第84話 君の名は

 すべての機体の起動を終えたコルビンは一息ついて、慣れない作業で額に浮いた汗をぬぐった。

「これで準備完了ですね」

 整列した機動鎧を眺める。

「ご苦労さん」

「お疲れ様です」

 ジェイウォンとアルヴァンがそろって声をかけた。

「コルビン、おまえさんと初めて会ったのは何年前だったかな?」

 自慢のあごひげを撫でながらジェイウォンが聞いた。

「五年前ですけど、それがどうしたんです?」

 突然の質問にコルビンは少し困惑した。

「そうかそうか、そうだったな……おまえさんは見込みはあるんだが、どうにも怠けがちなのが玉に瑕だな」

「お言葉ですが、俺だって努力はしてますよ」

 むっとしてコルビンは言い返した。

「いやいや、おまえさんの素質ならばもっとやれるはずだよ……ワシはもう心に体が追いつかん。にもかかわらず立派な体を思ったおまえさんはその恵まれた素質を生かそうとはしない。おかしいとは思わんか?」

 ジェイウォンの声が熱を帯び、瞳に異常な光が宿る。

「師匠? いったいどうしたんです?」

 ここに至ってようやく、コルビンもジェイウォンの様子がおかしいことに気づいた。

 コルビンは知らぬ間に、後ずさっていた。


「なあ、コルビン、こんなのは不公平だろう。おまえさんがその体をまともに使う気がないのならば、ワシの体と交換しようではないか」

 興奮を隠しきれないジェイウォンがコルビンに迫る。

「なにを言っているんですか、そんなことできるわけないでしょ……そうか、師匠は俺をおどかしてやる気を出させようって魂胆なんですね。わかりましたよ。今日から心を入れ替えて修行に励みます」

 コルビンは笑った。しかし、ジェイウォンの目の異常な輝きは消えなかった。

「心を入れ替えるか……まさしくその通りだな。ワシらは心を入れ替えるんだ」

 ジェイウォンは隣にいるアルヴァンに目を向けた。

「そうですね。上手くいけばそうなるかと」

 アルヴァンは腰に差した剣を覆っていた布を払った。

 漆黒の刀身を持った剣があらわになる。


「ふたりともどうしたってんですか! 様子が変ですよ!」

「うろたえなさんな。すぐに終わるさ」

 ジェイウォンがそう言った次の瞬間、コルビンはジェイウォンに両手を掴まれていた。

 先手は取られたが、腕力にかけてはコルビンの方が上だ。難なくジェイウォンの両手を振り払えるはず。そのことはジェイウォンも知っている。だが、一瞬コルビンの動きを止められれば十分だった。

 コルビンの両腕を押さえたジェイウォンの後ろから、簒奪する刃が二人をまとめて貫いた。


「なっ!」

 自分の体に入り込む異物の感触にコルビンが思わず声を上げる。

 コルビンと同様に貫かれたジェイウォンは満足げな笑みを浮かべると、糸が切れた人形のようにくずおれた。

 アルヴァンが漆黒の剣を引き抜く。ジェイウォンとコルビンの体は剣で貫かれたにもかかわらず無傷だった。

「……あんたは、あんたたちはいったいなにを……」

 コルビンは倒れ伏すジェイウォンを呆然と見ていた。


「もうそろそろですかね?」

 アルヴァンはコルビンの顔をのぞきこんだ。

「な、なんなんだ!」

 コルビンはそう言おうとした。

 しかし、彼の口はコルビンの意思に反して動いた。

「奇妙な感覚だな」

 コルビンは反射的に自分の口を押さえた。

 言っていない。自分はこんな言葉を口に出していない。こんなことは思ってもいない。にもかかわらず、自分の口からは確かに言葉が出た。

「おや、まだ意識があるか」

 自分の体が自分の意思とは関係なく言葉を紡ぐことにコルビンは心の底から恐怖した。

「意外としぶとい奴だ」

 今度は鷹揚に笑った。自分は面白くもなんともないのに。

「どうします?」

 アルヴァンの声がした。その言葉はコルビンの耳にはっきりと届いているのに、コルビンにはひどく遠くに感じられた。

「すぐに消してやるさ」

 コルビンの体がそう言った。しかし、コルビンにはもうそれが自分の体だとは認識できなくなっていた。彼の意識はあっという間に塗りつぶされていった。

「若さというのは価値のわからんやつに与えてやるにはあまりに惜しい」

 コルビンの意識が最後に認識できたのはそんな言葉だった。



「それで、あなたのことはなんて呼べばいいんですか?」

 アルヴァンが改めて聞いた。

「ジェイウォンでかまわんよ」

 コルビンの体を乗っ取ったジェイウォンの手はあごひげを撫でようとしてむなしく空を切った。

「ふむ、伸ばした方がいいかもな」

「その体だとあまり似合わないと思いますよ」

 アルヴァンが言った。


「終わりましたの?」

 様子を見に来たヒルデが聞いた。

「うん、無事に終わったよ」

「……ほんとにちゃんと入れ替わってますの?」 

 ヒルデは疑わしげに若い男の体を見た。

「ほっほ、証明するのはなかなか面倒だのう」

 ジェイウォンの手がいまはもうないあごひげに伸びる。

「ああ、たしかにジェイウォンさんみたいですわね」

「ワシはそんなにひげばかり撫でておったかのう……」

「結構撫でてたよね」

 アルヴァンが言った。

「ですわね」

 ヒルデも同意した。

「……やっぱり伸ばすか……」

「それはやめた方がいいと思いますわ」

 きっぱりとヒルデが言った。


「まあ、なにはともあれ、ワシの目的は半分達成できた。おまえさんには感謝するぞ、アルヴァン」

 ジェイウォンは改めてアルヴァンに頭を下げた。

「気になくてもいいですよ」

「これからはおまえさんに忠誠を誓う」

 ジェイウォンはアルヴァンの前に跪いた。

「ええと、僕はどうしたらいいのかな?」

 アルヴァンはヒルデに助けを求めた。

「わたくしに聞かれましても……」

 ヒルデも途方に暮れていた。

「ワシも面白い主君を持ったものだ」

 うろたえる二人を見て、ジェイウォンは笑った。

「はあ……」

「そうですの……」

 二人は未だに困惑していた。

 そんな二人を見てジェイウォンは大笑いした。



「おかえりー、ちゃんと終わったの?」

「それがご老体なのか?」

 戻ってきた三人にベリットとエイドレスが声をかけた。

「ジェイウォンさん」

 ヒルデが促す。

「またやれと言うのか」

 ジェイウォンが嫌そうに言った。

「結局あれが一番わかりやすいですから」

 アルヴァンがそう言うと、ジェイウォンは渋々あごひげを撫でる動きをした。


「上手くいったようだな」

「あー、もうひげないのに撫でちゃうの年寄りっぽいよね」


 ベリットの頭にジェイウォンのげんこつが落ちた。

「痛え! 誰かさんみたいにボケちゃったらどうすんのさ!」

「ボケとらんわ! 失敬なことを言うでない!」

 ベリットとジェイウォンがにらみ合う。

「まあまあ、二人とも落ち着いて。そろそろ、彼らがやってくるんじゃないかな」

 機動鎧のスピーカーを通して、グレースがベリットとジェイウォンをなだめた。

「準備は整ってますよね?」

 アルヴァンが確認する。

「ばっちりよ」

 ベリットはぐっと親指を立てた。

「では、いよいよパーティの時間ですわね」

 にやりと笑ってヒルデが言った。



 ゲルダ・ハーマン率いる機動鎧部隊は侵入者とベリットがいるであろう格納庫に向かっていた。

 ゲルダが駆る赤い機動鎧が沈みゆく夕日を反射している。

 研究所の爆発による混乱も収らない中で、領主であるゲルダの機体が街中を駆け抜ける光景は、住人たちにぬぐいがたい不安を植え付けた。

 しかし、ゲルダは止まらない。避難誘導は衛兵たちに任せている。ゲルダとて、都市の住人たちへの責任は感じているが、今優先すべきは敵の排除だ。敵を倒すことなしに安寧はない。

 そう思ってゲルダは機体を走らせた。

 格納庫近くまでたどり着いたとき、ゲルダは自分の判断が間違っていたことを知った。

 機動鎧を率いていけば相手の制圧は容易にできる。ゲルダはそう思っていた。

「バカな……なぜ機動鎧が……」

 機体の周囲の映像がゲルダの搭乗席に投影される。格納庫に保管されているはずの機動鎧が格納庫周辺に展開されているのが映し出されていた。

 ゲルダが動きを止める。それに合わせてブロンダム博士、ゲルダの部下たちが乗る機体も立ち止まった。

「博士、これはどういうことだ?」

「こんなバカな……ベリットに警備を突破できるはずがないのに……」

 ブロンダム博士も状況が飲み込めなかった。ベリットは知能の高さを除けば普通の子供だ。手先は器用だが、運動のたぐいは苦手な方である。格納庫を守る屈強な警備兵たちをどうにかできるわけがない。

 にもかかわらず、博士たちの目の前では機動鎧が立ち上がっている。

「……まさか、あの侵入者たちがベリットと手を組んだのか!」

 ブロンダム博士は恐ろしい可能性に思い至った。

「なんだと!」


「はろー、はろー」

 ゲルダが声を上げたとき、機体に通信が入った。

「……ベリットか!」

「怒鳴らないでくれるかな。耳が痛いんだけど」

「貴様、あの連中と手を組んだのか!」

「まあね。あたしと一緒にいると楽しいんだってさ」

「ふざけたことを……」

「ベリット、おとなしく投降するんだ!」

 ゲルダとベリットの通信にブロンダム博士が割り込んだ。

「えー、やだよ。もしあたし投降したら、もう機動鎧いじれなくなるでしょ」

「おまえは自分が何をやっていたのかわかっているのか!」

 ブロンダム博士が怒鳴った。

「当たり前じゃん。ひょっとして魔石の件で怒ってるの? あたしだって好きで人殺ししてたわけじゃないんだよ? 機動鎧の研究してたら魔石が足りなくなっちゃったんだもん。しょーがないでしょ?」

「……ベリット、おまえの間違いは私が正す」

 ブロンダム博士が言った。


「おかしなこと言うね。あたしが間違ったことなんて一度もないのに」

 ベリットは不思議そうに言った。

「もはや言葉は不要だ。ベリット・ブロンダム、貴様には罪を償ってもらうぞ」

 通信を切ると同時にゲルダの機体が飛び出した。機動鎧用の巨大な戦斧を構えて一番近い機動鎧に向かっていく。

 敵の機動鎧が盾を構えた。

「止められるとでも思うか?」

 ゲルダの戦斧には背面に推進剤の噴射装置が仕込まれている。戦斧の推進機構を起動し、刃を一気に加速させる。

 加速された戦斧は盾ごと相手の機体の左腕をもぎ取った。

 ゲルダの見事な一撃を合図に、ゲルダの部下たちも攻撃を開始し、機動鎧による乱戦が始まった。



「ちっ、さすがはあたしの最新型。あの斧はやっぱ強えわ。とはいえ、あたしの自動操縦システムもなかなかいけるね……やっぱりあたしって天才じゃね?」

 自動操縦でゲルダたちの相手をさせている機体からの映像を眼鏡のレンズに投影しながらベリットが言った。格納庫の通信施設に陣取ったベリットは大好きなアメを瓶から取り出し、包装紙を破る。

「それにしても、あのババア、機動鎧の操縦に関してはほんとすげえよなあ……でもまあ、あんたなら勝てるか」

「そろそろ、ボクの出番かな?」

 グレースの機体からの通信が入った。

「だね。もう二体も落とされちゃったし、ぼちぼちいきますか」

「了解。では、行ってくるよ」

「あいよー」

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