブルーローズを取りに自分の部屋に戻っていった。
「待っていろよ小僧、二度も遅れは取らんぞ」
ルドリックの闘志に呼応するかのようにタラニスの表面で雷光が踊った。
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