第90話 英雄を作ろう
銀髪の青年の体からどす黒い魔力があふれ出す。オグデンは戦慄した。主であるルドリック、それにフェイラム伯爵の魔力は尋常なものではない。だが、この青年の魔力はあの二人とは明らかに異質なものだった。
「妙な魔力を持っているな……だが、ルドリック様の右腕であるこの俺に、その程度の力で挑もうなどとは笑わせる!」
オグデンが銀髪の青年を威圧するように魔力を放つ。
「な、なんて力だ……」
オグデンの放つ圧倒的な魔力を前に、ペリンやストーンヘイムの住民達はへなへなとくずおれた。
「ふん、虫けらどもめ! この俺に逆らったことを後悔するがいい!」
オグデンが背負っていた二本の斧を抜く。
馬を走らせ、魔力を込めた二本の斧を振り上げながら青年に向かって突っ込んだ。
「オグデン隊長の突撃だ!」
「あの小僧、ばらばらになっちまうぜ!」
興奮した兵士達がはやし立てる中、オグデンは目の前の敵を粉砕するべく斧を振るった。
「死ねえ!」
「嫌ですよ」
オグデンの雄叫びに淡々とした答えが返ってきた。
突進の勢いを乗せて打ち込まれた二本の斧は青年の持つ黒い剣によってあっけなく止められていた。
「な、なんだと……」
今までに想像したことすらない光景にオグデンが呆然とつぶやいた。
「隊長、見せ場だからって焦らしちゃいけねえよ!」
「小僧に花を持たせてやろうだなんて、隊長は粋なことをしやがるぜ!」
状況を理解できていない兵士達が歓声を上げる。
だが、目の前にいる怪物と対峙しているオグデンにはわかっていた。
勝てない。
殺される。
目の前の青年の瞳に映るオグデン自身の顔には絶望が浮かんでいた。
「ふ、ふん、やるではないか……だが、次は俺も本気でいくぞ!」
ぎりぎりのところで踏みとどまったオグデンがなんとかして自分自身を鼓舞した。しかし、その声は震え、目には涙が浮かんでいた。
「いいぞ、隊長!」
「やっちまえ!」
幸い兵士達には勘づかれなかった。しかし、オグデンの幸運はそこまでしか持たなかった。
「次なんてありませんよ」
青年のどす黒い魔力がふくれあがる。それを感じ取ったオグデンはただ本能に従って自分が持つすべての魔力を込めて防御の姿勢を取った。しかし、オグデンにもわかっていた。この青年がもたらすものからは絶対に逃れられないことを。
青年が振り下ろした漆黒の剣はそれを防ごうとしたオグデンの斧を二本とも両断し、オグデンの兜に食い込んだ。それでも刃は一瞬たりとも停滞せず、オグデンの頭を割り、体を鎧ごと切り裂き、オグデンが乗っていた馬を紙切れのように引き裂いた。
頭から真っ二つにされたオグデンと乗馬が地面に倒れると、辺りに沈黙が満ちた。
「た、隊長?」
「う、うそだろ……」
兵士達もペリン達もそろって呆然とオグデンの死体を見つめていた。
「ええと、次はあなたたちの番ですよ」
血の滴る漆黒の剣を携えた青年が兵士達に向かって言った。
青年の体からあふれ出すどす黒い魔力を見た兵士達はようやく我に返った。しかし、何もかもが手遅れだった。
逃げだそうとした兵士と呆然と突っ立っている兵士とオグデンの敵を討つべく青年に向かっていた兵士が入り乱れる中、銀髪の青年は淡々とフェイラム伯爵の兵隊を殺していった。
兵士達が劣勢に気づくまでに時間はかからなかった。兵士達は漆黒の剣を持った怪物に背を向けて逃げ出した。
しかし、逃げ出した先にも怪物がいた。
「ほっほ、こういうのはなんと言うんだったかな? 前門の虎、後門の……うーむ、思い出せん」
逃げ出した兵士達の前に現れたのはよく鍛えられた長身の若者だった。彼は独りごちると目にもとまらぬ早さで兵士の頭を掴み、魔力を込めて破裂させた。
「おーい、アルヴァン! どっちが多く仕留められるか競争といこうか!」
若者が銀髪の青年に呼びかけた。
「いいですよ」
青年は軽い調子で応じると黒い疾風と化して獲物の群れに襲いかかった。
「ほっほ、ワシも負けておれんな」
若者の動きもまた常軌を逸していた。兵士の体に掌を当て、魔力を送り込んで肉体を破壊する。その動きはたとえようもなくなめらかでなによりも速かった。兵士達は悲鳴を上げる暇すら与えられずに破壊されていった。
そうして集団の両端から始まった掃討は少しだけストーンヘイム側に近い位置で終了した。
「速いですね」
銀髪の青年が長身の若者をたたえる。
「年の功だよ」
若者がにやりと笑う。
「さて、始末も済んだことだ、次の段階に進むとしよう」
「そうですね」
銀髪の青年と長身の若者はペリン達の方に向かった。
「わ、私はストーンヘイムの領主、オットー・ペリンだ! く、来るなら来い! ただではやられんぞ!」
こちらに向かって歩いてくる二人に向かってペリンは精一杯すごんだ。フェイラム伯爵の兵隊すらも易々と葬り去る相手に勝ち目などない。だが、ペリンは何もせずに引き下がろうとはしなかった。
「なかなか度胸があるな」
「ですね」
長身の若者と銀髪の青年が顔を見合わせる。
「こ、この街をおまえ達の好きには……」
ペリンが言いかけたとき、二人は信じられない行動に打って出た。
ひざまずいたのだ。
「ペリン殿、我らは貴方の味方だ」
「な、なんだって?」
若者の言葉はペリンの右耳から左耳に抜けていった。
「つまり、あなた方はフェイラム伯爵の圧政に苦しむ人々を救うために活動しているのか?」
ペリンは未だに事態を飲み込めていなかったが、なんとか言葉を絞り出した。ペリンはひとまず二人を自宅に招いていた。
「その通りだ。我らはともにフェイラム伯爵によって故郷を奪われた。その後は伯爵への復讐の機会をうかがいながら各地の情報を集めていた」
コルビンと名乗った長身の若者が答えた。コルビンの言葉にアルヴァンと名乗った銀髪の青年がうなずく。
「僕たちはフェイラム伯爵がストーンヘイムに兵を送ったという情報を得ました」
アルヴァンが言った。
「重税で民を苦しめたあげくに税を払えなくなったら兵を送るなどという暴挙は許せん。今こそフェイラム伯爵を討つときだ。我らはそう判断してここに来た」
コルビンが熱のこもった声で言った。
「そうだったのか……お二人には危ないところを助けていただいた。なんと感謝すれば良いやら……」
ペリンがかぶりを振る。
「……ペリン殿、実は折り入って頼みがあるのだ」
コルビンが申し訳なさそうに切り出した。
「コルビン殿、何でも言ってくれ。あなた方のためならばなんでもしよう」
ペリンが言った。その言葉は嘘偽りない本心だった。ストーンヘイムの救世主であるこの二人のためならば自分の命も惜しくない。ペリンはそう思っていた。
「ならば、そのお言葉に甘えよう……ペリン殿、貴方には我らの主になっていただきたい」
コルビンの言葉はペリンが予想だにしないものだった。
「な、なんですって?」
「恥ずかしながら、我らには掲げる旗印がないのだ。我らはどちらも若い。腕に覚えはあるが、それだけではフェイラム伯爵には勝てない」
「そ、それはそうかもしれんが……なぜ、私などに……」
ペリンは困惑していた。
「ペリン殿、アイボルーブ王国の伝説をご存じですかな?」
コルビンが聞いた。
「突然何を言い出すかと思えば……グロバストン王国、ロプレイジ帝国ができるよりも遙か以前に存在したという、このクレモア大陸を統一した国家のことか? それがいったい何に……」
記憶をたぐりながらペリンが言った。アイボルーブ王国というのは古の巨大国家のことだ。グロバストン王国、ロプレイジ帝国にも成し遂げられなかったクレモア大陸の統一を成し遂げた巨大国家。アイボルーブ王国には現在よりも遙かに進んだ魔術、科学技術が存在していたといわれている。
だが、有り体に言ってしまえばアイボルーブ王国などというものはおとぎ話に出てくる黄金郷と大差ない代物だ。
「ペリン殿、貴方こそがアイボルーブの王族の血を引く者なのです」
この上なく真剣な顔でコルビンが言った。
「こ、こんな時にからかわないでくれ、私が王族だなどと……」
ペリンは笑いながら言った。
「信じられないというお気持ちはよくわかります。しかし、これは事実なのです」
「そんなバカな……」
「ペリン殿、我々が貴方を担ぐためだけにフェイラム伯爵の兵隊と事を構えたとお思いか?」
「そ、それは……」
コルビンの真剣な目にペリンはたじろいだ。そうだ。なんと言ってもこの二人はフェイラム伯爵からストーンヘイムを救ってくれた恩人なのだ。その恩人の言葉を笑い飛ばすなどというのは許されない。それに、こんな馬鹿げた嘘で私を担ぎ上げてこの二人にいったい何の得があるというのだ。ペリンはそう考えた。
とはいうものの、容易には受け入れがたいことだった。
「ペリン殿、貴方が戸惑うのも無理はありません。しかし、今こそ立ち上がるときなのです。フェイラム伯爵の圧政に苦しむ民のために」
ペリンの考えを見透かしたかのようにコルビンが言った。
「た、たとえあなた方の話が本当で私がアイボルーブ王国の王族だったとしても、フェイラム伯爵と戦うなどというのは私には荷が重すぎる……」
「ペリン殿、貴方が戸惑うのも無理はない。しかし、賽は投げられてしまったのです。フェイラム伯爵は再びこのストーンヘイムを襲うでしょう」
「それは確かにそうだが……」
「貴方はフェイラム伯爵の兵隊にも立派に立ち向かって見せた。その力を我々に貸していただけないか?」
コルビンが聞いた。
「あのときは……この街を守るために……無我夢中で……」
「フェイラム伯爵に反旗を翻そうとしているのは何もこの街だけではありません。ペリン殿、貴方は民衆の希望となるのです」
「私にできるのだろうか……」
ペリンは不安そうにコルビンとアルヴァンを見た。
「大丈夫だと思いますよ」
アルヴァンが窓の外に目を向ける。つられてペリンも外に目を向けた。そこには住民達がいた。危機を乗り越えた彼らの目には領主であるペリンへの絶対的な信頼があった。
「ほら、貴方はこんなにも立派につとめを果たしている」
アルヴァンが言った。
「……そうだな。彼らのためにも私は立ち上がらなければならないようだ」
ペリンの決意は固まった。自分が王族であるなどとは思っていない。だが、そんなことはどうでもいい。自分は愛する民を守らねばならないのだ。
「ここまではグレースの計画通りに動いているな」
コルビンことジェイウォン・ミラーズがペリン達がいなくなったのを見計らってつぶやいた。
「フェイラム伯爵に宛てた手紙の改ざんはグレースさんがやったんでしたっけ?」
「そうだ。伯爵がこうも速く兵隊を派遣したところを見るとグレースの奴はよほど文才があるらしいな」
ジェイウォンがにやりと笑う。
ワイルドヘッジ内での内紛を引き起こすというのがグレースが立てた作戦だった。そのためにストーンヘイムからの使者を襲って手紙を奪い、グレースが改ざんしてフェイラム伯爵に送った。手紙が改ざんされているとも知らずに伯爵は怒り狂い、ストーンヘイムに兵を送った。
「そういえばどうしてコルビンさんの名前を使ったんですか?」
アルヴァンが聞いた。
「ジェイウォン・ミラーズというのは少々有名すぎるのでな。それにしても、アイボルーブ王国とはな……グレースも無茶なことを考えるものだ……」
ジェイウォンがかぶりを振る。
「こういうのは派手な方がかえってばれにくいんだそうですよ」
アルヴァンが言った。
「そうかもしれんがあんな与太話が通用するとはな……」
ペリンがアイボルーブ王国の王族だなどというのは真っ赤な嘘である。ペリンを担ぎ出す理由付けとしてでっち上げた話だ。
「こんなことをせずともグレースの奴を担ぎ上げればよかったのではないか?」
ジェイウォンが聞いた。
「パインデールの領主であるグレースさんが攻めてくるって話になっちゃうと外敵に対してワイルドヘッジが団結してしまう可能性が高いですし、ワイルドヘッジみたいな組織は内側から崩す方がやりやすいんだそうです」
「なるほどな……それはそうと、ほかの連中はどうしとるんだ?」
「ええと、その辺りの連絡がそろそろ来るはずなんですけど……」
アルヴァンが空を見上げると、一羽のフクロウが舞い降りてきた。
「アルヴァン殿、グレース様からの伝言がありますのう」
「ご苦労様です」
アルヴァンはローネンをねぎらった。
「ヒルデ嬢とエイドレス殿もフェイラム伯爵の兵を退けたそうですのう」
「ほう、上手くやったか」
ジェイウォンがうなずく。
ヒルデとエイドレスもまた、別の街でストーンヘイムの時と同じようにフェイラム伯爵を挑発し、兵を派遣させて返り討ちにする作戦をとっていた。
「こちらの方も上手くいってますよ。ペリンさんはやる気になってます」
「それはなによりですのう。グレース様たちは今後のことを話し合うために近いうちにストーンヘイムにやってくるそうですのう」
「わかりました。それまでにはこちらの準備は整いそうですね」
アルヴァンがジェイウォンに目を向ける。
「ああ、民のために立ち上がる立派な英雄ができあがっていることだろうな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます