第89話 オットー・ペリンの意地
その日、ワイルドヘッジ傘下の小都市ストーンヘイムでは領主オットー・ペリンが住民たちからの抗議に頭を悩ませていた。
「領主様、俺らには家中ひっくり返したって払える税金なんてありませんぜ」
腕を組み、渋い顔でそう言ったのはこの街における農民のリーダー格の男だ。
「しかしなあ、フェイラム伯爵が……その……」
厳しい視線にひるみながらもごもごとペリンが言い逃れをしようとする。
「またそれですか! フェイラム伯爵がなんと言おうとないものは出せませんよ!」
街の鍛治組合の代表を務めている女性が言った。女性でありながら鍛冶組合の代表を務めているだけあって彼女には迫力があった。
「そうはいっても、フェイラム伯爵はこのストーンヘイムの安全を保証してくれているのだ……だから……その……」
ペリンはいつもの口上を並べてなんとか怒れる住民たちをなだめようとした。
「安全? こんな干からびそうになっている街を襲おうなんてバカな輩がどこにいるって言うんですか!」
住民の怒りの声にペリンはびくりと震えた。
「な、何を言うんだ……二十年前の戦争のときにだって伯爵が……」
なんとか恐怖をこらえて反論を試みる。
「ロプレイジ帝国やグロバストン王国がこんな小都市を気にかけるわけがないでしょう! いったいいつまでフェイラム伯爵の口車に乗せられているんですか!」
ペリンの反論はあえなくたたきつぶされた。
「では……では私に何をしろと言うんだね?」
恐る恐るペリンが聞いた。
「フェイラム伯爵に税率を下げるように訴えてください」
農民のリーダーが言った。
「き、君たちは簡単に言うが……それは……その……難題なのだよ……」
「伯爵に言われるままに税を払い続ける方がよっぽど難題ですよ!」
「わかった、わかったよ……伯爵と交渉してみる。それでなんとか怒りを収めてくれ」
農民のリーダーの剣幕に押され、ペリンはあっけなく折れた。
「では、今この場で使者を送ってください」
住民たちは容赦なかった。
「き、君たち……もう少し私を信用してくれても……」
「いいですか、領主様はもう三回も伯爵と交渉すると言ったんですよ。その結果どうなりました? 何も変わっていないでしょう!」
鍛冶組合の女性が言った。
「いや、まあ、君たちにはわからないかもしれないがこの手の交渉というのはだね……」
「いいから、はやく使者を送ってください」
住民たちにはペリンの言い分を聞く気などさらさらなかった。
結局ペリンはフェイラム伯爵への書状をしたためることになる。
そしてそれはペリンの運命を大きく変えることになった。
数日後、フェイラム伯爵の元にストーンヘイムの領主、ペリンからの書状が届いた。
「おーい、母ちゃん、ストーンヘイムってのはどこにあるんだったかな?」
フェイラム伯爵がイゾルデに聞いた。
「ストーンヘイム? あの小さな街がどうかしたかい?」
夫の口から珍しい名前が出たことにイゾルデも首をかしげた。
「方角と距離を教えてくれや」
フェイラム伯爵は愛用の投石器ウルグローズカタパルトを手に取っていた。
「あんた、何するつもりだい?」
「伝言を送るのさ」
フェイラム伯爵の顔は笑っていたが、その小さな目は怒りに燃えていた。
本日分の住民の抗議をなんとかしのぎきったペリンは自分の部屋に戻っていた。部屋に飾られている領主になったばかりの頃の自分の肖像画を眺めると、重いため息をついた。
あの頃は良かった。皆が自分に期待し、新しい領主の誕生を祝ってくれた。それが今となってはこの有様だ。
フェイラム伯爵に上から押さえつけられ、住民たちに下から突き上げられる。時々自分は他人から仕えられる立場ではなく他人に仕える立場ではないのかと思えてくる。子供の頃は自分が領主の家系に生まれたことに感謝したものだった。だが、今となってはとうていそんな気分にはなれない。
領主なんてろくなものじゃない。それがペリンの出した結論だった。
とはいうものの、さすがのペリンもこれ以上事態が悪化することは予想していなかった。
肖像画を眺めながらベッドに横たわっていたペリンは落雷の轟音にたたき起こされた。今夜は雨など降っていなかったはずだと思いながら起き上がる。様子を見に行くために表に出ようとしたとき、異変に気づいた。ペリンのつつましやかな自宅の壁に大穴があいているのだった。信じがたい光景に呆然と立ち尽くしていたペリンの元にランプを持った住民たちがやってきた。
「領主様、今のはいったいなんですか?」
「ものすごい音がしましたよ」
「うわ、壁が壊れてる!」
夜にもかかわらず、住民たちは続々と集まってきた。
そんななか、一人の子供が小さな筒を持ってきた。
「これ、領主様のおうちの近くに大きな穴が開いてて、その中に落ちてたよ」
ペリンは震える手で子供から筒を受け取る。この筒には見覚えがあった。フェイラム伯爵が手紙を入れるのに毎回使っている筒だった。
恐る恐る筒のふたを開け、ランプで手元を照らしながら伯爵からの手紙を読んだ。
「お、終わりだ……」
読み終わったペリンはそれだけつぶやくと気を失った。
翌朝、目を覚ましたペリンの元には不安そうな顔をした住民たちが集まっていた。
「みんな……」
集まった面々を見回す。住民たちがフェイラム伯爵からの手紙の内容を知っているのは明らかだった。
「領主様、いったいどんな手紙を送ったんです? フェイラム伯爵は怒り狂っていますよ」
鍛冶組合の女性が口を開いた。
「私が送った手紙は穏当な内容だったはずだ……だが、だからこそ伯爵の逆鱗に触れたのかもしれん……」
ペリンが目を伏せる。
「伯爵は兵隊を派遣してこの街を瓦礫の山に変えてやると書いていました」
そう言った鍛冶組合の女性の手は震えていた。住民たちもフェイラム伯爵が本気になったら何ができるのかは知っているのだ。
「さあ、君たち、こうしている場合じゃない。伯爵の説得はしてみるつもりだが望みは薄い。君たちは財産をまとめて逃げるんだ」
顔を上げてペリンが言った。しかし、住民たちは誰一人として動かない。
「みんなどうしたんだ! フェイラム伯爵が攻めてくるんだぞ! 一刻も早く逃げるんだ!」
いらだったペリンが声を荒げた。
「そんな必死な顔で言っても領主様には説得力がありませんよ」
農民のリーダーの男が笑いながら言った。つられてほかの面々も笑い出した。
「き、君たち、いいか! 私は真剣に……」
「俺たちだって真剣ですよ、領主様」
ペリンをまっすぐに見据えて農民のリーダーが言った。
「この街を守り、貴方を支える。それが俺たちの役目です」
「き、君たち……」
「あなたは飢饉のときには税の取り立てを免除してくれました」
農民のリーダーが言った。
「女である私の言うことも真剣に聞いてくれました」
鍛冶組合の女性が言った。
「男手が足りないときはほかの町から人を連れてきてくれたよな」
「あのときは領主様まで手伝ってくれたぜ」
「うちの子が病気になったときには薬代を立て替えてくれた」
住民たちはペリンとの思い出を語り出した。
「そ、それくらいは……領主として当然のことで……」
ペリンが口ごもる。
「貴方は領主としてのつとめを立派に果たしてくれました」
「今度は私たちがつとめを果たす番です」
「み、みんな……」
ペリンの頬を涙が伝った。
それから半月ほどたった頃。
「あれがストーンヘイムか?」
フェイラム伯爵の次男ルドリックの右腕であるオグデンは面白くもなさそうに部下に確認した。
「ですな。この辺りにほかに街らしいものもありませんし」
部下の一人が答えた。
「小さすぎて見落としたのかもしれませんぜ」
「めんどくせえ、ここいらの街全部ぶっつぶしましょうぜ」
「そいつはいいや。せっかく出てきたのに、あんな小せえ街一つつぶして終わりじゃ退屈だ」
好き勝手なことを言い出す兵士たちをオグデンが片手をあげて黙らせる。
「今回の目標はあくまでもストーンヘイムだ」
オグデンがそう言うと血気盛んな兵士たちから落胆の声が上がる。
「だが、ストーンヘイムの処置に関しては我々にすべてを任せるそうだ」
オグデンの言葉に兵士たちから歓声が上がった。
「好き勝手やってもいいってことですかい」
「俺たちゃお行儀良くはやれませんぜ」
兵士たちが欲望に目を輝かせる。
「伯爵様からの伝言だ。『何もかも奪い尽くせ』だそうだ」
フェイラム伯爵の言葉を聞かされた兵士たちの興奮は最高潮に達した。
そして、その声はストーンヘイムまで届いていた。
「本当にいいのだな?」
領主ペリンは住民たちに最後の確認をした。
「何度も同じことを聞かないでくださいよ」
ある者はそう言って笑った。
「今まで好き勝手やってくれた伯爵に一泡吹かせてやりましょう」
またある者はそう言った。
「領主様と一緒なら怖くありません」
またある者が言った。
「みんな……ありがとう」
家に代々伝わる鎧を身につけたペリンが住民たちに頭を下げた。いくら気丈に振る舞ったところでみんなわかっているのだ。自分たちは殺される。それもむごたらしく蹂躙された上で。
近隣の街に救援を求めたが返事はなかった。傭兵を雇うことも考えたがそんな資金はどこにもなかった。奇跡など起こらない。それでも、ペリンは悲嘆に暮れてはいなかった。自分には素晴らしい住民たちがいる。彼らの前でみっともない姿はさらせない。
彼は今、誇りに思っていた。このストーンヘイムを、この住民たちを、そして、領主である自分自身を。迷いはない。自分がやることはもう決まっていた。
馬に乗って先頭を走るオグデンはストーンヘイムの入り口にさしかかっていた。今回の任務には作戦など不要だった。ただ、単に兵を引き連れて街に乗り込み、破壊の限りを尽くす。それだけだ。隊列だの陣形だのには最低限の注意しか払っていない。当然だ。相手はただの小さな街の住民なのだから。
ストーンヘイムの連中も応援を呼ぶことは考えたらしいが、フェイラム伯爵と事を構えようなどという人間などいない。武装した兵士の姿など影も形もない。あの街にいるのはおびえた住民たちだけだ。これほど楽な仕事はいつ以来だろうかと思いながら馬を走らせていると、オグデンの行く手に鎧を身につけた男が現れた。
「と、止まれ!」
男が叫んだ。
オグデンは馬を止めると手を上げて後続の部隊を停止させた。
「私はストーンヘイムの領主、オットー・ペリンだ!」
「そうか。俺はオグデン、フェイラム伯爵の次男、ルドリック様の部下だ。まあ、貴様にとっては死神だな」
オグデンがそう言うとペリンはびくりと体を震わせた。
「へへっ、震えてやがるぜ」
「なんだありゃあ、みっともねえ」
後続の兵士たちがペリンを見て言った。
「あなた方にはこのまま帰っていただきたい」
ペリンは兜を脱ぎ、膝を折って降伏の意思を示した。
「遠路はるばるやってきた俺たちに何も取らずに帰れというのか?」
オグデンが問いかけた。
「わ、私の首を差し上げる。だから、だからこの街は見逃してくれ」
ペリンは頭を地面にこすりつけて懇願した。
オグデンが何も言わずにペリンを見ていると、町の方から住民達が駆けてきた。
「領主様! あんたなにやってるんだ!」
「私たちは戦うって決めたんですよ!」
「領主様だけを死なせはしません!」
住民達はペリンを守るようにオグデンの前に立ちふさがった。その手には農耕用の鎌や包丁など武器ともいえないようなものが握られている。
「みんな逃げるんだ! 事態を収めるには私の首を差し出すしかない!」
ペリンが泣きながら叫んだ。
「そんなことはできません!」
住民の一人が言い返した。
オグデンは大きく手を叩いてペリンと住民達を黙らせた。
「おまえ達の気持ちはよくわかった」
オグデンがそう言うとペリン達の顔に安堵の色が広がる。
「こんなに楽しい獲物は久しぶりだ。貴様ら、まずそこの領主様を縛り上げろ。その後で領主様の目の前で住民達を一人ずつ殺せ」
オグデンの非情な宣告にペリン達は戦慄し、オグデンの兵士達は大歓声をあげた。
「こりゃおもしれえや」
「女は犯してやってもいいよな」
予想外の獲物に兵士達は舌なめずりした。
「や、やめろ、来るな。来ないでくれ……」
ペリンが住民達を守ろうと前に出た。
兵士達がペリンに襲いかかろうとしたとき、奇跡が起きた。
「そろそろいいかな」
場違いに穏やかな声がしたのと同時にペリンに迫っていた兵士の首が飛んだ。
オグデン達もペリン達もあっけにとられて動けなかった。彼らが正気に戻ったのは首を失った兵士の体が倒れた後だった。
「なんだ貴様は!」
オグデンが叫ぶ。彼の視線の先にいたのは銀髪の青年だった。青年の手には大ぶりな漆黒の剣が握られている。
「名乗っても意味がないですよ。あなたたちはここで死ぬんだから」
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