第91話 猛る雷神
ローネンの到着から数日後、グレース達がストーンヘイムを訪れた。
「なかなかいいところじゃないか」
街を眺めたグレースが言った。
「そうですね。住民の皆さんもよくしてくれてますし」
グレース達を出迎えたアルヴァンが答えた。
「ボクとしては将来的にこういうところでゆっくりと過ごしたいなあ。もちろん君と一緒にね」
ちらりとアルヴァンを見ながらグレースが言った。
「よくもまあ恥ずかしげもなくあんなことがいえるよなあ……」
グレースとアルヴァンのやりとりを見ていたベリットがつぶやいた。
「あれでもまだ足りないくらいだろう。何せ相手がアルヴァンだからな」
ベリットの独り言を聞きつけたエイドレスが言った。
「安心できるような先が思いやられるような……」
「それはそうと、あれはどうする?」
「ああ、あの……やべーやつ……」
二人は木の陰に身を隠しながら血走った目でアルヴァンを見ている赤髪の少女に目を向けた。
「アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様……」
ヒルデは一心不乱にアルヴァンを見つめていた。
「どうしてこうなった……」
「アルヴァンと顔を合わせなかったのはたかだか一月足らずだろうに……」
ベリットとエイドレスがため息をつく。
「どうするよ?」
「このままというわけにもいくまい」
エイドレスはベリットにそう言うと木の陰に隠れているヒルデに向かってのしのしと歩いて行った。
「アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様アルヴァン様……ちょっと、なにをしますの!」
狼の獣人に首根っこを掴まれて持ち上げられたヒルデがじたばたともがいた。
「行くぞ、感動の対面だ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし、心の準備が……」
エイドレスはヒルデの言葉を無視して彼女をアルヴァンの元へ運んでいった。
「ヒルデ、久しぶりだね」
アルヴァンは笑顔でそう言った。
「ひゃ、ひゃひゃ、ひゃい。そ、そうでしゅわね」
ヒルデはエイドレスの影に隠れながら答えた。
「いい加減にしろ。おまえ、そんな殊勝な性格ではないだろう」
あきれた顔でエイドレスが言った。
「わ、わたくしはいたって普通に振る舞っておりますわ」
「どうかしたの?」
アルヴァンがヒルデの顔をのぞき込んだ。
「あ、アルヴァン様がこんなに近くに……」
久しぶりの再会にヒルデの喜びが限界を超えた。
「ああ、わたくし、もうだめですわ……」
ヒルデの体がぐらりと揺れたかと思うと彼女はそのまま気を失って倒れた。
「ヒルデ!」
「おい、バルドヒルデ、しっかりしろ!」
アルヴァンとエイドレスが慌ててヒルデを支える。
「ふへへ、わたくし、しあわせですわ……」
それだけ言うとヒルデは完全に意識を失った。
「…………はっ!」
ヒルデが目を覚ましたのは昼頃だった。自分は街の入り口近くの木陰にいるようだ。
「わ、わたくしは何を……」
「あ、起きたね」
アルヴァンの声はすぐ近くからした。
「アルヴァン様? どうしてアルヴァン様のお顔がわたくしの真上にありますの?」
「どうしてって、膝枕しているからね」
「膝枕ですか、なるほど、道理で気持ちいいわけですわ……ってなんですと!」
衝撃の事実に気づいたヒルデがアルヴァンの膝から跳ね起きた。そして、ヒルデの頭はヒルデの顔をのぞき込んでいたアルヴァンの頭に直撃した。
「……痛い、ですわ……」
「……ヒルデ、結構頭固いね……」
二人は強烈な痛みにうずくまった。
「……アルヴァン様だって人のことはいえませんわ……って、そんなことはどうでもいいですわ! なんでわたくしが膝枕されてますの!」
「ヒルデが突然倒れたからね」
アルヴァンが淡々と答える。
「……あ、あれは、その……アルヴァン様に会えたのがうれしくて……」
消え入りそうな声でヒルデが言った。
「僕もヒルデに会えてうれしいよ」
「アルヴァン様……」
「みんなは今後のことについて話し合ってるから、もうちょっと休んでいた方がいいんじゃないかな」
「女狐さんたちはここにいませんの?」
キョロキョロと周囲を警戒しながらヒルデが聞いた。
「僕だけしかいないよ」
「……ここは既成事実を作ってしまうチャンスなのでは……近くにちょうどいい茂みもありますし……でもでも、初めてがお外というのはあまりにも……いえ、それもまたスリルが……」
息を荒げるヒルデの頭の中で邪な欲望が渦巻いた。
「なんだか具合が悪そうだね。横になったら?」
アルヴァンはヒルデの体を優しく支えると、彼女を膝枕してあげた。
「お、おお、これが膝枕ですのね……」
過激きわまりない妄想を繰り広げていたヒルデだったが、いざアルヴァンに触れられると膝枕でも十二分に満足できたのだった。
「さっきもしてあげたんだけどね」
アルヴァンが苦笑する。
「ふへへ、気持ちいいですわ……」
ヒルデは速くもうとうとし始めた。
「……はっ! あ、アルヴァン様!」
何かに気づいたヒルデが思わず声を上げる。
「どうかしたかな?」
「あ、アルヴァン様はさっきまでわたくしを膝枕してましたのよね……では、その……わたくしの寝顔も……」
「ああ、うん、見たね」
アルヴァンの答えにヒルデは顔を真っ赤にした。
「ね、寝顔を見られるだなんて……」
「ヒルデはきれいだったよ」
アルヴァンは屈託なくそう言った。
「…………よく聞き取れなかったので、もう一回言ってくださいません?」
「ヒルデは寝顔もきれいだよね」
「寝顔『も』! 『も』っておっしゃいましたね! それはつまり……」
「普段のヒルデもきれいだよ」
アルヴァンの言葉にヒルデは先ほどよりもさらに顔を赤くした。
アルヴァンから目をそらす。
ヒルデはもうアルヴァンの顔を見ていられなかった。
「この赤い髪もきれいだよね」
アルヴァンがヒルデの髪を撫でる。
撫でられるたび、ヒルデの心臓が高鳴った。
「き、きき、今日のアルヴァン様は、な、なな、なんだか積極的ですわね」
ヒルデが声を振り絞った。
「ヒルデに会えなくて寂しかったからね」
赤い髪を撫でながらアルヴァンが言った。
「アルヴァン様……」
ヒルデは髪を撫でられる心地よい感触に身を任せながら眠りに落ちていった。
グレース達はアルヴァン、ヒルデと分かれて街の集会場に集まり、ペリンに状況を報告していた。
「本当に五つもの街が私たちに賛同してくれるというのかい?」
グレースの説明を聞きはしたもののペリンはまだ半信半疑だった。
「ペリン殿、貴方が示した勇気は多くの人々の胸を打ったのですよ」
グレースが言った。
「私はたいしたことはしていないよ。結局のところ、あの兵士達を止めたのはアルヴァン君とコルビン君だからね」
ペリンがかぶりを振る。
「貴方が立ち向かうことを決めていなければ彼らは動きませんでしたよ」
これは本当のことだ。フェイラム伯爵の挑発にはいくつかの街を巻き込んだが、意外にも伯爵と正面から事を構えようとしたのはストーンヘイムのペリンだけだった。だからアルヴァンとジェイウォンをこの街に派遣し、アイボルーブ王国の話をでっち上げてペリンを担ぎ出したのだった。
「それはそうかもしれんが……」
ペリンはまだ納得がいかない様子だった。
「自分が英雄であることを受け入れるのが難しいのであれば、ひとまずはフェイラム伯爵がみんなから嫌われているということにしておいてもいいですよ」
グレースが笑みを見せた。
「嫌われ者を退治するためなら旗印は何でもいい訳か……私としてはその方が納得できるな」
ペリンもまた笑っていた。
「今はまだそれでもかまいません。しかし、いずれは……」
「アイボルーブの王族か……そんなことは夢に見たことすらなかったよ……」
ペリンがかぶりを振る。
「驚くのも無理はありません。時間をかけてゆっくりと受け入れてください……ですが、フェイラム伯爵は待ってはくれません」
厳しい表情でグレースが言った。
「わかっている。私は住民達に約束したのだ。フェイラム伯爵の行いをこれ以上見過ごしはしない」
ペリンの目には確かな決意の色があった。
「我々も貴方のため、全力を尽くしましょう」
グレース達は皆、跪いてペリンに忠誠を誓った。
「君たちの力、頼りにしている」
ペリンがうなずく。その顔は少し前までの気弱な領主の顔とはまるで違うものだった。
フェイラム伯爵の次男ルドリックは日課となっている戦闘訓練の合間に使者からの知らせを受けた。
「オグデンが……死んだだと……」
オグデン戦死の報にルドリックは立ち尽くした。
「は、はい。今回ストーンヘイムに派遣した兵はほぼ全滅したそうです」
使者もまた自分が持って帰ってきた情報を信じられていないようだった。
「あの男は自分で思っているほど強くはない……だが、ストーンヘイムごときに後れを取りはしない……は、ははっ……」
「ルドリック様……?」
ルドリックが突然笑い出したことに困惑した使者が思わず声をかけた。
「面白いじゃないか! 親父が言っていた小僧だな! 確かに俺たちが楽しめる相手のようだ!」
ルドリックは歓喜していた。久しぶりに獲物と呼べる相手が現れたのだ。体の芯からわき上がる興奮を腕に込め、思い切り振り抜いた。ルドリックの得物である雷を宿す籠手、タラニスが雷光を放ちながら巨岩に打ち込まれた。
「おお、なんという力……」
使者が感嘆する。大岩は雷撃によって粉々に砕け散った。
「楽しみしているぞ、小僧……頼むから失望させてくれるなよ……」
フェイラム伯爵の次男、ルドリックはまだ見ぬ強敵への期待に心を躍らせていた。
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